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2026-05-13 22:00:00
6488文字
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君のかわいい雷蔵

鉢雷/6,300字
雷蔵から見た三郎の話

 一時期、ほんの一時期だけ、三郎のことを野生の狼のように思っていた時期がある。
 普段から気まぐれにころころと顔を変え、武芸に優れ術を使うのも上手い。毎日同じ長屋で寝起きして食事を共にしていても、人をからかうばかりで腹の中は滅多に見せようとはしない。年相応にくだらない話で笑いあっていても、顔を上げ不意に視線が合った折に、目を鋭く細めて観察されていたのに気付くような油断のならない底知れなさがあった。
 同じろ組の中にも三郎のことを畏怖する者はいた。実技の授業で対峙した時の獲物を狩るような目が、変装で騙された時の悪戯じみた笑顔が怖いと、下級生の頃にはそういった声をよく周りで聞いた。教室に野生の狼がいるみたいだと誰かが言った。誰にも素顔を見せないこともそれを後押ししただろう。
 その点、雷蔵はどうにも鈍感で危機感のない子供だったので、他の級友たちと違って三郎に対する苦手意識は特になかった。顔を使われても悪戯さえしなければ構わないと思っていたし、組手で手酷く負かされても次はもっと頑張ろうと思うだけだった。
 授業での本格的な演習が多くなってきた頃からだろうか。悪戯好きな同級生と思っていた三郎への見方が少しだけ変わったのは。
 演習場にある館に忍び込む訓練だった。実技担当の先生は外壁の前に立って三郎に視線を向けた。

「三郎、先頭を行け」
「はい」

 忍者は複数人で忍び込む際には腕の良いものが先頭を行き、脱する時はその逆を行く。名前を呼ばれて三郎は迷いなく返事をした。最初から呼ばれることが分かっていたようだった。
 手際よく鉤縄を掛けた三郎は足音ひとつ立てることなく、お手本のように壁を超えた。雷蔵が続いて縄に手を掛けて慎重に壁を登りなんとか内側へ飛び降りると、先にいた三郎がこちらを見て微笑んだのをよく覚えている。
 雷蔵たちのクラスでは離行の術を使う際、訓練のためにそれぞれに先頭を行かせることはあるものの、実習においてはこの順番が変わることは一度たりともなかった。

「先頭って緊張しない?」

 一度だけ、三郎にそう尋ねたことがある。三郎がその場にいない時には雷蔵が先頭を行くこともあったため多少は分かるが、任務の成否にかかる責任も重く当然危険も伴う。いつも気負う様子はないから返答は分かっていたが好奇心からそう聞いた。

「しないことはないが。多少責任を負っていた方が気が引き締まっていいんだ。私はいい加減な性格だから。……それに」

 皆が寝静まった夜だった。お互いに布団の中に入ったまま横を向くが、月もなく闇の中から囁くような穏やかな声だけが届く。

「君に先を行かせて自分の番を待つほうが嫌だな。いずれ慣れないといけないのは分かっているけど」

 それを聞いて雷蔵は、三郎は自分が考えていたよりずっと友達思いなのだと知った。狼は仲間意識が強く愛情深い。自分の腕に誇りと責任を持って皆の先を行く三郎は、確かに野生の狼のようだった。そのとき同級生たちに大きく遅れてようやくそのことに気付くことができたのだと思った。

***

 まだ上級生に上がる前、学園外での実習が少しずつ増え始めた頃、宵闇の森の中で別行動をしていたはずの同級生が慌てた様子で先生を探していた。事情を聞くと、クラスメイトのひとりが偵察をしていた出城の忍者に見つかって三郎と戦闘になったと言う。
 雷蔵が慌てて向かうと、地面に横たわった黒い装束の大人の側に三郎が一人立っていた。その表情はどこか落ち込んだような浮かないものだった。
 三郎の装束が裂けているのを見て雷蔵は駆け寄った。

「三郎、斬り合ったのか? 腕を見せてくれ」

 雷蔵の顔を見ると三郎はゆっくりと頭巾の口元を下げて笑みを作った。

「袖を切っただけだ。怪我はないよ」

 寸前までの物憂げな影は失せて、普段通りの得意げな笑顔にほっと胸を撫で下ろす。念の為に腕を確かめるが、確かに皮膚には傷ひとつなかった。
 忍者がいつ目を覚ますとも限らない。先生はまだだろうか。周囲を振り返ると級友達は一様に動揺してどこか異様なものを見る目で立ち尽くしていた。無理もない、実習でプロの忍者との戦闘が発生したのは初めてだった。地面に横たわった忍者は気を失ったまま縄で縛られていたが、自分が接敵していてもおかしくなかったという身に迫る臨場感があった。
 そう思ったが、しかし皆の視線はどうしてだか三郎に注がれていた。その時には分からなかったが、今なら理由が分かる。三郎が優秀な忍たまであることは皆の周知するところであったが、それはあくまで同じ教室の中での話だった。上級生にもなる前からプロの忍者と渡り合って、一対一で打ち負かす程とは思っていなかったのだ。皆が三郎に対して抱いたのは急に突きつけられた実力差に対する畏怖だった。実はこの時は真っ向から戦った訳ではなく、変装で山菜取りの子供の振りをして罠に誘った咄嗟の作戦がたまたま上手くいっただけで運に助けられたのだが、当時の同級生達を怯ませるのには十分だった。
 三郎が自分達となんら変わらない同い年の忍たまなのだと再認識されるまでには少しの時間を要した。やはりというか何と言おうか、先に痺れを切らしたのは三郎のほうだった。気持ちは分からないでもない。実技の授業の度、同級生に委縮されたり怯えられたりしていては話にならない。その日は竹刀での打ち合いの演習があった。クラスの中でも露骨に三郎との距離を置いていた相手を選んで、皆の前で盛大におちょくったのだ。相手に変装をして、試合時間を目一杯使っておかしな顔をしたり挑発的な態度を取ってまともに竹刀も振るわず逃げ回った。先生に頭を殴られて止められ、演習場から引きずり出されていく間も舌を出して喧嘩を売る程だった。相手は怒りと羞恥で顔が真っ赤になっていた。
 授業の後、雷蔵はどうしてあんなことをしたんだと三郎に問いただした。避けられていたこと自体は三郎のせいではないが、あんなふうに恥をかかせては悪化こそすれ何も解決しない。しかし三郎は口を尖らせてそっぽを向いた。先生に叱られた後だったはずだが全く反省の色がなかった。

「あの意気地なしをからかってやったんだ。自業自得だ」
「なんてことを言うんだ。友達だろう」
「友達なんていらない。私には雷蔵だけいればいい」

 まるで入学したての下級生のような言い分に腹が立った。どうしてそんな寂しいことを言うんだ。悔しさから両手を握りしめて、思わず三郎を睨みつけた。

「ぼくは三郎が嫌われたままなんてのは嫌だ! お前から謝るまで口をきいてやらないからな!」

 頭に血が上って口から飛び出したのは三郎と違わないくらい幼稚な癇癪だった。三郎は声を荒げた雷蔵に目を丸くしていた。言い返されないのを見て雷蔵はそのまま背を向けて別行動をした。
 食事の時間も風呂の間も無視をしていたら、その夜どういう訳か、三郎に恥をかかされたはずの同級生が雷蔵のもとへやってきて「三郎を許してやってくれ」と頭を下げた。三郎の気落ちぶりがあまりにひどくて見るに堪えなかったそうだ。
 今回の件に関してはクラスメイト達も三郎も、誰も悪くないと心の中で分かっていた。お互いに説明のつかない自責の念や罪悪感に似たものを抱えていたのだろう。ただ大人へと成長する過程で、少しばかり気持ちの整理をする時間が必要だった。
 決着がたまたまそのタイミングでついた。それだけのことで、三郎が折れたのは雷蔵に言われたからという訳ではないと思うのだが、周りの近しい友人達は今でも雷蔵に本気で叱られた後の三郎は耳と尻尾の垂れた小犬のようだと口を揃えて言う。野生の狼に比べて随分と愛らしくなったものだ。しかし残念ながら子犬になった三郎を、雷蔵自身はまだこの目で見たことはなかった。

***

 闇の中で二つの人影が飛び交う。その片方は三郎だった。下弦の月が東の空に昇り始めゆっくりと漆黒の中にあった森の木々を照らし出すと、段々と躊躇するように敵の攻撃の手が緩慢になる。陰になる枝の上で足を止めた相手はこれ以上続けるか引くかを迷っている。
 雷蔵たちが務めているのは殿だった。他の同級生が任務で奪った密書を持って忍術学園へ向けて先行している。途中追手に見つかったが幸いに相手は単独行動をしていた忍者で、腕は立つが数の上ではこちらが優位だ。先を行く仲間を安全圏まで行かせるにはもう少し足止めをしておきたい。
 雲が晴れてさらに月が煌々と辺りを照らす。雷蔵は地面から投石ひもを振って相手の立つ枝に向けて放つ。当てようとは思っていない、牽制のためだった。期待通りに人影はすっと音もなく遠ざかるように飛び退った。

「三郎、深追いするな!」

 先んじてそう声を掛けると、今にも飛び出そうとしていた三郎が肩を揺らしてその場に留まった。周囲を確認した後で雷蔵のいる木の根元に降りてくる。
 苦無を逆手に握ったままの手で口元を隠す頭巾の布を下ろし、地面に向けて唾を吐いた。どうやら口の中を切ったようだ。相手との斬り合いの途中、一度だけ相手の刀を苦無で受けた際に柄で顔を打っていた。他に受け損なった攻撃はなかったため手当はいらないと判断する。
 息を整えている三郎は薄っすらと口角を上げて笑みを浮かべていた。面をしている顔の色は変わらないが、月明かりに照らされた首筋が紅潮している。実力の拮抗した相手との戦いが楽しかったのだろう。近距離で真っ向から斬り合いを挑んでくる、いかにも三郎の好みそうな相手だった。間合いを計りながら繰り返される剣戟は雷蔵から見ても見事だった。

「他に追手はいないと思う。皆のところへ合流しよう」
「分かった」

 三郎が素直に頷いたのを見て、もし追手がある場合に気を引けるようあえて明るい道を走り出す。追いつくまでには三郎の興奮も落ち着いているはずだ。
 合流してすぐ、点々と黒い染みをつくっていた三郎の装束を見てクラスメイトのひとりが「怪我をしたのか?」と驚いて尋ねた。五年生になり皆が実習の経験を積み、三郎のことを遠巻きにして怖がる者はいなくなった。返り血だ、と短く返答した三郎を見て代わりに吐き出すのは感嘆の溜息だ。怖がられる代わりに、今では学園内でも一目も二目も置かれる存在になっていた。
 密書を無事に先生のもとへ届けて報告をした後、水を浴びて汗と泥を落とし長屋の自室に戻るとようやく緊張の帯を解いて人心地つくことができた。
 一眠りしたところで正午過ぎに目を覚ました。夜の演習までには時間があったので図書室に顔を出すと、当番のきり丸が床に大量の色紙を広げていた。造花造りのアルバイトだろう。雷蔵の顔を見るなり飛び上がったのを見て思わず眉を下げる。

「すみません。明日が納品なのを忘れていて、つい」

 丁寧に膝を揃えて頭を下げる。しょぼんと垂れた耳が見えるようだった。当番中に内職をしていたことを叱ってやらなければならないと分かっていたが、雷蔵は人差し指を立てて微笑んだ。

「中在家先輩に見つかる前に終わらせてしまおう。他の生徒が来たらぼくが受付をするから」

 きり丸が素直に顔いっぱいに喜色を浮かべる。こうやって後輩を甘やかしてやれるのもきっと今年限りだ。来年からは中在家の代わりを雷蔵が務めなければならない。
 雷蔵先輩の分、と三等分された色紙の束のうちひとつを渡されて思わず首を傾げる。

「こっちは三郎先輩の分」

 続けて差し出された束を背後から伸びてきた手が受け取った。いつの間にか三郎が立っていて、雷蔵と同じように眉を下げて苦笑を浮かべている。

「三郎、どうしてここに?」
「さあ。どうしてだと思う?」

 きり丸の作った手本を見ながら三人で作業に取りかかる。きり丸が図書委員会に参加してからはアルバイトの手伝いに駆り出されることも多くこういった作業にも慣れていた。そして思い返せば何故か図書委員でない三郎が混ざっていることも一度や二度ではなかった。きり丸も特にそのことに疑問を抱いてはいないようだ。
 鈍感な子供であった雷蔵も忍術学園で研鑽を積み僅かながら成長をした。一番近くにいた三郎のことならよく分かっている。

「分かったぞ。たまには後輩に手を焼かれたい気分だったんだろう。庄左ヱ門と彦四郎はしっかりしていて手が掛からないから」

 三郎はこう見えて後輩を構うのが大好きなのだ。まだ変装に慣れていない一年生を驚かせて揶揄うのが特に。
 しかし三郎はがっくりと肩を落として「それは雷蔵のほうだろ」と言った。

「それだとぼくがしっかりしてないみたいじゃないですか。先輩方、ちゃんと手も動かしてくださいね」
「すみません」

 お世辞にもしっかりしているとは言えないが、ちゃっかりはしている後輩が丸い頬を膨らませるのが微笑ましい。確かに三郎の言うとおりだ。緊張感のある任務の後だったから、こんな呑気なやりとりをしたくてここへ来たのだ。
 なんとか日の暮れる前に内職を終え、当番を終えたきり丸を見送ってから夜間演習の支度のために長屋へ戻る。

「三郎、髪に葉がついてる」

 紅葉した銀杏の葉が髪に引っかかっていた。そう指摘すると「取ってくれ」と甘えた返事が返る。苦笑しながら手を伸ばすと合わせて三郎が頭を下げた。

「雷蔵は一年生の頃から変わらないな」
「えっ」

 嬉しそうに顔を上げた三郎が唐突にそんなことを言った。指で摘んだ葉を放すとくるくると揺れながら地面に落ちる。

「そ、そんなに成長してないかな。ぼく」

 聞き逃せない言葉だった。いつも一番側にいる親友にそう思われているのなら流石に落ち込む。しかし三郎は首を横に振った。

「そうじゃない。成長して強くなっても本質が変わらないなと思って。危険な任務の間も、学園で後輩を甘やかしている間も雷蔵は雷蔵のままだ。私みたいに戦いで血気に逸ったりしないし」
「そうかな……?」

 なにぶん呑気な性格をしている自覚はあるので、調子に乗ったり、不慮の事態に取り乱したりすることは少ないほうかもしれない。代わりに迷い癖という致命的な短所を抱えているわけだが。

「私を怖がったり、いつの間にか掌を返して羨望を向けてきたりしない」

 苦いものを噛むようにそう付け加える。それは特定の誰かに向けた言葉のようだった。

「安心して背中を任せられるって意味だよ」

 三郎の手が顔の横へ伸びて、雷蔵の髪をゆっくりと撫でるようにしてから「葉がついてた」と微笑んで嘘をついた。
 目を細めるその表情を見て図書室にいた時の疑問に合点のいく答えが出た。雷蔵が心を休めるために後輩に会いに行ったように、三郎も後輩を構う雷蔵を眺めるために来たのだ。何が琴線に触れるのか分からないが雷蔵が呑気に過ごしていると三郎は嬉しいらしいのだ。そのことに気付いた時は子供扱いをされているようで複雑だったが、今は慣れて好きに思わせておこうという気になっている。
 長屋の自室に戻って身支度をしていると、戸が開けられて八左ヱ門が顔を出した。

「今夜の演習は中止だ。学園長先生から緊急の指令があるらしい。すぐに庵へ向かってくれ」

 い組に伝えてくる、と廊下を駆けていく。
 雷蔵はそっと三郎の顔を見た。雷蔵と同じ顔についた口がゆっくりと弧を描く。夕方に雷蔵の髪に触れた時とは違い、獰猛な猛禽類のように目が細められた。――夜がやってくる。
 昼も夜も変わらない雷蔵を三郎は気に入っているようだが、雷蔵は逆だ。後輩を揶揄って他愛無く遊ぶ昼間の三郎とは違う、演習よりも実戦に重きを置き、己の腕を磨くのに難しい任務であればあるほど浮き立ち、勝負事を好む三郎が好きだ。
 この横顔を見ていられるここは特等席だ。それならもう少しの間、彼の大好きな鈍感な雷蔵のままでいてあげてもいい。