aknzy
2026-05-08 23:17:44
9027文字
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嘘つき


一年生の鉢雷メインに、最後に少し五年生の鉢雷がいます

※以下、書きながらメモしていた、己の己による己のための萌えポイントメモ(若干のネタバレあり)の転記

幼さが出ていて可愛い!と思いながら書いたところ

・地獄での……という突拍子もない話に、雷蔵と同じじゃなくなっちゃうかもしれないという衝撃と恐怖が先行して、そもそもの前提がちょっとおかしいことに突っ込めない三郎

・そして、そのまずそもそもちょっと変な前提をさも現実の話かのように話す雷蔵
雷蔵、お化けとか神様とかはいると思いつつほぼ怖がらないイメージがある いると思っているから、かな

 少し肌寒さの残る風が当たりを吹き散らし、春の陽のあたたかさをかき消すような曇り空の下。忍術学園は午後の授業を終え、委員会活動や鍛錬、宿題に遊びと忍たまたちが各々の時間を過ごす頃。一年長屋の一角では、外の喧騒をよそに、同じ顔をした二人のたまごが膝を突き合わせていた。

「話があるって、一体どうしたんだ? 雷蔵。今日は一緒に裏山で薬草探しをしようって話してたじゃないか」
「もちろんそれは行くよ、この話が終わった後にね」
「でも……お昼を過ぎたあたりからずいぶんと風が冷たい。あまり遅くなると雨が降り出してしまうよ?」

 昨晩、雷蔵が古書の所蔵にあたって図書室へ配架する前に行う修補作業の自主練習に、本をいくつか持ち帰ってきた。その本の山の中に、山の薬草の植生に関する本があった。集中する雷蔵の邪魔をしないようにと手に取った本だったが、適当に開いたページに描かれた挿絵はとても美しいものだった。

 変姿の術の鍛錬の一環として、観察力を高めるために写生をすることがある。一年生らしからぬ、そっくりそのまま描き写したような絵だと言われるものを描く私から見ても、その挿絵はまるで頁を草木の上から押さえつけ、丸ごと紙に収めてしまったかのような細やかさでもって描かれていた。初めて見るその線の美しさに夢中になっていると、修補作業に一区切りついた雷蔵が私の手元を覗き込んで「すごい、本物みたいだ。これはちょっと、山に生えてるものと見比べてみたいね」と言ったのだ。
 目を輝かせるその姿に良いことを思いついた私は、ちょうど腹を鳴らした雷蔵の手を引いて夕餉前の図書委員長のところへ向かった。わけを話すと、委員長は柔和な笑顔で「良いことをした頑張るよい子には、ちゃんとご褒美をやろなくてはな」と、修補を終えたのなら配架前に持ち出して良いと、二つの握り飯と許可を出してくださった。

 そうして今日、午後の授業を終え、二人でせっせと修補作業を終えたところだった。本来なら、厠から戻ってすぐ、紅葉狩りならぬ薬草狩りのため裏山へ出発していたはずなのだが。筆記具を片付け、出発前にと足を運んだ厠から戻ってくると、にっこりと上がっていた雷蔵の口角は、すっかりへの字に折れ曲がってしまっていた。
 一体この短い時間に何があったのか。とんと見当もつかないため、それを隠しもせず雷蔵に尋ねる。

「で、話って何なんだい?」
「うん、それがね。三郎、お前一昨日い組の生徒に勘右衛門の顔でちょっかいをかけたろう」
「あぁ、かけたな。確かにかけたが、そんな深刻なものじゃないし、勘右衛門もその後お団子一本でちゃんと機嫌は直しておいたぞ?」
「いや、別にそのいたずらのことを怒ろうってわけじゃないんだ。あと、先週末の話だけど……

 そうして雷蔵は私がここ一月ほどの間にしかけたいたずらを、つらつらと挙げていった。

 一つ、ほうぼうで潮江先輩に変装し独り言をこれみよがしに聞かせることで、二年生の先輩方のあらぬ噂を流させようとした。
 一つ、兵助に対して、勘右衛門が豆腐を食べたがっていたと伝言の体であらぬことを伝えた。
 一つ、前髪の一部分だけ上げる髪型だと、それを止まり木と勘違いした虫が寄ってきやすくなるという嘘を八左ヱ門に教えた。等々。

 そうして雷蔵が指を上げ下げしながら挙げたおおよそ五十個に及ぼうかといういたずらは、全て身に覚えがあるものだった。てっきり、私の知らないところでいたずらで済まないほど話が大きく広がってしまったとか。私ではない別人の手で起こされたいたずらの冤罪をかけられてしまうだとか。そういったものを想定していたのだが。

「ああ、確かにすべて私がしたことだが……一体それがどうしたんだ?」
「お前、これだけあって何も思わないのかい?」

 真面目な雷蔵にとっては数が多かったのだろうか。雷蔵の小さめで愛らしい口からため息が溢れるのを見て、慌てて言葉を重ねる。

「確かにこうして数えてみると、ここのところは少し多かった……かもしれない」
「かもしれない、じゃなくて多かったんだよ。三郎が厠に行っている間に、木下先生が来られたんだ」
「木下先生が? ……なんて仰ってたんだ」
「『近頃の鉢屋三郎は、少しばかりいたずらが過ぎる。不破、お前から一つ言っておいてくれないか』って」

 一年い組の実技担当教師である木下先生だが、生物委員会の顧問として八左ヱ門が何かと相談しているのを見かける。先生やろ組の同級が注意しても滅多に言うことを聞かないと知っていたのだろうか。

「八左ヱ門が三郎に教えてもらったんだと前髪を立てて虫を集めようとしていた、って。八左ヱ門が気に入って常にその髪型をするようになったから気づいたんだって」
「最近妙にずっと虫を集めようとしているとは思っていたが。八左ヱ門、あの髪型気に入ってたのか……

 八左ヱ門が気に入ってるならそれはそれで良いんだけど、と雷蔵が続ける。

「たまたま部屋の前を通りがかられたついでに話しておいた、くらいの軽い注意ではあったよ。だけど……ところで三郎、昨晩薬草の本を読んでいただろ?」
「ああ、これだな」
「僕が隣で修補してたのは、和歌について書かれた古い本だったんだけど……

 そう言うと、雷蔵は本を手に取り、開いてみせた。

「ほら、ここ。地獄について書かれた和歌がいくつか載ってたんだ」
……へえ。地獄か」

 地獄。閻魔様が地獄行きかを見極めて、罪人は地獄へ。そうでない者は輪廻の道へと振り分けられるという、あの地獄か。

「そのうちの一つ……これだ。これ、ほら。読んでみろって」

 そこには、嘘をついた者には舌を抜かれる罰が待っていることを怖がっている和歌が綴られていた。

「だから三郎、やたらめったら嘘をつかない方が良いと思うよ」

 そうして心配そうにこちらを伺う雷蔵に、私はぽかんと口を開け、頭の中を駆け巡る言葉たちを口に出せずにいた。
 雷蔵、私を心配してくれているのか。いたずらに呆れるでもなく、私がいつか受けるかもしれない痛みを心配してくれているのか。……ああ、君は本当に優しいやつだ。でも、でもね雷蔵。

「ありがとう、雷蔵。……でも、私たちは忍者だ。相手を欺くために嘘をつくのは必要なことだから、その時は甘んじて受け入れるさ」

 情報を用いて数多の城の裏側で暗躍する忍者。程度の違いはあれど、皆同じように嘘をつくものである。

「あぁいや、そっちの心配じゃないよ。というか、そういう嘘は僕だって実習とかオリエンテーリングでもうとっくについてるもん」
「あ、あぁ。確かにそうだな」

 雷蔵の冷静な言葉に、冷や水を浴びせられたようにしゅんと肩を窄める。確かに。忍務における嘘を数えるのなら、雷蔵だって私と一緒に舌を抜かれるはずである。だって双忍だもの。
 それどころか、雷蔵と一緒にペアを組んで挑んだオリエンテーリングでは他の班の妨害として初めて偽書の術を試したが、あの作戦の発案者は雷蔵だ。目を輝かせて、楽しそうに騙すコツを散りばめていた。かわいかった。
 そんなことを考えていると、雷蔵は咳払いをえっへんと一つ落とし、ぴし、と指を立て改めて話し始めた。

「そうじゃなくってね。舌を引っこ抜くのって、どうやら地獄の鬼の役目らしいんだよ」

 唐突に地獄で働くものたちに思いを馳せ始めた雷蔵に些か困惑したが、目線で先を促す。

「嘘をつくなんて、殆どの人が一度はやったことあるだろ? だから、きっと人がたくさん行くと思うんだ。ということは、鬼もたくさんいるはず。……そうするとさ」

 ずい。にじり寄ってきた雷蔵の膝が、コツンと私の膝に触れる。

「三郎の舌を抜く鬼と僕の舌を抜く鬼は、力加減とか、どのくらい抜くかとか、ちょっと違うんじゃないかな」
……うぅん、そうかもな?」

 ……どうしよう。困った。雷蔵が何を言いたいのか、いよいよ全くわからなくなってきたぞ。
 しかもわからないのに、なんだかちょっと重大な事実に気づいちゃった、みたいな言い方をする雷蔵がすごく可愛くて、一旦話を止めるべきであろうところで思わず相槌を打ってしまった。
 このままでは裏山へ行けずに日が暮れてしまう。このお説教のような時間を終える方法について首を傾げていると、雷蔵がぴんと立てていた指を下げた。

……お前、分かってないだろ」
「うん。つまりどういうこと?」

 正面からまっすぐにこちらを見据えていた雷蔵が、横へ素早く移動し、耳元に手が添えられる。すう、と息を吸い込んだ後、ゆっくりと雷蔵は答えてくれた。

「だからさ、三郎。舌の抜き方が違うってことは……僕たち、口の中のかたち、違っちゃうんじゃないか? 口開けてって言われたら、どっちがどっちか分かっちゃうと思うよ。僕たち、『おなじ』じゃなくなっちゃう」

 『おなじ』じゃなくなっちゃう。雷蔵の言った言葉を、その意味を理解した瞬間、額の上がじんと痺れ、心臓が跳ねた。

 口の中が違う? え? 舌を抜かれた後の口の中ってどうやって変装すれば良いんだ? 髪は鬘を、顔は面を、傷跡は化粧を施せば変えられる。その姿へと成ることができる。
 だが、骨格や体型はその限りではない。竜王丸さんやシナ先生の高みまで到達できれば、その外形は変えることができるだろう。でも、体の内側はどうだ? 果たしてそんなことできるのか。
 いや、できないと、口を開けただけで分かってしまう。

 雷蔵は、私が雷蔵の姿に変装していることを誰よりも嬉しそうにしてくれる。そっくり同じところに描いた黒子や跳ねる角度までぴったりな鬘、ふと目があった時の眉の角度。私が変装して同じ姿形にしているところを見つけるたびに、とても嬉しそうに「そこ、僕と一緒だ」とはにかんでくれるんだ。そこまで見られているのは恥ずかしいけど、とても嬉しいって。本当に僕の顔が好きなんだねって、そう言ってくれた。

 それなのに、もう同じになれないかもしれないのか。



 同じじゃなくなっちゃう。
 僕に変装することがすごく大好きな三郎なら、きっとこの可能性に思い当たったらもう嘘はつかないだろうと思った。だからもう嘘をつかないでおくれって、先生の注意通りにした方が良いよって言った。言ったんだけど。
 でも、もしこの先三郎が嘘をつかなかったとして、一緒に忍者として頑張っていたら、多分おんなじくらい忍務で嘘をつくことになる。そうすると、今日まで、なんなら忍術学園に入学する前なんかに三郎がついた嘘はそのままに、僕と三郎の差は埋まらずにただ積み重なっていくだけじゃないか? それって、解決にはなってないよね。……ううん、どうしよう。

 よく誤解されることが多いんだけど、三郎が僕に変装していたずらしているのは、別にそんなに嫌じゃない。それどころか、そういう姿を見ると僕もすごく嬉しいんだ。迷惑なんじゃないのか、何か困ってたら言いなさいよ。そう声をかけられるたびに、そんなことないです良いやつです、と訂正してまわっている。まあ、本当に面倒なことに巻き込まれそうなことは、できればあんまりしないで欲しいけど。でも、三郎が三郎として何かしている姿に、僕の顔を選んでくれているのは、とっても嬉しい。
 それに、そうして三郎が僕の姿でいろいろないたずらをしているのを見ると、なんだか僕まですごくなったような気分になる。迷わずいろんなことを決めて、あざやかな技でもって悪戯を成功させる。僕も三郎みたいにかっこいい忍たまになりたいなって思う。

 ……あと、悪戯をしているところに僕がたまたま通りかかったりすると、三郎はちらちらこっちを伺うように見てきて、それがなんだか、ちょっとかわいいのだ。八左ヱ門に話したら、驚かせ過ぎてしまったのか、牛蛙みたいな声の「おほ〜」が飛び出たけど、僕は三郎のそういうとこ、かわいいと思う。

 三郎には僕の変装をしていて欲しいし、そんな三郎とずっと一緒にいたい。でも、今のままだと多分それはちょっと難しい。生きている間は大丈夫だと思うけど、舌の付け根の形が違うと、口を開け、いたずらしたのはどっちだ! って地獄の鬼に叱られたらすぐ分かっちゃうし。うーん。同じ姿でいられないかもしれないのは、嘘の数が違うことが原因で……あっ。それじゃあ、僕も嘘をつけば良いんじゃないか?
 これから三郎には嘘をつくいたずらは我慢してもらって、今まで三郎がついてきた嘘の分だけ、僕も嘘をつけば良いんじゃないか? 三郎がしてきたいたずらの数だけってなるとちょっと僕じゃ思いつかないくらいの数が必要だし、何よりそんなことを僕がしてたら三郎がちょっかいをかけないわけがない。良いことを思いついた、って嬉しそうな顔をしてさらにいたずらを重ねてくるに決まってる。僕がいたずらをやり返すのはダメだ。

 いたずらじゃない嘘ってことは……ちょっと重い嘘をつけばちょうど良いんじゃないかな。

 重い嘘かあ。三郎の嘘はいたずらで、時々本当に怒らせちゃうこともあるけど、笑って流せるようなものがほとんどで、それとは違って重いってことは……ちょっと人を傷つけちゃうような嘘ってことかな。人を傷つけちゃう嘘。全く気が進まないけど、事情が事情だから仕方ない。
 それを三郎に対してつけば、今まで三郎がついてきた嘘が、僕に嘘をつかれたことで少し帳消しになるかもしれない。そうすれば、一回で済むはず。僕は三郎を傷つけたいんじゃなくって、一緒にいたいだけなんだから、傷つける回数なんて本当は一回だってない方が良いんだけどね。

 傷つけちゃう嘘かぁ。三郎が悲しそうなのは見たくないけど……でも、三郎ならきっと許してくれるはず。それどころか、そうして僕が嘘をついている、ってことまで分かっちゃうかも?どこからともなく現れて、迷ってる僕に助言をくれるようなやつだ。それくらい、お茶の子さいさいかも。
 うん。よし。そうと決まれば。思い立ったがなんとやらって言うし、もう早いところ済ませちゃおう。

「三郎!」

 さっきからずっと黙り込んでいる三郎の正面へと戻って、肩を掴む。少し震えている手でぎゅっと握り、俯く三郎の頭に向かって、言った。

「僕、三郎のことが大嫌い。これからもずっとずっと、一緒にいない!」

 これで同じになれると思っていたからか、ちょっと弾んだ声で言っちゃった。これじゃあきっと全部ばれてるや。ばれてた方が良いとはいえ、なんとなく気恥ずかしくなって「えへへ、なんちゃって」と言葉を付け足してみる。

 ……おかしいな。僕の想定ではもうとっくに「雷蔵、そんな言い方をしたら全部嘘だって丸わかりだぞ?」みたいなことを言われて、それに僕がだよね、って返して終わりのはずだったんだけど。雨が降り出しては嫌だし、そろそろ薬草摘みに行かないとだよね? なんちゃって、と言ってからもう三十回は心の臓の音が聞こえた気がする。

「三郎、どうしたんだい? もちろん分かってる、と……おも……

 下を向いたまま返事を返さない三郎を覗き込んで声をかけようとしたものの、用意した言葉を全て言い切ることはできなかった。

 三郎が、声も出さずに顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

……えっ、さ、さぶろう。待って、そんなに泣いたら面がダメになっちゃうよ」

 大粒の涙をぼろぼろと溢し、唇をぎゅうぎゅうに噛み締めて泣いている。慌てて懐紙を取り出そうと肩を握っていた手の力を緩めた途端、それまで膝の上にあった三郎の両手が、僕の腕をぎゅうと強く握りしめた。

「さぶろう、顔を拭かないと。ごめんよ、そんなに泣いちゃうだなんて思ってなくて」

 お前と同じになるための嘘だよ。でも傷つけてごめんね。言っちゃいけないことを言ってしまった僕が悪いんだ。

……らいぞ、っ、ら、ぃぞう」

 三郎が、しゃくりあげながら途切れ途切れに話す。三郎をこんなに泣かせることになるとはまるで思ってなかった。いつもみたいに全部お見通しで、きっと笑って終わりだろうって。なんでこんなことをしちゃったんだろう、ごめんね。泣きじゃくる三郎を前にそう思うたび、涙が出そうになるのを必死に耐える。僕が泣いていいところじゃない。

「らいぞぉ、ごめん、ごめんね」
「なんで三郎が謝るのさ、僕が悪いんだよ」

 そう伝えると、三郎は、僕の方を向いた。目は赤く充血し、鬘が汗で額に張り付いている。僕を模した丸い目が、半月の形に細められ、ぎゅっと閉じる。震える息を何度か吐き出し、大きく息を吸うのを、僕は黙って見ていた。

「ちがう、らいぞうに、嘘をつかせてごめんね」
「え?」
「らいぞうが、私と一緒にいたくて、嘘をついて、同じになろうとしてくれたのは、わかってたよ」
「そっ……か、それは、良かったけど」

 ……分かっていたのか。それは良かったけど、でもじゃあなんで、そんなに。

「うん……うん。ごめんね、らいぞう。おれ、おれは」
「大丈夫、なあに? 三郎」

「もう嘘つかないから。だかららいぞう、雷蔵ももう嘘つかないで。おれ、雷蔵がやりたくないこと、おれのせいでやらせたくない」

 そう言った三郎の目の中にぽかんと口を開けて写る僕がぼんやりと見えた時、僕は今この時を一生忘れないんだろうな、と思った。



 「そういえば一年生の頃、僕が三郎を泣かせちゃったこと、あったよね」

 湯浴みも夕餉も済ませ、それぞれが明日に向けた準備に勤しんでいる時だった。私はいつも通り面の手入れを、雷蔵は、ここのところいつにも増して紙に触れたことで少し荒れた手に軟膏を塗り込んでいた。

 本の知識の豊富さを買われた雷蔵が学園長直々に指名された忍務は、ひと月の間、学園と懇意の城の幼い後継ぎの護衛をしながら、話し相手になってやることだった。五つの頃の子と話すのなんて久しぶりだよ、と、いそいそと当番外の日に図書室に足を運んでは寓話を読み耽ったり、まだ幼さの残る一年生によく親に読み聞かせてもらった話などを聞いて回っている姿をたびたび見かけた。図書室横の木の上で、少し肌寒い秋の木枯らしと眩しくも暖かな西日に包まれながら雷蔵のやわらかな声に身を委ねていたら、夕餉前に私を探しにきた雷蔵に起こされるまで、すっかり眠りこけてしまったこともあった。

 戸口の隙間から流れ込む肌寒い夜風が雷蔵の髪をふわふわと揺らす。ぴくりと目を細めたのを見るに、少し肌寒いのだろう。四つん這いで戸を閉めてやると同時に、靄が晴れたようにあの時の光景が脳裏に蘇った。

「ああ、そういえばそんなこともあったな」
「三郎が僕の姿をするようになってから一月くらい経った頃だったよね」
「ああ。……確か、雷蔵が新しく所蔵された地獄にまつわる絵巻なんかを借りてきた時だったか? 修補の練習にって」
「そうそう、結局あんまり上手くできなかったし、行こうって話してた薬草摘みも次の休みに延期になったやつ」
「あはは、結果的により天気の良い日に行けたのだから良いじゃないか。それに、本の修補に関しても、今はもう随分とうまくなっただろう? まあ、だいぶ大味な修補ではあるが」

 丁寧にやってるつもりなんだけどなあ、と苦笑いを浮かべる雷蔵と同じ動作で布団を敷く。

……ふふっ」
「ん、どうしたんだ雷蔵」

 いつものようにこなしただけの動作に、思わずといった具合に笑みをこぼされた。とんと見当がつかないでいると、枕をきゅっと抱きしめて雷蔵が言った。

「いやあ、ここ一月の間、僕たち別の忍務に就いて離れてたろ?」
……あぁ。雷蔵と会えないから、今している雷蔵の変装がちゃんとできてるのか分からなくなって困ったよ」
「あはは、僕も。いつもなら肩に手を置かれるタイミングで何もなくて、こんなことがあったって話したい時に誰もいないから、困った」

 音節が途切れるのに合わせて、雷蔵が枕をぎゅうぎゅうと両端から押し潰す。可愛いことしてるな。

「だからずっと寂しかったんだけど……今日無事にこうして帰って来れて、三郎が僕と同じように布団敷いてるの見てたら、つい嬉しくなっちゃって」

 そう頬を赤らめながら話す雷蔵に、愛おしさが体じゅうを満たしていく。頭のてっぺんから指先まで、じんわりと、雷蔵の視線と言葉を伝ってあたたかいものが流れ込んでくる。

……私もだよ。私だって、君と一緒だ」
「うん。……ふふ、おなじだね、三郎」

 雷蔵の目がとろりとゆるやかに瞬きを繰り返す。灯りを消してやると、ふわあ、と大きなあくびが聞こえてきた。
 どちらからともなく布団へ潜り込み、寝転がった。薄白い月明かりが足元をぼんやりと照らしているのがよく見える。おやすみ、と声をかけようとしたその時、雷蔵が隣でこちらを向いているのが見えた。

……うそは、つかなかったよ」

 その言葉に、あの日の夜も同じような月の明かりが差し込んでいたことを、そうして月光の中で、これからは嘘があったか言うことにするね、と言葉をくれたことを思い出した。
 雷蔵に、私を傷つけるための嘘をつかせてしまった、あの日。泣きながら許しを乞うたあの時から、雷蔵は、こうして私と離れた時間の後に嘘の有無を報告してくれるようになった。
 忍びのたまごとして日々を送っている以上、舌先三寸で相手を騙すことはたびたびある。それに、私たちももう五年生で、あの時話した地獄のありようを、舌を抜かれたら、なんて荒唐無稽な話を恐れているわけでもない。

 それでも、雷蔵は離れるたびにこうして話してくれるし、私もそれに必ず応える。

 初めて雷蔵と敵同士の陣営でオリエンテーリングに挑んだ夜。
 学級委員長委員会の用事で、往路だけで四日かかるお使いに行ったとき。
 そして、それぞれ別の忍務で一月会えなかった今夜。

 隣にいなかった時間を埋めて、これから先も隣に在れるように。これから先も、同じ姿でいられるように。

「私もだよ、雷蔵」