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氷
2026-03-02 21:14:41
6949文字
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映画を見るなどする話(くりつる)
大学生同士の現パロくりつるです。馴れ初めとか、映画デートしたりとか。
五条鶴丸という男と大倶利伽羅広光が共に出掛けるのはもう何度目かだ。見たい映画があると誘われて、映画館を訪れていた。
「おーい、伽羅坊。まだ全然時間はあるしポップコーンとか買おうぜ」
鶴丸が爛々と金の瞳を輝かせる。彼との関係性は、晴れて付き合い始めたばかりの恋人同士だった。温泉のような湯気が立つほど熱々な時期とも言えるかもしれない。
◉
元々、彼らは大学内で同じゼミに属している仲間だ。学年は鶴丸が一つ上であるものの、常に気さくに接してくるからいい意味で壁を感じていない。ゼミ内では定期的に発表の機会があり、鶴丸のそれは大倶利伽羅を強く引き付けた。他の学生達もそれぞれに勤勉で優秀な者が多いのだが、一番いいなと心が揺れるのはやはり鶴丸の研究だった。レジュメをすらすらと淀みなく読み上げる声さえも好きだった。凛々しくよく通る彼の声だからこそ、内容がより魅力的に聞こえる。一人の先輩への憧れから、自分も同じような立派な大学生になりたいと奮い立つまでは早かった。そして、鶴丸の放つ眩しさが頭から離れなくなった。彼ともっと話してみたいし笑顔を見たい、とごく自然に思う。構内で季節の移り変わりを知らせる花々や、偶然見つけた飛行機雲、街中に漂う何かの美味しそうな香りなど、日常を彩る様々なものを無性に共有したくなる衝動に度々駆られた。こんな類の感情は初めてだ。大倶利伽羅は心臓がむずむずと痒くなった。ああ、自分は鶴丸が好きなのだと心の奥底で認めたら、杭のように刺さっていた疑問はあっという間に霧散した。
それからは講義の前後などの時間を使って、恋慕う相手に少しずつ話しかけるようになった。無駄な会話を好まない大倶利伽羅だが、鶴丸とのやり取りは疲れない。とにかく彼は利発だった。興味深い話題がぽんぽんと次々に飛び出す。大倶利伽羅が話し掛けてくれることに真白の男は毎回かんばせを輝かせた。きみは真面目で見所があると前から思ってたんだ、と褒められる。まさか、目を掛けられているとは予想外だった。動揺がわずかに顔に出ていたのか、驚いたみたいだなと鶴丸は破顔した。
鶴丸でいい、と言われたのでてっきり大倶利伽羅自身も彼から呼び捨てにされるのかと思いきや、伽羅坊というあだ名で呼ばれている。坊、と思わず反射的に聞き返してしまった。
「きみ、なんだか可愛いからな」
今に至るまで名付けの理由はこれしか告げられていない。彼が言うには頻繁にあだ名を付ける気質ではないらしい。ならば、ある意味大倶利伽羅だけの特権とも言える。言の葉一つで自分でも単純さを悔しいほど痛感するが、胸が躍るのは確かだった。
時折ゼミのメンバーで行われる飲み会も鶴丸が参加するならばなるべく向かったし、珍しく彼が居ない場合は素直に大倶利伽羅も欠席した。理由は単純で、鶴丸目当てだったからだ。それでも、無理やり隣に座ろうなどとはしなかった。いつも彼の周りには誰か別の先輩達が座って談笑している。面子はその時々によって異なったが、いずれにせよ割り込む気にもなれなかった。
「伽羅坊」
ある飲み会の途中、鶴丸がいきなり近くに腰掛け耳許で囁かれた。適当に飲み食いしていた所に突然思い人が来たものだから、背中が軽く跳ねる。
「これ終わった後で二人だけで飲もうぜ」
「
……
なんだ急に」
あまりに急な誘いだったので、そのまま口に出した。
「いやあ、ちょっと退屈になってきてな。きみと居る方が遥かに楽しいんじゃないかと思ったのさ」
その一言だけで充分過ぎるほど満たされる。高級な美酒も決して敵わないほど、大倶利伽羅を高揚させた。
「どうだい?」
ダメ押しのように再度尋ねられる。急だな、とは思ったが、あくまで一瞬思っただけだ。断る理由にはならなかった。彼とじっくり語り合えるであろう絶好の機会だろう。
「わかった」
そう返すと、鶴丸は満足そうに大倶利伽羅の背中を一度ぱし、と叩いた。風のような速さで元居た場所に戻っている。
その後、二次会に向かう者や帰宅する者が三々五々出発する中、二人は他のゼミ生に別れを告げた。鶴丸が端末で検索してくれた所によると、近くにチェーン店の居酒屋があるらしい。ちょうどいい、と足取り軽く入店した。ここからは飲み直しである。鶴丸が先の店で何杯程度飲んだのかわからないが、白い頬は全く染まっていなかった。その夜は実に様々な話題を語った。基本的に多弁だったのはもっぱら鶴丸の方だったが、それでも盛り上がり過ぎて終電を逃す危機に陥りかけたほどだ。店を出て、重たい夜の帳が下りた街を歩く。
「楽しかったなあ。流石にもう飲めない!」
熱く語っていた反動のように鶴丸はふー、と深く呼吸した。なんと、彼はいくら酒を煽っても変化が起きなかった。まるで水しか口にしていないかのようだ。こういう奴をいわゆる『ワク』と呼ぶんだな、と大倶利伽羅は初めて実感した。
「伽羅坊も楽しかったろ」
楽しかったか、と訊くのではなく楽しかったはずだと確信している物言いだ。そのみなぎる自信はどこから来るのだろうか。
「あんたとゆっくり話せたのは、よかった」
鶴丸がにやりと笑った。白銀のまつ毛の向こう側で瞬く金の瞳は、吸い込まれそうなほど美しい。都会の夜空に星は全く見えないけれど、目を凝らせばすぐ側に星があるのだ。鶴丸本人に伝えたら笑われそうだが、大倶利伽羅は本気だった。
「なあ、また出掛けようぜ。今度は最初から二人だけで」
「
……
え?」
しまった、と間抜けな返事を悔やんだがもう遅い。
「え、ってなんだよ」
「すまない」
まさか、鶴丸から未来の約束を持ち掛けられるなんて。まるで目玉が零れるような驚愕の言葉だった。だから、咄嗟に反応が出来なかった。
「飲むだけじゃなくてどこかに行きたいんだが
……
駄目かい」
きみと居るのはすこぶる楽しいからさ、と付け足される。大倶利伽羅とて、彼と個人的に会えるなら当然胸が高鳴るというものだった。他の誰かが来ないのもいい点だ。深く交流したいのは鶴丸だけである。
「あんたが行きたい場所に連れて行け」
もっと、この男の好きなものや彼を織り成すものを知りたい。大倶利伽羅の瞳もまた、燃えるように輝いていた。
「ああ。期待してくれていいぜ」
月明かりの下、鶴丸が白い歯を覗かせる。巧みな策士のような笑みにも、純粋な子どものような笑みにも見えた。
外出の機会は、ほどなく訪れることとなる。二人きりで楽しんだ飲みから一夜明け、スマートフォンに鶴丸から連絡が入っていたのだ。確かに、彼の連絡先は以前から知っている。ゼミ生同士のグループがあるし、個人間でも念のため連絡先を交換している者ばかりだ。だが、大倶利伽羅の手でメッセージを送ったことは皆無だった。鶴丸に対してさえこれまで綴っていなかったのである。
最初の外出先は動物園だった。鶴丸が「何年も行ってないから行ってみたかった」と口にしていたのを鮮明に記憶している。
二回目は行列に並ばないと食べられない人気商品を提供するカフェだった。
大倶利伽羅にとって友人と出掛ける機会をあえて設けた経験が乏しい。行きたい場所を鶴丸に任せて正解だったと自分を褒めたかった。彼が貴重な休日を満喫してくれれば
――
それが一番の望みだ。逆に大倶利伽羅が行きたい場所などを提案することは全くなかった。鶴丸の好きに振る舞えばいいと考えている。のびのびと羽を広げて鳥が舞うように自由な所が好きだった。
三回目に出掛けた帰り道、大倶利伽羅は意を決して恋心を打ち明けた。想いを今後も秘めておくことは最早難しく、きっぱりと断られる覚悟を持って挑んだ。告白された相手はふーむ、と考え込むように一言呟く。
「
――
なんとなく、そうじゃないかって思ってたんだ」
勘の鋭さまでも備わっているのか、思慕の情を見透かされていたようだ。
「いざ実際に言われたら驚いたけど、悪い気はしないな」
寡黙でありながら他人への思いやりは決して忘れず、真面目に研究に取り組む
――
そんな大倶利伽羅の裡に潜む熱情を今まさに体感して目を丸くしそうだったと言う。
「
……
そう、か」
開口一番、拒否される想像もしていたからとりあえず胸を撫で下ろした。しん、とした空気が二人を包み込む。無言でしばし歩き続けていたが、鶴丸に袖を引っ張られ適当なベンチに腰掛けた。
「鶴丸、いきなり悪かった」
告白したことは微塵も後悔していない。しかし、もっと適切なタイミングがあったかも、と逡巡せずにいられなかった。
「いいや。きみが謝るようなことは一つもないだろ」
鶴丸の表情はけろりとしている。少し予想できていたからか、あまり動じていないようだった。
「伽羅坊と付き合うってのは退屈しないだろうな」
何か返したかったが、大倶利伽羅のくちびるからはただ吐息が零れるばかりだ。
「どうした、伽羅坊」
「付き合う
――
と言ったのか、今」
大倶利伽羅を置いて、とんとん拍子で話が進んでいる。鶴丸は突然の告白を受け入れてくれているのだと気付くまで何故か時間が掛かった。
「きみが告白してきたんだろうに」
口端をわずかに緩ませている。確かに彼の言う通りなのだが。
「あんたはそれでいいのか」
「ああ。
――
きみの気持ち、本当に嬉しかった」
付き合ってみようじゃないか、と風が靡くように笑った。そして、彼らの関係性に恋人という名称が追加された。
◉
鶴丸はやや大きいサイズのポップコーンを買い終わると、堂々と見せびらかしてきた。
「お前
……
。その量、食べ切れるのか」
凄い量だ、という感心よりも心配の方が勝ってしまう。彼は少食ではないものの、別に健啖家という印象もなかった。周りのあちこちからポップコーンの匂いが漂っていて、非日常感を演出している。
「おいおい、きみも一緒に食べる分に決まってるじゃないか!」
二人分と思えば妥当な量に見える。鶴丸の負担を増やさず、しかし食べ過ぎない程度に貰うことにしようと決めた。
「楽しみだな。伽羅坊は原作読んだことあるんだろ」
「ああ」
これから見る映画は、とある小説が下敷きとなったミステリー作品だ。鶴丸がインターネットで評判を見掛けて気になったという次第だった。
「じゃあ、よかったら今度貸してくれないかい」
大倶利伽羅はすぐ頷いた。ありがとよ、と返される声も耳に心地よかった。やはり、彼の声も愛おしい。
恋人になった鶴丸とは、あまり進展が見られない。付き合い始めてからまだ一ヶ月ほどしか経っていないのも大きな要因ではある。だが、どちらかの自宅へ行って二人きりの空間で過ごしていても、思い切った行動になかなか踏み出せなかった。褐色の手のひらを、一人握ったり開いたりする。くちびるはもう何度か重ねた。だからこそ、つい欲張りになってしまう。この手でいつか鶴丸にもっと触れられたら、と考える。無理やりに羽を毟る真似などしたくなかった。深く踏み込むことを許されるまでじっと気長に待つつもりだ。大倶利伽羅の願望やら色々な思いはともかく、今大事なのは映画の鑑賞に他ならない。映画館を出た後どうするのかは一旦忘れることにした。
――
映画は予想を超えて面白かった。原作を読んでいる以上、大倶利伽羅は結末も既に知っている。それでも楽しめる内容だった。鶴丸の勧めがなければ見ることはなかっただろうから、彼の感性や自分を誘ってくれたことを感謝したかった。ふー、と息を吐く。
「面白かったな!」
開口一番、鶴丸も率直な感想を伝えてきた。手に持つポップコーンの器はしっかり空になっている。二人で分けようと言っていたが、実際に食べたのはほとんど彼一人だった。
「早く原作も読んでみたくなった」
映画館のすぐ近くにあるカフェで鶴丸がジュースを啜る。ストローから離れたくちびるの形までも綺麗だった。
「明日、大学に持ってくる」
翌日はゼミとは別で二人の受ける講義がちょうど重なっている曜日だ。その際に渡すのがちょうどいいと提案した。
「お、助かるよ」
いっそ本が置いてある自宅にこのまま来たらいい、という誘いはぐっと呑み込んだ。糸がぷつ、と切れるように会話が途切れる。次なる話の流れは鶴丸に任せてしまおうと、大倶利伽羅も自身のコーヒーを口にした。砂糖などを一切入れていないブラックコーヒーである。勿論苦味はあるが、鋭い風味の奥にある芳醇さを味わうのが好きだった。
「しっかし、映画は楽しかったけど。早くこのシーン伽羅坊と語りたい、って何度も途中ソワソワしちまったなあ。今度、俺の家でサブスク見ようぜ」
テレビを用いて映画館代わりにしよう、という寸法だ。比較的最近の作品も含めて、目移りするぐらいの数があると説明される。家で、と考えたとき、大倶利伽羅の脳裏に一つの疑問が微風のように掠めた。
「ポップコーンはどうするんだ」
なんてことないような些細な習慣に過ぎないが、恋人が映画館で買えるそれを大層好んでいるのは今日だけでもわかる。非日常ぽい体験には欠かせない、と購入する前に上機嫌で口にしていた。鶴丸が琥珀の瞳をきょとんと丸くする。
「確かに。そうだなあ、家に行く前にスーパーかどこかで買っておこうか。家にフライパンぐらい持ってる」
自分達で好きな味付けも出来るのは楽しそうだ、と笑った。大倶利伽羅は再びコーヒーの器を手に取る。苦味が思考を冴えさせてくれそうだった。
「キャラメル味も作れるかね。伽羅坊は何味がいい」
瞳を三日月にしながら尋ねてくる。答えねば話は進まないだろう。
「
……
塩味」
即答する。変わった味よりも比較的慣れ親しんだ味の方が好みだった。
「ほー、王道って訳だ」
鶴丸とこのような他愛ない会話に興じる日が来るなんて、以前は想像だにしなかった。パズルのピースを嵌め込むように、連れ合いのことが一つずつわかってゆく。積み重なる知識は大倶利伽羅の心を否応なしに弾ませる。
「ああ、そうだ伽羅坊。家で見るならもう一つ」
白くしなやかな指を一本だけぴっ、と立てた。爪の先まで全てに無駄がなく、溜め息が出そうなほど美しい。
「映画見ながら、キスも出来るぜ」
まさかの発言だった。挑発するように鶴丸が口端を上げる。確かに一理ある。あるのだが、諾とは返せなかった。
「
……
それはしない」
大倶利伽羅の、この問いに関する確固たる考えだった。金の瞳に静かな炎を湛えている。熱がゆらっ、と震える。鶴丸がおや、と言いたげに瞬きをした。
「見終わった後でゆっくりする」
映画は映画、恋人らしい戯れとは分けたい。片手間でながら見のような流れではなく、鶴丸に集中したいではないか。映画が終わったらば恋人のくちびるを求めて離さないぐらいの情熱も秘めているのがこの男だった。
「っく、くく
……
。はは、きみならそう言うだろうなと思ってたよ。
――
そんな伽羅坊だからこそ、好きなんだ」
どうやら、鶴丸なりに試してきたのかもしれない。重い枷を降ろしたように大倶利伽羅が溜め息を吐いた。
「映画は一旦最後までちゃんと見ないと、気が済まないよな」
「ああ」
完全に意見が一致した。視線がばち、とぶつかって閃光のように弾ける。もしも本当に鶴丸の自宅で映画を見る日が来たら、とこの先あり得る未来図の一部分を思い描いた。きっと、映画館に行くのとはまた違う楽しみが眠っているだろう。
「伽羅坊はどんな映画が見たい?」
「あんたに任せる」
鶴丸が選ぶものを通して彼をもっと知りたかった。銀のまつ毛に覆われた双眸をじっと見つめる。相思相愛となった、はずなのにまだまだ恋人を知り尽くしたとは言えそうになかった。あらゆる賛美の言葉も足りないほど眩い瞳の美しさにも新鮮に驚嘆してしまう。瞬きの度にまるで小さな星々が舞うようだ。
「遠慮すんなよ」
「違う。鶴丸の好きなものをむしろ知りたい」
それが自分の望みだ、とはっきり伝える。鶴丸は参ったなあと零してから顎を擦った。
「じゃあ、完全に俺の趣味に振り切ったのを選ぶからな。後から文句言うなよ」
念を押すように、大倶利伽羅に向かって人差し指をびし、と突きつける。
「言わない。絶対に」
切れ味の鋭い刃のように言い切ったのがお気に召したのか、鶴丸の眦が緩んだ。好きに選んでくれたら本望だ。気を遣われる必要は一切ない。
「そっか。きみって本当にいい奴だな」
鶴丸も大倶利伽羅の瞳をまるで穴が開きそうなほど鮮烈な視線で見つめていた。肌に眩しさが刺さる。太陽の下で白く輝く雪景色を前にして目を細めるかのようだった。
鶴丸を今以上に知り、更に近付くための道のりはなかなかどうして遠い。だが、構わなかった。歩みを止めることは決してあり得ないからだ。彼の隣に立ち続けたい。鶴丸がスマートフォンを見ながら歌うように独り言を呟き始めた。早速、どの映画の世界に大倶利伽羅と踏み込もうかと探しているらしい。いつか、としか決まっていない小さな結び目のような予定が待ち遠しかった。
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