「わざわざ来てくれてありがとうね。ユキハネにこんなにも優しいお友達がいて、私も嬉しいわ。荷物までわざわざ持ってきてくれて、ユキハネも助かったでしょう」
静々と頭を下げるユキハネの叔母――シラギクに、ケイは常と変わらない笑顔を向ける。
「俺も、ユキハネの親戚の人がこんなにも親切だって知れてよかったよ。こんなにお土産まで貰っちゃって、本当にいいの?」
「いいのよ。ほんの気持ちなんだから。ねえ、ユキハネ?」
叔母に促され、ユキハネも静かな声で「はい」と頷く。
翌朝、当初の予定通り、ユキハネの実家に訪れたケイは、ユキハネの荷物を渡すついでに部屋へと通された。そこで、こちらも予定通り、例の献上品について尋ねてみることにした。
残念ながら、機織りの家であるユキハネの実家であっても、献上品の詳細を知ることは叶わなかった。
だが、当然ながら話をそこで終わらせるわけにもいかず、話好きの叔母に付き合って、ケイは午前いっぱいをユキハネの家で過ごすことになった。
「それで、ユキハネ。このあとは、クガネの案内に行く予定なんだけど、いい?」
「はい。といっても、私も小さい頃の記憶が頼りなので、そこまで詳しいわけではないのですが」
「それでも、提灯とか着物とか、俺が知らないひんがしの国のものを教えてくれたじゃないか」
ユキハネは「それくらい大したことではない」と謙遜したものの、ケイの勢いに押し切られて、やがてユキハネも頷くに至った。
「ユキハネ、出かけるなら傘を持っていくといいわ。この空だと、一雨きそうだもの。ほら、ケイさんの分も」
「ありがとう、おばさん。あとで返すね」
ユキハネの叔母に丁寧に頭を下げてから、ケイはユキハネの手を引いて外へと出る。
昨日は燦々と降り注いでいた日差しは、今日はすっかりなりを潜め、ユキハネの叔母が言っていたように、どんよりとした曇り空が上空を支配していた。
お出かけ日和とはいかなかったが、ケイはこれからも暫くクガネに滞在する予定だ。なら、こんな日があってもいいだろうと、あっさりと気持ちを切り替える。
「じゃあ、ユキハネ先生! 今日のお昼を早速食べたいんだけど、どこがいいでしょうか?」
芝居がかったケイの振る舞いに、これまでずっと強ばっていたユキハネの口角が僅かに持ち上がる。
「もう、ケイさんったら。それなら、少し離れたところにある通りに行きませんか。叔父さんから聞いたんですが、職人さんがお昼によく使うお店があるそうです」
「わかった。じゃあ、そこにしよっか。潮風亭のご飯もおいしかったけど、ここからじゃ遠いものね」
何気なくケイが付け足した言葉に、ユキハネはどうにか笑顔を作って返す。
昨晩出会った従姉妹のギンチョウは、今日も潮風亭で働いているだろう。彼女にとってユキハネは招かれざる客だ。そんな相手に、一日とおかず客として再会するのは避けたかった。
「ユキハネ。おーい、聞いてる?」
ケイに呼びかけられ、ユキハネはハッとする。気づけば、ケイが覗き込むようにしてユキハネを見つめていた。
「ご、ごめんなさい。何でしょう」
「んー……いや、なんでもない。お店への案内、頼んでいい?」
「あ、はい。もちろんです」
慌てて頷いてから、ユキハネはケイの半歩前を歩き出す。その様子を、ケイは迷子の子供を見守る大人のような視線で見守りつつ、追いかけた。
***
ユキハネが案内してくれた定食屋は、労働者向けの豪快な盛り付けが特徴の店だった。既に、港の荷揚げ人が少し早い昼休みをとるため、数個の卓を占拠している。
大声で話す屈強なルガディン族の男たちの笑い声が、今も賑やかに食堂にこだましていた。
いかにも豪傑といった風情の彼らと比べると、ケイもユキハネも、この場ではやや浮いている。だが、その程度のことで物怖じするほど二人も軟弱ではない。
「すみません。二名なんですけど、席ありますか?」
「おう、二階ならまだ空いてるから適当に座っててくれや。品書きなら壁に貼ってあるから、聞きに行くまでに決めておいてくれ!」
カウンター越しに答える、がっしりとした体格のアウラ族の男性の声も、客に負けず劣らずかなり大きい。ただの町人なら、この声に驚いて逃げ帰っても不思議ではないだろう。
とはいえ、ユキハネもケイもただの十代の若者ではない。荒くれ者たちに混ざって、酒場で食事をとることもあった冒険者が、この程度のことで臆するわけがなかった。
「では、失礼しますね。ケイさん、行きましょう」
「うん。何を頼もうかなあ。あ、どのコースにも白米がついてる。へー、こういうのはクガネらしいね」
他の客の食事をチラッと盗み見しながら、ユキハネと共にケイは二階へと上がる。
木でできた階段をぎしぎし軋ませて上がった先には、畳敷きの席が並んでいた。一階が労働者向けの風通しがよく出入りしやすい席だとしたら、こちらは腰を落ち着けてゆっくりと過ごしたい客向けらしい。
若者の二人連れであるのを見て、先ほどの店員が気を利かせてくれたのだろう。
壁の品書きに目を通して悩んでいるケイに、すでに注文を決めたのか、ユキハネが声をかける。
「あの……改めて、今日は荷物を持ってきてくれて、ありがとうございました」
「いやいや、この程度はどうってことないよ。それよりも、ユキハネの叔母さんや叔父さんも、いい人たちでよかった。せっかく帰ったのに、門前払いみたいなことになってたらどうしようって心配だったんだ」
カラッとしたら笑みを向けるケイに、ユキハネも追従するように笑う。しかし、その笑顔に混ざるぎこちなさをケイは見逃さなかった。
「今日、会ったときから気になってたんだけど……ユキハネ、少し元気がない?」
「えっ。そう……でしょうか?」
そんなことはないと言おうとして、ユキハネは言葉に詰まる。そして、その姿がもはや答えのようなものだった。
「もしかして、何か家であったの? 実は、裏では叔母さんたちにいじめられてるとか……」
「そ、そんなことはないです! すごく親切にしてもらっています。叔母さんも叔父さんも、私のことを、まるで娘が帰ってきたみたいに喜んでくれて――」
そこで、ユキハネの言葉が一度止まる。思い出したのは、昨日向けられた従姉妹からの視線だ。
――あんたみたいな面倒な荷物を増やすの、あたしは反対。
そう言いはなった彼女の言葉の棘は、今もどこかに刺さっている気がする。
(本当にそうでしょうか。私が落ち込んでいるのはギンチョウさんのせい?)
自問への答えは、すぐに見つかった。
(いいえ。私が暗い顔になってしまっているのは、ギンチョウさんのせいじゃない。私は……)
昨日から深く胸に突き刺さっているのは、ギンチョウの言葉などではない。自分を家に残して去って行った師の姿だ。
ケイの姿を見たとき、今朝の彼はフェリキシーと会って何を話したのだろうと連想して、心が塞いでしまったのだ。
とはいえ、そのことを友人であるケイに打ち明けるのは気恥ずかしさが勝る。
「すみませーん。注文取りにきたんですけど、何にしますか?」
「あ、じゃあ俺はこの天ぷら盛り合わせで。ユキハネは何にする?」
「では、キジハタの定食をお願いします」
折良く、注文を取りに来た店員と話をしている間に、少しばかり心も落ち着きを取り戻した。お通しとして出されたお茶を口につけ、一呼吸を挟み、
「……先ほどのお話なんですけど。実は、心配なことがあるんです」
フェリキシーのこととは別に、胸に引っかかっているものはもう一つある。ケイの心配を払拭するためにも、ユキハネは敢えてその話題を口にすると決めた。
「それは、お家のことで?」
「はい。その……私の叔父さんと叔母さん、借金をしてるみたいなんです」
お茶を飲んでいる途中だったケイは、湯飲みからお茶を吹き出しそうになっていた。何とかこらえたものの、噎せたらしく、げほげほと何度か咳払いをしている。
「だ、大丈夫ですか!?」
「うん……何とか。その借金は、返す目処がついている借金なの?」
「いいえ。それで、昨日も取り立てにきた人がいたんです。でも、お師様曰くーー」
師であるフェリキシーの名を出すと、胸がつきんと痛む。その痛みを今はぐっと押さえつけて、
「元々、詐欺師が叔父さんたちをはめて、借金をさせたみたいなんです。とはいえ、その詐欺の証文にサインをしたのは叔父なので、今更撤回するのは難しそうという話でした」
「あー……サインをしちゃったら、詐欺だって分かってても、突っぱねるのは難しいね。昨日来た人は、大人しく帰ったの? 暴れたりしなかった?」
「ヒョウセツさんのお知り合いのオロシさんという方が来て、自分の店との商談を予定しているから返す目処はある、と言ったら引き下がってくれました。オロシさんは、大きいお店の息子さんだから、それでひとまず納得してくれたみたいです」
もっとも、オロシとの商談はあの時点では、あくまではったりに過ぎない。
オロシも「店に戻って父上に相談してみます」とは言ってくれたが、家族経営の小さな機織り職人の布を買い取ってくれる可能性は、限りなく低いだろう。
「叔母さんも叔父さんも、今はあまり織物が売れていないみたいなんです。家の玄関口、ケイさんも見ましたよね。本当は品物がずらっと並ぶはずの場所なのに、それらしい商品が全然ないんです」
それなのに、ユキハネの目から見ても二人はあまりに脳天気が過ぎる。人当たりがよく善良なのは美徳だが、ユキハネには薄氷の上で談笑しているような危うさにしか感じられなかった。
詐欺師を前にして、何故そんな風に笑っていられるのか。新たに養わねばならない娘を家に引き入れるなど、何を考えているのか。
思い返すと、不安よりも苛立ちに近い刺々しい感情が膨らんでいく。
「ユキハネ、怖い顔になってるよ」
「……だって、叔母さんも叔父さんも、この先どうしていこうとしているのか、考えていないように見えるんです」
膝の上に置いた手に、ぎゅっと力がこもる。
二人のことは嫌いではないはずなのに、もどかしくてたまらない。何でそんな風に、世間の悪意に対して見ないふりができるのかと思ってしまう。
「叔父さんたちが、あまり織物を作れていないのは、その借金のせいじゃないかな。材料がないと、織物も作れないよね。それに、今は織物の売値が下がってるから、以前よりも材料費に使えるお金がないんだと思う」
「織物の売値、そんなにも下がっているんですか」
「うん。俺が護衛している商人さんが話していたんだけど、ガレマール帝国の人たちの中でも、ドマ開放を契機にクガネの商売を切り上げるって決めた人がいたみたいなんだ。そうなると、帝国向けに売っていた職人さんの品物が余って、今度はエオルゼアの商人向けに商売を始める。新参の彼らが少しでも有利になるようにって値下げを始めたら、いつからか値下げ合戦になってしまって、最後にはエオルゼアの商人も底値で買いたたく傾向に流れていったんだって」
断片的な話としてはユキハネも知っていたが、改めて知人の口から聞かされると、噂として聞いていたものも現実的な問題として実感が沸いてくる。
「だから、ユキハネの叔父さんたちは怠けているんじゃなくて、どうしようもない中でも、何とかやりくりしようとしてるんじゃないかな」
「そういうものなのでしょうか……」
だが、ケイの言う通り叔父たちが足りないお金でどうにか生計を立てているとしても、そんな中で姪を引き取るのはやはり考えなしではないかと疑ってしまう。
彼らの善意を愚かだと笑いたくはない。けれども、ユキハネが今まで経験した現実の厳しさが、叔父や叔母の好意を軽視せざるを得ない状況を作り出している。
「ケイさんが今日叔母さんに聞いていた、殿様への献上品になるような織物があれば、借金も返せるでしょうか」
「もしかしたら、そうかもしれないね。もし作り方を知ってる人が見つかったら、ユキハネの叔母さんたちにも教えてもらえないか、頼んでみるよ」
「ありがとうございます、ケイさん」
そうは言うものの、献上品として差し出せるような織物など、もはやお伽話か伝説の類と変わりない。ゆえに、このやりとりは流れ星に願い事をするくらい、さしたる実のない願掛けに過ぎなかった。
話がひと段落すると同時に、店員が料理を運んできてくれた。むわりと立ち上る湯気には、食欲を誘う香りが混じっている。
「俺、すっごくお腹減ってたんだ。じゃあ、早速っと」
店員が部屋を後にするのも待ち遠しく、ケイは手早くナルザル神への祈りを捧げ、近くにあった箸を手にとった。
ユキハネが箸の持ち方を教えたものの、すぐには上手く使えなさそうだったので、最終的には串のようにして天ぷらに突き刺して食べていた。
(私は、叔父さんたちが今どんな状況なのか、ケイさんみたいに理由や状況を考えようともしていなかった。ただ、詐欺師の人を前にしてものんびりと構えていたから、何も考えていない人たちだと思い込んでいた……)
ユキハネの分として運ばれたのは、キジハタの清蒸であった。長ネギや生姜と共に酒で蒸したキジハタに、熱したごま油をかけて香ばしさを増した一品で、朝から塞ぎ込んでいたユキハネの空腹もしっかりと刺激してくれた。
(叔父さんたちが嫌いなわけではないんです。二人とも、私に凄く親切にしてくれています。……でも、私には受け入れがたかった。冒険者を辞めるようにっていう考え方も。職人になって家で過ごすのが幸せだって思っていることも)
箸で魚の身をほぐし、一口入れる。口の中に酒蒸しの風味が詰まった湯気が広がり、美味しいという言葉だけが一瞬舌を支配していく。旨みを十二分に味わえたからか、久方ぶりに、喉の奥にすんなりと食べ物が落ちていってくれた。
(私が、叔父さんたちの気持ちを素直に受け取れない理由。それは……やっぱり、お師様が、私を家に残して行ってしまったから、だと思うのです)
何度も見ないふりをしようとして、それでも忘れることもできずに思い返し、同じ所をぐるぐると行きつ戻りつする。
昨日から、ユキハネがフェリキシーに対して何か考えようとすると、いつもこの堂々巡りにぶつかってしまう。
「ユキハネ、この天ぷらって料理、すっごくおいしいね! 揚げ物なんだろうけど、何で揚げてるのかな。ふわふわさくさくで、いくらでも食べられちゃうよ」
「天ぷらの衣は、小麦粉だったと思います。ふわふわさくさくにするんだったら、その中でも更に一手間加えていたような……?」
「へえ。卵とパン粉も使う揚げ物とは違うんだね。これ、ミィハが好きそうだから、帰ったら作ってみようかな」
「――――」
いいなあ、と溢れそうになった言葉を、ユキハネは必死に喉の奥に送り返した。
ケイの傍らには、これまでもこれからも、変わらずに友人のミィハがいるのだろう。だが、ユキハネはどうなのか。帰ったら、という言葉の先に自分はいるのか。
酒蒸しに視線が落ちていく。あれほど美味しく感じられた料理の香りが、また遠くなってしまった。
「ユキハネ」
ケイの呼びかけにも応じられず、うつむいたままでいると、
「フェリキシーのこと、気になる?」
問題の中核をいきなり射貫かれて、ユキハネは思わず顔を上げた。その時の自分が浮かべた顔が、どんなものだったのかは、ケイの表情の変化を見れば分かる。
今まで料理に舌鼓を打って目を輝かせていた少年は鳴りを潜め、代わりにユキハネの友人として、真摯に彼女の悩みを受け止めようとする仲間が、こちらを見つめ返している。
「叔父さんたちのことで不安になったり、不満を感じたりするのも、フェリキシーがいないから?」
「…………単にいないから、だけじゃない、と思います」
心を落ち着かせるため、料理を一口、噛まずに飲み込む。
「お師様が、私をあの家に置いていったから」
シャキン、と音がする。昨晩も、堂々巡りの思考に嵌まったときに聞こえた幻聴。今まで信じていた縁が、この先続く未来が、全て断たれたかのような音。
「私を置いて、いなくなってしまったから。お師様にとっては、最初からその予定だったんでしょう。これまでお師様が私と一緒にいたのは、いつか私を家に送り届けるまでの寄り道に過ぎなかったんです」
――本当に、そうだっただろうか。
どうしてこんなに断定的な口調で言い切ってしまうのか、と薄らと疑問が浮かび上がる。
だが、その疑問もまた、あの音が断つ。
シャキンと、一つ。
「だから、お師様にとって、これは予定通りのことで……本当は、私のことなんてどうでもいいと思ってるに決まってます。そんなお師様のことばかり考える私の方が、馬鹿だったんです! そこまで分かってるのに、どうしてって気持ちばかり増えていって……どうしようもなくって……だから――」
「ユキハネ」
堂々巡りの感情が、行き場をなくして膨れ上がった瞬間だった。
何かを求めるように手を伸ばしていたユキハネを制するように、落ち着いたケイの声が響く。
「本当にそう思う? フェリキシーが、迷子を送り届けるためだけにユキハネを連れていたって」
「それは……」
「前に、俺、言ったよね。フェリキシーは、ユキハネを無理に連れ回そうとは思っていない、ユキハネが選んで自分のそばにいるって分かってるみたいだった、って。ユキハネが怪我をしたときも、すごく心配してたって」
ユキハネは、咄嗟に自分の首元に手を当てる。微かに肌に残る傷跡は、以前の依頼で悪漢の銃弾に撃たれたときについたものだ。
当時、負傷した後は気絶してしまっていたので、ユキハネにはフェリキシーが何をしていたか、全く覚えていない。フェリキシーも詳しくは語ってくれなかった。
だから、ケイからこの話を聞いたとき、嬉しさのあまり、ユキハネは暫く顔を隠していなければならなかった。そうでなければ、大変にやついた顔を仲間に見せることになっていただろうから。
「フェリキシーは、どうでもいいって思っている人とずっと一緒にいてくれるほど優しくないし、そんな人に師匠って呼ばせるほど、親切な人じゃないよ」
はたから聞けば、褒めているのか貶しているのか分からないような発言だ。だが、ユキハネにだけは、ケイが何を伝えようとしているのか、はっきりと分かっていた。
「……でも、私を置いていったんです。ここが私の家だからって」
ケイの説得に、一定の理解はできる。
それでも、現実としてフェリキシーはユキハネを実家に残し、自分だけがその場を後にした。
「ユキハネが納得できないなら、フェリキシーに聞いてみようよ。納得できないときは、ちゃんとぶつからないと」
だが、そのぶつかった先で思いがけない怪我を負わされてしまったら。それが怖くて、ユキハネは動けずにいる。
「俺だって、ミィハが勝手なことをしたら、正面から聞くよ。『そういうの嫌だから、なんでそんなことしたのか教えて』って」
それは、ケイとミィハが友人だからだろう、とユキハネの中でもう一人の自分が囁く。
自分がフェリキシーに向ける思いは、友人のそれとは違う。喧嘩をしても、いつかは仲直りできると淡い期待を抱けるような類いのものではないのだ。
(じゃあ、私がお師様に向ける感情って、何?)
ミィハとケイのような友人関係ではない。だが、師弟と定義してしまうと一抹の寂しさが残る。
フェリキシーは、ユキハネに前を向いて歩き出す生き方を教えてくれた。それは、手をとって立ち上がらせるような優しさはなかったが、頬を打つような厳しさでも、あの時のユキハネにとっては、かけがえのないものだった。
だから、フェリキシーのことを師匠と呼ぶ。戦い方だけではない。自分に生きる道を教えてくれた師。人生における師匠とも言える存在だから。
(でも、今の私は、師匠の言うことに素直に従うだけの弟子でいたくない)
その気持ちを一言で示すならば。
今まで、ずっと見ないようにしてきた感情を一言で表すならば。
「…………っ」
「ユキハネ?」
何かに気づいたように息をのむユキハネに、ケイはゆっくりと名前だけで呼びかける。ユキハネは小さくかぶりを振り、ケイへと向き直った。
「なんでもありません。そうですね。……ケイさんの言うとおりだと、思います」
「なんでもないならいいけど……。とにかく、フェリキシーも丁寧に自分の考えを説明してくれる性格じゃないからさ。気になることがあるなら、どんどん聞きに行こうよ。ね?」
「そうですね。お師様は……よく誤解される方ですから」
「はは、たしかに。フェリキシーの顔、怖いってよく言われるものね。こっちに来てからも、何度かびっくりされたみたいだよ」
「お師様曰く、『生まれつきの顔』だそうですけれど」
話しながらも、ユキハネは自分がうまく笑えているか、と内心で案じていた。
ケイの配慮を蔑ろにはしたくない。だが、ケイの語る解決方法を自分が選ぶことはないだろうと、ユキハネは確信していた。
なぜなら、自分がフェリキシーに向ける想いは、ケイのそれとは違うのだから。
ケイにはわからないと言い切れる、その思いを一言で示すならば。
(私は……お師様が、好き、なのでしょう)
ただの友愛とは違う。師弟愛というほど、清らかでもない。
がむしゃらに、ただ隣にいたい、その場所を誰にも渡したくないと渇望する感情は、ユキハネにすら制御できない勢いで、彼女の中で暴れ回っている。
これまで、ずっと見ないようにしていたし、気づくこともなかった衝動だった。なぜなら、実際にフェリキシーの隣にいられて、弟子という唯一無二の立場に居座り続けられて、それで満足できていたからだ。
だが、ひとたびフェリキシーから拒絶されたかもしれないと思った瞬間、その想いは激流の如く彼女の中で渦巻き、自分にすら想像できないところに己を押し流そうとしている。
「フェリキシーの顔、傷とか刺青とかあるものね。俺も、そういうのがあったら、もう少し威厳が出るかなあ」
「その話、ミィハさんが聞いたら『絶対やめろ』って言いそうですよ」
「あっ、今の、ミィハのモノマネ?! すごいなあ、そっくりだったよ。俺よりも上手いぐらい」
徐々に話題をフェリキシーとは関係ないところにずらしていっているのは、ケイの中で話すべきことは終わったと結論が出たからだろう。
ケイの気遣いはありがたかったし、彼に心配をかけたのは心苦しかった。だが、だからといってこの衝動をあっさりと解決するのは、どんな魔物を倒すよりも困難な所業だ。
(だって、私は、お師様に嫌われたくない。これまでの関係がお師様にとっては、どうでもいい時間だったかもしれないなんて、知りたくない)
推測は、未だ推測であるが上にユキハネに僅かに希望を与えてくれる。だが、それが決定的な絶望に変わったら、自分はどうすればいいのか。
もちろん、最善の答えは、この堂々巡りの感情に見切りをつけて、蓋をすることだと承知している。
(でも、どうしたって、忘れられそうにない)
何もかもを過去に置き去りにして、ただの町娘になってしまえば、自分の心はもっと楽になる。
そう分かっていてなお、心の棘は抜けずに今も血を流している。それでも、友人に対して笑顔で応じたいという心構えを忘れられずにいたのは、ユキハネにとって幸いであった。
しばらく、料理を交換しあったり、他愛ない雑談に花を咲かせた後、会計のためにケイが先に席を立った。
残されたユキハネが、料理が置かれていた皿を片付け、荷物に手を伸ばしたときだった。
「……あれ。私、こんなもの持ってきていましたっけ」
普段から持ち歩いている革製の袋には、小銭が入った財布や応急手当てのための道具などが詰め込まれている。だが、その中に明らかに異質な存在感を放つものがあった。
「これ、お母さんの部屋にあった鋏……?」
見慣れた道具や巾着たちの中で、一際黒々と主張を放つもの。それは、ユキハネの部屋の箪笥に置かれていた、古びた大きな鋏だった。
***
定食屋を出たあと、ユキハネはケイと共に小金通りという名の商店街を歩いていた。エオルゼアから輸入してきたと思しき、舶来品を扱う店が多く、居並ぶ商人の中にもエオルゼアで見かけるララフェル族やエレゼン族の姿もちらほら見受けられる。
店先に並ぶ商品は、エオルゼアだけではなく、遠くアラミゴやラザハンからのものも並んでいる。
さらにそこにひんがしの国や隣国ドマのものもあわせて陳列されているので、外国人のケイとしては文化の見本市に訪れたようで、数歩歩くだけで目が足りないとユキハネにこぼしていた。
「ユキハネ。ちょっとこの辺を見ていってもいい?」
「はい、構いませんよ。織物ですか?」
「うん。ラザハンにひんがし、それにガレマルドの物もある! 仕立てるなら、どれくらいの長さが必要かなあ」
ここ最近、随分と織物に傾倒しているなとユキハネが不思議に思っていると、
「魔道士の装備に使えそうなもの、何かないかなって思ったんだ。俺のローブもちょっと傷んできたから、そろそろ新しいものにしたいんだよね。あと、ミィハの分も」
「そうだったのですね。ですが、仕立てるとなると相当量を持って帰らないといけないのではないでしょうか」
多少荷物が多くても問題ないように大きな袋は持ってきていたものの、それでも限度というものがある。人一人分のローブを仕立てるとなると、袋には到底入らないだろう。
「それに、舶来ものの織物は値段も高そうですよ」
ちらと見かけただけでも、帰りの船賃がなくなりそうな値段が並んでいる。ひんがしの国の織物はそれに比べるといくらか安いが、まとまった量を購入したらケイの財布は随分と軽くなるだろう。
(叔父さんたちの作る織物も、これくらい高く買い取ってもらえたら良いのに)
思っても仕方ないことが、ちらと頭を掠める。フェリキシーへの叶わない思いだけでなく、叔父たちの借金もユキハネにとっては頭の痛い問題だ。
「じゃあ、こっちはどうかな。ほら、冒険者向けの魔法がかけられた装飾品だって」
何気なくケイがユキハネの手をとり、装飾品が並んだ店の前に連れてきてくれる。彼の手が想像していたよりもずっと温かくて、ユキハネは思わず指先に力を込めてしまった。
(私の手、こんなにも冷えていたんですね……)
あれこれ考えることが多く、気持ちが塞ぎがちだったせいかもしれない。今は、彼の温もりに素直に手を委ねてみる。自分の家では途方もない孤独を感じていたが、束の間とはいえ、少しばかり心が緩んだ。
「こっちの赤い石はなんだろう。鉱石じゃなさそうだよね」
「それは珊瑚だと思いますよ。石ではなくて、たしか海にいる生き物だったような」
「え、これ、珊瑚なの?! 前に海で見たときと全然違う……! というか、珊瑚って生き物なんだ……。岩が変化したものかと思ってた」
驚いたケイが取り落としそうになったのは、ユキハネが言ったとおり、紅色の珊瑚が中心にはめられた腕輪だ。
珊瑚をはめる台座も、腕を通す部分も全て金属で作られている。ひんがしの国では見慣れない様式なので、外国であるエオルゼアやガレマール帝国の技術も取り入れたものだろう。
「なんだ、坊主は珊瑚は見るのは初めてか? 珊瑚っていうのは、海の中にいる生き物の一種なんだよ。鉱石みたいに硬いけれど、生き物だから一つひとつ模様や艶の出方が違うんだ」
話が聞こえたのだろう。店員が店先の腕輪の一つを手に取り、ユキハネが持つものと並べて見せてくれた。彼の言うように、つやつやした表面にうっすらと走る白の紋様は、腕輪ごとにまったく出方が違う。
「航海のお守りにも使えるし、陰陽師さまがまじないをかけてくださったからな。呪いやら何やらに対する、ちょっとした護符代わりにもなるはずだ」
「おんみょーじ、って?」
「ひんがしの国でいうところの、呪術師のような方だったはずです」
「国が違うと、魔法の呼び方も違うんだね。もしかして、魔法の使い方も違うのかな。ミィハに今度聞いてみようっと」
「台座の所は、ガレマール帝国からきた職人と共同で作ったって聞いてるぞ。あっちの金属は寒暖の差に強いから、ちょっとやそっとじゃ壊れねえはずだ」
ユキハネの補足に、ケイは興味深げに頷いて再び腕輪に視線をやる。陰陽師や外国の職人という未知の単語の登場にわくわくしているのか、彼の瞳は横から見てもはっきりとわかるほどにキラキラと輝いていた。
「じゃあ、これとこれと……あ、こっちの緑の石のやつは?」
「そいつは翡翠だな。珊瑚と違って、それはれっきとした鉱石だぞ」
「じゃあ、これもお願い!」
「あいよ、毎度あり!」
店員に渡された包みを満面の笑顔で受け取っていたケイは、不意に包みから腕輪を一つ取り出し、
「はい、ユキハネの分はこれ」
「私に、ですか?」
「うん。この前から、クガネのことをたくさん教えてくれたから。そのお礼に……って思ったんだけど、だめかな?」
「いえ、嬉しいです。でも、なんだか申し訳なくて。私、大したことしていないのに」
ユキハネの手を取り、ケイはその手のひらの上にぽんと腕輪を置いた。つやつやの珊瑚の薄紅が、鈍色の空の下でも負けずに堂々と存在を主張している。
「申し訳ないなんて思う必要ないよ。俺がユキハネに渡したくて渡してるんだから! どうしてもって言うなら、無事の里帰り記念ってことにしておいて」
彼の声に励まされるように、ユキハネは珊瑚の腕輪を腕に巻く。金属でできた鎖が肌と鱗の継ぎ目に触れて、ひやりとした感触が心地よかった。
「さて、次はどこの店に行こうかな……あっ」
次の店へと一歩を踏み出しかけたケイは、声を上げるとともに上空を見やる。どんよりと灰色の雲を抱えていた空からは、とうとう耐えかねたようにぽつぽつと雨雫が落ちてきていた。
「振り出しちゃったね。えっと、叔母さんが貸してくれたこの傘、どう使えばいいんだろう」
「ケイさん、ちょっと貸してください」
叔母から渡された傘を開くまでひと騒動があったものの、数分も経たないうちにケイもユキハネも鮮やかな赤の番傘の下に逃げ込むことができた。ぱたぱたと傘の表面を雨が打つ音が心地よい。
とはいえ、雨降りではせっかくの商店街も出店の数がぐっと減ってしまう。一転して、どこか閑散とした雰囲気になった小金通りを歩きながら、次はどこに案内したものかとユキハネは思案していた。
(温泉に行っても、雨なら露天風呂には入れないですよね。それなら、舞台を見に行ってみましょうか。でも、飛び入りで観劇ってできるのでしょうか)
考え込んでいるユキハネの傍で、ケイが何やら背伸びをしている。何か気になるものでもあったのかと、そちらを見やると、不意にケイは傘に添えていた片手を上げて、手を振り始めた。
「見えるかなぁ。おーい、ヒョウセツ!」
ケイが呼びかけた先にいたのは、紺の番傘をさしたアウラ族の青年だ。ユキハネにとっては昨日ぶりの再会だったが、なぜか今日の彼は昨日に比べると表情が暗い気がした。
「あ、ああ。ケイか。それに……ユキハネも」
おや、とユキハネは思う。
冒険者として指導した縁からか、ヒョウセツはユキハネを見ると積極的に話しかけて、あれこれと話題を振っていた。なのに、今日に限って、ヒョウセツはユキハネと目を合わせても、すぐに逸らしてしまった。
「二人は、今日はクガネを見て回るんじゃなかったのか?」
「その途中なんだけど、雨が降ってきたからどうしようかなって思ってたところ。ヒョウセツは?」
「親父の手伝いが落ち着いたから、道場にでも行って来ようかと」
言いながら、ヒョウセツは腰にさした木刀を示す。使い込まれたそれには、無数の傷がついていた。
「道場って、たしか手合わせをするところだっけ」
「ああ。ちょっと……体を動かしたい気分なんだ」
ヒョウセツの視線が、ちらとユキハネに向けられるが、これまたすぐに逸らされる。
今までは「ユキハネに良いところを見せたい」という気持ちで満ち溢れ、堂々した話し方をしていたのに対し、今日のヒョウセツは明らかに覇気がない。
ユキハネを何度か見ようとしてはいるものの、すぐに視線を逸らすといったことを繰り返しているが、その理由もユキハネにはさっぱり分からなかった。
(私、ヒョウセツさんに何かしてしまったのでしょうか)
実際、ヒョウセツの変化にユキハネが直接関わっているわけではないのだから、彼女が首を傾げてしまうのも無理もない。
ヒョウセツがユキハネを真っ直ぐ見られない理由は、昨晩のフェリキシーの言葉が主な原因なのだが、ユキハネにとっては預かり知らぬことである。
「道場って、外にあるの?」
「外で手合わせするところもあるが、当然中でもできるように建物がある。もしかして、ついてくるつもりなのか?」
「うん。せっかくヒョウセツに会えたんだし、クガネの手合わせ場がどんなところか気になるからさ。ユキハネも、それでいい?」
「はい。ケイさんが良いのでしたら」
ユキハネはケイの案内人としてここにいるのだから、彼が行きたいと思うところがあるなら、それに同行するまでだ。
ヒョウセツは、依然として、何かもの言いたげに何度もユキハネをチラチラと見ていたが、結局ケイに向き直った。
「道場の連中、オレがエオルゼアで体験したことを聞いたら、すごく興味を持ってたんだ。きっと、ケイたちが来たら喜ぶと思う」
道場のちびたちに、ユキハネのことをあんなに大袈裟に紹介しなければよかったーーヒョウセツは、今更ながらそんなことを思ったが、その後悔は遅きに失しているのは言うまでもなかった。
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