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もろみ(もず味噌)
2026-05-09 19:49:43
4186文字
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ドレスアップ・キュイジーヌ(物理本用書き下ろしサンプル)
ふぇ~くWEB再録物理本用の書き下ろしデュマオラ♀のサンプル
あの日、約束は果たされなかった。
§
深いネイビーのドレスは糸の作成からオーダーメイドだった。最低限の魔術防御を仕込んだ礼装の役目も持つので当然であるとも言える。
オーランドは私服も含め基本的にパンツスタイル以外を身につけないが、このドレスは別だった。会食の際に着ることが多いため制服の一種という認識というのもあるが、わりと気に入っていると言っていい。露出が少ないデザインで、筋肉や傷を隠したい女にはお誂え向きなのも評価の高い点である。
とはいえ今回ドレスを選択したのは自発的なものではない。スーツをクローゼットから出そうとした時、キャスターから散々文句を投げ付けられたためである。俺は看守に監視されながらメシを食いたいわけじゃない、とかなんとか。
──そもそも今日はキャスターに対する慰労のようなものなので、文句を言われてしまえばオーランドもそれくらいは譲歩するしかなかった。
いつも邪魔だからと後ろへ流している髪も、額の傷痕を隠すようにセットした。アクセサリーは最低限殺風景な胸元を飾るだけ。化粧もさほど濃くはない。可愛げも面白味もないが、これで看守とは言われまい。香水はやめた。交流の場ならばともかく、食事の場には不要だろう。
玄関へ向かうと、キャスターが見慣れないスーツ姿で立っている。見るからに生地の質が良さそうだし立ち姿のフィット感からするとフルオーダーか。この間のカードの引き落としはこれだったか、と得心がいった。
「すまない、待たせた」
「女のラッピングを待てないほど無粋じゃねえさ」
「
…………
」
まるでこの後包装を剥ぐ予定があるような口ぶりだが、いつもの軽口だろうと判断してオーランドは黙殺した。
「傷が見えないのはちと残念だが、しかし、なかなか似合うじゃねえかそういうのも。姿勢がいいからか? あんたに一番似合うのはあの制服だと思ってたが、これは一考の余地がある」
「無理に褒めなくともいい」
オーランドがピンヒールを確かめながら溜め息を吐くと、キャスターはひょいと片眉を上げて剽軽な表情をつくる。
「世辞だと思うのは勝手だが、不意打ちで墜とされても知らねえぜ?」
「安心しろ、返り討ちにしてくれる。せいぜいあばら骨の心配でもしていろ」
ガツン、と威嚇するようにヒールを踏み鳴らす。もちろんこの靴も礼装としての役割を持っているので、魔力を通せばそこらの杭打機よりも頑丈で強力だ。聖杯戦争が終結した今、ここまで警戒する必要はないかもしれないが、オーランドにとっては魔術師としての生き方に絡みついた習性であるので今更変えられはしない。
オーランドが高いヒールを履くと、僅かにキャスターを見下ろせる。斜め下にある赤い瞳を睨むが、別段そこに敵意は込めていない。悪ふざけに対する軽い牽制のようなものだ。キャスターの方も軽く肩を竦めただけで気分を害した様子もない。まあ彼も、オーランドのこの調子に慣れてしまったのかもしれないが。
「とんだじゃじゃ馬の戦乙女だぜ、まったく。見た目通りお淑やかになれないもんかね」
「なんだそれは。単に君の目が節穴なのではないか?」
「
……
それはまあ、半分くらい同意だな」
男が目を逸らして気まずそうに呟いた。どこかで見たことがあるような表情にオーランドは少し記憶を浚ったが、真っ先に思い至ったのが内通者に気付かなかったことを悔いる顔だったので、あまり気にしないことにした。
(中略)
オーランドは窓に視線を向けた。すっかり暗くなったせいで外の様子は見辛く、よく磨かれたガラスには二人の姿ばかりが映っている。スーツ姿のキャスターと、ドレス姿のオーランド。
いい相手。客観的に見ればなるほど、そうなのかもしれない。けれど。
──マスターではない私は、いつまで君の隣にいられるのだろうか。
キャスター、アレクサンドル・デュマ・ペールが紆余曲折の果てに受肉してからずっと、そんな気持ちがオーランドの胸の中には渦巻いている。
心の底で蜷局を巻く思いを口には出せないまま、テーブルに最初の皿、レッドオニオンのジュレとキャビアのミルクレープが届く。同時にワインが注がれて、オーランドはグラスを手に取ってキャスターを見つめた。赤い瞳がじっと見つめ返してくるのが、居心地悪くはないがなんとなく擽ったい。
「乾杯でもしておくか」
「そりゃいい。音頭を頼むぜ、兄弟」
「では
……
あの日の約束に」
キャスターと目を合わせたまま、少しグラスを持ち上げる。どことなくあの時の指先の痺れが蘇るような錯覚に、オーランドは目を伏せながらグラスに口を付けた。ソムリエに説明されたところで酒の味の良し悪しはさほどわからないが、なるほど上等なのだろうという香りがする。盗み見たキャスターも機嫌が良さそうでほっとした。
「ハハ! あの日はあんたがそのまま寝ちまったし、その後からはそれどころじゃなかったからな。でもま、生きてこうして飯が食えるだけ上等ってもんだ」
「まったくだ。
……
まさか君と七日以上の付き合いになるとは」
「その通りだが、冷たいこと言いやがる。俺としては、ちったあ長い付き合いになる想像くらいしてほしかったんだがね」
赤いジュレと黒い宝石の乗ったミルクレープにナイフを入れながら、キャスターは肩を竦めてみせた。オーランドもそれに倣いながら小さく息を吐く。
「仕方がないだろう。未来を空想する暇さえなかった」
「そうかい。後始末が終わったら兄弟にもその暇が出来ると嬉しいんだが」
「
…………
ふむ?」
オーランドは視線をやや上に彷徨わせて首を傾げる。わからない。口にした料理の味が分からなかった訳ではない。キャスターの言葉が理解できなかったのだ。
二人は既にマスターとサーヴァントという関係ではない。今やキャスターは肉の身体を得て、マスターという軛から解き放たれた自由の身だ。いつまでもスノーフィールドに留まる理由はない。だというのに彼は、もう数週間オーランドの家でオーランドの世話を焼いていた。
寝食を忘れて奔走するオーランドを見ていられなかったせいだろうと思う。元マスターとしても、魔術師としても、警察署長としても、一人の人間としても不甲斐なかった。キャスターは情の深い人間だ。最早マスターではない者とはいえ、放っておいたら身体を壊しそうな相手を見捨てる真似は出来ないのだろう。
彼にはオーランドとは違って、見たいものも、食べたいものも、行きたいところも山ほどあるだろう。だから自分は早く聖杯戦争の始末をつけて、彼を自由にしてやらなくては──オーランドはそう思っていた。
しかし、今のキャスターの物言いは、なんだかおかしい。まるで、オーランドとキャスター、二人の未来を考えてくれたら嬉しいとでも言うような。
──まさか。そんなわけがない。
キャスターは「こりゃ美味いな」と満足げに頷いている。特にいつもと変わった様子は見られない。自分の曲解だろう、とオーランドはもう一口計算し尽くされた味の調和を味わいながら、己の烏滸がましさを自嘲した。
「
……
そうだな。それまでは君の行きたい場所の話でも聞かせてくれ」
「ああ、いいなそれは。とりあえず日本のフユキには御礼参りに行かなきゃならんと思ってるんだがどう思う? いやその近くに温泉地があるらしいな、そこへ行くのもいい」
「御礼参りは賛同しかねるが、温泉はいいのではないか。その前に君のパスポートを用意しなくては。出国が許可されるかは分からないが」
「協会が目を光らせてるんだっけか? つっても俺ぁ今やただの人間だしよお、観光くらいは許してもらいたいもんだぜ」
「まあ
……
そうだな。出自がどうあれ今の君は人間だ。細い伝手ではあるがなんとかしよう、ささやかながら君への礼になればいいが」
「そりゃありがたいが、兄弟に礼をされる謂れはねえよ。対価なら散々貰ったしな」
「
……
そうだろうか」
オーランドの胸の内に濁った感情が渦巻いても、丁寧で鮮烈な一皿は食欲を引っ張って食を進めさせた。空の皿が下げられて、パンとサラダがテーブルに届く。ローストシードのサワードウを千切りながら、オーランドは目を伏せて考える。
「私は、君に何かしてやれただろうか」
「もちろん。あんたのような、人の世の未来を守るために歩き続けられる人間に出会えたこと自体が、
俺達
英霊
にとっては眩しいほどの希望であり報酬だ。対価が俺の新作でもいいくらいだぜ?」
今は人の身とはいえ英霊として刻まれるほどの作家の言葉に、オーランドは僅かに微笑んだ。
ただひたすらに魔術師として、警察官として、聖杯戦争を止められなかった者であり見て見ぬふりを出来なかった半端者の責務として、前を向いて走り続けてきた人生だった。誰に認められずとも構わないその道程が他でもないキャスターに認められるのならば、それこそがオーランドにとっての報酬に他ならない。
胸が詰まる。背すじが震える。
いいのだろうか。私などが、私の方こそ、こんなに輝かしいものを貰ってしまって。
「──ああ、ありがとう、キャスター。しかし君の新作など出せば世界が引っ繰り返るからやめたまえ。せめてペンネームは変えるように」
「はは、じゃああんただけに読ませてやるとするか」
「それは駄目だ。世界の損失と言っていい」
オーランドの言葉を受けて、キャスターが穏やかに目を細める。そこにあるのは賑やかな男に不似合いな、静かな慈しみ。オーランドは一瞬、息が止まった。
「あんたにはそれだけの価値があるさ、兄弟。たとえあんたが一生気付かなくても認めなくても、俺はそう思ってるし信じててやる」
「
……
困った。そんな恩は、一生かかっても返せそうにない」
不確かな熱に詰まりそうな喉を何とか動かして言葉を絞り出したところで、次の皿が届く。
ホタテのクルードに、タンジェリンとラディッシュの色が鮮やかで華やかだ。オーランドはその皿の色彩を目で楽しんでから、キャスターの方を見る。キャスターも同時に視線を上げたのか、ぱちりと目が合った。
キャスターは少し困った顔で頬を掻いた。
「──参ったな。泣かせたかったわけじゃないんだが」
(後略)
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