こばと
2026-05-09 11:47:21
2507文字
Public タキ書♀
 

スリジエールの花びらの中で


お付き合い済みのタキ書♀



 爽やかに吹き抜ける、風のような人だと思っていた。
 自由にどこまでも行けて、どこへだって行けてしまう。そんなタキ先輩のことが大好きで、でもそれと同じくらい、私はいつか来るかもしれない『終わり』を恐れていた。
 いつか、いつの日か、タキ先輩は私を置いてどこか遠くの場所へ旅立ってしまうかもしれない。
 もしもその場所が、もう二度と戻って来ることも、会いに行くことすらできない場所だったら。
 タキ先輩を失う世界を想像しただけで、身震いしてしまう。失いたくない、かけがえのない大切な存在。いつも、いつまでも、ずっとそばに居たい人。
 でも、どこにも行かないでなんて言えない、言いたくない。大切で大好きだからこそ、自由に飛び回る先輩の枷にはなりたくなかった。
 ただ、せめて二人で過ごす時間だけは、誰よりもそばでタキ先輩を見つめていたい。手を伸ばせば触れ合う距離で、互いの体温を感じていたい。そう願うくらいのわがままは、許されるだろうか。

 *

 スリジエールの花が見頃だからとタキ先輩に誘われやって来たのは、とある湖のほとりだった。
 湖畔をぐるりと囲うようにスリジエールの木々が満開の花を咲かせ、透き通った水面は薄桃色に染まっている。
「わぁ……すごく、綺麗……
「ああ、いい眺めだろ? 去年たまたま見つけてさ、いつかレイを連れて来てやりたいと思ってたんだ」
 そよぐ風に乗って花びらが舞い踊る中、顔を綻ばせながらこちらを振り返るタキ先輩の姿に目を奪われる。
 眩しそうに目を細め、まるで宝物でも見つけたかのようにくしゃりと笑って見せるその表情が、他の誰でもなく私だけに向けられているのだから。
……嬉しいです」
 幻想的な美しい景色を見ることができたのはもちろん、タキ先輩がふとした瞬間に私を思い出してくれたこと、ともに感動を分かち合う相手として思い浮かべてもらえたことが、何よりも嬉しかった。
 先輩の表情につられるように、私もまた目を細めて目の前の愛おしい人の姿を目に焼きつける。満開のスリジエールを背に、陽光を受けてきらきらと反射する水面と、その煌めきすら霞んでしまうようなタキ先輩の笑顔に胸が高鳴った。
「ここからの眺めも最高なんだけどさ、もっといいもん見せてやるよ」
「いいもの、ですか?」
 差し伸べられた大きな手のひらにそっと手を乗せると、ぐっと引き寄せられる。嗅ぎ慣れた先輩の匂いがふわりと香って、その距離の近さに顔を赤らめていると「そろそろ慣れろよな〜」なんて揶揄うように笑いながら、タキ先輩が覗き込んでくるものだから、いっそう頬は熱を持ってしまう。
 分かっていてわざとやるのだから、先輩は意地悪だ。でも、私にだけ向けられるこの顔は嫌いじゃなかった。
「エアブーツ、持ってるか?」
「え? あ、はい。ステラの中に……
「よし! じゃあ、この季節だけのとっておきの楽しみ方、教えてやるよ!」
 ニッと頼もしい笑みを浮かべたタキ先輩に引っ張られ、ついて行った先は空の上だった。
 下から見上げる満開のスリジエールも圧倒される美しさだったが、眼下に広がる薄桃一色の景色もまた絶景だ。時折吹き抜ける春の風に乗って、咲き誇る花びらがを空へと舞い上がってくる。
 それは草木が芽吹く季節の訪れを祝福するフラワーシャワーのようで、そんな花びらを掻き分けながら歩く二人きりの時間は、とても贅沢なものだと感じる。広い空の上には、群れを成して羽ばたいている鳥たち以外、タキ先輩と私しかいなかった。
……すごいですね。薄桃色の絨毯の上を歩いてるみたいです……本当に綺麗」
「空の上から眺めるスリジエールもいいもんだろ?」
「はい! 連れて来てくれてありがとうございます、タキ先輩」
「ああ。そんなに喜んでもらえるなら、連れて来た甲斐もあるってもんだ」
 ふわり、ふわりと、踏みしめる大地のない空中を歩くのはほんの少しコツがいる。エアブーツの扱いにはだいぶ慣れてきたものの、強い風が吹くたびバランスを崩しそうになる私にからからと笑いながら、タキ先輩がさりげなく身体を支えてくれた。
「おいおい、大丈夫か〜?」
「だ、だいじょう、ぶ……っ!」
 心配する先輩に大丈夫だと告げたそばから、一際強く吹き抜けていった花嵐に煽られ、ぐらりと揺れた身体。ぶわりと吹き荒れる花びらが視界を埋め尽くすが、その勢いに目を開けていられない。
 思わずぎゅっと目を瞑れば、あんなにも眩しかった世界が一瞬で暗闇に変わってしまって、言いようのない不安が胸に広がる。目を開けた瞬間、すぐ目の前にいるはずのタキ先輩が姿を消してしまっているんじゃないか、なんて。
 そんな馬鹿げた予感に襲われ立ち尽くしていると、私の腕を掴んだ覚えのある温もりに気づいて、ハッと顔を上げた。
「レイっ、大丈夫か?」
……タキ、先輩……
「ほら、手」
「え?」
「繋いでおかないと、お前は危なっかしいところがあるからな」
「そ、そんなことは」
……なんてな、俺が心配なだけ」
 いつもはきゅっと持ち上がった意志の強そうな眉を下げて、タキ先輩がどこか困ったように笑う。それは先輩自身も自分の感情を受け止めかねているような、どこか困惑を隠しきれていない表情だった。
「花嵐に、連れ去られるかと思っちまった」
……私も……先輩がいなくなっちゃうかと、思いました」
「あははっ。俺がかぁ?」
「もうっ、笑いごとじゃないんですからね」
「はは、わりぃわりぃ。でもほら、もう大丈夫だろ?」
 しっかりと指を絡めるように繋いだ手を顔の前に掲げながら、タキ先輩が自信たっぷりに笑う。
 胸の奥に巣食っていたはずの不安は、いつの間にか霧散するように消え去っていた。もしかしたら、スリジエールの花嵐が吹き飛ばしていってくれたのかもしれない。
 きっとこれから先も、また何度も不安に襲われてしまうことはあるのだろう。
 けれど、そのたびこうしてタキ先輩と手を繋いで、隣にいることを何度だって確認して、歩いて行けばいいのだと。今は不思議と、そう思うことができた。