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やまだ
2026-05-11 15:42:05
2963文字
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無双オリジンズ
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夏侯惇と無名のちょっとした戦闘行動についての話 惇紫かも
鶏鳴に始まった戦闘は完全に夜が明けきる前に終わった。もちろん無名たち曹操麾下の勝利だ。
黄巾の残党が山賊を吸収して大規模な集団になろうとしていたところを、軍師たちの指示による奇襲攻撃で刈り取ったのだ。奇襲であるからには数を絞らなければならず、夏侯惇の騎馬隊二百が山中にひそむ八百近い集団へ死角から襲いかかる様子は小刀で布を裂くようだった。無名はそれを、黄巾の妖術が詰めこまれた大壺を叩き壊した櫓の上から眺めていたのだった。
「無名」
暗闇に難儀しつつ後始末に追われるさなか、てっきり馬上にいるものと思っていた人物の声が地上から聞こえる。驚きで勢いよく首を巡らせた無名の肩にずしりとたくましい腕が回された。
「元譲殿? 何か
……
」
「でかした。おまえの眼に今回も助けられたな。助かったぞ」
無名は黙って瞬いた。
機嫌よく笑う隻眼の男を窺い、寄りかかってくる体重に姿勢を崩しかけ、しかし負けじと背筋を伸ばす。
「役に立ててよかった。
……
ところで元譲殿、少し気になる点がある。このまま話をさせてもらってもいいだろうか」
「構わんぞ。では奥へ行くか」
捕虜の整理や武器拾いに忙しい兵たちをさりげなく見渡してから、夏侯惇に体を寄せて同じ方向へ歩き出した。無名が声を抑えれば、兵たちは勝手に深刻な話をしているのだと勘違いしてくれる。
「この程度なら俺だけで構わなかったのに。歩けるか」
この距離だからこそ、夏侯惇の額に浮かぶ脂汗が見える。先般の戦闘で左目を失ったばかりの彼は本来ならまだまだ療養しているべき人なのだと、無名の友人で腕利きの医者でもある元化が嘆いていたのをふと思い出した。きりりと黒革の眼帯を巻いて政務も軍務も変わらず精力的にこなしているように見えたから、医者の見立てをすっかり頭から掃き出してしまっていた。
「少し降ったところに倒木がある。そこに向かうぞ」
櫓から見えていた地形を虚空に思い浮かべ、兵たちの目から隠れられる場所を挙げる。うむ、と唸るように返事をした夏侯惇の体は甲や武器のせいで非常に重く、提案した側の無名こそがくじけそうな道のりだった。ふたりぶん以上の重みが一歩ごとにふかぶかとした足跡を生む。
「元譲殿、もしそのほうが楽なのであれば目を閉じていても構わない。不安かもしれないが、絶対に支えている」
無名はおのれが短躯であると思ったことはないし、華奢だなんだと自認することもない。だが戦場を駆け回り状況を乱すのが本分の無名と、正面からぶつかってくる力を受け止め叩き伏せることに慣れた夏侯惇たち歴戦の武将ではどうしても体の造りから違う。馬を担いで歩くようだった。しかもこの馬は曹操と彼の進む覇道をその背に乗せている。何があっても地に転がすわけにはいかないのだ。
「もう閉じている」
「そうか」
ちっ、と、普段の夏侯惇ならば決して無名に聞かせない類いの舌打ちが至近でするどく響く。
「情けない。これしきの山駆けで傷がうずくなど」
「情けなくなどない。あなたの指揮を上から見ていたが、見事なものだった」
ようよう辿りついた倒木の陰で夏侯惇を慎重に座らせる。炬火も届かぬ暗闇でふん、と鼻で返事をして黙ってしまった彼に、懐から取り出した薬草を噛ませた。元化に持たされていたものだ。
「痛みを鎮めてくれるらしい。しばらく奥歯で挟んでいてくれ」
「らしい、とはなんだ」
「自分で使ったことがまだない」
胡乱な目線を向けられた気がしたが、それでも夏侯惇は薬草を吐き出そうとはしなかった。じっと動かない影の横に無名もいそいそと腰を下ろす。情けないと自嘲したいのは無名のほうで、ここまで夏侯惇を支えただけで背中とふくらはぎが攣りそうだった。口の中で極力静かに呼吸を整える。
「おまえがいて助かったわ。礼を言う」
「ここはやはり来るべきではなかったと言うものではないのか。また完治が遠のくぞ元譲殿」
本来なら無名が百の歩兵を連れて集団の首領を暗殺するはずだった。どこからかそれを聞きつけた夏侯惇がこういうものは早めに根こそぎ潰しておくほうがよいと言い、そのまま騎兵を揃えてしまったのだ。おかげで行軍も戦闘も、予定の半分以下の時間で片がついた。
そしてその負担のすべてが夏侯惇の左目にのしかかっている。
「もう傷は塞がっているのだ。徐々に慣らしていかねばなるまい」
「山を駆け下って戦闘するのは、おそらく徐々にとは言わないのではないだろうか」
徐々に、無名の目が暗闇に慣れてきた。顔を背けて顎髭をさする夏侯惇の横顔がぼんやりと見える。
「無茶をしないでくれ惇兄。心配する」
ほかのどんな猛将知将が斃れるよりも、この人ひとりが欠ける瞬間こそが曹操の道が絶たれるときだろう。曹操がこの中華で誰よりも信頼している男こそ夏侯惇で、本人もそれをよくよく理解しているはずなのだ。なぜ今回これほどまでの軽挙妄動に走ってしまったのか不思議でたまらない。
穴のひとつも開かぬものかと、目を凝らしじっと横顔を見つめる無名の視線がさすがに耐えがたかったらしい。太く長い溜め息をついた夏侯惇の拳が無名の額をごつりと押した。
「無茶はするなと言ったな」
「言った。俺にはあなたの苦痛を肩代わりはできないから」
「心配するとも言ったな」
「言った。あなたは殿の股肱だ。何かあっても、あなたの代わりになる人間はどこにもいない」
真剣に答える無名の額に、拳骨がより深くめり込んだ。仰け反ったところに夏侯惇の気の抜けた声がする。
「そっくりそのまま、全ておまえにもかかる言葉だとなぜわからぬ。おまえの自己評価はどうなっているのだ」
拳越しに夏侯惇の輪郭が辿れるようになっている。木々の隙間から覗く空が僅かに明るいような気がした。
「おい。目を逸らすな」
「
……
そんなことはない。惇兄が拳骨で押すせいだ」
「減らず口を」
ぐっ、と押されて上向く視界がほの青い。本来ならまだ行軍中のはずだった。
「無名よ」
負傷を押して兵を起こした人のおかげでこうしてのんきに空を眺めていられることくらいは、さすがに無名も理解している。
「あまり軽率に軍師どもの口車に乗るな。できぬならできぬとはっきり告げてやれ」
「できないわけではない」
「俺が心配をする」
「は
……
」
ぐるりと下を見る。夏侯惇の右目が静かに無名を待っていた。
「俺が心配をする。次からおまえへの任務は必ず俺を通させるようにするから覚えておけ」
「それは
……
元譲殿の仕事が増えるだろう」
「おまえが減るよりよほど良かろうが」
阿呆め、と小突いて重い拳が離れていく。無名はそれを追いかけるようにゆるゆると俯いた。もう足下の腐葉土も下草もはっきり見える。夜が明ける。
「なんだ。おまえでも照れることがあるのか」
夏侯惇のにやっと笑う顔も無名の視界に明瞭だ。だから無名がかぶりを振ったことも、夏侯惇からはよく見えるだろう。
「照れてはいない。惇兄にそう言ってもらったことが嬉しかったので、忘れないようにしようと噛み締めていた」
心からの謝意であったのに、夏侯惇は向こうを向いてしまった。その耳が何色であるかは、もう少し明るくなってから確かめるしかなさそうだ。
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