02:26 P.M. 天候 晴れ
ロンディニウム近郊
テキーラは、幹線道路沿いにあるモーテル兼ダイナーの駐車場に車を停めた。
昼時を避けたおかげか、店は空いているようで、駐車場にも車はほとんど停まっていない。
エンジンを切り、車外に出て、雲ひとつなく晴れ渡っている空を仰いだ。昨日まで雨が降っていたのだが、今日は一日晴天が続きそうだ。
テキーラがわざわざロドスの社用車でここまで来たのは、遅い昼食を食べようと思ったからではない。きちんとした職務上の理由がある。
この場所で、とあるオペレーターと落ち合い、物資の受け渡しをする約束なのだ。
パーカーのポケットから個人端末を引っ張り出して、現在時刻を確認する。〝待ち合わせ〟には少しだけ早いが、もはや誤差の範囲内だろう。もしかしたら、相手の方が先に着いているかもしれない。
視線を巡らせ、だだっ広い駐車場を見渡していると、背後から足音が近づいてきた。振り返るよりも早く、背中に何か固いものが押し当てられる。
(大きさからして、剣の柄の先……かな?)
まさか相手が自分を忘れたわけもあるまいし、おそらくただの戯れだろう。こういった場合はノリ良く応じておくに限る。即座にそう判断して、テキーラは無抵抗を示すために両手を挙げた。
「……合言葉は?」
やや低く、落ち着いた女の声が言う。
聞き覚えのある――ありすぎる声だ。初めて言葉を交わしてから数年経つというのに、未だに聞けば背筋が伸びる。それでも、以前ほど緊張することはなくなったが。
「チェンさんも、そんな冗談言うんだね」
勿論、合言葉など初めから決めていない。
今回テキーラが荷運びの任を託されたのは、彼女と顔見知りだからだ。
わざと軽い調子で返事をすれば、背後から微かな笑い声が聞こえてきた。
「ドクターが、現地に行けば受け渡し役はすぐにわかると言っていたが、まさかキミだったとはな」
背から硬い感触が離れる。
両手を挙げたまま振り返れば、案の定、愛剣の柄あたりを握っているチェン・フェイゼと目が合った。
「ちょうど手が空いてたからさ。近くで武器の買い付けもしたかったしね」
小さく肩をすくめてから両手を下ろし、テキーラは社用車の後部ドアを開けた。座席には、取手付きのアタッシュケースが収まっている。
「キミはロドスでも武器屋を開いていると聞いた」
チェンと立ち位置を入れ替えれば、ヴィクトリアに馴染む装いの龍は、体半分を車内に突っ込んで、ロドスマークが刻印されたアタッシュケースを開いた。
「うん。お得意様も多いよ。エンジニア部の人たちに改良をお願いしたりもできるしね。チェンさんも、新しい武器が入り用だったら声かけてくれたら見繕うけど……」
「いや、今のところは間に合っている」
アタッシュケースに収められている抑制剤を確認しつつ、チェンはわずかに苦笑したようだった。水鉄砲を手に歓楽都市を駆け回った、数年前の夏を思い出したのかもしれない。
「……そうみたいだね」
テキーラは、チェンの腰に下がっている特徴的な形の剣を見遣った。
ドッソレスでは、布でぐるぐる巻きにされて、ついぞ日の目を見ることがなかった剣。それが今は、ごく当たり前のように、その姿を白日のもとに晒している。
当時、彼女が剣を布で覆い隠していたのには、いくつか正当な理由があるのだろう。休暇中だったから。運搬状の安全確保のために必要だったから。そのどちらも嘘ではあるまい。ウォーリアーチャンピオンシップで水鉄砲に持ち替えたのも、彼女が言っていた通り『剣では手加減ができない』からに違いない。
それでも、今になって思う。
あの時のチェンは、この剣を振るうことに迷いがあったのではないか、と。
曲がりなりにも武器屋を営んでいるのだ。持ち主の覚悟や迷いは、なんとなく察しがつく。
ドッソレスを訪れた頃のチェンは、おそらく何かに迷っていた。様々なしがらみに雁字搦めになりながら、それでも己の信念を貫こうとしていた。
(もしチェンさんが、何の迷いもなく、ただ真っ直ぐに正義を振りかざすだけの人だったら……)
果たして自分は、彼女の推薦を受けようと思っただろうか?
あの時、テキーラ――エルネストもまた、底なし沼に足を取られて、自らの進むべき道を必死に探していた。
――人を恐怖に陥れる行いで、正義を名乗れるものなんて一つもない。
同じように迷っていたチェンの言葉だったからこそ、この胸に真っ直ぐ届いたのではなかったか。
結果的にエルネストは、彼女の推薦を受けてロドスに入職し、ドクターの下で経験を積むうちに、新たな可能性を模索できるようになったのだ。
もしもあのとき、チェンやリンがドッソレスを訪れなかったら?
例えば父の企みが成功して、全く異なる道を歩んでいたとしたら? 自分はどうしていたのだろう。
きっと、何もかもが違ってたはずだ。
将来に対する答えなら、自分一人でも見つけられたかもしれない。
しかし、その答えもまた、今とは違ったものだったのではないだろうか。
少なくとも、ボリバルを出て大地を巡ろうなどとは思わなかった。
「ドクターはどうしている?」
車内に体半分を突っ込んだまま、他愛のない世間話のようにチェンが切り出した。
意外な話題だった。
チェン・フェイゼは情に厚い人ではあるが、あまりそれを表に出すタイプではない。特にドクターに関しては、あまり表立って言及しないイメージだった。
信頼していないからではなく、その逆で。信じているからこそ、相手の自主性を重んじて、互いの歩みに干渉しない。
ドクターとチェンは、そういった適度な距離を保っている印象だった。
何に対しても即座に反応を返してくるテキーラが、珍しく口篭ったのに気づいて、チェンは小さく笑った。
「ドクターのことなら、キミに訊くのが一番早いだろうと思ってな」
「あー……」
なるほど。つまり、からかわれたということか。
別に隠しているつもりもないが、大っぴらに触れ回ることでもないので、チェンには報告していなかったのだが、彼女の口ぶりからすると、おそらく既に知られているのだろう。
テキーラがドクターと、プライベートにおいて〝親密なお付き合い〟をしているということを。
「……表向きは、いつも通りに振る舞ってるけど、ロンディニウムでは色々あったみたいだから、正直結構参っているように見えるよ。ただ、チェンさんが抑制剤の件でロドスを頼ってきてくれたのは、少し嬉しそうだったかな」
ロンディニウムでの顛末について、テキーラは細部まで把握しているわけではない。
ただ、多くの人々が認識している〝サルカズとヴィクトリアの戦争〟以上の何かが、水面下で起こっていたのだということはわかる。
それによって、ドクターの心境になんらかの変化が起こったことも。
「抑制剤の申請について、何か言っていたか?」
「何も。必要なものだろうからって」
「そうか」
「チェンさんだって、ドクターがそういう反応するってわかってたんでしょ?」
「……そうかもな」
チェンは、短く応じると、閉じたアタッシュケースを手に車外に出た。
今回チェンは、正規の申請方法ではなく、ドクターに直接抑制剤の手配を頼んできた。ルールを重んじるチェンらしくない振る舞いではあるが、彼女が私利私欲のために決まり事を破るとも思えない。だからこそドクターは彼女の要求に応じたし、テキーラを運搬役に選んだ。
チェンは今、家族のためにテラ各地を巡っていて、〝レユニオン〟との関わりもある。この抑制剤は、彼女の道程において必要なものなのだろう。
背筋を伸ばして立ったチェンは、自分の前に立つ青年を、しばらくの間無言で見つめた。
まるで肉や骨を透かして、心の中身までも見定めるような眼差し。
そういうところも、案外ドクターと似ているな、とテキーラは思った。
「キミたちをロドスに斡旋したのは、私の自己満足だったのではないかと、あれから何度も考えたが……」
やけに改まった口調で切り出されたので、テキーラも愛想笑いを仕舞い込んだ。
「どうやら悪い選択ではなかったようで安心した。少なくとも、キミとロドスは相性が良さそうだ」
冗談や軽口には聞こえなかった。まるで、心の底からの本音に聞こえ、テキーラは息を呑む。
チェンは、ロドスに確かな信頼を寄せている。そんな彼女から見て、今の自分は〝ロドスに馴染んでいる〟ように見えているのだろうか?
ドッソレスであれほど無様な姿を見せてしまったから、彼女の中での自分の評価は、決して高くはないだろうと踏んでいたのに。
もしも今の自分が、彼女の目に〝ロドスのオペレーター〟らしく映っているのだとしたら、素直に嬉しい。
何故ならテキーラにとってロドスとは、理想を貫こうとあがく者たちが集う場所だからだ。
「チェンさんには本当に感謝してるんだ。今の俺があるのは、あのとき手を差し伸べてもらえたからだし」
テキーラは、自分が善人だとは自惚れない。
必要とあらば、決して褒められない類の手段も用いるだろう。
それでも、尊敬する人に恥じぬ自分でいられるように、できる限り正しい道を選びたいと願っている。
その願いは、ボリバルで生きていく以上、貫けない理想だと諦めていた。
一度は捨てかけた理想と、もう一度向き合ってみようと思えたのは、ロドスと出会えたおかげなのだ。
「それに、チェンさんたちがいなかったら、ドクターにも会えなかったからさ」
真面目な話をしたら急に恥ずかしくなってきたので、照れ隠しも兼ねて少しだけおどけてみせた。
チェンは一瞬、呆気に取られた様子で目を瞠り、その後に苦笑を漏らす。
「まさかキミからそういった類の話を聞くことになるとはな」
「そうだよね。俺も自分でびっくりしてるよ」
「だが、ドクターはああ見えて抱え込むたちだ。キミのような〝目ざとい〟人間が傍にいるのはいいことだろう。アーミヤやケルシー先生にも、それぞれ果たすべき役割があるだろうからな」
「……うん。助けになれるように頑張るよ」
テキーラは、偶然もたらされたこの機会に感謝した。
ドッソレスでの一件以来、チェンと顔を合わせたのは数度だけ。そのいずれもが、大勢が集まる催しのタイミングだった。
これまでずっと、感謝を伝えられずに時を重ねてしまったけれど。
あの刺激的な夏からずいぶん遠くまで来て、ようやくひとつの区切りに到達できたような、不思議な清々しさを感じ、そして――
助手席に乗せている剣を手に取るまで、何秒かかるかを考えた。
先程から、何者かが自分たちを視ている。
「チェンさん」
全身に広がる緊張を表に出さないよう努めながら、テキーラは極力和やかに語りかける。
「車で送っていこうか? 俺は少しくらい遠回りして帰っても平気だし」
チェンは勘の鋭い人間だ。テキーラの言葉に言外の含みがあると、一瞬で察しただろう。
そのうえで、彼女は眉ひとつ動かさなかった。さすが元龍門近衛局のエリートというべきか。それとも、彼女自身が具える頑強な意思の為せる業か。
「いや、キミの手を煩わせるまでもないさ。途中で〝友人〟とばったり出くわすかもしれないが、他愛のない話をして別れるだけだろう」
「……」
チェンは、青年の発言から正確にその意図を汲み、それでも車での送迎を固辞した。
彼女の返答はかなり婉曲的だったが、テキーラはその言葉から、チェンが〝危険はない〟と断言しているのを察した。
チェンの慎重さと腕っぷしの強さを、テキーラは身をもって知っている。
彼女が本気で――それこそ腰の剣を抜くようなことがあれば、彼女に加勢したくとも足手纏いになりかねない。
それに、先程から感じられる〝気配〟には、明確な敵意がない。抜け目なくこちらの動向を窺ってはいるようだが、仕掛けてくるとは思えなかった。
「なにより、キミはまっすぐドクターのところへ帰ったほうがいいんじゃないか? きっと寂しがっているぞ」
「おっと……」
気を張るテキーラを和ませるためなのか、チェンから更にからかいが飛んでくる。
凛々しい顔に不敵な笑みまで浮かべて見せる彼女の余裕を目の当たりにしたら、事情も知らない自分が余計な気を回すのは、失礼に当たるのではないかとさえ思えてきた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて、まっすぐ帰ろうかな」
「ああ、手間を掛けさせた」
「チェンさんも、気をつけて」
チェンは頷き、あっさり踵を返した。
躊躇いも名残惜しさも感じさせない足取りで、来た道を戻ってゆく。その迷いのない歩みがいかにも彼女らしく、テキーラは小さく笑みをこぼした。
「テキーラ」
しばらく歩いたところで、不意にチェンが足を止め、肩越しに振り返った。忘れ物を思い出したような仕草だったので、テキーラは首を傾げて彼女の言葉の続きを待つ。
(あれ、でも……)
もしかしたら、コードネームで呼ばれるのは初めてじゃないか?
過去に関わりのあった人間としてではなく、対等なオペレーターとして認めてもらえた気がして、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「キミは――」
そして、チェンがそのあと口にした言葉は、さらなる感慨を青年にもたらしたのだった。
*
「お疲れさま。お昼ご飯はちゃんと食べた? うん、無事に荷物は渡せたよ。顔を合わせるのはだいぶ久しぶりだったけど、思っていたより元気そうだったかな」
チェンを見送り、念のためしばらくその場で待機したのち、テキーラは社用車の運転席に乗り込んだ。
個人端末を手に取り、掛け慣れた番号に発信すれば、数コールで相手が出た。今日は外回りの予定もないので、今頃はデスクで書類と格闘している頃合いだろうと踏んでいたが、予想どおりだったらしい。
「監視がついてるみたいだったけど、あれはレユニオン側の人間じゃなくて、正式な訓練を受けたプロじゃないかな? 感じ取れたのは気配だけで、姿は全然見えなかったから」
チェンが立ち去ると同時に、奇妙な〝気配〟もまた消えた。やはり、彼女についていた監視なのだろう。
《レユニオンは多様な人材の集まりだから、専門技能を備えた監視役がいる可能性もあるが、おそらくは炎国の諜報部だろう。彼女の動向は彼らも気にしているはずだし。でも、チェンはあまり身構えていなかったんだろう?》
「『〝友人〟とばったり出くわす程度』って言ってたから、剣を抜くようなことにはならないとは思うよ」
《チェンが平気だというなら、たぶん大丈夫だろう。彼女は抱え込むほうだけど、以前と比べたら無茶を通すことも減ったからね》
「……ははっ」
《どうかした?》
「ごめん、急に笑ったりして。さっきチェンさんも同じようなことを言ってたからさ」
《同じような……》
「ドクターは抱え込むたちだって」
《……なるほど》
端末の向こう側で、ドクターは苦笑したようだった。
「じゃあ、今から戻るね。ここからだと一時間もあれば本艦に戻れると思うよ」
《何かいいことでもあったのかな?》
「え?」
通話を終えようとしたタイミングで、脈絡のない問いが耳に届いた。
《今の君はずいぶん機嫌が良さそうだ》
「……」
全く自覚がなかったので一瞬面食らったが、ドクターが言うならそうなのだろう。
〝いいこと〟なら確かにあった。
つい先程。
別れ際にチェンから掛けられた言葉。
――キミはだんだんドクターに似てきたな。
彼女にとっては他愛のない世間話なのだろうが、テキーラにとっては重要な意味を持つ一言だった。
(俺はずっと、ドクターに追いつきたくて……)
けれど、同じ場所にたどり着くのは不可能だと理解してもいる。
それでも。たとえ少しずつだったとしても、近づくことができているのなら。
自分の望む未来へ、進んでいるのだと信じられる。
「帰ったらゆっくり話すよ。だから今日は君の部屋に泊まってもいい?」
無事におつかいを済ませたので、ご褒美が欲しい気分だった。
軽い調子でお泊りをねだったら、ドクターはくすくすと楽しそうに笑ったあとで、「いいよ。気をつけて帰っておいで」と、お許しをくれた。
「うん、待ってて」
浮かれてスピードを出しすぎないように気をつけないと。
逸る気持ちを抑えつつ、テキーラはハンドルに手をかけた。
【おわり】
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