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虫甬
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互いの手首と足首に枷を付け、沈みゆく。
N社ifのガファホン。悪夢を見る🌺が奇妙な「窓」で遊ぶ🔮を愛でる小話。
明日はきっと良くなる。埋めた種が小さな芽を出すはずだから。作りたての巣箱から雛が顔を出しに来るから。きっと一日中天気がいいから。
くだらない理由と馬鹿げた空想を織り交ぜた願いは、腐臭を漂わせて彼の内より滲み出る。
ここは
――
ここからは、かつて住んでいた地と大きくかけ離れている。ホームシックにはならなかったが、つい慰めとして貰った窓を覗き込んでしまう。使いすぎと没頭は良くないなど警告は受けていたが、禁止されるほど気になるのが人間である。
向こう側で、彼が望む明日が膨らんでゆく。
「哥哥。いつか向こう側に行こうね
……
?」
愛しさを込めて唱えた言葉は薄く滲んで、消えてゆく。
傷口から噴いたものは塞ぐ為の汁ではなく、苦しみより沸き上がる膿であった。
誰がこの事に気づけただろうか。
宝玉が濁るなり周囲の態度は一変した。皆、鼻をつまんで汚いものを見る目で彼を押しやった。押しやるように部屋に閉じ込めていいものを。彼らを見下しながらジア・ファンは弟弟の手首を掴んだ。力加減を誤れば折れる程に脆い。舌打ちを堪えて、値踏みするよう見つめた。白磁の肌には細かな傷があった。引っかいたのか。それとも誰かに
――
「バオユ。手を出せ」
もし自分で掻いたのなら痕跡があるはずだ。が、バオユは眉を下げるばかり。言うことを聞きやしない。
「それなら僕の手を放してよ」
「俺に物を申せるぐらい偉くなったのか?」
怖がりも怯えもせずバオユは口元を動かす。何か言いたかった唇を空いた手で打つ。興味が失せた。ジア・ファンは静かに吐き捨てた。それでもバオユを繋ぎとめているのは何故であるか。答えは単純だ。この弟弟にただならぬ執着を抱いている。彼自身も理解しているからこそ、酷く拗れてしまった。馬鹿馬鹿しい。執着という感情など捨てればよかったのに。
「ねぇ哥哥。いつになったら僕を連れ出してくれるの」
返事をせずジア・ファンは背を向ける。
待って。
バオユはもう声変わりしたのに、随分と上擦っているから幼く感じられて、恐ろしくて、振り返れずにいる。大股で進む。
逃げるのではない。距離を置くためだ。
「待って。待ってよう。哥哥。置いていかないで。哥哥」
別室より聞こえる泣き声でジア・ファンが目を覚ます。全身から汗が噴き出る。背中と額が特に気になる。前髪をかき上げるが開かれた視界の刺激は強く、目の奥がズンと圧迫され、胃から重苦しい不快感のアラートが発せられた。
眩しい。普通の自然光だけなのに。
泣き声は止まない。
あやしに行かなければ。
身を起こそう。怠い。面倒くさい。放っておけばいい。あの弟弟はそのうち泣き疲れてしまうはずだ。
……
いや、それより早く同僚に文句を述べられる。もしくは脱水症状を起こして嘔吐しながら衰弱。それらの方が面倒だ。全身の重みの原因たる首と肩回りの凝りを解し、ふと気づく。悪夢でも見た気がした
――
しかし構っていられない。
N社の内部にある一室は、かつて彼が生活した場より非常に狭い。しかも好みのインテリアで揃えたせいで、より圧迫もされていた。改めて自身の境遇が異常だったと笑いつつ、もっといい待遇があってもおかしくないと不満を覚えたが、みっともないので言うのは止めた。元は真っ白い部屋であるが白いのは天井のみ。この白が、ジア・ファンの双眸を貫く。
上着を放ったまま彼は隣室に繋がる引き戸を開ける。
目を背けたくなる。
彼の室内着下着寝間着普段着が部屋の中心に積まれて散らばっていた。服で作られた楼閣。その中心で座り込む弟弟は主である雰囲気を出しながら、全てを失った王を思わせる勢いで泣き喚いている。
「
――
ぁあ」
この子の名を呼ぼうとした。喉の奥で引っかかってしまう。舌打ちをして、出来るだけ優しい表情を張り付けてみせる。
「ホンル。哥哥はここにいる」
「哥哥、哥哥! 僕を置いていかないで!」
全体重をかけてバオユだった人間が
――
ホンルが飛びついた。重たい。空っぽの胃と腸が綺麗にへこむ。肺に溜まっていた空気は鼻から抜ける。間抜けた顔は浮かべない。少なくともホンルの前では狼狽えもしないと決めている。ただこの衝撃は非常に重苦しい。気にもせずホンルは涙を流し続ける。嗚呼、とジア・ファンは真っ白な天井を睨んだ。この苦痛は
……
大罪と呼ばれる存在と模擬戦闘でも得たと思い返す。非常に不愉快だったので必要以上に力を振るってしまった。あれは実にみっともなかった、などと、らしくもない振り返りをする最中。胸中のホンルは眠ろうとしだした。静かになったし深くなる吐息で分かるものだ。問答無用でこの弟弟を投げ捨てたジア・ファンは片手で口元を隠す。苛立ちをホンル
――
心が壊れてしまった、いや、心を壊してしまった愚かで愛らしい弟弟
――
に見られたら喚かれる。
「バオ
……
ホンル。哥哥の服がこんなにも散らかっているが? 箪笥の中に虫でも見つけたのか?」
潤んだ瞳で伺うので、柔らかい頬に平手でも打ちかけた。拳を解き、クセのせいでよく跳ねる髪を撫でた。
「あのね、あのね哥哥。あの窓が怖くって
……
哥哥を捜そうと思ったんだけど
……
」
謝罪は、なし。
こんな風に育てた覚えなど無い。眉間に力がこもる。咳払いと共に刻み込んだ力を拭う。ホンルはというと怯えた様子で「窓」を指す。あれの存在は把握していたがジア・ファンはまだ使っていない。本当の所、あの窓は破棄される予定の研究物だった。それをどうしてか、ホンルはジア・ファンの同僚の元に居る青年より譲り受けている。ヘルマン理事に許諾は受けた。但し、副作用の結果と弟の精神ケアはジア・ファンに託された。
「ほう。ホンルは幻想を信じるのか? 水面に映る姿はまやかしにすぎないだろうに。それとも、自分がどちらに居るのかも分からなくなるほど、逃避が心地良いのか?」
ホンルはまたしても大粒の涙を浮かばせる。服が濡らされるのは御免だ。躱しながらこっそりと窓に鍵をかけ、小さな黄金色のそれを腰に掛ける。意地の悪い哥哥だと分かっていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい哥哥」
許しを請いながら彼は、ジア・ファンに口を奪われていた。兄弟の呼吸が止まる。二人の空間だけが切り取られた錯覚すらもホンルが感じ取る。
この瞬間はジア・ファンにとって至福である。組み敷く高揚感が溢れるのだ。が、考え通りの事態が起きた。さっきまで目元を赤くし泣くのだから鼻が詰まっており、口呼吸をしていた。くぐもった声でホンルは喘ぐ。こういう場面でこそ突き飛ばせばいいのに、彼はただ、息苦しいと唇の合間で噎せる。肩も上下させるのが面白く抱き留めても拒絶はしない。角度を変えて数秒の息を啜る。咳き込もうが、埋める。吸う。奪い去る。
「ふっ
……
は、ははっ
……
」
唾液を拭い、飲み込む。桃のように甘い。安物のジュースの味だ。不快に反吐を堪えつつジア・ファンは笑みを張り付ける。深く口づけをすれば哥哥は機嫌が良くなると刷り込ませるため。彼の眼前で惚けるホンルはぽけーっと口を開いたまま。酸素濃度が低下した故に判断力は鈍っているのに、ジア・ファンとの口接は強烈な刺激として残る。感覚がおかしくなっていた。少なくともホンルにとって甘美な罰で褒美。何度も似た行いを重ねているが決して、この褒美は麻痺しない。だからといって、わざと罰が下される行為はやらなかった。
ジア・ファンも分っている。きっかけはずっと昔。死なない程度に首を絞めた後、他の誰よりもお前が愛しく大切だと全身を愛でた。嫌がらせの筈だったのにホンル
――
バオユは付けられた傷を「自分は哥哥に愛されている」と思い込んで治してしまった。
瘡蓋を剥がしては、膿ませて、痛みに泣いて、腐りきる寸前に治療という愛撫を重ねられる。
それは嫌なものをわざわざ見に行くのと、少しだけ似ていた。
「愚かしい弟弟。君はずうっと哥哥の傍にいておくれ」
呪詛を脳に刻み込む。甘ったるい飴でコーティングされた言葉はあっという間に溶けて、染み込む。もちろん、ジア・ファンにも。吐き出したせいで喉は血みどろの痛みと、かつての喪失を裏切ってはいないかと己が問いかける。
甘美な毒が回る。
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