一人の男がチェーン店のカフェに足を踏み入れた。やや長めの黒髪は毛先だけが燃えるような朱色をしている。半袖のシャツから見える左腕には、龍が巻き付いたような目立つ痣があった。店員と一言二言言葉を交わし、窓際の座席に腰掛ける。机を挟んで別の男が先に座っていた。待ち合わせの相手だ。真珠色の髪の毛や長いまつ毛が相まって、まるで天上の存在のように美しさを放っている。実は一人でコーヒーを啜る間も周りの人々にこっそりと褒めそやされていた。
「ちゃんと持ってきたぞ。そら、これで満足か?」
そんな彼に向かってずい、と一枚の写真を差し出した。古いものなのか画質は少々荒く紙も経年劣化しているものの、汚れがなく被写体をしっかりと確認できる。
「おお、本当に探してくれたのか。伽羅坊は優しいなあ」
伽羅坊と呼ばれた青年――大倶利伽羅が疲労を感じさせる溜め息を床に落とした。渡された写真を宝石のような双眸で凝視している方は鶴丸と言う。彼らは同じ会社の先輩後輩だった。多分、年下だから『坊』なんて呼ばれているのだろうと大倶利伽羅は考えている。公私問わず可愛がられている自覚と面映さがあるが不快ではない。鶴丸の視線の先には柔らかな目をした少年が写っていた。眺めながら満足そうに口角を上げる。
「わざわざ実家まで帰って骨が折れた」
そう、写真に佇む少年は幼少のみぎりの大倶利伽羅本人だった。小学校に入る少し前に撮影されたものである。一人暮らしをしている自宅から片道二時間ほど掛けて取りに行った。そこまでした理由は単純で、鶴丸が小さい頃の大倶利伽羅を見てみたいと興味を示したからだ。決して、何が何でも昔の様子がわかる品を探してこいと命じられた訳ではない。我儘の内にも入らないちょっとした願いごとのようなものだった。しかし、忘れたフリをするでもなくしっかりと持ち込んでいる。大倶利伽羅は結局いつも鶴丸の望みをなんてことないようにひょい、と叶えていた。
「いやあ、わざわざありがとよ。ふふ、可愛いな」
日常のありふれた風景を写したものだが、余程気に入ったのか朗らかな笑いが零れる。じゃあ今はどうなんだ、と問いただそうとしたら「あっ、今も可愛いぜ!」とすぐに断じられた。心を読まれたかのようで冷や汗が流れる。
「ごめんなあ、写真の伽羅坊ばかり構ったら拗ねるのも当然だ」
当然ではない。ぴき、と眉間に皺が寄った。それを見て、また鶴丸が白い歯を露出する。
「なんでまた、ガキの頃の俺を知りたがったんだ」
少々無理やりだが話題の流れを切り替えた。あのままあちらのペースで翻弄されるのは癪だったし、実際の所初めて彼の願いを知った日からずっと心の片隅に引っ掛かっていたことだった。
「ああ……。それはな俺達は小さい頃のお互いを知らないだろ。付き合い始めたら、急にきみの色んなことが気になっちまって」
彼らは恋人同士でもある。付き合うまでの経緯は割愛するが、今はくっ付きたてほやほやとでも称していい時期だ。確かに、互いの仕事ぶりは知っていても学生の頃の夢だとか個人を形成する過去のあれこれは知らない。
「写真は単なる記録なんじゃないか」
正直な感想を伝えると、鶴丸は申し訳なさそうに苦笑した。
「そうさ。別に見たからって残念ながら当時のきみに会えるなんて魔法は使えない」
可愛いな、どんな子だったのかな、と想像を張り巡らせることは出来ても、そこで行き止まりだ。過去は素手で触れられない、果てしない宇宙のような領域である。
「それでも知りたかった。俺に会うまでの伽羅坊を少しでも、な。写真越しに挨拶するような気持ちだよ」
「……そうか」
彼の小さな願いを根元から断つような否定などするまい。二人が出会ったのは社会人として数年経った頃だった。二十数年間分の知らない恋人がある。その重みは大倶利伽羅も理解している。
「ガキの頃のあんたを知らないのは俺も同じだ。気にならないと言えば嘘になるが……」
小さな頃どころか、学生時代も、現在の会社に入ってから大倶利伽羅と出会うまでの間も、彼の隣に立っていなかった。早く出会えたらと悔やむことはしない。過去は掴めないが、鶴丸との未来はいくらでも夢を見られる。
「熱を分け合えるのは今とこれからの鶴丸だけだ」
変に誤魔化す真似をせずはっきりと伝える。恋人のまなこは荒波のように揺れていた。
「あんたも、写真だけじゃなくて今の俺も見ろ」
鳩が豆鉄砲を食ったようにぽかんと口を開いた後、堪え切れずに鶴丸が吹き出してしまう。今度は大倶利伽羅が首を傾げる番だった。
「はは、勿論さ。大丈夫、今の伽羅坊が好きだからこそ全部欲しくなっちまったんだよ。と言うか、やっぱり自分自身にちょっと嫉妬してないかい?」
ふ、ふふっ、と我慢できなかった笑いが小刻みに溢れ出す。恋人には日向の下で笑っていてほしいが、自分のことを揶揄われるとなると不服だった。
「違う」
「本当かねえ」
窓の向こうで誰かが上げた鯉のぼりが堂々と泳ぐ。爽やかな風は恋人達の背中をも押すように吹き続けていた。
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