ポほ
2026-05-10 15:18:25
9939文字
Public オトメビギナー
 

買い物

第2話。
書いてる間は「郷土資料館に勤める地味おねえさん脱がしてみたらクソエロ爆乳でした!古代ミステリー大好きなインテリ女子が巨根でアヘヨガり!」という言葉(ラバーガールのネタで出てきたAVのタイトル)が頭の片隅から抜けませんでした。
INGNI👈イングと読みます。

 樹は、てっきり月城家の最寄りのイオンへ行くのだと思っていた。
 しかし真冬は、玄関先で車の鍵を手にしながら当然のように言った。
「じゃあ、準備できたら行きましょうか」
 樹はきょとんとする。
「あの……遠出するんですか……?」
「ええ。利府の方まで行こうと思って」
 真冬は柔らかく微笑んだ。
「あっちの方なら、樹ちゃんに似合うものが絶対見つかるでしょうし」
「えっ」
 そんな本格的な話なのか。樹は思わず自分の服装を見下ろした。男の時に着ていた服は少し丈が長くウエストも緩くなってしまったものの、ボトムスは裾を折りベルトで固定させ、トップスとして着用している真冬がくれた宗真の姉のお下がりの服(厚手のシンプルなワイシャツ)はサイズこそ合っているが、落ち着かないことこの上ない。
 その横で宗真が気の抜けた声を出す。
「あそこなら本屋とかでオレも暇潰せるしな〜。女の服のこととか分かんねーし、母ちゃんに見てもらってる間にさ」
「ちょっと」
 真冬が呆れたように振り返る。
「下着以外はあなたも見てあげなさいよ」
「えー、めんどくせぇ……
「樹ちゃん一人に任せるの?友達でしょう?」
「うっ」
 宗真は少しだけ言葉に詰まった。樹は慌てて首を振る。
「い、いや! 別に無理しなくても……!」
「んー……まあ、見るだけなら」
 なんだかんだ断りきれない辺り、宗真らしい。
(宗真まで巻き込まなくてもいいのに……
 樹は小さく肩を縮めた。
 
 そして数十分後。三人を乗せた車は、利府の大型ショッピングモールへ向かっていた。
 後部座席。樹はシートベルトを握りながら、落ち着かない気持ちで窓の外を眺めている。隣では宗真がだらっと座席に寄りかかっていた。
「でも、樹とこうやって出かけるのって初めてだよな」
「え?」
 宗真は窓の外を見たまま笑う。
「なんか新鮮でいいかも」
……っ」
 樹の心臓がどきりと跳ねた。
「そ、そうだね……俺、いや、私も……嬉しい」
「へ?」
 宗真が振り向く。
「“私”?」
「あ……
 樹は口元を押さえた。少し迷ってから、小さな声で続ける。
「だ、だって……女の子になっちゃったこと、あんまり他の人に知られたくないし……
「なんで?」
「なんでって……恥ずかしいし、変だし……
 元男です、なんて普通に言えるわけがない。自分でもまだ現実感がないのだ。
 宗真は「ふーん」と気のない返事をした。
「オレなら最初からバラしちゃうけどな」
「宗真はそうだろうけど……
「じゃ、中学でも黙っといた方がいいか?」
 樹ははっと顔を上げた。
「う、うん……そうしてくれると……!」
「わかったよ」
 宗真はあっさり頷く。
 その後で、少しだけ真面目な顔になった。
「でもさ」
「?」
「もしそのことで、同じ小学校のやつらとかがからかってきたら」
 宗真は当然みたいな口調で言った。
「オレがぶっ飛ばしてやるから、心配すんなよ」
…………
 樹は目を瞬かせる。
(あれ……?)
 変わりたかったはずだ。
 宗真に守られてばかりの自分を、変えたかった。
 なのに。
……う、うん! あり、がと……
 今の言葉が、どうしようもなく嬉しかった。
 女の子になったからだろうか。
 それとも、宗真が昔と何も変わっていないからだろうか。守られることに、少しだけ安心してしまっている自分がいた。

 そして宗真もまた、そんな樹の笑顔を見て、妙に胸の奥がざわつくのを感じていた。
……なんだろ)
――友達だから。
 それだけで片付けるには、少し変な感じだった。
 前の席では、真冬がバックミラー越しにそんな二人を眺めている。
(若いっていいわねぇ)
 どこか微笑ましそうだった。
 そのすぐ横では、助手席の窓際に座った狐耳の子が、外の景色を眺めながらぶらぶら足を揺らしている。
「運転してるのも可愛いなぁ」
 狐耳の子はにしし、と笑った。
「ボク、こういう若い女の子好きなんだよね」
(だから人妻なんだけど。ていうか、どこまでついてくるんだ、コイツ)

 下着売り場へ案内された瞬間、樹は完全に固まっていた。
 淡い色の布地。レース。ずらりと並ぶ女性用下着。普段の樹なら、そもそも近づくことすらない空間だ。
「じゃ、オレはあっちでジュース飲んでくるわ」
 宗真は少し離れたフードコートの方を指差した。
「こういうとこに男がいると、嫌な感じする人もいるだろ?」
……
 樹は思わず宗真を見た。
(俺だって気まずいよ……
 むしろ自分の方が落ち着かなかった。
 今の身体は女の子でも、中身は男子のままだ。そんな自分が女性下着売り場にいること自体、なんだか変態みたいな気がしてしまう。
 真冬は苦笑する。
……まあ、こういう所はね。じゃあ終わったら連絡するから、はぐれないでね」
「はーい」
 宗真は軽い調子で手を振ると、そのまま去っていった。姿が見えなくなった途端、樹は少しだけ肩の力を抜く。
(いや、安心してる場合じゃないんだけど……!)
「じゃあ樹ちゃん、まずはサイズを測ってもらいましょうか」
「は、はい……
 真冬が店員に声をかけると、採寸から対応してくれるらしかった。
「じゃ、測りますね〜」
 にこにことした店員に案内され、樹はぎこちなく試着室へ入る。
(き、緊張する……!)
 胸囲を測られるたび、変な汗が出た。他人にこんな風に身体を触れられる経験なんてほとんどない。
 樹は終始顔を真っ赤にしていたが、店員は慣れた様子で淡々と採寸を進めていく。
「お客様ですと、この辺りですね〜」
 やがて店員は一枚のカードを差し出した。
「今の採寸結果はこちらに記載してありますので、今後の参考にしてくださいね」
「は、はい……!」
 樹は両手で受け取る。カードには数字とアルファベットが書かれていた。
『E65』
……?)
 意味がよく分からない。
(靴買う時に、足のサイズ測った時にもらうやつみたいな感じかな……
 そんな認識だった。
 その後、真冬に連れられながら、樹は自分のサイズに合う下着をいくつか見せられることになった。
「こういうのはちょっと透けやすいから……
 真冬はハンガーに掛かったレース多めの下着を見比べながら言う。
「最初はもっとシンプルな方が恥ずかしくないかもね。ほら、これとかどうかしら?」
「い、……いいと思、います……!」
 樹はまともに視線を向けられなかった。
(よく考えたら、友達のお母さんに下着選んでもらってる状況ってなんだよ……!)
 恥ずかしさが限界突破しつつある。
「あ、あの!」
 樹は思わず、勢いよく顔を上げた。
「わ、私、ちょっとトイレ……!」
「そ、そう? 気をつけてね」
 真冬が少し心配そうに頷く。
 樹は逃げるようにその場を離れた。ショッピングモールの通路を小走りで進みながら、ふと足が止まる。
……あ)
 トイレ。
 今まで家では何とか誤魔化していたが、外の施設のトイレに入るのは初めてだった。無意識に男子トイレへ入りかけて、樹は慌てて後ずさる。
「ち、違う違う……!」
 顔を真っ赤にしながら、隣の女子トイレへ入った。個室に座り込み、樹は深々と息を吐く。
(座ってするの、なんか変な感じだし……慣れないし……
 何もかもが落ち着かなかった。逃げるように女子トイレから出て、ポケットからハンカチを取り出す。その拍子に、一枚のカードが床へひらりと落ちた。
 ――先程の採寸データが書かれたカードだった。
 だが樹は、そのことに気づかないまま歩き去ってしまう。そして偶然、その一部始終を見ていた人物がいた。
「おーい、樹ー!」
 ジュースを片手に歩いてきた宗真だった。
「なんか落ちたぞ!」
 しかし樹は、真冬を待たせていることを思い出したのか、小走りで下着売り場の方へ戻っていってしまう。
……?」
 宗真はしゃがみ込み、床に落ちたカードを拾い上げた。
「なんだコレ?」

  下着を無事に購入したあと。樹はようやく解放される――かと思ったのだが。
「じゃあ次は、お洋服を見に行きましょうか!」
 真冬はすっかり買い物モードだった。
(まだ続くんだ……
 樹は内心でぐったりしながら、宗真と合流する。
「お、終わった?」
 フードコートでジュースを飲んでいた宗真が立ち上がった。
「う、うん……
 すると真冬がにこにこしながら言う。
「最近はうちの娘達、自分で服選んじゃうし、私と買い物に行くこともあんまりないから……樹ちゃんと来れて嬉しいわ〜」
「そ、そうなんですか……はは……
 樹は乾いた笑みを浮かべた。
「だからって樹を連れ回すのもどうなんだ、母ちゃん」
 宗真が呆れたように言う。
(ほんとだよ……
 樹は心の中で全力同意した。
 しかし真冬は全く気にした様子もなく、二人を引き連れてファッションフロアを進んでいく。

 最初に入ったのは、淡い色合いとレースが並ぶガーリー系の店ア〇シーズファムだった。
 試着室から出た瞬間、店員がぱっと顔を輝かせる。
「とってもお似合いですよ〜!」
「え、あの……
 樹は落ち着かなさそうにスカートの裾を押さえた。
「派手じゃないですか……? ちょっとフリフリしすぎてる気が……
 鏡に映る自分は、どう見ても“かわいい女の子”だった。膝丈のスカート。レース。ふわっと広がる袖。
(ていうかスカートって……!)
 足元が妙に落ち着かない。
(なんかスースーするし、恥ずかし……!)
「そうかしら?」
 真冬は楽しそうに首を傾げる。
「樹ちゃんには合ってると思うけど……ね、宗真?」
「えっ、オレに振るわけ?」
 急に話を向けられ、宗真は露骨に狼狽えた。
「か、可愛い……とは思うけど」
「!」
 樹の肩がびくっと揺れる。宗真は慌てて言葉を続けた。
「でもこういうのって、キマワシ?が効かなくね?」
(よく分かんないけど、姉ちゃん達ならそう言いそう……
 本人なりに考えた結果らしい。
「そ、そうだよねっ!」
 樹はどこか安心したように頷いた。すると横から、狐耳の子がじーっと服を見つめながら呟く。
「ボク的には真冬ちゃんに着てほしいなー」
「は?」
「スカートもっと短くしてさ、パニエでボリューム出して、もっとフリフリにして――
……キモ」
 思わず真顔で返してしまう。
 真冬がきょとんとした。
「樹ちゃん、どうかした?」
「あっ、い、いや! なんでもないですっ!」
 樹は慌てて首を振った。
 
 そして次に入ったのは、少しギャル寄りの雰囲気がある店だった。
 店先のロゴを見上げながら、宗真が首を傾げる。
「なー樹。この店なんて読むんだ?」
「え……? い、いんぐに……?」
「へー。何語なんだろうな?」
「さあ……
 二人ともよく分かっていなかった。
 そんな中、真冬が一着のブラウスを手に取る。
「樹ちゃん、このブラウスとかどうかしら?」
「えっ」
 樹は服を見てぎょっとした。
「ちょ、ちょっと胸元開きすぎじゃないですか……?」
「今時の子はこれぐらい普通なんじゃないかしら?」
 真冬は周囲の商品を見回す。
「ほら、クロップド丈のトップスとかも多いし。きっと今は布が少ないのが流行りなのよ」
 そして少し困ったように笑った。
「母親目線からすると、お腹冷えないか心配だけど……
(なら勧めないでほしい……
 樹は心の中で呻いた。
「ご試着ですか? こちらへどうぞ〜」
 話しかけてきた店員はにこやかだった。
「あ、えっと……
 断るタイミングを完全に失う。
(そして断れない自分が一番嫌だ……
 結局、樹は試着室へ押し込まれることになった。
 
 カーテンの向こうで、狐耳の子が楽しそうに笑う。
「それ、宗真は結構好きかもね〜」
「へ?」
 樹は思わず動きを止めた。
 そして数分後。
 恐る恐るカーテンを開ける。
 
「ど……どう、かな……
 少し大きめに開いた胸元。
 普段より身体のラインが分かりやすい服。
 宗真は視線を向けた瞬間、明らかに固まった。
「えっ!? えっと……
 そのまま、露骨なくらい目を逸らす。
 胸元を見ないようにしているのが、逆によく分かってしまった。
 樹はなんとも言えない気持ちで苦笑する。
(見られても困るけど、意識しないようにしてるのが、かえって露骨っていうか、なんて言ったらいいんだろ)

「い、いいんじゃない……かな」
 宗真はどこかぎこちなく視線を逸らしながら答えた。
「樹、スタイルいいから……こういうのも似合う……と思うし……
「そ、宗真……ほんとに?」
「う、うん……
 宗真は耳まで赤くなっていた。
(こいつ、あの樹なのに……
 胸元が大きく開いた服。華奢な肩。試着室から恐る恐る出てきた姿。
(ちょっとエロいなって思っちゃった)
 そんなことを考えてしまった自分に、宗真は内心で混乱していた。
 一方の樹も、別の意味で複雑だった。
(嬉しいけど……
 宗真に可愛いと言われた。それは素直に嬉しい。
 でも。
(俺がこれ着て、宗真が気まずい思いするなら……やめた方がいいのかな)
 自分でもよく分からない感情だった。
「じゃあここもキープしときましょうか〜♪」
 真冬はすっかり楽しそうである。
(ちょっと恥ずかしすぎる……!)
 樹の羞恥心は限界寸前だった。
 
「あ……あのっ!」
 思わず、自分でも驚くくらい大きな声が出る。
(やば、声裏返った)
 真冬が優しく振り向いた。
「なあに?」
「い、今のも可愛かったですけど……!」
 樹はしどろもどろになりながら続ける。
「も、もう少し地味っていうか……えーと、シンプルなやつの方が私の好みかなって……!」
 そして咄嗟に、今自分が着ている宗真の姉(おそらく静乃)のお下がりのシンプルなシャツを指差した。
「ほ、ほら! 今着てるお姉さんのやつみたいな……!」
「あら、そうだったの?」
 真冬はぱちりと瞬きをしたあと、納得したように笑った。
「じゃあ、もうちょっとカジュアルな感じのお店も見てみましょうか」
(助かった……!)
 宗真と樹の心の声がぴったり重なった。
 そんな二人の横で、狐耳の子だけが不満そうに頬を膨らませる。
「えー? 今の結構似合ってたと思うけどなー」
(悪霊退散……
 樹は心の中で真顔になった。

 その後、真冬が次に案内したのは、先程までの店よりもずっと落ち着いた雰囲気のショップhoneysだった。
 樹ぐらいの年代の10~20代向けの手頃な服を中心にしつつ、ブラウスやカーディガン、スカートなど、オフィスカジュアル寄りの綺麗めな服も並んでいる。
「ここなら値段も手頃だし、樹ちゃんが気に入る服もきっとあると思うわ」
 真冬は懐かしそうに店内を見回した。
「昔はここで、静乃や響とよく買い物したなぁ……
(確かに、今まで見たお店よりはちょっと居心地いいかも……
 樹も周囲を見渡す。
 さっきの店より、ずっと色んな系統の服が置いてある気がした。客への声掛けも積極的には行っていないらしい。
 シンプルなTシャツ。カーディガン。柔らかい色味のブラウス。
 客層も幅広い。自分くらいの年齢の子から、真冬くらいの女性(樹は真冬を30代前半だと思っている)までいる。
(こういう店なら、俺でも入りやすいかも……
 
「へー。姉ちゃん達ってこういうとこで服買ってたんだ」
 宗真が棚を眺めながら言う。
「宗真は服なんて興味ないもんね」
 真冬が苦笑する。
「ま、着れればいいかなって感じで……
「でも宗真くらいの年頃の男の子の服って、買う側も見ててあんまり面白くないのよね」
「えぇ?」
 真冬は少し不満そうに続ける。
「似たようなデザインばっかりだし。小さい頃だって、男の子向けって車とか恐竜とかでワンパターンだったじゃない?」
「そうだっけ、覚えてねえや」
「メーカーの怠慢よね。ファッションに興味持たない男の子多いのも、そのせいなんじゃないかしら」
「あははは……ですよねー」
 樹はとりあえず愛想笑いをした。
(なんの話……?)
 正直よく分かっていなかった。
 そんな中、宗真が一枚の服を手に取る。
「樹、この辺とか結構地味じゃね?」
 シンプルなボーダーのTシャツだった。
「こういうのなら、そんな恥ずかしくないじゃん」
「そ、そうだね」
 樹は少し安心したように頷く。
「これならいいかも。ありがと、ちょっと着てみる……
 試着室へ入り、数分後。
 カーテンがそっと開く。
「ど、どう……?」
 ボーダーTシャツにデニムスカート。かなりシンプルな格好だ。
 しかし。
 シンプルだからこそ、身体のラインが逆に目立ってしまっていた。
 特に胸元。
 ぴったりした生地が、はっきりと膨らみを強調している。
「え、えっと……
 宗真は一瞬言葉を失った。
 樹は不安そうに自分の服を見下ろす。
「なんか……太って見えない、かな?」

(自分から勧めた手前、“逆にムネが目立つ”とか言いづら……
 宗真は視線のやり場に困りながら、内心で頭を抱えていた。
 一方、樹も別方向で限界だった。
(なんでこんな胸を大きくしたの……あの悪霊……
 試着室の鏡に映る自分を見るたび、狐耳の子への恨みが増していく。
 そんな微妙な空気を察したのか。
「樹ちゃん、こういうの羽織ったらどうかしら?」
 真冬が一枚のカーディガンを持ってきた。
 柔らかい色味の、厚手のシンプルなVネックカーディガン。
「このボーダーT、一枚で着るんじゃなくてインナーのつもりで着たらちょうど良くなるんじゃない?」
「あ……
 樹は言われるまま袖を通した。
 そして、前を開けたまま羽織ってみる。
――あ、いい感じ……です」
 すとん、と落ちるシルエットが身体のラインを拾わず、自然にぼかしてくれる。
 胸元も強調されすぎず、全体的に清潔感のあるコーディネートになっていた。
「うん、か……いいと思う」
 宗真が頷く。
 危うく「可愛い」と言いかけて、慌てて誤魔化していた。
 だが樹はそこまでは気づかなかった。
 それよりも。
 宗真に、真正面から似合うと言ってもらえたことが嬉しかった。
……宗真と、宗真のお母さんのおかげだね」
 樹は少し照れたように笑った。
 はにかむような、柔らかい笑顔。
 その瞬間。
(だから、そんな顔すんなよな……!)
 宗真の心臓が、どくんと大きく跳ねた。

 帰りの車内。
 買い物が終わったあとも、樹の気持ちはどこかふわふわと落ち着かなかった。
 初めての女物の服。初めての下着。そして、宗真に何度も「似合う」と言われたこと。
 全部がまだ現実感を持てないまま、樹は後部座席でぼんやり窓の外を眺めていた。
 すると、不意に宗真が声を上げる。
「あ、忘れてた」
 振り返ると、宗真が二つ折りのカードをひらひらさせていた。
「樹、さっきこれ落としてなかった?」
――っ!」
 樹の顔が一瞬で熱くなる。
 それは、下着売り場で渡された採寸カードだった。樹自身は、そこに書かれた数字が具体的にどういう意味を持つのかまでは分かっていない。
 けれど。
(これ……宗真、見たの……!?)
 嫌な汗が背中を伝う。
「み……見た? この、中身……
「うん?」
 宗真はきょとんとした。
「見たけど……だって他の奴に見られたらヤバい内容かもしれないじゃん」
「宗真?」
 真冬が運転席からじろりと睨む。
「他の人には絶対言っちゃダメよ?」
 にっこり笑って付け加える。
「言ったら車から降りてもらうからね?」
「い、言うわけねえだろ!」
 宗真は慌てて否定した。
「そもそも、なんの数字かわかんないし……!」
(Eってなんだったんだ? 靴の幅?)
 本気でそう思っている。
「と、とにかく返してよ!」
「わ、わかったよ……
 宗真はカードを差し出した。
「そんか大事なら落とさずちゃんと持っとけよな。よかったな、拾ったのがオレで」
(むしろ宗真だから良くないのに……!)
 樹は内心で頭を抱えた。
 その横で、狐耳の子がにやにや笑う。
「ボク的には真冬ちゃんの採寸カードの方が欲しいけど」
「おい」
「BかCの70くらいかなー?」
「だからうるさいって!」
 樹は思わず怒鳴った。
「そんなに怒ることだったのか!?」
 宗真がびくっとする。
「ち、違くて……!」
「もしかして、なんか前言ってた、狐がどうこうってやつ?」
「そ、そう!」
 樹は慌てて頷いた。
「俺……私にしか見えないし、声も聞こえないっぽくて、ほんと嫌なヤツで……!」
「言い過ぎ〜」
「ほんとのことだろ!」
 宗真は少し考え込んでから、ふっと前を向く。
「おい、コン太郎」
 宗真は、さっきまで樹が見ていた辺り――自分と樹の間の空間に向かって話しかけた。
 だが。
 当のコン太郎は、とっくにその場所から移動している。
 今は助手席から宗真や樹を見下ろして、腹を抱えて笑っていた。
「コン太郎って……!」
 けらけら笑う。
「てか宗真ってば、無に向かって話してる! あははっ!」
 樹はあえて通訳しなかった。
……あんまり樹を困らせるんじゃねえよ」
 宗真は真面目な顔で続ける。
「あと、オレがいない時はちゃんと樹のこと守ってやれよ」
 少しだけ眉をひそめる。
「よく分かんないけど、一応神様なんだろ」
「いやー、どうだろうね?」
 コン太郎はにやりと笑った。
「え、違うの?」
 樹が目を丸くする。
「んー」
 狐耳をぴこぴこ動かしながら、コン太郎は首を傾げた。
「コン太郎、わかんなーい」
……コン太郎って名前、気に入ったんだ……
 樹はなんとも言えない顔になった。

(それにしても。自分で服を選んだのって、初めてかも……
 樹は膝の上の紙袋を、そっと抱きしめるように持っていた。
 中には今日買った服が入っている。
 自分で選んで。宗真に「似合う」と言ってもらえた服。
(宗真も似合うって言ってくれたんだよな……
 紙袋の持ち手を、少しだけ強く握る。
(これ着て、宗真とまた一緒に遊べるかな)
 宗真は忙しい。月城流の稽古もあるし、大会だってある。
 でも。
(大会を見に行くとかなら、できるかもだし……!)
 そんな未来を想像すると、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「樹、どうかした?」
「っ!?」
 突然声をかけられ、樹は肩を跳ねさせる。隣を見ると、宗真が不思議そうにこちらを見ていた。
「調子悪い?」
「な、なんでもない!」
 慌てて首を振る。
「今日は楽しかったなって、ちょっと思っただけ……!」
……そっか」
 宗真は少し笑った。
「来週は入学式だし、稽古してるうちに春休みも終わっちゃいそうだなー」
 窓の外を眺めながら、何気なく続ける。
「また同じクラスになれるといいな」
「うん……!」
 樹は頷いた。
 そして。
「あのさ」
 これだけは、ちゃんと言おうと思った。
「うん?」
 宗真が振り向く。
 樹は少しだけ緊張しながら、それでも笑った。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
 一度言葉を区切る。
「俺……いや、私、今はこんな感じになっちゃったけど」
 そして、真正面から宗真を見る。
「中学でもよろしくね」
(言えた……!)
 樹の胸が小さく高鳴る。
 一方。
「あ……うん。よろ、しく……
 宗真は一瞬、言葉に詰まった。
(こいつ、ほんとに……!)
 その笑顔。
 “中学でもよろしく”という言葉。
 自分が樹宛ての寄せ書きで書いた時とは、全然違って聞こえる。
 胸の奥が妙にざわつく。
――樹は樹のはずなのに。
 
(青春っていいわね〜)
 運転席の真冬は、そんな二人を微笑ましそうに眺めている。
(なんだかこっちも若返った気分)
 一方。
(コン太郎って絶妙に間抜けじゃない?)
 助手席の上で逆さまになりながら、狐耳の子は別のことを考えていた。
(コンスケとかの方がよくない?でも近〇健介と被るか〜)
 樹と宗真。
 二人の関係を大きく動かした張本人は、実にどうでもいいことを真剣に悩んでいるのであった。