2026-05-12 12:29:01
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【土きり】帰れない子の家

成長if、kr丸五年想定。
つどい設定を含みます。
帰れない(と思っている)kr丸と、帰る場所を定めたdi先の話です。rn太郎もいます。

 この思いを自覚したのは、いつからだっただろう。
 最初のきっかけを挙げるのなら、まあ、やっぱ一年の頃にあった『軍師』騒動だと思う。
 あの時少しの間とはいえ先生がいなくなって気づいてしまった。俺の中で、先生がどれだけ大きな存在になってたのか。
 あの人がいないだけでこんなにも足元が揺らぐんだって、思い知らされた。
 俺の思い込みじゃなければあの騒動のあとから、先生は前よりずっと俺のことを気にかけてくれるようになった。
 けれど、それは『担任の教師』として、そして『保護者の代わり』としてのものだ。
 当然その線の内側から外に出てくることは決してない。
 ……それ以上なんて、あるはずがない。

 だからこそ嫌でも思い知らされる。
 この関係は、学園にいるあいだだけのものだってことを。
 卒業したら終わる関係だ──ということを。

 ◇

 この春から五年に上がって、今までよりもずっと卒業後のことを考えるようになった。
 プロの忍者としてやっていくこと自体はもう俺中で決まっている。問題はその先で、プロとしてどうやっていくかがまだ決めきれていない。国や城に仕える忍になるか、利吉さんみたいにフリーの忍としてやっていくか。俺の場合はたぶんこの二つのどちらかになるはずだ。当たり前だけどどちらにもいいところと悪いところがあって、正直こればかりは運とか縁に左右される部分も大きいと思う。
 ただ、どっちを選んだとしても自分の家とまではいかなくても寝床くらいは必要になるはずだ。城に仕えるなら基本は城で寝泊まりするんだろうけど、それでも外に出ることくらいはあるだろうし。
 あと正直言ってしまうと、この城なら仕えたいとかこの人ならついていきたいって思えるような場所が、ない。ここで決めた場所に一生を預けることになるかもしれないのに、そう思えるようなところが見つからない。ここまできたらもうそういった感情だけでどうこうする段階じゃないのもわかっている。それでも、割り切れそうにない自分がいた。
 だから、たぶんフリーとしてやっていくことになるんだろう。そうなるとますます自分の住処が必要になる。

 今の俺には、先生の長屋がある。
 俺が帰る場所と呼べるのはあそこだけだ。

 けど、卒業したらそうはいかない。
『生徒と担任』ですらなくなった俺が、いつまでもあそこにいていいはずがない。
 そんなことをずっと考えてたら、もうひとりでどうにかできる気がしなくなった。

 結局自分の中だけじゃ抱えきれなくなって、このことを乱太郎に話したことがあった。
 すると「私もきりちゃんはフリーの方が向いていると思うよ」と言われた。それを聞いた俺は「やっぱそうだよな〜、じゃあ家とか探さねーとな」と何気なく返したら、乱太郎が「え?」と、少し遅れて驚いたように顔を上げた。

「なんでそんなに驚いてんだよ」
「だって、フリーでやってくならきりちゃんはこれからも土井先生のところに帰るんじゃないの?」
「いやなんでそうなるんだよ」

 俺の返しを聞いた乱太郎はますます驚いた顔をしていた。

「いやいやこっちこそなんで? だよ。 ……まさかとは思うけど、先生から卒業したら帰ってくるなー、とか言われたわけじゃないよね?」
「そんなこと言うわけねーだろ」

 先生がそんなことを言うはずがない。それは俺も、そして乱太郎もわかっている。
 だって先生は優しいから。むしろ優しすぎるくらいだ。優しすぎるからこそ、休みの間行く当てのなかった俺を『同じような育ち方をしているから』なんて理由だけでここまで面倒をみてくれた。
 だから俺が卒業してもあの長屋に帰りたいといえばあのいつもの穏やかな笑顔で「いいぞ」と言ってくれるだろうし、逆にこのまま何も言わずに出ていけば「元気でな」と見送ってくれるはずだ。
 どちらを選んでも、受け入れてくれる。
 ……その優しさは、残酷なくらいだと思う。

というか、ここは出ていくのが筋だろ。卒業したら『生徒とその担任』でもなくなって、完全に、他人、になるんだし
……確かにそうかもしれないけどさ。でもそれはきりちゃんが勝手にそう思ってるだけで、先生と直接話したわけじゃないんだよね?」
……まあ。」
「だったらなおさらちゃんと話し合うべきだよ」

 そう言った乱太郎は、まっすぐに俺を見据えたまま、それ以上は何も言わなかった。その視線は不思議とやわらかくて、ただ静かに俺の返事を待っている。

 その視線にうながされるように、俺はもうひとつ、胸の内にあったことを話した。

…………もうこれ以上、俺のせいで先生のこと縛る訳にはいかねーんだよ」
……どういうこと?」
「先生は俺がいるから嫁さんとか迎えなかったんだろ。 もし嫁さん迎えることになったら俺と暮らすわけにはいかないし、そしたら俺はあの長屋から出ていくことになるから気を使ってたんだろうし」

 俺の話を聞いた乱太郎は、今度はさっきよりちょっと呆れたみたいな声で返してきた。

先生ってそういう願望あったの?」
「いや俺も知らねーけど。一時期学園長先生がよくお見合いの話とか回してただろ」
「それは学園長先生が勝手に回してきてただけじゃ……。 じゃあ、先生から直接はそういう話は聞いてないんだよね?」

 さっきよりもぐっと強い目で、乱太郎がこっちを見てきた。
 その圧に思わず息をのむ。
「それは、まあ……。」
 俺がそう返すと、乱太郎は今度は明らかに呆れを含んだため息をついた。

「とにかく!さっきも言ったけど、今度のお休みに土井先生とちゃんと話し合うこと。わかった!?」
 乱太郎は俺をびしっと指差して、そう言ってきた。
………わーったよ」
 俺の返事を聞いた乱太郎は指を下ろして、はあ、と軽くため息をついた。そして「なんでそんなに意地を張るかなあ」と、やっぱり呆れたみたいに、でもどこか困ったみたいに呟いていた。


 乱太郎の言い方を借りるなら、俺がここまで意地を張っている理由はもうひとつある。というかそれが一番大きい理由だ。
 それは結局、俺が先生と離れたくないから。ただそれだけだ。
 俺だって帰る場所はずっと土井先生のところがいい。だけどそれが許されるのは俺が学園にいるあいだだけだ。血のつながりもない、もう同じ学園の生徒と教師ですらなくなったただの他人が、あの長屋に帰る理由なんて見つからない。離れたくないのに、離れなくていい理由がどうしても見つからない。
 俺が出て行った後、先生が嫁さんを迎えるかは今はわからない。でも、もし迎えることになったら、その相手が羨ましいとすら思う。
 夫婦なら離れなくていい理由になるから。

 俺はもう、引き返せないところまで来ていた。
 こんなものはもうとっくに恩師とか家族への思いとは一線を越えている。
 けど、無理にでも引き返さないといけない。そうわかっているのにどうしても割り切ることができない。
『一度贅沢を覚えると後戻りができない』。今まで自分が散々言ってきたその言葉が、今になって自分に突き刺さり抜ける気がしなかった。

 ◇

 五年に上がってから二月ほどが過ぎた。
 今回の休みで、ようやく先生と一緒に長屋へ帰ることになった。俺が五年になってからは初めてだった。
 五年にもなると実習の授業が入ってくるようになってなかなかお互いの休みが合わない。だから、こうして一緒に帰れるのも久しぶりだ。

 ……けど、正直言うとわざと実習を入れてあえて予定を合わせないようにしていた部分があった。(先生にも「わざと実習を入れてないか?」なんて言われてしまったことがある。)
 一緒に帰るたび、こうして帰れる回数が減っていくことばかり考えてしまう。
 情けない話、終わりのことを考えるのが怖かった。いずれ向き合わなきゃいけないことなのに、ずっと先延ばしにしていた。

「きりまるぅ〜、帰るぞ〜〜」

 そんな考えが頭から離れないまま校門に向かえば、珍しく先生が笑顔で俺のことを待ち構えていた。いつもなら仕事が終わるまで待っててくれーなんて泣きついてくるのに。
 でもそれが嬉しいんだからどうしようもない。
 俺は「先生が先に待ってるなんて珍しいっすね」って笑いながら、先生のところへ向かった。先生も「いつも一言多いやっちゃな。」と呆れながら、けれど笑顔で返してくる。
 この時、自分がちゃんと笑えているのかはわからなかった。

 長屋に着いて、いつも通り大家さんや隣のおばちゃんに挨拶をして掃除や空気の入れ替えをする。
 先生も家賃の支払いや溝掃除には来ていたらしいけど終わればすぐ学園へ戻っていたみたいで、長屋の中は埃が薄く積もっていた。その埃の多さが、俺たちがどれだけここへ帰っていなかったのかを嫌でも感じさせられた。
「きり丸、今日はこの後アルバイトは入れてないよな?」
 掃除がひと段落したところで先生が話しかけてきた。今回、一緒に帰ることが決まってから「今回の休みはバイトを入れるな」と何度も言われていた。
 ドケチ相手に何言ってるんだ、と思いながらも了承した俺も俺だった。
 もうこうして先生と帰れる回数は減っていく。そう考えると少しでも長く一緒にいたいと思ってしまう。
 俺は引き返すどころか、どんどん深みにハマっていた。

 掃除も終わり夕餉を食べた後、先生と俺はいつものように囲炉裏を囲んで向かい合っていた。

「──お前に話しておきたいことがあってな」

 そう切り出してきた先生の顔は、いつもみたいな穏やかなものじゃなくてどこか緊張しているように見えた。
 こんな先生を見るのは学園でも、そしてこの長屋でも初めてだった。
 そんな先生の顔を見たら胸の奥がざわついて、嫌な予感がして仕方がなかった。
 根拠なんて、勿論ない。強いていうならドケチの勘あたりか。
 だけどその予感は当たっていた。
 先生は一度文机のほうへ向かい、何か書かれた紙を手にして戻ってくる。
 そしてそのまま何も言わず、それを俺に差し出してきた。

 差し出された紙には、『退職願』と墨で書かれていた。

………ぇ」
 そこに書かれた文字を見た瞬間、全身の血が一気に引いていくのを感じた。周りの音がすっと消えて、自分の心臓の音だけがやけに大きく響く。
 何が書いてあるのかはわかる。なのに、頭がその意味を受け入れようとしない。
 ……人って本当に絶望すると汗すらも出なくなるんだなと、この時初めて知った。

 この紙切れひとつで、俺と先生の繋がりは、いよいよ完全に途切れようとしていた。『先生と生徒』という最後の繋がりまで失えば、俺が先生の元へ帰っていい理由なんて今度こそひとつも残らない。
 そんな俺の様子を先生は見ていたのかどうかはわからない。それでも先生は、再び口を開いた。

「今すぐ辞める、というわけじゃないぞ。お前達を見届けてから……お前達の卒業と同時に私も学園を去ろうと思っている。
 ………このことは、まだ皆には内密にしていてな。 今のところご存知なのは学園長先生と山田先生だけだ。
 けど、お前には──きり丸には、先に話しておこうと思ってな」

 この時、先生がどんな顔をしながら話していたかわからなかった。……いや、違う。怖くて、その顔を確かめることすらできなかった。

………どう、して」
 俺は、たったそれだけの言葉を返すので精一杯だった。

 すると先生は静かに立ち上がり、俺の目の前まで歩み寄ってきた。
 そっと俺の顔に触れ、そのまま顔を上げさせる。
 避ける間もなく、先生と視線がぶつかった。先生の視線は、いつものように穏やかであたたかいものだった。
 それなのに、視線ごと捕まえられたみたいで逃げられない気がした。

「──そんな顔をするな、きり丸。 私が教師を辞めようと考えたのは、お前がきっかけでもあるんだから」
…………え?」

 いよいよ俺は先生が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
 先生はそんな俺を見て少し苦笑いした後、言葉を続ける。

「学園を辞めたら、この長屋を引き払って孤児院を開こうと思っているんだ」
…………こじ、いん」
「ああ。 ……前々から少し考えていたことではあるんだ。お前のような──私たちと同じような育ち方をしている子を、少しでも減らせたらと。きり丸とこうして一緒に帰るようになってからはなおさらそう思うようになってな。
 ……お前は強いから一人でも学園まで辿り着けたが、誰もがそうできるわけじゃないだろう」

 やっぱり、先生はどこまでも優しい人だった。本当に残酷なくらいに。
 そして俺は、そんな優しさに何度でも惹かれてしまうんだって思い知らされる。

 ……ちくしょう、大好きだ。

 もう自分がどんな顔をしているかなんてわからなかった。きっと頬なんて緩みきっていて、忍者失格もいいところな顔をしていると思う。

「お前は卒業したら、プロの忍者になるんだろう?」
………まあ、たぶん?」
「多分ってお前な……まあ、そういう訳だからこの長屋は引き払ってしまうが……きり丸さえ良ければ、孤児院を時々手伝いに来てくれないか?」
「だからくれは嫌ですって………え?」

 ……今、先生は何て言った?

「いや、流石にこちらの都合で手伝いを頼むのに『手伝わさせてあげる』はどうかと思ったんだが……。」
「もらうっじゃなくて、あの、ちょ、ちょ、あの」
「どうした?」
 先生がそのまま話を進めようとするので、俺は無理やり口を挟んだ。

 だから今、先生は何て言った?
 学園を辞めて孤児院を開いたら、その手伝いを俺にしてほしいって、そう言ったのか?
 ……それはつまり、俺が学園を卒業しても、先生が学園を辞めた後も、俺は先生の元に帰っていいってことか?

 さっきから喉がからからに渇いていて、唾を飲み込むことすらうまくできなかった。
 正直めちゃくちゃ怖い。けど、確かめずにはいられなくて、俺はゆっくりと口を開いた。

……僕、卒業しても、先生の元へ帰っていいんですか」
「何を言ってるんだ。当たり前だろう」
 そうあっさりと、何事もなかったかのように言った先生は、俺の顔から手を離した後そのまま俺の頭にぽん、と手を置いていつものように優しく撫でてくる。
 その温もりが、頭のてっぺんからじんわりと体じゅうに広がっていくようだった。

「『一緒に帰ろう』と、あの時約束したじゃないか」

 先生は、あの時の言葉をまだ覚えていた。

………いつの話してるんすか……

 胸がいっぱいになって、まともな返事なんてできなかった。
 そんな俺の減らず口に、先生は「そんな訳だからこれからもよろしくな」と、いつものあたたかい笑顔でまた俺の頭を撫でてきた。

 ◇

 あれから先生と話し合って、結局この長屋は完全には引き払わずに俺の寝床のひとつとして残すことになった。
 先生の孤児院を手伝うことになっても寝床は必要になるだろう。だったら、ご近所関係も良好で勝手も知ってるこの長屋はいいんじゃないか、という話になった。
 もっとも、プロの忍者としてやっていく以上受ける忍務によっては溝掃除や他の近所付き合いに参加できないこともあるはずだ。けど、そこは別のことで埋め合わせすればいい。きりちゃんの腕の見せ所だ。


「じゃあ、きりちゃんはやっぱりフリーでやっていくんだ」

 学園に戻った後、俺は乱太郎へ休みの間に先生と話したことを報告した。
 それから、卒業後は先生の孤児院を手伝うことにもなったから多分フリーのプロ忍でやっていくことになる、ってことも伝えた。先生が学園を辞める件についてはまだ他の皆には伏せておいてほしいと言われていたけど、これまで乱太郎には相談していたこともあるから話してもいいかと聞いたところ、「……まあ、乱太郎なら。」と、先生も了承してくれた。

「やっぱりってなんだよ。 ……つか、先生が辞めるの、驚かねーの?」
「だって、私はきりちゃんは絶対フリーでやってくだろうなって最初から思ってたよ。 あと先生が辞めるのはそりゃ驚いたけど、理由を聞いたら納得はしたし」
「だよな〜〜、 …………本当に、優しい人だよな」
 俺が地面に視線を落としながら長いため息をついていると、乱太郎がじっと俺を見ていることに気づいた。

…………なんだよ」
「いや? ……きりちゃん、よかったねぇと思って」
…………………まあ……。」
 俺の様子を見た乱太郎は、何かをわかっているような、それでもどこか優しい笑顔を浮かべていた。

……ありがとな、色々と」
「全然。 また何かあったら話聞くからね」

 そう言った乱太郎が今度浮かべたのは、今度はさっきとは違う、陽だまりみたいなまっすぐで優しい笑顔だった。

 ◆

 胃のあたりをさすりながら、私はいつもの胃薬を貰いに保健室へ向かっていた。
 保健室の前で足を止め、「入ってもいいか?」と戸の向こうへ声をかける。すると中から「どうぞ」と返ってきた。
 乱太郎の声だった。

 戸を開けて保健室へ入ると、どうやら乱太郎しかいないようだった。
「今皆で薬草摘みに行ってて、私が留守番してるんです。 先生はいつもの胃薬ですか?」
「はは………頼む」
 私がそう返すと、乱太郎は「わかりました」と頷き、私に背を向けて薬箪笥から胃薬を探し始めた。
 ……その背中を見ていると、あの小さかった一年の頃がもうずいぶん遠いことのように思えた。

………きりちゃんから、聞きました」

 ふいに、変わらず背を向けたまま乱太郎が口を開いた。

「ああ、もう聞いたのか。 一応他の皆にはまだ伏せておいてくれるか?」
「それは、わかってます」
……ありがとうな。 乱太郎も、よかったら遊びに来てくれ」
 すると胃薬を持った乱太郎が振り返り、何か言いたげなじっとりした目でこちらを見ながら歩み寄ってきた。

「薬準備できました。 いつもの量あるので、また無くなったら来てください 」
「あ、ああ」
「それから───」
 ひと呼吸置いて、乱太郎は言葉を続けた。

………きり丸のこと、あまりいじめないで下さいね」
 そう言った乱太郎の目は、どこまでも親友のきり丸ことを案じる、まっすぐで優しいものだった。

………ああ、善処するよ」
 私がそう答えると、乱太郎は先ほどよりさらにじっとりとした目を向けてきた。


 乱太郎に「明日また授業でな」と声をかけ、保健室を後にした。
 ……おそらく、乱太郎は大方わかっているのだろう。きり丸のことは勿論、──私がきり丸に向けている〝もの〟のことも。

 あの時長屋できり丸へ話したことは決して嘘ではない。あれは全て、私の本心だった。
 私やきり丸のような子どもを一人でも減らしたい。そのための場所を──帰る場所を作りたい。
 子どもが帰る場所もなく、たった一人で生きていくしかないようなことは少しでも減らしたい。それは以前から考えていたことだった。
 はっきり言えば忍術学園で教師を生涯続ける可能性は低いのではないかとすら、以前から薄々感じていた。
 その思いは偽りは断じてない。
 ……ただ、それだけではないのもまた事実だった。

 私は、願ってしまった。
 きり丸が帰る場所は常に自分のところであってほしい、と。

『一緒に帰ろう』。
 私がすべてを失い、偽りの場所にただ佇んでいた時に差し出された標の言葉だ。
 帰る場所などとうに失ったと思っていた私には、それはあまりにも眩しいものだった。
 あの時から、私は帰る場所を定めてしまった。

 やがてきり丸の卒業が近づくにつれて、私は『一緒に帰る』回数が減っていくことに焦燥感を覚えていた。おそらくそれはきり丸も同じだったのだろう。時には、私と帰ることをあえて避けるようなことすらあった。
 家賃の支払いや溝掃除のため一人で長屋へ戻ることもあった。だがきり丸のいないあの場所はひどく空虚に思えて、結局ろくに掃除もせずすぐに学園へ戻っていた。
 しかし私にとってきり丸のあの行動はいじらしく、もどかしくもあったのと同時に、そこには歓びも確かにあった。
 きり丸も〝同じ〟なのだと、そう思えたから。

 だがきり丸は帰る回数だけではなく、自分が学園を卒業したらもう私の元に帰る理由も失ってしまう、とも考えていたようだった。
 周囲から見れば家族のようではあっても、血の繋がりはない。そして学園という繋がりまでなくなれば、いよいよ完全な赤の他人になる。
 だから、自分には帰れる理由がない。
 ……おそらく、そういう理屈だろう。

 私からすれば、何を今さらとさえ思える話だった。
 理由が必要なら作ってしまえばいい。
 きり丸が求めるのなら、〝あげる〟までだ。

 ちょうどその頃、学園長先生の計らいもあって孤児院にできそうな広さの廃寺を格安で譲っていただくことができた。
 無論、そのまま使える状態ではない。修繕も改装も必要になる。
 だが、きり丸達の卒業まで残り約二年。こちらの準備期間としては十分すぎるほどだった。
 二年もあれば、これから出会うであろう帰れない子ども達の家と──そして、きり丸がこの先も私の元へ帰ってくるための理由を形創ることができる。

 後はきり丸が定期的にここに帰ってくるよう、話をつけるだけだった。
 きり丸はプロの忍者の道に進むことを望んでいる。担任として、生徒の夢を曲げさせることは如何なることがあっても許されない。
 ならば、その道を進んだ先でも自然と私の元へ帰ってくるよう道筋を整えてやればいいだけだった。
 もし城に仕える道を選べば、フリーに比べて行動は大きく制限される。最悪、その城から一歩も出られなくなることもあり得る。そんな未来は認められなかった。
 だから私は、きり丸自身が自然とフリーの道を選ぶよう少しずつ手を打っていった。時には利吉くんにも協力してもらい、フリーの忍務にはどのようなものがあるのか知る機会を作り、実際に経験させたこともある。
 一方で外部の城との交流は必要最低限に留めさせた。城仕えという道に、必要以上の魅力を感じさせたくなかったからだ。

 後は、孤児院の手伝いという〝帰る理由〟を差し出すだけだった。


 久しぶりに、件の廃寺を訪れた。
 中へ足を踏み入れると、ぎしり、と古びた床が音を立てる。
 ほとんど手つかずのそこには埃臭さばかりが充満していて、がらんとしていた。

 その空虚な場所に佇みながら、私はぽつりと呟いた。

「一緒に、帰ろう」

 まだ帰る者のいないその場所で、私の声だけが静かに消えていった。

 ◆

「げっ!!!! なんすかこれ!!!」

 きり丸と孤児院の話をしてから更に二月後のことだった。
 ふときり丸が、そういえば孤児院はどうなっているんだ、そもそもアテはあるのかなどと聞いてきたのでこの廃寺の話をすれば、見に行きたいと言うので連れてきたのだが。……開口一番がこれだった。
 ……はっきり言ってしまえば、修繕も改装も、そもそも最初の掃除すらもあまり進んではいなかった。

「なんっっか、嫌な予感がしたんですよね〜……。」
 そう言うなり、きり丸はへなへなと力が抜けたようにその場へ座り込んでしまった。
 すると、
……先生」
 きり丸は座り込んだまま、今まで聞いたことないような低い声で私を呼んだ。
「はいっ」
 なぜか反射的に返事をしてしまった。
「今日から、やりますよ」
「え? ……何をだ?」
 次の瞬間、きり丸が凄まじい勢いで立ち上がった。

「とりあえず掃除ですよ!!!先生のことだから僕たちの卒業まで一年以上あるだろーっとか考えているんでしょうしまあ何とかはするんでしょうけど!!!!時と銭は待ってくれないんですよ!!!!こういうのはやろうと思った時にやらないとダメです!!!」
 そう物凄い勢いでまくし立てたかと思えば、今度は「あそこにボロ布があったはず」「バイト潰れる分先生からバイト代貰わなきゃ……アヒャ」などと、一人でぶつぶつ言いながら動き始めた。
 ……今、聞き捨てならない言葉がさらっと混ざっていた気がするのだが。

 その時、こちらに背を向けていたきり丸がくるりと振り返り、
まー今日はもうどうしようもないんで、とりあえず帰りましょうか、先生」
 と、どこか呆れた様な笑顔で声をかけてくる。

 埃臭さが充満しているのも、古びた床や壁等も、私が一人で訪れたあの時とほとんど変わらない。
 ……ただ、今度はきり丸がここにいる。

「──ああ。一緒に、帰ろう」

 それだけで、帰る場所がない子のために作ろうとしていたこの場所が、気づけば私にとっても帰る場所になろうとしていた。

 あの時差し出された標は、ずっと変わらずここを指していた。
 きり丸のいる場所こそが、私の帰る場所だった。