手を伸ばして髪に触れると、仄かな月光を受けてきらきらと光る。長義の髪はまるでそれ自体が月であるかのように、あるいは彼の本来の姿……抜き身の刀身のように、薄らと銀色に光っていた。
そのまま指を下ろして首元に触れると、くすぐったそうに目を細める。それでも制止せずにこちらの好きに触れさせているのだから、随分と懐に入れて貰ったものだと思う。
「俺に触れるのが余程楽しいみたいだね」
そう言う長義も愉快そうなので、私は安心してこの触れ合いを続けることができる。
長義の肌はひんやりとして気持ちが良かった。しかしそれも触れているうちに私の体温が移り、差異はなくなる。
無意識のうちに頚動脈に指を這わせていたのだろう、脈の音が皮膚越しに伝わってきた。とくんとくん、という音を聞いている内に、自身の鼓動と彼の鼓動が一つになっていくような心地になる。人ではないのに、まるで人みたいだ。
「もう十分、だろう……」
声に視線を上げると、長義は腕で自身の口元を覆っていた。私は随分と長い時間彼に触れていたらしい。月明かりしかなくても、彼の耳が赤く染まっているのがよく見えた。
つい堪えきれず口元が緩む。長義はこちらの様子に気付くと、ふい、と頭を逸らしてしまった。拗ねさせてしまったようだ。
彼のプライドを傷付けたことを心の中で詫びながら、その夜は眠る時間が来るまで他愛のない話をして過ごした。
明くる日の夜、審神者が手入れ部屋まで来た時、長義は中傷状態で縁側に座り込んでいた。
月光に照らされた髪は、乾いた血と汗と土埃で乱れている。その視線に普段の鋭さは無く、ぼんやりと中庭を眺めているようだった。
「お疲れ様」
「……ああ、君か」
立ち上がろうとするのを手で制止して、端末を渡す。審神者の気配にも気付かないとは、余程消耗しているらしい。
負傷の程を鑑みれば長義は手入れを優先されるべきだったが、彼は手入れ時間の短い刀に譲る傾向があった。日々近侍をこなしているからか、あるいは努力の成果か、長義は出陣先のレポートを纏めるのに長けていた。手入れを待つ間に俺が報告書を書く方が効率的だろう、というのが本人の談だ。
以前長義と国広が負傷した際は、長義が順番を譲ろうとしたのを皮切りに、互いに自分が待つと言って譲らず、取っ組み合いの喧嘩にまで発展したこともある。二振の傷口が開き、廊下は血で汚れ、通り掛かった刀と審神者が掃除をすることになり、山姥切達は大いに反省した……かに思えたのだが。
涼しげな顔で端末を操作する横顔を眺める。
強情、という言葉を呑み込んだ。
演算結果を見誤り、彼らに無理な出陣をさせてしまったのは審神者なのだ。長義は私の尻拭いをしているようなものだ。
長義に限らず刀剣男士達は、こういった失敗で決して私を責めはしなかった。無条件にも思える信頼に、安心を感じないわけではない。しかし同時に彼らからの信頼は、私の立場を明確にする。戦場で戦い血を流すのは彼らであっても、その刀を振るっているのは私だということを。経験したことはないが、彼らは自身が折れる時ですら審神者を責めないのだろうという予感がある。想像するだけで背筋が冷たくなって、頭を振って思考を打ち消した。
「はい、終わったよ」
いつの間にか長義は出陣先の情報とレポートを入力し終えていた。端末を差し出す右腕には痛々しい傷跡がいくつも走っていた。私の胸を鋭い痛みが抉った。
彼らの献身に報いたい。
端末を受け取ると同時に、私は身を乗り出し、長義の唇に自身の唇を寄せていた。
突然動いた私に長義は少し目を見開いたが、静かに受け入れていた。手入れを待つ間に彼に口付けをするのは初めてではなかった。
普段はリップクリームでも塗っているのか、完璧に整えられているはずの唇は、かさついていた。そっと横髪に触れると、汚れるよ、と言ってやんわりと指で押し戻される。薄い唇を食むと、微かに砂埃の味がした。
唇を離した時、長義は形の良い眉を吊り上げ、苦い顔をしていた。
「君は他の刀にもこういった形で手入れを施しているのかな」
「他の皆は手入れの順番を守ってくれるから、こういうのはしない」
実際のところ唾液と口腔の接触に手入れ程の効力はなく、鎮痛剤のようなものだった。
「……へえ?」
長義が皮肉めいた笑みを浮かべる。前髪に隠れていない方の眉と唇を吊り上げて、器用だなあと思っていると、今度は長義から唇を寄せてきた。軽く開いた唇の隙間から互いの舌の先が触れ合う。長義の舌は血の味がした。口内も切っていたらしい。
自分のものではない血の味にくらくらとして、目を開く。私の動揺を察したのか、彼の睫毛が気遣わしげに揺れているのが見えた。痛みを隠すのは上手くても、こういった感情までは完璧に取り繕えないらしい。普段は氷のような、張り詰めた空気を纏っているのに。
「可愛い」
「……は」
つい心のままに口にすると、長義は顔を引きつらせた。またやってしまったと思いながらも、素直過ぎる表情の変化に、口元が緩むのを抑えられない。
長義はむっと拗ねた顔でこちらを見つめていたが、やがてにっこりと笑った。それは不自然なほど美しく、剣呑な笑顔だった。
からかいすぎたと思った時には、長義の手が私の首の後ろに回され、再び口付けられていた。
遠慮がなくなった長義の舌が、血の混じった唾液ごと擦り付けられる。水音を立てて舌を吸われたかと思うと、軽く食まれる。口いっぱいに長義の血の味が広がった。これではどちらが霊力を分け与えられているのかわからない。
強すぎる刺激に、涙がこぼれて頬を伝うのを感じる。ここまで深い口付けをするのは初めてだった。息が苦しい。傷に触れないようにそっと胸を叩くと、ようやく解放された。
「……可愛い」
囁かれた声はたっぷりと甘さを含んでいた。
ぎょっとして目を開けると、深い青の瞳が私を見つめて弧を描いていた。瞳は熱を帯びていて、その熱にあてられるかのように、私の顔に血が集まる。それを見て長義は満足気に笑った。
このまま見つめ合っていては、取り返しのつかない感情を抱いてしまうのではないか。それはお互いにとって良くないことだ。心はそう警告するのに、燃えるような青い瞳から目を逸らせなかった。
幸いなことに、私の眠気によって終わりが訪れた。過剰な接触は必要以上に霊力を分け与えていたらしい。この刀が手入れ部屋に入るのを見届けなくてはと思うのに、体は重くなっていくばかりだ。
「長義」
「何かな」
「手入れを……」
「わかっているよ」
長義が苦笑したと気配でわかる。長義の片腕に背中を支えられ、いよいよ眠気に抗えなくなる。
口の中はいまだに長義の血の味が残っていた。鉄を思わせるつんとした味にふと、血も刀も同じ鉄なのだから、長義もこのような味がするのだろうかと思った。目覚めた頃には血の味も消えているだろう。それは少し残念だと思う。私は名残惜しい気持ちになりながら、眠りに身を任せる。瞼を閉じる寸前、視界の端で桜の花びらが舞っていた。
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