第37回お題「天使」or「堕天使」

恋人未満の赤安。
世間で流行っている生成AIを搭載したチャットツール「エンジェル or ルシファー」
れいくんがAIにあかいさんのことを相談すると、「恋愛感情を抱いている可能性がある」と判定されて――

※れいくんがツンツンしています
※映画のネタバレはありません

 ――AIは時に、びっくりするような答えを人間に差し出す。

『あなたはその人に振り向いてほしいのではないですか?』

 画面に表示された文字を、降谷はそのまま受け入れることができなかった。


 巷で話題の生成AIを搭載したチャットツール、『エンジェルorルシファー』。
 喫茶ポアロでも、老若男女問わずこのツールを話題にしている客人が多い。
 今日は、新しい物好きの女子高生たちに、「安室さんは、エンジェルorルシファー使ったことある?」ときかれるほどだった。「聞いたことはあるけど、まだ使ったことはないよ」と答えると、「えっ! 絶対使った方がいいよ!」「私、ルシファーの回答が結構好きで、安室さんにも試してほしいな」「次、私たちが来るまでに感想聞かせてね!」などと、熱量高く勧められてしまった。
 最近では、警察内でもAIを導入する動きが活発で、降谷自身もAIを使うことが度々ある。もちろんまだまだ未熟なところはあるが、技術の進歩には日々驚かされるばかりだ。とはいえ、これはあくまで仕事での活用である。
 これを機に、仕事以外での活用も少し考えてみても楽しいのかもしれない。
 降谷は帰宅したあと、ノートパソコンに向かって、ブラウザを立ち上げた。検索窓に『エンジェルorルシファー』と打ち込むと、一番上にそのチャットツールが表示される。利用するには、アカウントが必要のようだ。当然、“足がつかない方法”でアカウントを作成し、ログインをする。
 画面中央には、『質問してみましょう』の文字とテキストを入力する場所がある。少し悩んで、『今日の晩御飯を考えてほしい』と打ち込んだ。すると、画面上にふたつの枠が現れる。左側がエンジェル、右側がルシファーの回答、という位置づけのようだ。
 左側には、いわゆる健康志向の夕食のレシピが表示される。右側には、カロリーは高そうだが食欲をそそるレシピが表示された。
 エンジェルは質問者にとってためになる真面目な回答を、ルシファーは質問者の本能を擽る回答をする、ということなのだろうか。
 それを確かめるために、降谷は他に質問したい内容がないかを思案する。相手は人間ではないので、率直な質問をするのも楽しいかもしれない。例えば、普段ずっと気になっていることなどだ。ふと、降谷の脳裏にある質問が思い浮かんだ。

『ある人物のことが頭から離れないんだが、どうしたらいいと思う?』

 気づけば文字を打ち込み、Enterキーを押していた。
 回答が返ってくるかと思いきや、画面の中央にこちらへの質問が表示される。
『その人のことをもっと詳しく教えてください』
 特定されないように、ある程度ぼかしながら、その人物の特徴や自分とのエピソードなどを書いて送信する。すると再び画面上にふたつの枠が現れた。
 エンジェルは『その人に対して今までどんな感情を抱いたことがあるか、出会ってから今までのことを思い出しながら、一度紙に書き出して、可視化することをおすすめします』と回答した。
 一方、ルシファーは『あなたはその人に振り向いてほしいのではないですか?』と、逆に質問をしてきた。
 まるで自分がその人物に夢中になっているとでも言いたいかのような言い方だ。
 それぞれの回答に対して返信できる仕様になっていたので、降谷はルシファーに向けての質問を送信した。
『どうしてそう思う?』
『今までのあなたの回答から、その人に恋愛感情を抱いている可能性があると判定しました』
「はっ?!」
 思わず声が出てしまう。いったいどこをどう解釈したら、そのような答えが導かれるというのか。
『いやいや、それは絶対にありえない。あいつに対して、恋愛感情なんてものがあるわけがない』
 相手はAIだというのに、ムキになって否定してしまった。誰かに見られるわけでもないのに、顔が熱くなる。
 解析中……と文字が出る。しばらくの間のあと、ルシファーからの返答があった。
『では、これから私の言うことを試してみませんか?』
 実に挑戦的な物言いだ。一般的なAIツールは、基本的には質問者に寄り添う回答をする。
 しかし、どうやらこのルシファーは、引き下がるつもりはないらしい。
 降谷は文字を打ち込んだ。自然とキーを叩く力が強くなる。
『ああ、受けて立つよ』
『次にその人に会ったとき、その人の手に触ってみてください。そして、そのときあなたがどんな感情を抱いたのか、相手がどんな反応をしたのかを教えてください』
『了解』
『では、健闘を祈ります』
 ちょうどそこで、入力する枠が閉じてしまう。質問の上限数に達したようだ。ある程度時間が経過しなければ、再度質問することができない。
 降谷は作戦を練ることにした。相手が普通の人であれば、手に触れることなど造作もない。しかし今回はそう簡単にはいかないだろう。
 なぜならば、その相手は――あの“赤井秀一”だからだ。


 翌日、午後一時過ぎ。降谷は喫煙室へと向かった。
 風見が聞いた話によると、昼食を取り終えた赤井がここに一服しに来ることがあるらしい。
 頻度としてはそう高くはないそうだが、赤井とふたりになれる絶好のチャンスだ。
 もし今日いなかったら、また別の日に来てみれば良い。そう思いながら喫煙室へ向かうと、運良く赤井の姿があった。
 赤井もこちらに気づいたようで、少し驚いたような顔をしている。降谷は構わず喫煙室の中へと入った。ぶわりと煙草の匂いが身体に纏わりつく。
「君がここ 喫煙室に来るとは、珍しいな」
「ちょうどあなたに訊きたいことがあったからです。他意はありません」
「訊きたいこと?」
「ええ。――あなた、腕相撲は得意ですか?」
……ん?」
「腕相撲です。アーム・レスリング! もしかして、やったことないんですか?」
「いや、やったことはあるが……急にどうしたんだ」
「今度、皆さんとの親睦会をする計画を立てているんです。そこで場を盛り上げるために、腕相撲の得意な人を十人ほど集めたいんですよ」
「そういうことなら、サムをメンバーに入れたらどうだ?」
 サムとは、FBIに所属している筋肉がムキムキの捜査官だ。ウエイトリフティングの大会で優勝したこともあるらしい。彼がいればきっと盛り上がるだろう。
 だが、今の本当の目的は、目の前にいるこの男だ。
「彼にもあとで頼んでみます。それで、あなたはどうなんですか?」
「さぁ……どうだろうな」
 煙草の吸殻を灰皿にトントンと落としながら、赤井が呟く。赤井の表情からは、何も読み取れない。
 ここで諦めては、作戦失敗だ。昨晩、寝ずに考えていたことを、降谷は実行に移すことにした。
「では……今ここで、実力を見せてください」
「君が相手をすると?」
「ええ。その通りです!」
 降谷が右腕の袖を捲り上げると、赤井が灰皿に煙草を押しつけながら言った。
「お手柔らかに頼むよ、降谷君」
 赤井も右腕の袖を捲り上げる。喫煙室にある、背の高い小さなテーブルの上が、ささやかな試合会場になった。
 降谷がテーブルの上に肘を乗せて右手を差し出すと、赤井の右手にぐっと強く掴まれる。赤井の手の力強さに、降谷はどきっとした。触れ合う箇所が、痺れるような熱を持つ。赤井の無骨で男らしい手に、視線を奪われる。なぜかぶわりと顔に熱が走ってゆくような心地がした。
 目の前で、赤井がふっと微笑むのが見えた。余裕のある笑みだ。その表情があまりにも面白くなくて、降谷はスタートの合図もなしにぐっと腕に力を込めた。
 赤井の右腕はびくともしない。降谷の手をがっしりと受け止め続けている。そこで降谷は、赤井が左利きであることを思い出した。
 利き手とは逆の腕で、これだけの差があるとは。
……ッ」
 降谷はさらに腕に力を込めるが、赤井の腕は一ミリも動かず、表情ひとつ崩さない。
 しばらく何の動きもない時間が続いたが、突然、赤井のスマホのバイブ音が鳴り響く。すぐに鳴り止んだので電話ではないだろうが、仕事の連絡かもしれない。そんなことを思っていると、赤井は腕相撲の最中とは思えないほど穏やかな口調で言った。
「今日はここまでだ」
……うわっ」
 手をさらに強く掴まれて、降谷は思わず声を上げてしまう。あっという間に、右腕が赤井によって倒されてしまった。
 赤井との差をまざまざと見せつけられて、悔しさが込み上げてくる。
 と同時に、赤井の手の感触を思い返して、自分でもよくわからない感情が込み上げてきた。

『次にその人に会ったとき、その人の手に触ってみてください。そして、そのときあなたがどんな感情を抱いたのか、相手がどんな反応をしたのかを教えてください』

 ルシファーに返す言葉が見つからない。どんな感情を抱いたか? その答えを考える余裕すらないまま、赤井の手は離れてしまった。

 赤井はスマホをタップし、メッセージの確認をはじめた。
 何も言えずぼんやりとその光景を眺めていると、喫煙室の入口のドアが勢いよく開く。入って来たのは、ジョディだ。
「やっぱりここにいたのね、シュウ! この前話してたAIのことなんだけど、今ちょっと問題が起きたみたいで、一旦稼働を停止するみたいよ」
「問題?」
 ジョディの言うAIとはいったい何なのだろう。思案していると、ジョディはとんでもないことを口にした。
「ルシファーが恋愛相談だと判定したチャットで、“相手の手に触って反応を見てみて”みたいなアドバイスをするそうよ。さすがに倫理的に問題があるんじゃないかって、ネットニュースにもなっているの」
「ホォー」
 赤井の反応を見ながら、降谷は思考が停止する。
「あ、そうそう。今メールがきたと思うけど、今日の会議は予定より一時間早まるそうだから。遅れないでよ」
「ああ」
「じゃ、私はこれで。邪魔してごめんなさいね、フルヤ」
……いえ」
 会議の準備があるからだろうか。ジョディは慌ただしく喫煙室を去ってゆく。
 と同時に、赤井からの強い視線を感じて、降谷は身体中から汗が噴き出すような心地がした。
 まさか自分の思惑に気づかれてしまったのだろうか。いや、そんなはずはない。腕相撲への誘い方も、自然にできていたはずだ。
 だが、赤井の自分を見る目が、明らかに変わったような気がする。
 降谷はひとまず、退散することにした。
「そ、それでは、僕はこれで……
「降谷君」
 喫煙室のドアに駆けていく途中で、呼び止められる。降谷は振り返らずに、赤井に問いかけた。
「な、なんですか」
……あとで、話がある」
 ――この口調は、完全に見破られている。
 ルシファーの言う通りにして、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。最初からエンジェルの言うことだけを聞いておけばよかったのかもしれない。
 混乱と後悔が押し寄せる中、降谷は頭を抱えた。