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遊悟
2026-05-10 13:39:19
4012文字
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遙か遠き揺籃の日
あさきゆめみし ゑひもせす
がくんと頭が揺れて目が覚めた。
「
―――
あぁ
……
」
デスクに頬杖をついて考え事をしている間に、うとうとしてしまったらしい。手のひらから零れた己の顎が、デスクの上に軟着陸していた。
書類がうずたかく積まれた、古いオフィスデスク。その中央に座す金属製の灰皿の中には、吸い殻が何本も転がっている。
ああ、煙草をくわえている時でなくてよかった。
頭の片隅でそう思いながら、夜宵は大きくのびをした。
「あはは。兄貴、お目覚めかな?」
ふと声がして、そちらの方へと振り向けば、カーディガンを手にした弟の
―――
陽羽が自分の左斜め後方に立っていた。
双子ですかなんて聞かれるくらいによく似た面立ちの弟は、うたた寝をしてしまった兄が身体を冷やさないよう、服を掛けてくれるつもりだったらしい。
「陽羽
……
」
「ま、丁度いいや。そろそろ七三子ちゃんが来る頃だし」
いたずらっぽい、けれど、優しさを含んだその笑顔に、何故か一瞬違和感を憶えた。
何故だろうと思う間もなく、陽羽はオフィスデスクから離れた位置にある、来客用のソファーセットの方へと歩いて行ってしまう。
「七三子
……
?」
「そうだよ。今日は幼馴染みと図書館寄ってからになるので遅くなります、って言ってたじゃん」
無造作にソファーへとカーディガンを起きながら、「忘れたの?」なんて陽羽は言う。
「まぁ、バイトなんだからその辺フレキシブルでいいじゃんって。探偵事務所のバイトなんて、仕事入ってない時は暇なんだからさ」
「あ、ああ
……
そうだったな」
そうだ。ここは、
天使
あまつか
探偵事務所。夜宵が弟の陽羽とふたりで営む、零細事務所だ。
急に「俺は探偵になる」なんて言い出した陽羽のことが心配で、警察だった夜宵は職を辞して共に探偵になったのだった。
探偵なんて言えば聞こえはいいが、ようは金を積まれれば何でもこなす便利屋だ。浮気の調査や迷子のペット探しが主たる収入で、事件性のある「何か」には早々巡り会えるものでもない。
そりゃあ、バイトとして雇った七三子にも、「急いで来る必要はない」と言ってしまうというものだ。
「それで、陽は何時に来るんだっけか?」
「三十分以内には来るって。忙しい仕事の合間を縫ってくるんだし、何かお腹に入れる物を出してあげた方がいいんじゃない?」
陽は、夜宵が警察時代の同僚だ。今は、ちょっとした
調べ物
がある時に利用してくれる顧客になっている。
「そうだな、なんか摘まめるでも用意しておいてやれ。もし食わなきゃ、俺が食う」
「ええ? でも、その後
……
」
「こんにちは~!」
バンと大きな音を立ててドアが開かれる。明るい挨拶とともにやってきたのは、七三子だった。
「おっ、噂すれば影がさす」
「何の話ですか?」
夜宵が呟けば、七三子は首を傾げた。
「何でもない。
……
お前、幼馴染みと勉強会は?」
「大丈夫です! よつはちゃんと一緒に大学のレポート完成させてから来ました!」
ぐっと七三子は自信満々に親指を立てて見せた。「やっぱりひとりでやるより、ふたりでやった方が早く進みますね」なんて笑いながら。
「今日は両家の顔合わせがあるんでしょう? ほら、さっさと仕事を済ませて準備しちゃってください!」
やることあるなら手伝いますよ陽羽さん、なんて七三子は張り切っている。夜宵は「はぁ?」と眉根を寄せた。
「顔合わせ? なんじゃそりゃ」
「えっ? だって今夜、陽羽さんと一緒に花宵さんのところに行かれるんでしょう?」
「そうだが
……
なんだ、両家の顔合わせって」
弟をつれて馴染みの女と会う。それが何故
婚約の場
両家顔合わせ
になるのだ。
夜宵が怪訝そうな顔をすると、七三子は盛大にため息をついた。
「ちょっと
……
陽羽さん、お兄さんになんか言ってやってください」
「無理無理。コイツ、まだ踏ん切りついてない軟弱者だから」
「えっ、嘘でしょう? この間、朝帰りしたって聞きましたけど?」
「そう。なのに、
まだそうじゃない
つもりでいるんだぜ? 信じられないだろ?」
「うわぁ
……
」
「待てコラ。何をコソコソ言ってやがる」
七三子と陽羽が顔をつきあわせてヒソヒソしていたかと思うと、ふたりして残念なものを見る目を向けてきた。
「夜宵さん、そろそろ年貢の納め時ですよ。いくら花宵さんがお若いからって、いつまでも待たせていいってもんじゃありません!」
「ぐっ
……
そ、それはだなぁ
……
!」
「何ですか。修羅場なら、出直しましょうか?」
七三子のあまりの勢いに、夜宵が思わずのけぞったところで、新たな来客があった。
少し大きめのコートに身を包んだ、金髪の若き青年
―――
夜宵にとっては元同僚の、陽だった。
「おっ、陽。よく来てく
……
」
「なぁなぁのままレディをいつまでも待たせるなんて、失礼ですよ?
……
ああ、七三子さん、これ、皆さんでどうぞ。例のパン屋の新作です」
助け船が来たと思ったら、ただの追い打ちだった。
畜生どこから話を聞いていたんだと臍をかむ夜宵をよそ目に、陽は七三子に手土産を差し出している。
「あっ、このお店、この間テレビでも取り上げてましたよね! では、事務所の皆でありがたく頂戴します」
「お店の方に聞いたら、明日の夕方くらいまでは保つそうなので、いまお腹いっぱいでしたら明日にでも」
紳士的な笑顔を浮かべて、陽は七三子と話している。
「クロワッサンは夜宵さんたち、シナモンロールは私がいただくとして
……
パン・オ・ショコラはどうしましょう? これ、けっこう甘いですかね?」
「どうでしょうね。クロワッサンは俺も食べたんですが、それはまだ
……
」
「甘いモンなら、遊悟にやりゃ喜ぶだろ?」
夜宵がそう言うと、七三子と陽が一斉にこちらへと振り向いてきた。
そうして、怪訝そうな顔をして口を開く。
「「遊悟って、誰?」」
「
―――
そりゃそうか
……
」
目を覚ませば、そこは勝手知ったる居酒屋だった。
どうやらカウンター席につっぷして眠ってしまっていたようだ。
姿勢を正しながら、夜宵は心の中で呟く。
―――
ああ、夢か、と。
それはそうだ。あんな
都合の良い
ことがあってたまるか。
弟は
―――
陽羽は、両親を殺害し、この自分を
傷つけ
殺しかけ
、そのまま行方をくらました。
七三子は自分がいた組織は崩壊してしまい、生まれた
世界
√
すら失ったと聞いている。
陽は父の仇を追い、今日も戦い続けている。
そして、自分もまた
……
。
「あ、起きた」
隣でオレンジジュースの入ったグラスを傾けていた男が首を巡らせてこちらを見てきた。
シェーレグリーン
命を奪う緑
の瞳。印象的な左目の下の泣きぼくろの
……
。
「遊悟
……
」
その名を呼べば、男は「なんだ?」と首を傾げてみせた。
「なんか気持ちよさそうに寝てたから、そのままにしてたんだ。
疲れてんだろ? もう少し寝ててもいいんだぜ?」
刹那の夢。
遙か遠き
手の届かぬ
、揺籃のようにあたたかな日。
夢は儚くも美しい。ずっとまどろんでいたいと思うほどに優しく包み込んでくる。
でも。
「
……
いや」
現実は醜くもつらい。それでも、
現実
そこ
で生きていかねばならないのだ。
例え血を流してでも、歯を食いしばって、前を向いて。
だって、辛いのは自分だけじゃない。
あの仲間たち
七三子や陽
だって、身体に傷を、心に痛みを抱えて、それでも生きているのだから。
「
寝てちゃ
夢じゃ
、生きてけないからな」
「んん?」
夜宵は難しいコト言うなぁ。
オレンジジュースをちびちび舐めながら、遊悟は唇をとがらす。
「遊悟、もしもお前が
―――
あの日あの時、仲間を失わずにすんでいたら、って思ったことはないのか?」
遊悟は怪異事件によって仲間を失い、異能捜査官に身を拾われたと聞いている。
ならばもし、その事件さえなければ、今もまだ
……
。
「ん~
……
」
ジュースの入ったグラスを置き、遊悟は目を伏せる。
「そりゃあ、失いたくなんてなかった。失わずに済むなら、それに越したことはない」
「そうだよな
……
」
「でも」
遊悟はふいに真面目な顔になり、相づちを打とうとした夜宵の方へと向き直った。
「だからって、夜宵たちと出会えないってのも、ヤだ」
眼鏡越しの緑の瞳が、真っ直ぐに夜宵を射貫く。
「俺はバカだから難しいコトなんて分からん。
仲間を失いたくなかった、でも、夜宵たちとだって巡り会いたい。
どっちも本音。どっちかなんて選べない。
だから
……
しょうがないんだよ」
ふにゃ、と気の強そうな眉が困ったように歪む。
「仲間を喪ったんだ。今が最高だなんて言えないけど、それでも、最悪だってわけでもない。
あの辛い夜がなかったら出会えなかったかもしれない、そんな大切な仲間がいる。だから、辛くてもこの世を生きてける。
―――
夜宵だって、そうだろ?」
「
……
」
夜宵の脳裏に浮かぶのは、抜けるように白い肌をした、細い肩の美しい女。
浅い夢の中にも居たあの女。きっとどの世界でも
―――
例え幻であろうとも、出会わぬ道はない。
けれど、きっとあの優しい幻の中では、ここまで恋い焦がれることはなかっただろう。
「ああ
……
そうだな」
この執着心さえ愛おしい。そこまで思えるようになれたのは、きっといまこの
世界
道
だからこそ。
(「
……
踏ん切りついてねーのは一緒だったけど」)
そんな自分の
性分
サガ
に苦笑していると、遊悟が自分が笑われたのだと勘違いしたらしく「なんだよぉ」と小突いてくる。
「いや、こっちの話」
ああ、明日には店に行こう。たまには、花のひとつでも持っていくのもいいかもしれない。きっと驚くに違いない。
そう思いながら、夜宵は拗ねる遊悟をなだめにかかったのであった。
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