小夏🍊
2026-05-10 00:22:41
5930文字
Public 原藤わんどろ
 

第19回 「藤の花」 +2h

原藤ワンドロ第19回のお題をお借りしていますが離れました。
パブリックイメージの藤の花とは異なります。
初手退場する不憫なモブとフローラちゃんとマスターがいます。


「待て……!」
 ひやりとした夜風が吹き抜ける京都。橋の上から飛び降りて、泥濘む河原を這うように逃げようとする不逞浪士の背中を、藤堂は真剣な双眸で見据えながら追い掛けていた。不格好な足音を立てて体勢を崩した相手とは違い、ひょいと軽く飛び降りて一気に距離を詰める。
 倒幕を掲げ、京の都の暗がりで火種を撒く浪士たち。そして、彼らを狩り立てる市中見廻りの任を帯びた新選組。両者の間にあるのは、歩み寄りなど決してない、互いの大義がぶつかり合う血みどろの殺し合いだけだ。
「ひ、ぃっ……!」
 さっきまでの威勢はどこへやら、お仲間を既に討たれてみっともなく逃げ出した浪士は、藤堂の追跡に恐怖で顔を歪ませながら幾度も泥に足を取られていた。このままでは確実に斬られると踏んだのだろう。その恐怖に急き立てられ、追い詰められた浪士が身を隠そうと、河原の斜面に広がる藪の中へ逃げ込もうとした、その時だ。土手へ這い上がろうと、斜面の木に生い茂る蔓を力任せに掴んだ男が、突如「ぎゃあッ!」と短い悲鳴を上げて転がってきた。刀を抜くでもなく片手を震わせている。
 何が起きたのかはわからない。だが、死合いの最中において、痛みに動きが鈍ったその一瞬の致命的な隙を藤堂が見逃すはずもない。
――はぁッ!」
 鋭い呼気と共に踏み込み、無慈悲に振り下ろされた白刃が、男の背を深く袈裟懸けに斬り捨てた。がふ、と血泡を吹いて、どさりと砂利の上に倒れ伏した骸を一瞥する。既に事切れていることを確認してから、先程不思議な動きを見せたその手が赤く染っていることに気付いた。
 藤堂は慣れた手つきで刀の血糊を払いながら、男が死の直前に掴み、悲鳴を上げた原因である植物を見上げた。
 男の血飛沫を浴びた緑の藪に絡みつくようにして、鮮やかな花が群生していた。蝶のような形をした無数の花弁は、形だけ見れば藤の花によく似ていたが、黄色・・のそれは優雅に下に垂れ下がるのではなく、空に向かって上へ上へと反逆するように咲いていた。
 よく見れば、それは他の木にぐるぐると蛇のように巻きついて成長する蔓植物だった。大元の宿主となる幹に絡みつく太い蔓の表面には、びっしりと鋭く硬い棘が牙のように生え揃っている。
 ……なるほど道理で。確かにこれを全力で掴めば、掌に穴が開く。
 浪士の右手は、その植物の棘によって無残に引き裂かれ、血塗れになっていたのだ。助かったと言うべきか、僕よりも運が無かったなと憐れむべきか。
 だが、明日の己の命すら知れぬ人斬りの日々に、名も知らぬ花をいつまでも愛でたり、感傷に浸ったりするような余裕はない。変な花もあるもんだな、とすぐに視線を外し、その鮮やかな黄色の記憶は、生臭い血の匂いと共に泥水の中へあっさりと忘れ去られていった。


 ――そんな、すっかり忘れていた記憶を不意に思い出したのは、英霊として――復讐者として、召喚された後のこと。特異点として擬似的に作られた京都、イケダヤの街中でのことだ。
 当時の履物である草履や下駄とは違い、義足ごと覆うスニーカーと呼ばれた靴を履いて、市中を歩く。橋の上の木板を踏む音が静かな夜の道に響いた。新選組抹殺計画という昔の自分が思いもしなかった事態を進める中で、カルデアのマスターとやらがこの地に到着するまでの間、藤堂は近藤や弾正側に付くサーヴァントとして原田と共にこの街の偵察を兼ねて歩いていた。
 生前の因縁を思えば、こうして隣を歩いていること自体がどうにも不思議でならない。あの油小路の冷たい雨の夜、自分は確かにこの男の目の前で、取り返しのつかない形で死んだというのに。
 今更、こんな所で巡り会ったところで交わす言葉も見つからず、ふたりの間にはどこか薄氷を踏むような、気まずい空気が漂っていた。ただ沈黙だけが降り積もる中、足を進める。居心地の悪さからふと視線を逸らし、川沿いの藪へと目を向けた先で、藤堂はあの鮮やかな黄色の花を見かけた。
 ……まやかしの世界のくせに、こんな名も知らぬ花までご丁寧に咲くものなのか。
 いつかの血生臭い河原の光景が脳裏に蘇った藤堂の隣で、ずっと押し黙っていた原田が不意に足を止めた。
……懐かしいな」
 彼らしくない、思わずといった風な低い声が零れ落ちる。
……あの花を知っているんですか?」
 花に造詣が深いようには見えなかったが。意外に思って藤堂が問いかけると、原田はその黄色い花から視線を外さないまま、ぽつりと口を開いた。
「名前は知らねえが。……おまえに飲ませたことがある」
「え? ……僕に、ですか?」
「ああ。池田屋の時だよ。額を割られて、ひでえ熱を出して寝込んでたおまえに、俺が飲ませた泥みてえな不味い薬があっただろ。あれの材料のひとつだ」
 言われてみれば、確かにあの酷い怪我のあと、ひどく苦くて青臭い薬を無理やり流し込まれた記憶がある。あれを用意してくれたのは松本先生だと思っていたが、原田だったのかと、思いがけない事実に藤堂は目を瞬かせた。
……あんなに鋭い棘がある植物なのに、薬になるんですか」
「蔓だけじゃねえ、実の方も普通に食ったらただの毒だ。だがまあ、毒も裏を返せば薬になる。上手く使って煎じれば、立派な痛み止めにもなるんだよ。飲ませたのは根っこの方だしな」
 淡々と当時のことを語る原田の横顔を見て、藤堂の胸の奥が一度だけ温かく揺れ――直後、ひやりとした、暗くて棘のある感情が鎌首をもたげた。看病してくれたことは素直にありがたい。だが、あの頃のこの男は、一体どんな顔をして自分たちと接していたというのか。
 清河八郎の動向を探るため、幕府の命を受けて密偵として試衛館に送り込まれたらしいこの男。自分だけでなく、近藤や土方、あんなに馬鹿をやって肩を組んで笑い合っていた永倉までもをずっと騙し続けていたのだ。最後には完全に道を違え、油小路の夜、新選組として藤堂の前に対峙し、死に追いやった男。
……物知りですね」
 気がつけば、藤堂の口からは自分でも驚くほど冷たい、氷のような声が零れていた。
――それも、皆を騙していた密偵・・としての知識ですか?」
 原田の言う通りであるならば、ただ煎じてくれただけで、飲ませようと思えば毒のまま流し込むこともできただろう。全く気づかなかった自分が馬鹿馬鹿しくて、その距離を許していたことが愚かで。どういうつもりで原田は――
 明らかな皮肉と、あの蔓植物のような鋭い棘を込めた言葉。それを背中に浴びた瞬間、原田はぴたりと動きを止めた。
 張り詰めた沈黙が落ちる。原田がゆっくりと振り返った。その顔には怒りも、悲しみも、何の感情も浮かんでいなかった。ただ、底の知れない暗い瞳で、無言のまま藤堂の顔をじっと見つめ返してくるだけだ。
 反論も、弁解も何もない。やがて原田はふいと視線を切り、再び無言のまま先へと歩き出した。
 取り残された藤堂もまた、己の放った言葉の棘に自分自身が刺されたような痛みを胸に抱きながら、何も言えずにその後を追う。
 そこで、ふたりの会話は完全に終わった。


 その後、あの因縁の特異点が無事に修復され、何をどうしてか英霊として正式にカルデアへ召喚された藤堂は、原田たちと再会することになり、今度はマスターのサーヴァントとしてまた別の機会にシミュレーターによって作り出された世界を訪れていた。
 今回は殺伐とした特異点の修復任務などではなく、霊基強化のための不足している素材集め――マスターの言葉を借りるなら、日課の周回というやつだ。精巧に作り出された長閑な川沿いの道を、目当ての敵影を探しながらのんびりとした足取りで進んでいく。
 心地よい風が吹き抜ける中、不意にマスターが斜面の藪の方を見上げて、パッと顔を輝かせた。
「あ、河原藤だ」
 その視線の先には、緑の生い茂る藪の中にぽつぽつと群生する、あの鮮やかな黄色い花があった。
……河原藤?」
 聞き慣れない名前に、藤堂は思わず足を止めて聞き返した。藤の花といえば、美しい薄紫色で、棚から優雅に垂れ下がるイメージしかない。色も全く違い、上へ上へと反逆するように咲くあの植物が、藤の名を持っているなど思いもしなかったのだ。
「そう。色は黄色いけど、俺の周りではそう呼ばれてた」
「ええ。ええ! 蝶のように舞う花の形が、藤にとてもよく似ていますからね」
 マスターの言葉に続くように、ふわりと、甘い春の香りを纏わせたような優雅な声が響いた。
 声の主は、共に編成に組み込まれている花の女神――フローラだ。彼女は花々を愛し、その息吹で世界を彩る権能を持つ神霊のサーヴァントであり、植物に関する知識は人間の比ではない。フローラは慈しむような微笑みを浮かべ、その鮮やかな黄色い花を見つめた。
「正式な和名は蛇結茨と言います。これほど鮮やかで美しい花を咲かせますが、自立して育つ太い幹を持たず、他の木々に蛇のように巻きついて成長する蔓植物なのですよ」
 すると、花を見つめていたマスターが「あ、そうだ」と何かを思い出したようにぽんと手を打った。
「子供の頃、近所の河原でこの黄色い花を見つけてさ。すごく綺麗だったから摘んで帰ろうと手を伸ばしたんだけど、蔓の裏に隠れてた棘が指に刺さって、すっごくびっくりした記憶がある。あの時はただ痛くて泣きそうになったけど……そっか、藤じゃなくて茨だったのかあ」
 フローラはそっと指先を花に近づけ、愛おしげに目を細めた。
「確かにあの花は鋭い棘を持っています。ですから、蛇をも縛り上げる茨……蛇結茨の名がついたとされています。全体に毒を孕み、不用意に触れれば傷を負わせる恐ろしい植物――ですが、古くから中国や日本では、この毒のある根や種を熱や痛みを取るための貴重な薬として役立ててきました。傷つけるための棘と、癒やすための毒……相反する二つの顔を持つ、とても神秘的な花なのですよ」
 花の女神の淀みない解説を聞きながら、藤堂は改めてその花を見上げた。薬に使えることは、あの特異点の夜に原田が教えてくれた通りだ。そして藤堂もまた、絡みつく太い蔓の表面には、宿主の樹皮に深く食い込むための鋭い棘がびっしりと並んでいることを知っていた。
「あー、美しいものには棘がある、ってやつだね」
 なるほどと訳知り顔で頷くマスターにフローラが優しく微笑むと、藤堂は呆れたように息を吐いた。
……いくら綺麗でも、僕たちサーヴァントと違ってただの人間のおまえは簡単に怪我するんだから、ここでも不用意に触らないでくれよ」
「はい、気を付けます。……そういえば、藤堂さんも名前にが入ってるよね」
 小言から上手く話題を逸らすようにマスターが笑いかけてきた、その時だ。
「同じ藤でも、あの花とは全然違ぇけどな」
 背後から、ひどく聞き慣れた声が降ってきた。振り返ると、同じく周回のメンバーとして同行していた原田が、手持ち無沙汰に自身の獲物を肩に担ぎ、大きな歩幅でのんびりと歩いてくるところだった。
「原田さん」
「あっちの黄色い藤は、他人に巻きついて棘を突き立て、宿主の生き血を啜ってでも自分が生き延びるような図太いやつだが……こいつには、そんな残酷で器用な真似、逆立ちしたってできねえからな」
「ちょっと、重いんですけど」
 言うが早いか、原田は藤堂の隣に並ぶなり、その小柄な頭の上に自身の太い腕をのしり、と遠慮なく乗せてきた。鬱陶しそうに文句を言うものの、原田は意に介する様子もなく一切離れる気配がない。
 大体、誰かを踏み台にして長生きするくらいなら、泥に塗れてでも己の誠を貫いて死んでやる。自分はそういう不器用な男なのだ、と、原田の言葉の裏には確かな理解が滲んでいた。
 その言葉に、マスターも「確かに」と深く頷いて笑う。
「藤堂さんって、何かに巻きついて生きるより、ボロボロになっても一人で勝手に立ち上がりそうだもんね」
 二人の気安いやり取りに、藤堂は訝しげに眉を寄せた。
……それは、ガッツがないと使えない・・・・僕への皮肉か?」
「えっ、ちが、褒めてる褒めてる! 芯が強い証拠じゃない?」
「そっすね。俺としちゃ、そうやって一人で勝手に立ち上がってどっか行くより、たまには誰かに凭れかかって欲しいんすけどね。――どうだ平助、試しに俺に巻きついてみるか?」
 冗談めかしてわざとらしく肩を竦め、にやりと笑ってみせる原田に、藤堂は途端に居心地が悪くなってそっぽを向いた。
……馬鹿なこと言わないでください。あなたガッツ付与ないじゃないですか」
「ンははっ。ま、誰かを食い潰すような真似はできねえが、この通り、こいつのだけは口うるさくて十分すぎるほど鋭いからな」
 揶揄うように言いながらぐわんぐわんと人の頭を撫でくり回す原田を、藤堂はぎろりと睨み上げた。鬱陶しいと口では文句を言いつつも、本気で振り払うような真似はしない。
 あのイケダヤの特異点で見せた、凍りつくように冷たくて気まずい沈黙は、もう二人の間にはどこにもなかった。今ではこうして、生前のように呆れるような軽口を叩き合い、遠慮のない距離感にまで戻っていることが、藤堂自身でもひどく不思議で、そして少しだけ可笑しかった。
……棘があって悪かったですね。これ以上撫でたら、不用意に近寄ったその手、本当に怪我しますよ」
 精一杯の憎まれ口を叩いてみせる藤堂に、原田は全く堪えた様子もなく腹の底から愉快そうに笑う。
「あらら、怖い怖い。花の女神様、こいつの棘はどうにかならねえのか?」
 話を振られたフローラは、困るどころか慈しむように目を細め、ふふっ、と鈴の転がるような可憐な笑い声を零した。
「いいえ。その棘もまた、彼自身の脆い身を守り、ただ真っ直ぐに咲き誇るための美しい個性ですから。無理に折る必要などありませんよ」
 女神の優雅で優しい全肯定に、堪らなくなって、「もう、行きますよ!」と半ば逃げるように早足で歩き出した。支えを失って体勢を崩した原田を笑う声が、長閑な河原の風に心地よく溶けていく。
 自分は決して、あのように他者を食い潰して咲き誇る強かな花にはなれない。けれど、泥に塗れ、不器用にしか生きられなかった己の根っこを、こうして「おまえらしい」と笑い飛ばしてくれる存在がいるのなら。
 鮮やかな黄色い花と、自分を見守るような大男の確かな気配を背に。藤堂は小さく息を吐いて、それから誰にも見られないように、ほんの少しだけ口角を柔らかく持ち上げた。