ロンド
6201文字
Public くにぐに
 

Kära(典+氷)

スーさんとアイス君が手紙を書く話。

 声をかけるかどうかをスウェーデンは一瞬ばかり迷った。彼自身こそ声をかけるのに臆してしまうとはよく云われるが、そんなスウェーデンにも話しかけづらいと感じる場面はある。
 本屋の一角にある文房具の売り場で、その横顔はいたって真剣に棚に注がれていた。集中しているような、悩ましいような表情で、指先を唇に添えて、眼ばかりが棚を行ったり来たりする。横顔はスウェーデンが見飽きるほど見た誰かによく似ているが、彼ならばそんなものに興味を示すことはないだろう。
 角で足を止め、意を決してスウェーデンはそのままアイスランドのもとに向かった。足音よりも長身の影で気づいたようだった。小首がひょいと右上に持ち上げられ、彼は親しい人にそうするようにふっと表情がやわらぐ。
「買い物終わった?」
「ん」
「じゃあ行こっか。お腹すいた。スヴィーは何か食べたいものある?」
 北欧の中では無口な方、に振り分けられることが多いアイスランドだが、スウェーデンからすれば話題さえあればよく喋る。スウェーデンと比べるとたいがいがお喋りになってしまうというシンプルな事実もあるが。それで、アイスランドは矢継ぎ早に要求を突きつけてから、ややあって最後にスウェーデンの返事を待たずに「僕は肉がいい」と要望を乗せた。スウェーデンは重々しく頷いた。ランチの要望を叶えてやることくらいはわけもない。
 あれほど熱心に見つめていた棚にはあっさり背を向け、アイスランドは歩き出す。が、数歩の位置でスウェーデンが固まったように立ち尽くしていたために立ち止まった。
「スヴィー?」
……ええんが」
 言葉を極力省いた問いに、それでもスウェーデンが指先を上げた先でアイスランドは正しく理解したらしかった。数歩をまた戻り、棚の前に立つ。
 ごくありきたりなレターセットだった。どこにでもあるシリーズの無難な便箋と封筒が揃えられた棚だった。
 アイスランドはちらと見やって、なんでもないと示すように軽く肩をすくめた。
「暇だったから見てただけ。欲しかったんじゃないよ」
……んだか」
「なに、疑ってるの?」
 赤みの強いパープルの瞳は笑ったように細められていたが、わざと大人びたような表情ならばいくらでも見てきた。スウェーデンの自宅にときおり出入りするラドニアやシーランド、あるいは昔々に共に暮らしていた少年時代のフィンランド、それからごく幼い子供姿のまま数百年の時を止めていたアイスランド。子供はみな我儘をこねるときには最大限の感情をほとばしらせるが、逆に、物わかりのいいふりをするときには口をつぐむ。アイスランドは後者の方が多い子供だった。いまも、と呼ぶにはいささか失礼な気がしたが、いまだ成長の余地のあるあどけなさが垣間見えた。
 スウェーデンが言葉を探している間に、アイスランドは焦れたように袖を掴む。
「行こ。昼時だから早くしないとどこも混んじゃう。スヴィーのとこ人が多いもの」
……ん」
 たしかにその通りではあった。昼食のために入った店は三組の待ちができていて、席に座れたのはしばらく後のことだ。肉料理がいいと云ったアイスランドがミートボールを頼んだので、スウェーデンも同じものとパンとサラダを追加した。アイスランドはあまり野菜を食べなくても平気そうにしているが、栄養のバランスは取れていた方がいい。
 食事をしながら気を遣ってかアイスランドは様々に喋った。たまの休日に二人きりで買い物に出かけることは、めずらしいことではあったが二年に一度くらいはある。アイスランドはスウェーデンが考える服装の趣味に共感しているのか、いつもブティックに寄っては新しい服を選び、試着して意見を聞きたがる。あまり褒めもしないがスウェーデンは根気強く付き合った。そのついでにスウェーデンが行きたい店に寄り、そして二人でランチを共にするのも、それなりに慣れたことだ。
 荷物持ちとしてはいいが話し相手としては不服だろうと訊ねたことがある。すると、デンマークとフィンランドは余計な口出しをしすぎ、ノルウェーはこのごろ隙あらば奢りにかかるので断るのが大変だ、というような言い訳をアイスランドはした。
 スウェーデンはほとんど相槌らしいものも打たなかったが、アイスランドは気にせず靴下の色を取り違えたまま出張に行ってしまった話を続けていた。半分は聞きながら、残りの半分は先ほど訊ね損ねたことを考えている。スウェーデンの口数がまったくゼロになったことにも通常運転であるのでアイスランドはちっとも気づかなかったようだ。
 昼食の後はメインストリートから離れて露天の蚤の市を覗いた。スウェーデンが商品を眺めているだけで、店主はそそくさと距離を取ったり慌てたように安くすると口添えたりするのが常だが、雰囲気のやわらかな少年を連れていると驚くほど親切にされる。それはフィンランドといるときもそうだが、彼の場合、スウェーデンの存在を忘れ去ったかのように店主と話し込んでしまい何時間でも放置されるので、結局首尾よく回るには一人で歩くほかない、という状況になりがちだった。
 アイスランドは何をと買い物が決まっているのではないらしく、それはスウェーデンも同じであったので、歩幅を揃えながら互いの気が向いた店舗を見た。あれはなに、これはなに、とアイスランドがスウェーデンに訊ねるので、用途のわかりにくい不思議な骨董品の使い方を二人で想像することはわりあいに楽しいものだった。
 ある場所でぱたりと足を止めたアイスランドに、スウェーデンは促した。古めかしい文具や絵葉書を売っている店だったが、まだ使われていない便箋をも扱っていた。
「あれダンが持ってたタイプに似てる」
 アイスランドが指さしたのはフランス製の万年筆で、店主はお目が高いと褒めた。歴史ある工房の作品で、と語る店主に、アイスランドは興味を持ったように手にとってためつすがめつ万年筆を見ていた。スウェーデンはその隣のレターセットに手を伸ばした。
「それもいいものですよ。イタリア製です」
 店主はすかさずスウェーデンにも案内をした。アイスランドの視線がスウェーデンと、その手にある古風な模様のレターセットに移る。スウェーデンはようやく、疑問の正体が羨望のまなざしであることを知った。
……どれがええが」
 きょとん、とアイスランドが眼を丸くする。スウェーデンは複数を取って模様の違いをよく見せた。
「え、いらない。高いでしょ」
……
 ただでさえ厳めしいと評判の眉間の谷が深くなるもアイスランドはそれで怖気づくような胆力はしていない。スウェーデンが、かの幼馴染と目の前の彼が兄弟だと思うのはまさにこのような瞬間だ。思えば目つきの悪さが原因でアイスランドに怖がられた覚えはないように感じた。
 ずい、とスウェーデンはアイスランドに差し出す。アイスランドも押し返す。無言のやりとりは端からは異様に見えたやもしれない。
 ようよう、アイスランドは嘆息する。
「買っても使うことないんだよ。このご時世、わざわざ手紙を出す相手はいないもの」
「そうが?」
「連絡手段ならメールか電話で事足りるでしょう」
 こくりとスウェーデンも同意する。ごわごわした羊皮紙にインクを垂らした手紙を丸めて封蠟を押していたような時代はとうに過ぎ去り、より手軽に大量生産の紙にワープロを打つ時代さえも終わりを迎え、いまや手のひらサイズの電子機器からメールひとつで世界中に届けられる。電子化はますます進み、郵便ポストの撤去が相次ぐ。思えばスウェーデンも、クリスマスにほんの数枚を書くほかはポストに投函するような用事もなくなっていた。
 アイスランドはスウェーデンの手からレターセットを抜き取り、棚に戻した。店主は他の客の相手をしていた。スウェーデンが視線で促すとアイスランドは大仰に肩をすくめる。
「うんとむかしは、手紙の返信を待って、毎日港に行ったなってことをちょっと思い出してたんだよ。ほら、いまなら地球の反対側でも二週間もあれば届くけど、むかしは何か月もかかってたし、そもそもちゃんと届くかどうかもわからなかったじゃない?」
……ん」
「それに——それにさ、あのひとたち、ものぐさだったから——僕に構ってる暇なんかほんとはなかったから、手紙なんか出したって返事もめったに来ないんだよね。でも、次は来るかもって、馬鹿みたいに期待して、やっぱり来ないかもしれないから僕もそうそう書けなかったんだけど」
 独り言のように、溜め込んでいたものを一気に吐き出して、アイスランドはスウェーデンを見上げた。その眼には何の感情も浮かんでいない。とっくの昔に諦めて消化して、巻き戻らない過去であるがゆえに、スウェーデンには素直に話してくれたのやもしれない。
 アイスランドの云うあのひとたちの顔を思い浮かべて、スウェーデンはそうであろうな、とひそかにアイスランドを気の毒に思った。スウェーデンが知るかぎりでは、ノルウェーは筆まめとは真逆の性格であるし、デンマークはおおらかを通り越して大雑把にすぎる。居所が遠いと理解しているならば頻繁に手紙なり人をやるなりして様子を伺ってやればアイスランドも喜ぶだろうに、すとんと意識から抜け落ちたように何十年も放置した。そのくせ、会いに行くと決めれば翌日にでも船を出そうとする無謀さまで持ち合わせている。
 要は愛情表現が直接的なのだ。会えば過剰なくらいに世話を焼き構い倒すが、顔を合わせない期間には思いをはせることがない。むかしはスウェーデンも彼らとの感傷の温度差に頻繁に苛々させられたものだった。よくよくと二人の幼馴染の実に息が合った悪癖を思い返し、スウェーデンは軽く首肯した。
 くすりとアイスランドははにかんだ。見た目の年齢相応の自然な笑みだった。
「ね、たいしたことでもないんだ。むかしを懐かしむってやつ? やだな、おじさんみたい」
……
「スヴィーのことじゃないよ」
 おそらくは最後に付け加えられた一言に対する弁解であったが、スウェーデンは考え込んでいて聞き逃した。熟考のすえひとつ頷く。棚に戻されたレターセットを今度はスウェーデンが選び取った。
 アイスランドの視線が動く。スウェーデンは他の客の会計を終えたばかりの店主にそれを突き出した。
「ん。……買う」
 急にスウェーデンの眼光を直視した店主は飛び上がらんばかりだったが、しかし身に染み付いた動作で会計処理を始める。スウェーデンが財布を取り出したとき、アイスランドが手首を捕らえた。
「ほんとに、いいから。そんなんじゃ——
「俺が書ぐ」
「へ?」
「俺が書いてやる」
 スウェーデンはアイスランドの顔を見なかった。つつがなくレターセットはスウェーデンのものになり、鞄にしまいこんでからアイスランドに向き直った。彼の頬の赤さはおそらくは恥じらいのためではなかった。
「え、えっと」
「ん」
……待ってていい? 僕も書くから」
「ん」

     *

 簡単なように思われた手紙は、思いのほかに書き損じを要した。ほんの一、二枚の便箋のために丸一日をかけなければならなかった。
 まず書き出しに迷ったが、受取人の言葉で書いてやるのは強いこだわりを指摘されそうで早々に諦めた。次に考えたのはかろうじて彼との共通言語と呼べるデンマーク語だったが、自分が書くのは癪にさわるようでそれもやめ、互いにとってわかりやすいところの英語に逃げるのも違うように思えて、結局はスウェーデン自身の言葉で書かれた。親愛なるアイス。
 内容もまたあたりさわりなく平凡だった。まさか仕事の話をするわけにはいかない。諸外国の話もまた違うだろう。スウェーデンは仕事の延長線上からプライベートにも会うような知人は数多いるが、最近は、アイスランドの行動力には驚かされていた。距離の遠さから知り合いと云えば北欧の仲間だけだろうと思っていた子が、どういうわけか、かつての保護者に似たような好奇心と度胸を以ってして、たった一人でまるで知らない国に旅行するようなとんでもないことを成し遂げる。きっとスウェーデンが大人としてアイスランドに教えられることはもはやそう多くはなく、わざわざ説教くさく書くというのも望まれたことと違うように思えた。結局、近所の花が見ごろであることから始まり、職場でリンゴをたくさんもらったので、次の休日にはリンゴのケーキを焼くこと、時間があれば訪ねてくれると嬉しい、というようなことを書き上げて、少し考えてから、結尾にリンゴの木とウサギの絵を付け加えた。
 郵便ポストに投函してしまってから、まさか返信は週末に間に合わないだろうとスウェーデンは気づいた。そもそも、受け取ってもアイスランドがすぐに開封してくれるとも限らない。約束通り手紙を出したとメールも送らぬまままんじりともせず数日が経ち、帰宅してみれば自宅のポストに薄い水色の封筒が入っていた。
 それを見たとき、心臓が大きく跳ねる音をスウェーデンは聞いた。久しく覚えることのなかった感動が襲いかかってきた。
 海を渡った封筒は端が擦り切れていたが、それ以上傷つけないようスウェーデンはうやうやしく手に取り、慌ててペーパーナイフを探して、きちんと椅子に腰かけてから宛名を読んだ。万年筆だろうか、震えているような強弱のある丸こい字はアイスランドの癖で、とくにuとvの違いがないくらいであるのが特徴的だった。ぷす、とスウェーデンは吹き出し、上部を丁寧に切った。
 便箋は愛らしい森の動物たちの柄だった。アイスランド語で、スウェーデンが送った内容とおなじくらいに他愛ない内容が描かれていた。親愛なるスヴィー。先日はありがとう。スヴィーの家には花が似合うから、とりわけすばらしい眺めなのでしょう。リンゴのケーキはまだあるようなら、木曜に寄れるから残しておいてほしい。こちらは、首都の湖の氷が溶けて、鳥たちが羽根を伸ばして自由に泳ぎ回っている。文句をつけるとすれば、早朝から騒がしすぎるのは勘弁してほしいくらい。
 二枚目を読み終えても、アイスランドの日常の喜びが伸び伸びと、溢れかえるように綴られていた。あの子の眼を通すと、こんなにも世界があざやかであるのか。ときどき詩的な表現がごく自然に紡がれ、なるほど詩人の国らしいとスウェーデンはしきりに感嘆する。書き損じすらも次の字を早く書きたいとばかりに塗りつぶされて、末尾に近づくほどますます丸こくくるまった。それもまた、アイスランドがどれほど誰かの手紙を待ち望み、自分も送る宛先を欲しがっていたのかを如実に感じ取れた。
 最後に、長々と喋ってごめん、手紙嬉しかったよ、と締めくくられていた。スウェーデンは、机に向かうアイスランドがこの一言を書き足すときに照れくさそうに眼の色を濃くしてペンを噛む様子を幻想した。実際にそれほど大きく違わないだろうと思った。
 スウェーデンは、手紙をテーブルにそっと置いて、息を詰めていたような肺に新鮮な空気を送り込み、眉間を撫でさすった。めったにないほどの満足感に浸されていた。それから硬いような腰を上げて、ペンと便箋を取りに行った。