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haruka037
2026-05-12 14:02:30
21363文字
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初恋
『許されない恋』の高橋課長の過去編。
大学生時代の高橋 司と七山 悠月の話。
頭は良いが人嫌いな高橋は、悠月との出会いで少しづつ変わって行く。
R-18。
人物紹介
高橋 司
東京大学三年生。
大学でも秀才と専らの噂だが、利己主義で他人に全くと言って良い程興味を示さない。
馴れ馴れしく接して来る悠月を鬱陶しいと感じている。
七山 悠月
東京大学三年生。
講義を休みがち。
人懐っこい性格で、とっつきにくい司にも臆する事なく向かって行く。
「あのさ、悪いんだけどノート貸してくれない?」
講義が終わって荷物を片付けている時に、いきなり背後から声をかけられた。
それが俺に向けられたものだとは到底思えなかったので無視して講義室を出ようとすると、「ねぇってば!」という声と共に腕を掴まれる。
視線を上げた先にいたのは見知らぬ女だった。
栗色の緩やかに弧を描いた柔らかそうな髪を、腰のあたりまで伸ばしている。
どう考えても見覚えがない。
数秒相手を観察するのに時間を費やしたが、それも馬鹿馬鹿しくなってやめた。
どう考えても赤の他人だ。
掴まれた腕を振り解く。
「馴れ馴れしく触るな」
冷たい声で応じるものの、相手は怯まない。
「あなた高橋君でしょ?頭が良いって超有名な高橋 司君!」
「人違いだ。俺は高橋じゃない」
「嘘ばっかり。さっき先生に『高橋君』って呼ばれてたじゃない」
思わず舌打ちする。
面倒な奴に掴まってしまった。
「ね、ノート貸してよ」
「断る」
「そんな事言わないでさ。私を助けると思って協力してよ」
「見ず知らずの人間を助けてやる義理はない」
「私を助けたら良い事があるよ」
その言葉に眉を寄せる。
「良い事だと
……
?」
「私を助けたらなんと!」
女は俺の顔の前に指を突き立ててニッと笑った。
「私に感謝されます!」
「馬鹿か。却下だ」
そう返してするりと講義室を抜け出した。
「あー!逃げるな卑怯者ー!」
そんな声がしたがまるっと無視する。
全く。馬鹿のせいで時間を無駄にしてしまった。
講義をサボった自分を棚に上げてノートを貸せだなどとは本当に馬鹿だ。
何故俺があんな女にノートを貸してやらなければならないのか。
死んでも願い下げだ。
苛立った足取りで次の講義がある部屋へと足早に歩く。
この世の中は馬鹿ばかりだ。
賢い人間など一握りしかいない。
俺は馬鹿が嫌いだった。
先程の女のように、努力もせずに甘い蜜だけ吸おうと寄って来る連中には虫唾が走る。
凝り固まった笑顔を貼り付けて俺を秀才だと褒める連中はその実、俺を利用しようとしか考えていない。
そんな連中に群がられて良い気はしない。
毎日が憂鬱だった。
嗚呼、本当にこの世は馬鹿ばかりだ。
「いつか尊敬出来る人間とやらに会ってみたいものだな」
そう呟きつつも、それが幻想に過ぎない事など自分が一番分かっていた。
人は愚かだ。
俺の半分も頭を使わない。
大学の教師ですらも、俺の問いかけに答えられない時がある。
「本当に、馬鹿ばかりで嫌になる
……
」
ポツリと呟いた声は誰に届くでもなく、廊下に響いて消えて行った。
翌日も、その翌日も女は俺にノートを貸せと言って来た。
一々相手をするのも煩わしいので、その悉くを黙殺していた。
それでも女は諦めない。
「ね、お願い。ちょっとで良いの。コピーしてすぐ返すから」
「くどいぞ。俺は嫌だと言っている」
流石に無視出来なくなって相手を睨み付けた。
だが、それで怯むような相手ではない。
「やっとこっちを見てくれた。嬉しい」
それに思わず舌打ちする。
「本当にお前は鬱陶しい
……
。俺に付き纏うな」
「七山 悠月」
「は
……
?」
意味が分からず眉間に皺を寄せると、女はニコッと笑った。
「私の名前だよ。覚えてね」
「まともに講義に出ない暗愚の名前など覚える気はない」
「うわー。言うねぇ。言っとくけどそんなんじゃ嫌われるよ。孤独死まっしぐらだよ」
「望む所だ。馬鹿どもに囲まれているくらいなら一人で死んだ方がマシだ」
そう吐き捨てれば、相手は寂しそうに笑った。
「なんか可愛そうなやつなんだね、君
……
」
「その顔を止めろ。目障りだ」
「悪口しか言えないの?この口は」
むんずと頬を摘まれて、右手で振り解いて相手を睨む。
「馴れ馴れしく触るなといった筈だが?」
唸るように言うが、相手は怯まない。
「決めた。ねぇ、友達になろうよ」
「
……
お前、正気か?」
唖然とする俺に、女は屈託のない笑みを浮かべた。
「だって可哀想なんだもん。一人で死んでも良いだなんて言う人を放っておけないもの」
そう言って女は俺に手を差し出して来た。
「今日からよろしくね。高橋くん」
俺はその手を跳ね除けてその場を後にしたのだった。
翌日、講義を受けていると隣に誰かが座った。
わざと視線をそちらに向けずに真っ直ぐに前を見つめる。
ちょんちょんと腕を突付かれたが、それも無視した。
「おはよう、高橋くん」
小声の挨拶を黙殺すると苦笑する気配がする。
「挨拶くらいしようよ」
「黙れ」
短い言葉で切り捨てると、それが肩を竦めるのが横目で見えた。
「本当に愛想がないんだから
……
」
「何故俺に構う。
……
同情か?」
一段声が低くなる。
そうであったら屈辱だと思う。
こんな女に情けをかけられるような生き方はしていないつもりだ。
けれども女の返答は意外なものだった。
「違うよ。私が高橋くんに興味があるんだよ」
予想外の返事に思わず傍らを見れば、女は笑う。
「貴方の事が、もっと知りたいの。それだけだよ」
完全に想定していなかった答えに二の句が継げずにいると、女は真っ直ぐな目を俺に向けて来る。
その瞳には侮蔑も嘲笑も憐憫もありはしなかった。
ただ、真摯な色だけが浮かんでいる。
それに戸惑って視線を泳がせていると、くすくすと女が笑った。
「そんなに意外だった?目が泳いでるよ」
「煩い。講義中だぞ。静かにしろ」
なんとかそれだけを吐き捨てて視線を前に向ける。
数分間、意識を逸らしてしまったせいで一部頭に入っていない所がある。
教材に視線を走らせて内容を頭に入れようとしていると、横からのんきな声が聞こえた。
「いや〜、高橋くんってイケメンだねぇ。その横顔も絵になるよ」
視線を移せばカメラのフレームのように両手で四角い覗き穴を作ってこちらを見ている。
「馬鹿が。俺を見ていないで講義に集中しろ」
いつものように毒を吐けば、女は「は〜い」と笑って漸くペンを握ったのだった。
講義が終わって、重々しい溜め息を吐いた。
傍らを見れば自分の腕を枕にしてスヤスヤと寝息を立てる女の姿がある。
それを無視して立ち去ろうと考えたが、傍らを通り過ぎる瞬間に「高橋くん」と声がして足を止めた。
「んー、よく寝たぁー」
天井に向かって大きく伸びをして、女は微笑んで見せる。
「授業が終わったんなら起こしてよ」
「知るか。そんな義理はない」
「酷いなぁ。高橋くんは冷たいねぇ」
苦笑した女は首を傾げた。
「高橋くん、次の講義は何を受けるの?」
「お前に教える義理はない」
「またそれかー。高橋くんったら薄情なんだから」
「そう思うなら俺に付き纏うな」
笑っている女を睨み付けると、それは言う。
「教えてくれないんなら良いよ。勝手に着いてくから」
「止めろ
……
」
げんなりした俺に、女は楽しげに笑う。
「私はしつこいからねぇ。目を付けられちゃった事を後悔すると良いよ」
「お前と同意見なのは癪だが同感だ」
溜め息を吐いた俺に、それは楽しげに笑ったのだった。
それからも女は俺の後を雛鳥のように着いて回った。
食堂で昼食を食べる時も一緒なのだから鬱陶しい事この上ない。
どれだけ冷たくあしらっても、毒を吐いてみても、それは全く頓着しなかった。
いつも俺の隣でニコニコと笑っている。
最初の内こそなんとか追い払おうとしていたのだが、それに一ヶ月も付き纏われては流石に諦めざるを得なかった。
「高橋くん、こんにちは。今日も元気そうで嬉しいよ」
「さっきまで元気だったが、お前の顔を見たせいで吐き気がする」
「またまたぁ。そんな事言っちゃってぇ。照れ屋さんなんだからぁ♡」
「断じて照れてなどいない。お前になど照れるものか」
努めて冷たく返すものの、それはニンマリと笑った。
「君さ、私の事いつも『お前』って言うけど、それって名前を呼ぶよりずっと親密な呼び方なんじゃない?」
「は?」
思わず眉間に皺が寄る。
「だってそうでしょ?お前って、旦那さんが奥さんを呼ぶ時の言い方でもあるじゃない。なぁに、司くん、私と夫婦になりたいの?」
「論外だな」
バッサリと切り捨てる。
ちゃっかり名前で呼んで来た相手を冷ややかな目で見つめた。
「名前を呼んで欲しければ、もう少し頭を使え七山」
そう言えば七山の目が驚きに見開かれる。
「名前、覚えててくれたの
……
?」
「たまたまだ」
そう返してふいっと視線を逸らせば、背中に衝撃が走った。
「司くんったら、照れちゃって可愛い〜〜♡」
バシバシと俺の背中を叩く七山を睨み付けた。
「止めろ馬鹿。痛いだろうが」
「あ、出た!司くんの『馬鹿』だ。最初はちょっとムッとしたけど、仲良くなってから聞くと不思議と嫌じゃないよねぇ」
「仲良くなってなどいない」
「またまたぁ。素直じゃないんだから。そんな司くんが大好き♡」
俺の腕に抱き着いて来る七山の頭を無言で押しやる。
「そんな事を簡単に口にするな。言葉の重みがなくなる」
思わずそう釘を刺すと、七山は意味深な笑みを浮かべた。
「いいの。今はこれで
……
」
ポツリと呟いた七山を黙って見つめる。
何故だか分からないが、その笑顔がどこか影を帯びて見えた。
「ななや
……
」
「さて!ご飯も食べたしベンチでお昼寝しよ!行くよ!」
俺の言葉を遮って七山は立ち上がる。
その表情に先程のような翳りは見えない。
見間違いだったか
……
。
そう思いながら七山に急かされて渋々席を立つ。
その七山が大きな苦しみを抱えている事に、その時の俺はまだ気付いてはいなかった。
次の日、七山は大学に来なかった。
またサボりだろうかと大して気にもしていなかったのだが、その翌日も、その次の日も七山は姿を見せなかった。
俺に付き纏うのを止めたのかとホッとする反面、どこか寂しくも感じてしまう。
寂しいなどという感情はとっくの昔に捨てた筈だった。
思わず舌打ちする。
忌々しい。
結局あいつも他の連中と何一つ変わらないのだ。
己の利益の為に俺を利用する。
実の両親でさえそうなのだから、他人がそうでない筈がない。
喧嘩が絶えない家庭だった。
物心付いた頃には両親の仲は険悪だった。
顔を突き合わせては喧嘩ばかりする両親の間を、必死にとりなそうとしていた幼い頃の記憶。
母親は父の気を引く為に俺を利用した。
俺は元気なのに風邪だと偽って電話をかけて、家に帰ってくるように仕向けていた。
意味もなくベッドに寝かされて、勝手に抜け出すと厳しく叱咤された。
やがて父は外に女を作って帰って来なくなり、母は俺に興味を失って無視するようになった。
誰にも甘える事を許されず、ないものとして扱われる日々。
それでも自分が頑張ってさえいれば、いつか愛して貰えるのではないか。
そんなありもしない幻想を抱いていた。
勉強もスポーツも必死になって努力した。
だが、両親が俺を顧みる事はなかった。
苦しんだ末に、俺は勉強に逃げた。
現実が辛すぎてとても直視出来なかったからだ。
俺は秀才などではない。
勉強が好きな訳でもない。
なんの価値もない俺にはこれしかないのだ。
やはり他人に気を許すものではない。
期待すれば傷付くだけなのだから。
「期待など、するものか
……
」
ポツリと呟いた声は廊下に霧散して消えて行った。
十日程経ってから、七山は何事もなかったかのように大学にやって来た。
「おはよ、司くん」
かけられた声を無視していると顔を覗き込まれた。
「どうしたの?もしかして会いに来なかったから怒ってる?」
その肩を無言で押しやる。
「もう俺に会いに来るのは止めろ」
「なんで?私が嫌いなの?」
嫌いに決まっている。
その言葉を飲み込んで顔を背けた。
「どうせお前も俺の前からいなくなるんだ。それなら余計な期待をさせないでくれ
……
」
絞り出すような声だった。
胸が張り裂けそうな程に苦しくて上手く息が出来ない。
胸を押さえていると、そっと抱き締められた。
「君を一人にしてごめんね
……
。寂しかったんだよね
……
」
「寂しくなど、ない
……
」
声が震える。
視界が涙で滲んだ。
七山を振り解こうとすると、それが顔を上げる。
今にも泣きそうな、痛いのを我慢しているような顔だった。
「私はどこにもいかないから
……
。君の傍にいるから
……
」
呟いた七山の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「だから、泣いても良いんだよ」
そっと頭を撫でられて、溜まっていた涙が頬を滑り落ちて行く。
漸く自分の存在を見て貰えた気がして、知らず知らずのうちに、その身体を抱き締めていた。
「俺の前から勝手にいなくなるな
……
」
「ごめんね
……
」
温かい腕が優しく背中を撫でてくれる。
たったそれだけの事が無性に嬉しかった。
「好きだ」
そんな言葉が自然と溢れ落ちた。
七山は驚いたように目を見開いてから、ふわりと優しく微笑んで「私も司くんが好きだよ」と言って俺の頬をそっと撫でたのだった。
「おはよう、司くん」
「ああ、おはよう」
返事を返せば、七山は驚いたように目を丸くした。
「司くんが挨拶してくれるなんて、今日は大雨かな?」
「俺がお前に挨拶したら悪いのか?」
軽く七山を睨み付ければ、それは笑って首を振った。
「ううん。嬉しいよ。司くん大好き」
そう返して俺の腕に抱き着いて頬擦りする。
そんな恋人の頭を笑って撫でてやった。
周囲がザワついた声を上げる。
「おい、見たか?あの高橋が笑ったぞ」
「っていうかあの二人がデキてるとはな。高橋、あんなに迷惑がってたのに七山すげぇ
……
」
聞こえて来た台詞に思わず眉間に皺が寄る。
「司くん、怖い顔してるよ」
眉間を指先でつつかれて視線を七山に向ける。
その恋人があまりにも幸せそうな顔をしていたものだから、外野の事は一気にどうでも良くなった。
ちゅっと七山の唇にキスを落せば、外野から歓声が上がった。
七山は唖然としていたが、見る見るその顔が赤くなる。
「も〜!高橋くんの馬鹿ぁ!ファーストキスは雰囲気作ってからにしてよ〜!」
ポカポカと胸を叩かれて「悪かったな。お前があんまり可愛くてな」と返せば、七山は更に顔を赤くする。
「高橋くんのプレイボーイ!このイケメンめ〜!」
意味の分からない台詞を叫ぶ恋人を抱き寄せてもう一度唇を重ねれば、途端にそれが大人しくなる。
「皆が見てる所で二回もキスするなんて、高橋くんのばか
……
」
潤んだ瞳で見つめられて思わず息を飲んだ。
これがもし個室で二人きりという状況だったら、七山の事を押し倒していたに違いない。
惚れた女の、潤んだ瞳の上目遣いと言うのは破壊力が凄まじい。
「お前
……
、あとで覚えてろよ
……
」
色々とキャパシティオーバーになりつつあった俺は、顔を覆ってそう呟いたのだった。
付き合うようになってからも、七山の態度は変わらなかった。
いや、変わったと言えば変わったのだろう。
スキンシップが増えたし、頻繁に好きだと言われるようになった。
七山に好きだと言ったのはあの時だけで、あれから同じ言葉を一度も返してやれずにいる。
高すぎるプライドが、どうしてもそれを邪魔するのだ。
「好きだよ、司くん
……
」
俺に抱き着いて幸せそうに微笑む七山の頭を笑って撫でてやる。
『俺もお前が好きだ』
心の中でだけ囁いてその額に唇を寄せると「もう、皆の目がある所ではダメって言ったのに」と言いながらも、満更ではなさそうに笑って見せた。
そんな恋人の事が心底愛しい。
こいつだけは信用出来ると思えた。
七山が俺の隣に居続けるものだと、その時の俺は信じて疑いもしなかった。
そんな保証など、どこにもなかったと言うのに
……
。
その日に受ける講義を全て終えてから帰る支度をしていると、七山が声をかけて来た。
「ね、司くん。今日はもう終わりだよね。あのさ、もし良かったらなんだけど、今から司くんの家に行っても良い
……
?」
そう問われて思わず足が止まった。
「別に構わないが、何かあるのか?」
そう応じたのは、少なからず期待していたからだ。
とぼける俺に七山は赤らんだ頬を膨らませて俺を睨んだ。
「もう付き合ってひと月だし、その
……
、ってもう!分かって訊いてるでしょ!司くんのばかぁ!」
バシバシと肩を叩かれながらも、思わず苦笑した。
「ああ、分かってる」
そっと七山の手を握る。
こんな言葉を言うのは初めてで恥ずかしいが、今言わなければきっと後悔するだろう。
真っ直ぐに七山を見つめて言い放った。
「お前を抱きたい。良いだろう?」
それは顔を真っ赤にしながら頷いた。
「司くんになら良いよ
……
」
そんな七山をそっと抱き寄せる。
「お前は俺の特別だ」
好きだと言えない俺の精一杯の台詞に、七山はそれでも嬉しそうに微笑んだのだった。
俺の両親は普段から家にいない。
もう何年も顔を見ていなかった。
事前に渡されてある通帳に、毎月決まった金額がきっちり振り込まれているが、どこで何をしているのかは不明だし、特段興味もない。
大学を卒業して就職さえすればその金も必要なくなる。
両親との繋がりがそれで完全に絶たれる訳だ。
万々歳だ。
不要な縁などさっさと切れてしまえば良い。
そう思っていると七山が苦笑した。
「どうしたの?怖い顔してるよ」
俺の部屋のベッドの縁に腰掛けた七山は心配そうな顔をして、そっと俺の手を握った。
「またご両親の事を考えてたの?」
「あんな身勝手な奴等の事など考えるか」
思わずそう吐き捨てると、七山は困ったように笑った。
「ねぇ、司くん。私に嘘はつかないで。私も貴方に嘘はつかないから。お互いに誠実でいようよ」
「
……
分かった」
「ご両親の事を考えてたんだよね?」
「
……
ああ
……
」
肯定すれば七山は俺を抱き締めて来た。
「寂しいよね。司くん
……
」
七山を黙って抱き締めた。
もう両親には何も期待していない。
そのつもりだが、ふとした瞬間にどうしても引き戻されてしまう。
この家にいるとどうしても思い出してしまうのだ。
「いっそ引っ越すか
……
」
七山を抱き締めたままに呟くと、それが俺の顔を覗き込んで来る。
「良いね。じゃあ、私も一緒に住んじゃおうかな」
「付き合って一ヶ月でもう同棲か?」
思わず苦笑すると七山は笑う。
「私は司くんとなら結婚しても良いと思ってるよ」
静かなその声に、黙って七山を見つめた。
「それくらい司くんの事が好きなんだよ」
そっと頬を撫でられて、堪らなくなって七山をベッドに押し倒した。
「ねぇ
……
、今は私だけ見てて
……
」
甘さを含んだ声に思わず喉が鳴る。
深いキスをしながら二人でベッドに沈んだ。
キスをしながら服の上から七山の胸を揉む。
弾力のある胸を揉んでいるだけで興奮して息が上がる。
こういう事をするのは七山が初めてだ。
今まで誰にも興味を持って来なかった俺に、まさかこんな機会が巡って来るとは思わなかった。
ディープキスをしながら、そっと七山の頭を撫でてやる。
嬉しそうに目を細めた七山が、俺の背中に腕を回して来た。
重ね合わせていた唇を離してその頬にキスを落とすと、両手で七山が俺の頭を撫でて笑う。
「ねぇ
……
、司くんはさ
……
、誰かとこういう事、した事ある
……
?」
「ない。お前が初めてだ」
そう言えば七山は嬉しそうに笑って言葉を紡ぐ。
「私も、こういう事するの、司くんが初めてだよ
……
。凄くドキドキするけど、とっても幸せ
……
」
七山が俺の鼻先にキスを落とした。
「大好きだよ、司くん
……
」
「ああ、知ってる」
七山の手に指を絡めてベッドに縫い付ければ、潤んだ瞳で見上げられた。
ゴクリと思わず息を飲む。
七山の色香に飲まれそうになる。
だが、お互いはじめてなのだから、焦らずに行くに限る。
こんな事ならばもっと早くにそういった知識を身に付けておけば良かった。
今更後悔しても仕方がない。
自分の頭の中には数少ないアダルト雑誌の知識しかない。
これでは少々心許ないが、七山を怖がらせないように声をかけながらゆっくり進めていけば良い。
そう結論付けてキスをしながら服の中に手を入れた。
胸の膨らみに直接触れると「あっ
……
」と七山が声を上げる。
「すまない。嫌だったか?」
「違うよ。気持ちいいからもっとして欲しいの
……
」
期待するような眼差しで見つめられてドクリと心臓が大きく脈打った。
「服を脱がせても良いか
……
?」
「良いよ
……
」
下着ごと上半身の服を脱がせれば、程よい大きさの双丘が見えた。
ブラジャーをズラして胸に直接触れると、「んっ
……
」と七山が声を上げる。
「七山、正直初めてで勝手が分からない。もし嫌だったり痛かったりしたら我慢せずに教えてくれ」
「うん
……
、分かった
……
」
七山はしっかり頷いた。
ブラジャーのホックを外そうとするが、中々上手く行かない。
手こずっている俺に苦笑して、七山は起き上がると「こうやって外すんだよ」と言ってやって見せた。
「お前に教えられるとは、格好がつかないな
……
」
苦笑いして見せれば、七山は笑う。
「良いんだよ。女慣れしてる男の人よりずっと良い」
そっと七山が俺の頬を両手で包んだ。
「無理に格好付けようとしなくても良いよ。私は司くんの事、大好きなんだから。だからどんな司くんでも拒んだりしないよ。全部受け止めてあげる」
「七山
……
」
七山をベッドに押し倒して深く深くキスをする。
舌を絡めながら七山と指を絡めた。
「悠月
……
」
顔を離してそっと愛しい女の名前を呼ぶ。
「初めて私の名前、呼んでくれたね
……
」
嬉しそうに悠月が微笑んだ。
「悠月
……
」
そっと恋人の頬を撫でると、後頭部を掴んで引き寄せられる。
何度目かのキスをしながら優しく胸を揉んだ。
触れれば弾力のある胸がやんわりと押し返して来る。
キスをしながら夢中で胸を揉んでいると、指先が胸の突起に触れた。
「んっ
……
、ふ
……
」
悠月がくぐもった声を上げる。
その声のトーンが変わった事に気付いた俺は、そっと乳首を指先で転がした。
「あっ
……
、つかさくんっ
……
」
「痛いか?」
顔を離した悠月に問いかけると、それはふるふると首を振った。
「気持ち良いよ
……
。もっとして
……
」
甘えた声で悠月が強請って来る。
言われた通りに両手で乳首を弄れば、喉を反らせて気持ち良さそうな声を上げた。
その声に自ずと中心に熱が集まった。
「あっ
……
、んっ
……
、つかさくんっ
……
、いいっ、もっと
……
、あんっ、あっ
……
、はあっ
……
、ああっ
……
、つかさくんっ
……
」
我慢出来ずに胸の突起にむしゃぶりつけば、その声が甘やかさを増した。
乳首を舌先で転がしながらチラリと悠月を見れば、うっとりとした表情で天井を見上げている。
痛がったり、嫌がっているような様子はない。
口のなかの乳首に軽く歯を立てて指先で反対側の乳首を捏ね回すと、ぴくんとその身体が揺れる。
悠月は蕩けた顔で俺を見ると、「イケメンってセックスも上手いの
……
?反則だよぉ
……
」と言って来る。
「まだ前戯だろう」
そう言って悠月の唇にキスを落とすと、背中に抱き着かれて舌を絡めた。
キスをしながら反応している中心を悠月の腰に押し付けると、それが期待に満ちた目で俺を見上げる。
「司くんが欲しいよ
……
」
その言葉に危うく理性が飛びそうになるが、なんとか持ち堪えた。
「頼むから煽るな
……
」
お互いに初めてなのだから、悠月の負担は少ない方が良いに決まっている。
「焦って台無しにしたくないんだ。お前を大事にしたい」
そう言って額にキスを落とせば、悠月は嬉しそうに目を細めた。
「司くんのそういうとこ、大好き
……
」
引き寄せられるように顔が近付いて、どちらともなくキスをする。
舌を絡めながら悠月のスカートの中に手を入れて、布越しに割れ目を指先でなぞった。
熱の籠もった瞳が見上げてくる。
顔を離して悠月のスカートとショーツを脱がせると、恥じらうように股を閉じてしまった。
そっぽを向いたその顔が赤い。
「足を広げろ。続きが出来ないだろう」
苦笑して悠月の膝を軽く叩くと、それは「うーっ」と唸った。
「恥ずかしくて死にそう
……
」
「冗談でも止めてくれ。お前に死なれたら困る」
悠月の唇にキスを落として優しく胸を揉んでやる。
両手で乳首をコリコリと弄ってやれば、悠月の足の力が抜けるのが分かった。
素早く足を開いて悠月の足の間に身体を滑り込ませた。
閉じられないように両手で太腿を掴んで、悠月のそこに目を向ける。
「やだぁ。見ないでよぉ」
悠月が抗議の声を上げるが、自然と顔はそこに近付いていた。
むわりと濃厚な雌の匂いがして、自ずと興奮する。
愛液でてらてらと光るそこに舌を這わせれば、「あっ!」と悠月が声を上げる。
チラリと悠月を見たが、嫌がっているようには見えなかったので、今度は小さな突起を舌で突いた。
ピクンとその身体が跳ねる。
ぴちゃぴちゃと音を立てながら秘所を舐めると悠月が気持ち良さそうな声を上げる。
突起に軽く吸い付いて優しく甘噛みすれば、悠月の身体がビクビクと跳ねる。
ナカにそっと指を差し入れると、そのあまりの熱さに驚いた。
指を出し入れしながら突起をねっとりと舐め上げてやると、悠月が甘えた鳴き声を上げる。
もう恥ずかしいとも感じる余裕がないのだろう。
寧ろ強請るように俺の頭を押し付けて来る。
「きもちいぃっ
……
、あっ
……
、あ
……
、もっとしてぇ
……
」
余ったるい声で俺に催促する悠月の艶めかしい姿に、思わず息を飲んだ。
ナカに入れた指を二本に増やして出し入れしながらクリトリスを舌先で転がすと、悠月が悩ましげな声を上げる。
「あんっ、つかさくんっ
……
、いいっ
……
、はぁ
……
、あ
……
、んっ
……
、あぁ
……
」
とろんと蕩けた瞳で天井を見上げる悠月にキスをしながら、秘所に入れた指を増やした。
バラバラに動かしていた指の動きを止めて、ある一点を探る。
女にはナカにも弱点があると知識では知っていたが、それがどこなのか分からない。
ナカを探っていた指がある場所に触れた途端、悠月がピクンと身体を揺らした。
ここか
……
。
悠月が反応した場所を重点的に攻めると、それが切羽詰まった声を上げる。
「やだっ、だめっ、そこだめぇ
……
、ひぁんっ
……
、あっ
……
、やだ
……
、なにかクる
……
、きちゃうっからっ
……
、つかさくんっ、こわいよっ
……
!」
怯える悠月の頭を、汚れていない方の手で撫でた。
「大丈夫だ。痛くしないから安心しろ」
悠月は安堵したように俺を見つめると、感じるままに声を上げ始める。
その高くなった声に誘われるように指の動きを激しくすると、悠月が甘い悲鳴を上げて達した。
焦点の定まらない目でハクハクと動く悠月の口にキスをして、手早く買って来たコンドームを付けた。
「入れるぞ」
そう言えば悠月は柔らかく微笑んで両手を広げる。
「きて
……
。つかさくん
……
」
それに覆いかぶさるようにして腰を進める。
ゆっくりナカに自身を埋めて行くと、やがて先に進む道を阻まれた。
処女膜。
悠月の初めての男が俺だと言う紛れもない証明に心底嬉しくなる。
「俺がお前の初めての男だな」
願わくば、悠月の最後の男でもありたいと思う。
「一生お前を大事にすると誓う」
その言葉と共に一息に貫いた。
その途端、ナカが生き物のようにうねった。
「っ
……
痛くないか?」
「痛いけど、大丈夫
……
」
そう言って笑ってみせる悠月をそっと抱き締める。
愛しいという感情が溢れ出して止まらない。
「好きだ、悠月」
感情の本流に流されるようにして、漸くその言葉が口を突いて出た。
その台詞に、悠月は幸せそうに微笑む。
「やっと好きって言ってくれたね
……
。嬉しい
……
」
嬉しいと涙を流す悠月の目尻にキスをする。
「これから幾らでも言ってやる。それから、苦しかったらちゃんと言えよ」
「分かった
……
」
頷いた悠月にもう一度キスを落としてからゆっくりと腰を動かした。
思っていたよりも悠月のナカは熱くて強く締め上げて来る。
これではすぐに達してしまいそうだが、歯を食いしばって我慢した。
ポタポタと、汗が悠月の顔に落ちる。
セックスがこんなに気持ちいいものだとは知らなかった。
自慰なんてものは比較にもならない。
悠月と指を絡めて深く深く口付けた。
苦しいくらいだった締め付けが、少しだけ緩やかになって行く。
これなら持ちそうだと判断して動きを少しずつ早めて行く。
最初こそ苦しそうに眉を寄せていた悠月の声が、少しづつ甘やかさを増して行くのを感じる。
「悠月、気持ち良いか?」
ゆっくりと腰を動かしながら問えば、俺の腰に悠月の足が絡み付いて来た。
「たりない
……
、もっとちょうだい
……
」
その言葉に理性が吹き飛んだ。
その腰を掴んで激しく打ち付ける。
悠月の声が悲鳴地味た甘い声に変わる。
「あっ!ああっ!つかさくんっ!いいよっ!いいっ!あんっ、あぁ
……
、イクっ!またイっちゃうっ!」
切羽詰まった悠月の耳を甘噛みして囁いた。
「イけ」
その言葉に弾けたように悠月が身体を跳ねさせた。
キツイ締め付けに呻いて動きを止めると、ゴムの中に欲望を吐き出した。
荒い息を吐いていると悠月と視線が絡んだ。
顔を近付けてキスすれば、幸せそうに目を細めて俺を見る。
「わたし、いま
……
、とってもしあわせ
……
」
「俺も幸せだ」
ありがとう。
そんな言葉が口から滑り落ちた。
愛を教えてくれて、愛してくれてありがとう。
そう伝えられたら良かったのだが、気恥ずかしくて言えない。
それでも久しぶりに口にしたその言葉で充分伝わったらしく、悠月は優しく微笑んで俺の頬を撫でた。
「愛してるよ、司くん
……
」
「ああ、知ってる」
そう返してまた悠月にキスをする。
その日は、日が傾くまで悠月を離さなかった。
悠月は俺の腕の中で終始幸せそうに微笑んでいた。
悠月と身も心も一つになった気がしていた。
これ以上幸せな事はないとすら思えた。
これからもこうして悠月と生きていくのだと信じて疑っていなかった。
だがその翌日、悠月は忽然と姿を消したのだった。
悠月が大学に来ない。
携帯も繋がらない。
何か事件に巻き込まれたのだろうか?
必死に悠月の姿を探した。
一日が経ち、二日が経ち、一週間が経った。
それでも悠月と連絡が取れない。
焦りだけが大きくなって行く。
そんな時、コソコソとした会話が耳に入って来た。
「なぁ、知ってるか?七山の事
……
」
七山。
その単語に足が止まる。
「七山って三年の七山 悠月の事か?」
「ああ、七山入院したらしいぜ。何でも家にいた時に急に倒れたとか
……
」
気付いた時には男の胸ぐらを掴んでいた。
「悠月が運ばれた病院はどこだ!言え!」
しどろもどろの男から悠月が入院している病院を聞き出してそのまま大学を飛び出した。
タクシーを捕まえて病院に急ぐ。
悠月、無事でいてくれ
……
。
そう祈りながら硬く拳を握り締めた。
『七山 悠月』
そう書かれたネームプレートは確かに存在した。
それを見てもまだ現実実がない。
ゆっくりと病室のドアを開けると、白いベッドの上に上体を起こした悠月がそこにいた。
「あーあ、遂にバレちゃったか
……
」
悠月は俺に気付くと、イタズラがバレた子供のような顔で笑った。
だが、その顔には今までにない影がある。
その顔も青白く、無造作に布団の上に投げ出された手もまた病的なまでに白かった。
それを見て愕然とする。
どうして気付かなかった。
本当なら、もっと早くに気付けた筈だ。
痩せた身体。
艶のない髪。
病的なまでに白い手足。
きっと自分でも無意識のうちにそれらから目を逸らしていたに違いない。
悠月はどこにも行かない。
俺の傍にいるのだと思い込んでいた。
「病気、なのか
……
?」
それに悠月は屈託なく笑う。
だが、その笑顔にもやはり翳りがあった。
「私、ガンなの。あと一年しか生きられないんだって」
その言葉に頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。
「何かの冗談か
……
?」
そう言ってみたものの、悠月はニコリともしない。
「冗談に見える?」
静かに問われて、認めたくない事実を喉元に突き付けられたような気持ちになった。
「ずっと傍にいると言っていたのは嘘だったのか
……
?」
なんとかその問いを絞り出すと、悠月は笑った。
馬鹿にしたような笑みだった。
「嘘に決まってるじゃん」
形の良い唇がハッキリとそう告げた。
「知らなかったでしょ。私、悪い女なの。司くんに嘘付いてたんだよ。ずっと一緒にいるって言ったのも嘘。好きだって言ったのも嘘。全部嘘なの」
そう言って悠月は笑った。
笑っているのにその目は笑っていない。
真っ黒な瞳は何も映してはいない。
どこまでも虚ろだった。
立ち尽くす俺に悠月が畳み掛ける。
「こんな女嫌いでしょ?司くんの趣味じゃないよね」
そう言って悠月は笑った。
いっそ清々しいとも思える笑みだった。
「だからね。別れてあげる。良かったね、司くん。私から自由にしてあげるよ」
そう言って俺を突き放す悠月の表情に、俺と同じ孤独を垣間見た気がした。
悠月は一人になろうとしている。
俺を遠ざけて一人で死ぬつもりなのだ。
その姿が過去の俺に重なった。
悠月を一人には出来ない。
そっとベッドに歩み寄ってその手を握った。
「結婚しよう、悠月」
その言葉に悠月が驚きに目を見開いた。
「なに
……
、言ってるの?私は別れようって言ってるんだよ?」
「ああ、俺を遠ざけて一人で死ぬつもりなんだろう?だが、残念ながら俺は諦めが悪いんだ。お前がどれだけ拒もうと、絶対に一人にはしない」
ベッド脇の椅子に腰掛けて真っ直ぐに悠月を見つめる。
「どうして一人にしてくれないの
……
?」
絞り出すような悠月の声に迷いなく答えた。
「お前を愛しているからだ」
それに悠月の顔が歪む。
「酷いよ
……
。司くん
……
。なんでそれを今言うの
……
。馬鹿なんじゃないの?君
……
」
そう言うと悠月は顔を覆って泣き始めた。
そんな恋人の肩をそっと抱いた。
「悠月。俺と結婚してくれ」
悠月はその言葉に泣きながら顔を上げると泣き笑いで口を開いた。
「しょうがないから結婚してあげる。私みたいなお荷物を抱えた事を後悔したら良いよ」
「それはない」
きっぱりと言い切ると悠月はまた泣きながら「司くんって思ったより馬鹿だったんだね
……
」と言って笑ったのだった。
俺が孤独だったように、悠月もまた孤独だった。
自分は病気になって両親に捨てられたのだと言って笑っていた。
「お父さんもお母さんも私の事なんてどうでも良いんだよ。何度か体調崩して入院したけど、私がガンだって分かってから一度も顔を見せに来ないの。東大に受かった時は家族の誇りだってあんなに持ち上げてた癖にね
……
」
そう言った悠月はやはりどこか寂しそうな顔をしている。
俺の苦しみが分かったのも、同じ傷を持っていたからなのだろう。
俺達は共に親に捨てられた身なのだ。
だからこそ悠月を一人には出来ない。
いや、しない。
「今から婚姻届を貰って来る。お前の体調が良かったらすぐにでも出そう」
「今から?随分と急だねぇ」
悠月は苦笑した。
「そんなに急がなくても良いよ。もう少し経ってからでも
……
」
「駄目だ。それだとお前の容体が悪くなった時に会えなくなる」
悠月と結婚しようと決めたのは哀れだったからではない。
恋人のままでは悠月が急変した時に傍にいてやれない。
家族でなくては会う事も許されないのだ。
それを悠月に告げると「ちゃんと計算してのプロポーズだった訳か
……
」と苦笑する。
「良かった。余命いくばくもない私が可哀想で結婚するつもりだったなら、思いっきりぶん殴ってたとこだよ」
「お前に殴られたくはないな。痛そうだ」
「私はまだまだ元気だから焦らなくていいよ。大丈夫」
そう言って悠月は笑う。
「そうは言うが、この間、家で倒れたんだろう。お前の大丈夫は信用出来ない」
「ああ
……
、あれは倒れたっていうよりは具合悪くなって救急車呼んだ感じだよ。意識はあったし、だいじょう
……
」
「悠月」
名前を呼ぶと悠月が言葉を切ってこちらを見た。
「俺達は夫婦になるんだ。もっと俺に甘えてくれ」
それに悠月は困った顔をする。
「それが出来たら苦労はしないよ
……
」
あれだけ押しが強かった悠月はどこへやらだ。
きっと無理をしてキャラを作っていたのだろう。
それでも悠月が俺に与えてくれたものは本物だと信じたかった。
「俺はお前に頼られると嬉しい」
そっと悠月の手を握って微笑んだ。
悠月は俺から視線を外してポツリと呟いた。
「本当に司くんは変わったね
……
。前みたいに冷たいままだったら私を見捨ててくれたのかな
……
?」
悠月の手を包み込んでその顔を見つめる。
「悪いがお前の願いは叶えてやれない。諦めてくれ」
「どうして
……
?私なんてただの役立たずなのに
……
」
ポタポタと涙が落ちる。
その涙をそっと拭ってやりながら告げる。
「お前が俺を救ってくれたんだ」
お前が言うようにあれが全て嘘だったとしても構わない。
俺を愛していなかったとしても関係なかった。
「俺がお前を愛すと決めた。それだけで充分だ」
そう言えば悠月は苦笑した。
「本当に馬鹿な人
……
」
口ではそう言いながらも、その目は優しい色を浮かべている。
「分かった。婚姻届出そう。司くんと家族になりたい」
そう言って悠月は漸く笑ったのだった。
婚姻届を無事に出し終えて、次は指輪だと言う話になった時に悠月は言った。
「別に指輪とかいらないよ。形になる物は何も残したくないの」
この世に何も残さずに綺麗に死にたいのだとそれは言う。
だが、それでは俺の気が済まなかった。
「お前と家族になった証を俺にくれ」
「司くん、その言い方は卑怯だよ
……
。断り辛いじゃん
……
」
そう言って悠月は苦笑する。
「でもダメだよ。結婚はしても指輪はいらない。これだけは譲れないよ」
キッパリとそう言った悠月は、窓の外を眺めた。
「もうすぐ退院出来るんだって。そうしたらさ、司くんの家に引っ越して良いかな?一人でいると息が詰まるんだ
……
」
「当たり前だろう。お前を一人にしてはおけない。一緒に暮らそう。俺達はもう夫婦なんだから
……
」
そう言えば悠月は微笑んだ。
「まさか司くんと結婚するとは思わなかったなー。まだ実感ないよ」
そんな悠月の手を取って、左手の薬指に口付けた。
「一生お前だけを愛すと誓う」
「ダメだよ。司くん」
静かな声がした。
顔を上げると真剣な表情の悠月がいる。
「私はいつまでも司くんと一緒にはいられない。だから、私が死んだら司くんは新しい恋を見付けるの」
司くんには幸せになって欲しいから。
そう言って悠月は真っ直ぐに俺を見る。
迷いのない目だった。
「分かった。お前がいなくなったら、他の誰かを愛せるように努力する」
それは必ずしも俺の本心ではなかったが、悠月を安心させる為にそう言った。
悠月はそれに安堵したように表情を緩めた。
「良かった
……
。安心したよ
……
」
結月と一緒にいられる時間は短い。
だからこそ、安心させたかった。
お前がいなくても、きっと俺は生きて行けるだろう。
それでもお前がいなければ、本当の意味で生きているとは言えない。
お前がいるから心から笑えるのだ。
お前がいるから幸せだと思える。
どうか少しでも長く一緒にいられるようにと願わずにはいられなかった。
それから数日が経って、結月は退院した。
引っ越し作業は業者に任せて結月の傍に付いていた。
椅子に座った悠月の手をずっと握っていると、困ったように笑われる。
「心配しすぎだよ、司くん。私は大丈夫だから
……
」
「そうは言うが、顔色が悪いぞ。本当に大丈夫か?」
「大丈夫じゃないなりに大丈夫なの
……
」
そう言って悠月は俺に身体を預けて来た。
本当は辛いのだろう。
横になった方が良いと判断して寝室に行こうと促せば、悠月はニヤリと笑う。
「なぁに、司くん。シたいの?」
「したいのが本音だが、病気のお前を抱いて具合が悪くなっても困るからな。お預けだ」
「良いの?今手を出さないと二度と抱けなくなるよ」
「病人に手を出すつもりはない」
キッパリと言い切れば、悠月は残念そうな顔をする。
「襲ってくれても良いのに
……
」
「駄目だ。無理をしてまた倒れたりしたらどうする」
「それでも、最期の思い出に抱いてくれても良くないかな?」
スルリと頬を撫でられて上目遣いに期待したような顔で見つめられる。
「その顔は止めろ
……
」
耐えきれずに思わず顔を逸らすと、悠月が俺の太腿に手を置いた。
「ねぇ、シようよ
……
」
甘い声で新妻に誘われて断れる男がいるだろうか。
ゴクリと生唾を飲むと悠月は笑った。
「冗談だよ。私もしたいけど流石に無理だよねぇ」
残念残念と笑っている。
けれどもその顔はどこか寂しそうに見えた。
そんな悠月の手に指を絡める。
俺だって本当は悠月を抱きたい。
けれども、それが悠月の為にならない事を知っている。
一度悠月を抱けただけでも奇跡だったのだ。
それ以上を望んではならない。
そう自分に言い聞かせた。
その夜は、悠月と一緒にベッドで寝た。
「司くんと一緒に寝るの、なんだかドキドキするね」
そう言ってはしゃぐ悠月に、ずっと疑問に思っていた事を聞いてみる事にした。
「抗癌剤治療はしないのか?」
その問いに悠月の表情が硬くなる。
「別に責めるつもりはない。単純に気になっただけだ。抗癌剤治療をすれば治る可能性もあるんじゃないのか?」
それに悠月はゆっくりと首を振った。
「抗癌剤治療はしないよ。それをしても治る確率は40%くらいなんだって」
「それでも治る可能性があるのならやるべきだ」
それに悠月は苦笑する。
「髪が全部抜けて、吐いてばっかりいる私の介護をする羽目になるよ」
「それでも治る可能性があるのなら俺は構わない」
その言葉に悠月は笑う。
「40%って事は、60%は死ぬんだよ。これはね、もう運命だと思うんだ。手術でも取り出せない場所にガンがあるらしいの。だから手術も出来ない。もし手術が出来るんなら、私だって抗癌剤治療を受けてたよ」
そっと悠月が俺の頬を撫でた。
「そんな悲しそうな顔をしないで。これが私の寿命なの」
そっと悠月が俺の唇にキスを落とした。
「本当はね、一目惚れだったの」
いきなり話題が変わった事に戸惑っていると、悠月は愛しげに目を細めて俺を見た。
「一年の頃に君を初めて見た時にね、運命を感じたの。私の運命の人は司くんだって思った」
でも、と悠月は苦笑する。
「司くんったら人嫌いで有名だったから普通に話しかけても絶対に私を受け入れてくれなかったでしょ?だからずっと見てるだけだったの」
でもね、と悠月は言葉を続けた。
「ガンが私を後押ししてくれたのよ。残された時間がそう長くないと知った時、君に話しかける勇気を貰ったの。だから私はガンを憎んだりしてない。寧ろ感謝してるのよ」
そう言って悠月は微笑んだ。
「でも、司くんと結婚するのは想定外だったなぁ。司くんの重荷にだけはなりたくなかったから、大学で話が出来るだけでも充分だって思ってたのに、こんなに幸せになっちゃって罰が当たらないかな?」
「罰など当たるものか」
病魔に犯されながらも、太陽のように笑ってみせる悠月が眩しかった。
「お前はもっと幸せになって良いんだ。俺がお前を幸せにしてやる」
悠月の手を握ってその手の甲にキスを落とせば、それは今にも泣きそうに顔を歪めた。
「死にたくないよ
……
。もっと生きてたいよ
……
。司くんの赤ちゃんが欲しかった
……
」
ぼろぼろと大粒の涙を流す悠月をそっと抱き締めた。
その願いは俺でも叶えてはやれない。
だから、せめて最期までお前の傍にいようと思った。
お前が天に召されるその日まで、お前の手を握っていよう。
それが、俺に出来る唯一の事であるかのように思えた。
「俺も、お前の子供が欲しかった
……
」
どうにかそれだけを絞り出して、後はただ泣きじゃくる妻を黙って抱き締めていたのだった。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
目が覚めると悠月の姿がなかった。
慌てて起き上がって寝室を出ると、キッチンから良い匂いが漂って来る。
そちらに足を向けるとキッチンで料理を作っている悠月の後ろ姿が見えた。
そっと歩み寄って背後から抱き締めれば「わぁっ!」と驚いた声を上げる。
振り返った悠月が唇を尖らせた。
「料理中にいきなり抱き締めたりしたら危ないでしょ」
「それなら次からちゃんと声をかける」
「も〜、そういう問題じゃなくて
……
」
悠月は火を止めると俺の腕の中でくるりと回転してこちらに向き直った。
「目が覚めて私が隣にいなかったのがそんなに寂しかった?」
「ああ
……
」
素直に応じて強くその身体を抱き締めれば、よしよしと頭を撫でられた。
「大丈夫だよ。私はどこにも行かないから」
悠月は嘘付きだ。
いつか俺を置いてあちらへ行ってしまう癖にそんな事を言うのだから、なんて酷い女なのだろう。
「ああ
……
、そうだな」
何とかそれだけを返して、悠月は抗議の声を上げるまで暫くその身体を抱き締めて動く事が出来なかった。
一年と言う余命宣告は、結論からいうと外れた。
それも悪い方ではなく良い方にだ。
出会って一年が経っても悠月はまだ生きていた。
それはきっと悠月が起こした奇跡なのだろう。
時々体調が悪くなって入院する事はあっても、可能な限り自宅にいたいと言う悠月の意向を主治医も汲んでくれた。
だが、ガンは消えてくれた訳ではなかった。
少しずつ、けれども確実に悠月の命を蝕んでいたのだった。
悠月が入院したのは俺達が出会ってから一年と半年が過ぎた頃だった。
その頃の俺は大手企業に就職して稼げるようになっており、以前にも増して悠月を支えてやれるようになった。
そんな時の悠月の入院。
また少しすれば退院出来るだろうと軽く考えていた。
だが、どうやら悠月は違った。
真剣な顔で俺に言ったのだ。
「ねぇ、司くん。人には優しくしないといけないよ」と。
何故そんな事を言うのかと問えば、悠月は寂しそうに笑った。
「お別れの時が近付いてるみたいなの
……
。だから言える事は今のうちに言っておきたいの」
俺は慌てて悠月の手を握った。
「何を言っているんだ。少ししたらまた家に帰れる。そうしたら二人で
……
」
俺の言葉を遮るように悠月は首を振る。
「ダメだよ。希望的観測は悪い事じゃないけど今はダメ。ちゃんと私の話を聞いて
……
」
俺は黙って頷いた。
これは悠月の遺言だ。
最後まで聞かなければならない。
「司くんはね、自分にも他人にも厳しすぎる所があるから心配なの。ちゃんと人に優しくしてあげて。そうしたら周りの人も君に優しくしてくれるようになるから。君に孤独死なんてして欲しくないの
……
」
「分かった。努力する」
それに悠月は頷いた。
「それからご飯は三食きちんと食べてね。どんなに忙しくてもご飯は大事だよ」
「ああ、分かった」
「それから
……
、それからね
……
」
悠月は言いにくそうに言葉を切った。
そうして俺に微笑んで見せた。
「私が死んだら新しい人を見付けて幸せになって
……
」
ぽろりと悠月の目から涙が零れ落ちた。
「だって司くん、本当はものすごく寂しがり屋なんだもん
……
。そんな人をずっと一人にしとくの可哀想でしょ
……
」
「それは
……
」
それにだけは頷けそうになかった。
こんなにも愛している相手を忘れて新しい誰かと生きることなど出来ないと思った。
だが、死にゆく妻の望みを無碍にも出来ない。
「分かった。お前が言う通りにしよう」
そう言えば悠月は安堵したように笑った。
悠月が急変したのは、それからわずか一週間後の事だった。
医師や看護師が黙って見つめる中で、俺は悠月の手を握って静かにその時を待っていた。
「悠月
……
」
その声に反応はない。
「今まで良く頑張ったな。お前の事だ、きっと俺を置いていくのが忍びなくて無理をしたんだろう」
悠月は答えない。
ただ静かに眠っている。
そんな悠月に懐からあるものを取り出した。
「お前はいらないと言っていたが、どうしても渡したくてずっと前に作っていたんだ。受け取ってくれ」
箱を開くとそこには二つの指輪があった。
そのうちの小さい方を悠月の指に嵌めてやる。
痩せて骨と皮だけになった指に、その指輪は大きかったけれど、生きているうちに渡せただけで満足だった。
残った指輪を自分の指に嵌めて微笑む。
「ずっとお前を愛している」
その言葉を聞いて安堵したかのように、悠月は呼吸を止めた。
「20時13分。御臨終です」
医師が静かにそう告げて病室を出て行く。
数人いた他の看護師達も一礼して病室を出て行った。
部屋に残された俺は、亡骸になった悠月の唇にそっとキスを落としたのだった。
それからあっという間に五年が過ぎた。
ここまで腐らずにやって来れたのは、悠月との思い出が支えてくれたからだ。
これから先も悠月との思い出だけを支えに行きていくのだと、そう思っていた。
彼女に会うまでは
……
。
久しぶりに悠月の元を訪う。
報告したい事が出来たからだ。
彼女にも一緒に来て欲しいと言ったのだが、「話したい事が沢山あるでしょう?お二人の邪魔はしたくありませんから」と言って笑っていた。
彼女はどうしても敬語が取れない。
何度か敬語はやめてくれと言ったのだが、「もう癖なんですよ」と言って笑っていた。
そんなやり取りを思い出しているうちに墓の前に着いた。
枯れた花を新しいものに変えて、墓石に水をかけてやる。
「悠月、今日はお前に報告したい事があって来た」
手を合わせた後にそう切り出した。
「俺は明日、明日香と結婚する」
墓石は何も言わずに佇んでいる。
俺の左手の薬指には二つの指輪が光っている。
一つは悠月とのもので、もう一つは明日香にプロポーズする時に用意したものだ。
まさかまた誰かと一緒に人生を歩もうと言う気になるとは思わなかった。
「文句があるなら俺があの世に行った時に聞いてやる」
だが、きっとそれはないだろうという気がしていた。
悠月はきっと笑って許してくれるだろう。
幸せになれと言ってくれるに違いない。
そんな女だから惚れたのだ。
そんな女だから最期まで一緒にいようと思えた。
一陣の風が吹き抜けて行く。
「おめでとう、司くん」
風に乗って悠月の、そんな軽やかな声が聞こえた気がした。
終わり
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