ふうすい
2026-05-10 21:51:51
11550文字
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【ゼロリナ小説】〇〇〇したい魔族の話

2026/5/6 SCCで頒布したゼロリナ小説本の全文です
通販→ https://husui-parashi.booth.pm/items/8340050

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「お散歩ですか?」
——いいえ——
 あなたを待ってたのよ。ゼロス」

 人間の少女が、ゼロスの正体に気づいていたことを告げてきたのは、彼女ら一行がヴェゼンディ・シティでの厄介ごとを片付けた後のことだった。
 ゼロスは魔族である。ほぼ完璧に人間に擬態しているが、その肉体は仮初めのもの。本体を精神世界面《アストラルサイド》に置く、世界の滅びを願う精神生命体だ。
 今回はとある任務のために、やや強引に彼女——リナの旅の道連れとなっていたのだが……
「まさか、出会って間もない内に気づかれていたとはねぇ」
 深夜の密会の後、少女と別れて独りごちる。
 リナ=インバース。普通の人間ではない、面白い存在。
 ゼロスの中で何かが引っかかっていた。
 ——なんでしょうね……これは。
 もやもやとした気持ちを抱えながら宿の自室に戻り、ベッドに横たわる。
 睡眠を必要としない魔族にとって、この行為に特に意味はない。深夜から朝にかけて、最近ではリナの寝顔を精神世界面《アストラルサイド》から眺めるのが日課となっていた(リナを護り導くという任務のためである。誤解なきよう)が、今夜は違和感が気になり思いを巡らせていた。
 リナとの会話をひとつひとつ思い出す。
 その中で浮かぶのは、先日の印象深いやり取りだった。


「そういえば、リナさんは気にならないんですか?」
「なにが?」
「僕があなたに同行する理由です」
 ヴェゼンディ・シティへ向かう旅路の途中の昼下がり、とある食堂で二人は向かい合って席につき、注文が来るのを待っていた。
 天気の話から魔術の話まで、様々な雑談をする中で、ゼロスはなんとなく浮かんだ疑問を口に出す。
「だって、秘密なんでしょ? それともあたしにだけは教えてくれるとか?」
 きょとんとした様子で、大きな瞳を瞬かせて返す少女。
 ゼロスは苦笑した。
「お教えはできませんけどね」
「でしょ?」
 リナの反応はあっけらかんとしていて、ゼロスの望む反応ではない。どう話を持っていこうかと思案していると……
「もし、旅のお方。
 魔道士殿と神官殿とお見受けします」
 男に声をかけられた。一言聞いただけでわかる、面倒な仕事を頼もうとしている口調である。
 少女は一瞥して
「あー、悪いけどパス」
 案の定、話をばっさり斬って断った。
「なっ……!? ま、まだ何も言ってませんが……!?」
「あたしたち、こう見えて急ぎの用があるのよ」
 普段なら路銀を稼ぐために話ぐらい聞いただろうが、今はヴェゼンディ・シティに人質がいるような状況である。悠長に依頼をこなしている猶予があるかはわからない。
 ゼロスとしても断るのは賛成である。あまりノロノロ滞在されても困るし、何より——
「せ、せめて! せめて話だけでも聞いていただけませんかっ!?
 お食事しながら聞き流すだけでも構いませんからっっ!」
「しつこい! 話だけ聞かせて『あー満足した!』なんて言う依頼人、今まで見たことないんだから!」
「話してみないとわからないじゃないですか!」
 よほど困っているのか、しつこく食い下がる男。
 そこへ、
「あのー。
 見てわかりませんか? 無粋な方ですね」
 静かでありつつも、強い口調の声が響いた。
 リナも男も、思わず声の主……ゼロスに目を向ける。
 ここで再確認しておくと……
 最初にリナと話していたのは、ゼロスである。
 リナが話したい相手もまた、同じである。
 この状況は、黒衣の魔族にとっても面白くなかった。
 ゼロスはテーブルの上にあったリナの手に、少し乱暴に自分の手を重ね、握る。
「ふぇっ!?」
 思いがけない行動に、彼女は小さく声を漏らした。
「この通り、僕たち『忙しい』ので。
 他をあたっていただけますか」

……びっくりした……
 あんた、あんなことも言えるのね」
 男が『こちらとしても色ボケカップルに頼むのは不安が……』などと言って諦めて去っていった後、リナは俯きながら呟く。
 依頼人の姿が消えるまで彼女の手を解放しなかったせいか、その頬はまだ赤かった。
 リナのこういう反応は、ゼロスを愉快な気分にさせる。
「効果てき面だったでしょう?」
「『急ぎの用』とか、絶対誤解されたと思うけど……まぁ、ありがと」
 口の中でごにょごにょぼやきつつ一応礼を言う。こういう律儀なところもゼロスは割と気に入っていた。
「誤解といえば……
 リナさんは、誤解しなかったんですか?」
「ん?」
「僕がリナさんに惚れたから同行を迫ったんだって。普通はそう見えるんじゃないでしょうか」
 少女は困惑して一瞬言葉を詰まらせる。
……実際、違ったんでしょ? 誤解って自分で言ってるじゃない」
「同行する理由はね。それとは別に、本当は……
 向かいに手を伸ばして、彼女の柔らかい唇を指でつんと突く。
「あなたに惚れている、と言ったらどうします?」
 そのまま指を少しずらしてやると、慌ててリナが顔を離す。
「じょ、冗談やめなさいってば。そんなわけないでしょ」
 そう言い捨てるリナの様子をクスクス笑いながら、触れた指を自分の唇に押し当てた。
 それを見た彼女は、これまでにないほど赤面するのだった。


「じゃあ、あの時も気づいてたってことじゃないですか!!」
 深夜の宿の一室で、ゼロスは思わず叫んでいた。
 すると隣の部屋に面した壁からドンッと抗議の音が鳴る。黙れ、という文句の代わりに拳で叩いてきたのだ。ちなみに隣はゼルガディスの部屋である。
 黒衣の魔族は意に介さず思考を走らせる。
 相手を人間の男性と思い込んで照れるのはわかる。しかし、相手が魔族と知っていて普通に会話をし、あろうことか照れる、というのは話が大きく変わってくる。
 しかもリナは、魔族をあらゆる生物の敵だと、正しく認識しているのだ。
 この時ゼロスの中の、魔族にとっても人間にとってもよくないものに火がついた。

 リナと、人間の恋人同士のようなことをしてみたい。
 俗に言う『愛し合う』行為をしてみたら、リナはどう反応するのか。気になって仕方がなくなった。
 行為のやり方はわかっている。肉体的な接触に興味を持つなど生まれて初めてのことではある——からかって赤面を楽しむなどという趣味もリナ相手限定である——が、永い年月、人間の営みを観察してきたゼロスにとって、真似ることはたやすい。
 加えて言うと、冥王からリナを護るよう命令はされたが、肉体関係を持つなとは言われていない(当たり前)。障害は何も無かった。
 リナを限界まで責め立てて、甘い声を上げさせてみたい。その自信もある。問題はその状況にどう持っていくかであるが——
 街道を往く中、そんなことを考えながら、前を歩くリナの後ろ姿をじーっと見ていた。
 すると視線を感じたのか、その背が振り返る。
 彼女は困ったような、怒ったような戸惑いの感情と共にこう告げた。
……なんか、目つきがいやらしい」
 ——勘が鋭過ぎるのもどうかと思いますよ。
 はぐらかそうかとも思ったが、ここは意識してもらう方が都合がいいと思い直す。彼女はゼロスを嫌っていないのだから。
 リナの仲間には聞こえないよう、距離をつめて小声で話しかける。
「お気になさらず。
 仕事とは関係なく、リナさんの身体に興味があっただけですから」
「なっ、ちょっと、どーいう意味よ!?」
 まさか本当にいやらしい目を向けられていたとは思わなかったらしく、慌てて問いただすリナ。つられたのか小声で言うところもゼロスは好ましく感じた。
「知りたいですか?」
…………
 逆に聞き返してやると、不穏なものを感じたらしく、押し黙る。
「まあ一方的なのもフェアじゃありませんから、僕のことも存分に見ていいですよ」
「何を言ってんのよ、何を」
 また変なこと言って……と言いたげな様子でぼやく彼女に、少し顔を近づけ囁く。
「興味ありませんか、僕の身体?」
 意表を突く返しに、リナは、へ? と間の抜けた声を出した後、一拍置いて顔を背けた。
 一瞬のことだったが、耳まで紅潮させていたのを見逃すゼロスではない。
「興味ないわよっ。……あ、あると言えばあるけど、その、生物的にであって、そーゆー意味じゃないんだから」
「そーゆー意味とは?」
「やかましいっ!
 ……ホントに何なのよ。あんた、出会った頃はそんなキャラじゃなかったじゃない」
 さすがにいつもと何かが違うと勘づいたのか、責めるように呟くリナ。
「はて、そうですか?
 僕はずっと、正体不明の好青年のままですよ」
「『好』だったことはないわよ」
 間髪入れずに突っ込まれる。
 彼女らしい反応に笑いながら、ゼロスは次の手を考えるのだった。


 確かに、リナに触れてみたいのは単なる興味ではある。
 しかし、面白半分というわけではない。それぐらい真剣だった。
 残された時間が少ない、というのもある。
 冥王の計画が成功するにせよ失敗するにせよ、おそらくリナは死ぬだろう。
 そしてゼロス自身も彼女を護る際、魔族同士の戦いで滅ぶ可能性があり、そうでなくとも計画が成功すれば世界ごと滅ぶ運命である。
 今しか無いのだ。タイミングは。


 リナとの関係を進めるために、ゼロスは彼の意思を複数のゼロスに見立て、精神内会議を始めることにした。
 何を言ってるのかよくわからないと思うが、要するに自己対話による思考の整理である。
「お酒か魔法で眠らせて、その隙に……で行きましょう」
 彼の中で人間の模倣を担当する部分、つまりゼロス(人間側)と言える意思が発言する。
「え、えーと……
 意識のない相手とするのって、虚しくありませんか?」
 ゼロス(魔族側)が引き気味に問う。
 人間側に思考の寄ったゼロスは『そうですかぁ?』と少し考えて、
「じゃあですねー、意識がない状態の時に拘束して、起きた後……
 先ほどと大差ない提案をするゼロス(人間側)に、ゼロス(魔族側)はさすがに苛立ちの声を上げた。
「強硬手段から離れてくださいっ。
 無理矢理ならそもそも、そんな小細工に頼る必要ありませんし……
 合意の上でないと意味がないじゃないですか」
「はあ」
 ゼロス(魔族側)は改めて自分の気持ちを整理して、言葉にしていく。
「人間は魔族を嫌悪するもの。嫌悪しなくてはいけないもの、ですが——
 リナさんは魔族の思想や危険性を認識していながらも、僕個人のことは嫌っていない。それが重要なんです。
 ですから彼女には……嫌われるとわかりきっていることは、したくないんですよね」
 静かに述べる。
 逆に言えば『嫌われるかわからないならやる』ということなのだが、この時はリナにとって幸いなことに、嫌われるだろうという判断に固まっていた。
「一度既成事実を作っちゃえば、従順になると思いますけどねぇ。
 リナさんチョロそうですし」
 割と最低な意見を言うゼロス(人間側)に『一理ある』と思いつつも、ゼロス(魔族側)は決然と却下する。
「やはり優先順位から言って、無いですね」
 リナとのコミュニケーションは気に入っているのだ。むざむざその機会を捨てるくらいなら、振られた方がマシである。
 彼が見たいのは、戸惑いながらも受け入れる彼女の姿であり、ゼロスを見なくなった彼女ではない。
 相手が魔族であっても必要以上に物怖じせず、媚びへつらうわけでもなく、積極的に会話をしようとする、リナのそういうところが好きなのだ。

 略すと、リナが好きだ。


 会議でも妙案は出てこない。苦慮したゼロスは、人間側との折衷案として、自分が酔いつぶれることにした。

「あんた呑み過ぎだよ、神官さん」
「うー……ほぉっといてくらはい……
 夜、酒場のカウンターに突っ伏す黒髪の神官に、心配半分、迷惑半分でマスターが声をかける。
 周りの客も、そのあまりの典型的泥酔ぶりにチラチラと視線を送っていた。
「なんか嫌なことでもあったのかい?」
……りなさん……
「リナ?」
「りなさんはぁ、僕の気持ちなんてぜんっぜんわかってくれないんです!」
「あー、そっかそっか」
 出てきた名前から、女絡みかと察するマスター。
「いいから水飲んで帰んな。リナさんとやらも心配するだろ」
「ちょっと、あんた何してんの!?」
 突如、少女の声が酒場に響いた。
 ゼロスは振り向き、でれりと笑顔を向ける。
 その先には驚きの表情で立ち尽くす、リナ=インバースその人がいた。
「おや、りなさん、奇遇ですねー」
「お嬢さんがリナさんか。いらっしゃい」
 マスターは内心、リナが予想よりかなり若い女性だったので驚いたが、通常の客と同様に迎え入れた。
 リナはいつもの魔道士装備を解いており、これから帰って寝る、というかんじの軽装である。
「僕のこと探しに来てくれたんですかぁ?」
「二階が宿なんだから、部屋に戻るところで偶然気づいただけよ……
 じゃなくて、これ、何の真似よ? ……あなたが酔っぱらうわけないでしょう」
 近づいて小声で言いながら、魔族なんだから、と言外に続ける。
「僕だって酔いたくなることぐらいありますよぉ。
 とゆーわけで、一緒にいかがです?」
「何が『とゆーわけ』なのよ」
「せっかくですから、呑んだり喋ったりしましょうよ〜。ダメですか?」
「あんたねぇ……
 彼女は非常に帰りたそうにしていたが……迷った末に、ゼロスの隣の席についた。
 少しでも情報が欲しい時だからだろう。会話の機会はあった方がいいと考えたのだ。全くリナらしい。
 ……それだけではなく、リナもまた、自分との会話を少なからず楽しんでくれているとは思うのだが……と彼は思う。
「言っとくけどお酒は呑まないわよ。寝る前だからジュースとかもちょっとね」
「じゃあお水はどうですか? これ、ちょうど飲んでないので、どーぞ」
 ゼロスはマスターが気を利かせて注いでくれた水をリナに渡す。
 彼女はへろへろの魔族を訝しがりながらも、グラスを口に運んだ。
……ああ、飲んではいませんけど、口はつけた気がしますねぇ。
 間接キスになっちゃいましたかね?」
「っ……!!」
 自身の唇を人差し指でトンと叩きながら言うゼロスに、思わず水を吹き出しそうになるリナ。
 すんでのところでこらえ、いつものニコニコ顔よりだらしない笑顔をした黒衣の神官を睨みつけた。
「何がしたいのよあんたは!」
「おやあ、顔が赤いですよリナさん? それ、お水じゃなくてお酒でしたかぁ?」
「お、ま、え、な、ぁ〜」
 神官の襟首を掴んで揺さぶる少女を見て、マスターは苦笑した。男のさっきの悩みぶりはなんだったのか。脈が無いようには全く見えない。
……ん? あれ?」
 すると突然、リナが動きを止めた。
「あんたって、お酒よく呑むの?」
「今夜は特別です。進んでは呑みませんねぇ」
「ふーん、そう」
 答えを聞いた途端、ゼロスから手と目を離し、話は終わったとばかりに無言になる。
「リナさーん? どうしたんですかぁ?」
 急に話を打ち切られた側としては気になってしまう。彼女の視界に身を乗り出し、カウンターテーブルにコテンと頭を置いて問いかけた。
「別に、何でもないわよ」
 ゼロスのおでこをぺち、と軽く叩いて話を切り上げようとする彼女だが、絡みモードになった彼はそんなことでは諦めない。
「リーナーさーんー?」
……
「おーい、リナさーん? 聞こえてますかー?」
 呼びかけながら、彼女の目の前で手をひらひらと振ってみる。
……あーもう……
 観念したリナは、こそりと呟いた。
……あんた、お酒臭くならないのね」
「はい?」
「で、思ったんだけど、人間がお酒臭くなるのは、お酒を消化する時に特有の成分が出るからなのかなって。こーゆーのは専門外だから、半分勘だけど」
「ふむふむ。臓器が無いなら臭いも発生しないと」
 色気もクソも無い会話だが、リナのこういう話を聞くのも好きなので、興味深く頷く。
……やっぱ無いんだ、臓器……
 あんたがお酒を呑まないのって、そういう理由? 正体がバレるから?」
「ふむ?」
 …………
 やや長い間が空く。
「ちょっと、何か言ってよ」
「はあ。まあ違いますけど」
「違うんかいっ」
 がっくりと肩を落とす少女。
「でも面白いお話でしたよぉ。さすがリナさん」
「褒めてないでしょーが」
 褒めるというより恋人を甘やかすような手つきで少女の頭を撫でてやると、抗議めいた目で睨まれる。しかし抵抗されないところを見ると、嫌ではないようだった。
 ふてくされながら水を一口こくりと飲むリナ。間接うんぬんは気にしないことにしたようである。
「褒めてますってー。状態異常って確かに真似るの面倒ですし。おっしゃるように、ある程度の指標にはなると思いますよぉ。
 酒場でクダを巻くような魔族が、僕以外にいればですけど」
 お互いにしか聞こえない程度の小声で話し合う。
……そこよねぇ……
 じゃあ、あんたが呑まないのは、ただの気分?」
 彼女の言葉に、よくぞ聞いてくれましたとでも言うように、得意げに鼻を鳴らした。カウンターテーブルにだらしなくもたれながら。
「例えばですねぇ? お酒の席でふつーに呑む男より……
 お酒を呑めないわけでもないのに、なぜか呑まない男の方が、ミステリアスじゃないですかぁ!」
「そうかなぁ……?」
 リナがぼそりと突っ込む。頬をテーブルにつけてふわふわと語るゼロスからは、少なくともミステリアスのミの字も感じられない、とその目が語っていた。
「そーだ、一応お聞きしたいんですけど……
 お酒臭いのって、やっぱりお嫌いですよね?」
 唐突に質問され、意図を掴めないリナは取り敢えず頷く。
「そりゃあね。好きな奴の方が少ないでしょーよ」
「そうですよねぇ。
 ——よかったです」
 彼の言葉に少女は、え? と不思議そうな表情をする。
 その反応が微笑ましく、ゼロスは目を離せなかった。しばし見つめ合う。
 もしかして今なら——と、彼女に顔を近づけてみた。
 やがて居心地悪そうに視線をうろつかせて、顔を逸らしたのはリナの方だった。
……もう気は済んだでしょう。あたし寝るから」
 いい雰囲気になったのに、急に席を立とうとする。頬が赤いのはゼロスの気のせいではない。明らかに逃げようとしていた。
「待ってください」
 くん、とリナの手を掴む。
「ななっ……なによっ」
「僕、こんな有様じゃないですかぁ。一人にするんですか?」
「は?」
 言うか早いか、酒代をテーブルに置いて立ち上がる。リナの手を掴んだまま。そして——
「リナさん、僕の部屋まで送ってくださぁい」
 ほとんど抱きつかれるような体勢で支えにされ、彼女は慌てた。
「ちょっ……ちょっと、なにふざけてんのよ……!」
 少し暴れた程度ではこの魔族は離れない。そればかりか、抵抗するほど酒場中の視線を集めてしまう。
「もーっ、仕方ないわね! 行くわよ!」
 ゼロスを伴い、やりづらそうに歩き出すリナ。彼もついていきながら、その細い肩をしっかりと抱いた。
 マスターと客たちは一階を後にする二人の背を眺め、こう確信するのだった。『あの子、今夜食われるな』と。

「もう誰も見てないんだから、一人で歩きなさいよー」
「んー、すぐそこですからー」
 一階で借りた手持ちの燭台を手にして、男を支えながら廊下を歩くリナ。とは言え本気で体重をかけられているわけではなく、足取りはそこまで重くなかった。
 ただじゃれつかれているだけ。その理由もわからない様子で、やっとたどり着いた彼の部屋のドアを開ける。
「ほら、着いたわよ」
 言って、部屋に備えつけられた燭台に火を移した。窓から差し込む月明かりと照明で、室内がぼんやりと照らされる。
 後は自室に戻るばかりの状態だが、ゼロスはまだ彼女を離さない。
……ちょっと、離して」
「ベッドまでつれてってください」
「バカ言わないの。どうしたってのよ。
 ふざけるにしたって……やってること、訳わかんないわよ」
「本当にわからないんですか?」
 一瞬だった。
 抱いていた肩を引き寄せ、いつまでもゼロスの気持ちに気付かないふりをする少女の、その唇を奪うまで。
ん、……!?」
 リナは反射的に、彼の腕に手を添える。拒みたいのか縋りたいのか、本人にも判然としないだろう。火のついた手燭があるもう片方の手は、少し揺れるだけだった。
 やや間を置いて唇を離したゼロスは、リナの瞳を見つめてこう言った。
……お嫌でしたか?」
 戸惑うばかりの少女は、つい、素直に返事をする。
……嫌じゃ、ないけど……
 それさえ聞ければ十分である。漆黒の魔族は噛みつくようにキスをした。
「んんっ……
 小柄な身体を壁に押しつけ、口内を貪る。
 拒絶されないところを見ると、『仕事とは関係なく、あなたの身体に興味がある』というあのセリフを信じてくれたようである。
 緩んでいたリナの手から燭台を奪うと、影に塗り潰されたように、その火はフッと消えた。
「っん、ンっ……んん……
 塞がれた口から、微かな甘い声が漏れる。
 徐々にリナの身体から力が抜けるのを確認して、男は唇を解放した。
 一旦少女の身体から離れ、ドアを閉め、内鍵をかける。手燭は近くの棚に置いた。
 そして、困り切った様子で立ち尽くす彼女の手を掴んで、ベッドの方へ移動していく。
 シーツの上にリナを押し倒し、その脚の間に体を割り込ませた。
「あっ……ちょ、ちょっと待って……
 揺れる声を聞き流し、片脚ずつ持ち上げ、ブーツを脱がせる。
「こ、こういうのは、もっと、お互いの気持ちを確かめ合ってから……
「もう明らかじゃないですか」
 魔族は負の感情に敏感なのだ。リナから感じるのは羞恥とわずかな不安だけで、嫌悪が全くないことはわかっていた。
 ゼロスは彼女の襟をゆるめて、前を開けようとして——首に下げられた呪符《タリスマン》に触れた。
 ついこの間までゼロスが身につけていた、リナと出会ってからは、彼女の所有物となった物。
 はめ込まれた石は赤く、情熱的な彼女によく似合っている。彼はそう感じていた。
……これ、リナさんの方が似合ってますね」
 呪符《タリスマン》を指でいじりながら呟くと、
「あたしは……あんたの方が似合ってたと思うけど……
 小さな呟きが返ってくる。
 視線を上げると、焦点の定まらない、けれどゼロスを確かに映している瞳と目が合った。
 突如湧き上がった謎の衝動に従い、顔を寄せて口づける。
 今度は彼女の舌が応えてきた。そして、おずおずと手が背中に回される。
 ゼロスはリナを利用しようとしている立場で、彼女もそれを知っていながら、生きるために従うしかない状況だ。いつ敵同士になるかも知れない、相容れない存在。
 しかし、それとは関係なく惹かれ合った。
 彼女は戸惑いながらも、健気にゼロスを受け入れようとしてくれている。それが彼を歓喜させる。
 駆け引きのことなど、もう彼の思考の中には無かった。
 今はただ、リナが欲しい。
 口内を犯しながら、呪符《タリスマン》を外し、服をはだけさせ、彼女の肌を夜の空気に晒していく。
 その手は胸を伝って腹に降り、ベルトを引き抜き、腰の呪符ごと取り去った。
 そして、そのまま下腹部に……
「ん、!」
 少女の身体が跳ねる。
 不慣れな行為にまだ抵抗があるのか、身をよじろうとするのを、彼が上から押さえ込もうとした、その時。
——!」
 ゼロスは急いで顔を離し、彼女の顔を見て——
……リナさん?」
 呆然と呟いた。
 視線の先には、震えて涙をこぼすリナの姿があった。
 途端、彼女から噴き出す恐怖。
 リナが怯えて、泣いていた。
「えっ……ちょっと、なんで泣くんですか!?」
 どうしたらいいのわからず、彼女の濡れる頬に手を添える。
 ほんの数秒前までは、全く嫌がっていなかった。同じ気持ちだったはずである。
 これではまるで……無理矢理襲って、魔族にとっての食事——負の感情を貪っているようではないか。
「あ、れ……? あたし……、なんで……
 リナもまた、自らの頬をなぞり、濡れた手を呆然と眺める。
 触れている身体の震えが止まらないのに気付いて、ゼロスはベッドから降りた。ひとまず疑わしい要因を取り除いて、落ち着いてもらう必要がある。要因とはこの場合、ゼロス本人のことだった。
 ベッドの影に隠れるように、床にしゃがんで、ひょこんと目をのぞかせる。
 その状態でしばらく様子をうかがっていると、彼女は次第に平静を取り戻していった。
 ——つまり……彼女を怯えさせていたのは…………
……僕のこと、嫌いになっちゃいました……?」
 小さな声で呟く。ゼロス自身でも驚くほど沈んだ響きだった。
 叱られた子どものようなその言動がおかしかったのか、リナは困ったように笑う。
……魔族のくせに、何言ってんのよ」
「それとこれとは別の話じゃないですか」
……そうね……
 嫌ってはいないわよ。
 ただ、ちょっと……時間が欲しいなって。心の準備ができるまで……
 魔族は立ち上がって、少女の瞳を見つめる。
 リナの言い分は理解できる。彼女が言っているのは一日や二日ではないだろう。
 気持ちの上では、必要だというなら数年待ってもいいとゼロスは思っていた。齢千年を越す彼にとっては大した長さではない。しかし——
「それは……いつまでですか」
 時間が無いのだ。自分たちには。
……あんた……
 いつになく余裕のない彼の言葉に、リナは目を見開いて、息を吞んだ。
 彼女は時折、ゼロスさえも驚かせる勘の冴えを見せる。
「そう——わかった。なんでそんなに焦るのか。
 あんた……あたしがもうすぐ死ぬと思ってるんでしょう」
 ——そういうところも気に入っているのだ。
 言い当てられたゼロスは口を閉ざす。
「悪いけど、あたし死ぬつもり無いわよ。
 あんた達が何を企んでいようと、生き延びるんだから」
「だから待て、と?」
「そうよ。
 だから、あんたも死なないこと」
 まだ濡れたまつ毛で、彼女は笑って言い放った。
 リナが言っていることは、つまり冥王の計画の失敗を意味する。
 世界の滅びという魔族全体の願いの成就を遠のかせる。そういうことだ。
 まあ、計画が成功したからといって実現するかは、ゼロスも懐疑的なのだが。
「やれやれ」
 ため息をつきながらベッドに上がり、彼女の隣に寝そべる。そして……
「あっ、……こら」
 抗議の声を無視して、小柄な身体を抱きしめた。
 もう怯えは消えていた。
「今夜はこれで我慢します。せっかくですから、朝帰りぐらいしていってください」
「せっかくって何よ……このまま寝ろってこと?」
「寝なくてもいいですよ。朝まで話し相手になってくださいます? 僕、夜って正直暇で」
「寝るっ。寝るったら寝る!」
 リナが胸に顔を埋めてくるのを見て笑いながら、ゼロスは祈る。
 冥王の計画が失敗しますように——と。
 ただでさえ気に入らなかった計画であるが、かつて無い真摯さで祈った。
「リナさん、もう寝ちゃいました?」
 小声で訊きながら、栗色の髪を梳くように撫でる。
 ピクリと肩が震えた。もし薄暗い場所でなければ、髪の間から覗いている耳が紅潮しているのが見られただろう。
 しかし、返ってきた答えは……
「寝てる」
 色気も何も無い、子どもっぽい言葉だった。思わずゼロスは吹き出す。
 しかしながら、リナがこういう照れ隠しをするさまも好きなのだ。

 略すと、リナが好きだ。