2026-02-07 17:29:52
2780文字
Public
 

本を読んでみる大倶利伽羅の話(くりつる)

くりつる企画のお題「本」で書かせていただきました。

 静かな部屋に壁掛け時計の針の音と、頁を捲る音だけが響いている。大倶利伽羅はふー、と息を吐いた。随分集中していたようだ。予想以上に時間が経っている。まるでふっと飛んでしまったかのようだった。栞を挟んで、一旦本を閉じる。
……はあ」
 指先で朱色の襟足を弄った。集中して読書をするのもなかなか疲れる。人の身はとにかくままならぬ、と実感した。本を読み込もうとしているのには、彼なりの理由がある。恋心について知識を得たかったのだ。
 ここ最近、とある刀に対する感情を上手く定義できない。数百年、同じ家に在った。そして刀剣男士として再会し肩を並べて戦うこと、既に数年である。相手の名は鶴丸国永――この本丸でも指折りの実力を持つ真白の太刀だ。今日は誰々がおやつを作っている、だとか些細な話題も含めてやたらと絡んでくるが悪い気はしない。本体と同じく容貌は発光するように美しく、雪降る静かな朝のような静謐さも感じられた。加えて、とにかく強い。いや、本丸の仲間達はみなそれぞれに強いのだが、大倶利伽羅が最も目を惹かれる眩しさは彼だった。
 眩しい男だ、とは常々思っている。当たり前なので気にしていなかった。太陽は西に沈む、といった現象と同じだ。今更首を傾げることはない。だが、最近ではふと鶴丸の色々な表情をこの目で見たい、と欲を持ってしまう。おはよう、と声を掛けられるときや、演練の結果を輝く瞳で嬉々として語られるときなどの何気ない笑顔がどうしようもなく愛おしいと感じている自分に気付いた。長年の交流があるのに、今更鶴丸に対する感情が変化してゆくとは驚かずにいられない。
 ――あいつ好みの驚きではないかもしれないな。
 大倶利伽羅は苦笑した。仕えている主人や本丸の他の仲間を大切にしたい気持ちとは違う、胸から湧き上がる何かの中身を知りたい。
 いわゆる『恋』と呼ばれるものではないか。自身の感情を仮定した彼は、恋を描いた書物を読み漁る日々に突入した。内番や遠征等々、毎日の業務は数多いため流石にずっと没頭する訳にはいかない。それでも少しずつ着実に読んだ冊数が積み上がっていった。この本丸の敷地内には図書館が設けられているので、目的に合いそうな本を手当たり次第に探すのは難しくない。
 本を通した追体験が増えて、恋とは千差万別らしいとようやく思い至った。憧憬から一本道のように続いた恋心もあれば、相手を傷付けかねない強い執着と紙一重のもの、遠く離れた誰かを想うもの、夢でだけでも逢いたいと縋るものなど、多岐に及んでいた。数多の書物を見れば大倶利伽羅の気持ちをぴたりと言い表す一文があるかもしれないと目論んでいたが、いずれもどこか違う。何かがずれている印象だった。当て嵌まるけれど、当て嵌まらない。もう少し読んでみよう、と継続を決めた。何冊読んでも損にはならないはずだ。
 大倶利伽羅の傍らに本がある生活がそのまま続いた。隙間時間で紙に触れるのも割と癖になるものだ。
「おっ、伽羅坊。図書館でそんなに借りたのか」
 あるとき部屋を訪れた鶴丸が興味深そうに目をぱちくりとさせた。お前への感情を知りたいからだ、とは言えない。彼が足を運んだ用事は燭台切光忠が作ったずんだ餅を分けに来てくれたことだった。二振とも、ずんだ餅は大層好きである。鶴丸はそれを覚えていたから一緒に食べようと駆け込んで来たのだ。味に関する嗜好が合うのも胸を躍らせる。高揚のあまり花びらが舞いそうだった。大きな机の上に皿が置かれ、餅の美味しそうな香りが鼻腔をくすぐる。ふたりで一つずつ分け合い、あっという間に完食した。
「いいねえ、読書。俺も久々に何か読もうかな」
 旅の準備をするかのような調子で零すと、大倶利伽羅のすぐ側に腰掛けた。畳に積まれた本をちらっと見遣る。タイトルなどが気になるのだろう。内容を隠そうとしても怪しまれそうだし、彼の好きにさせておいた。
「こいつは歌集……。小説とか心理学の本まで。きみ、相当手広く読むんだなあ。熱心で結構」
 弟子が独り立ちして感慨深さを感じる指導者のように何度も首を縦に振る。選書の理由までは思い当たらなかったようだ。
「面白かった本があったら、俺にも勧めてくれよ」
……わかった。あんたの好みに合わないかもしれんが」
 食の好みが合っていても、本の趣味まで合うとは限らない。だが、鶴丸の言葉はしっかり頭に刻み込んだ。大倶利伽羅の琴線に触れたものを分かち合えたら、それは嬉しい。表情には出ないが、先の楽しみが出来たことで彼の気持ちは走るように逸った。鶴丸が何かに胸を痛める事態はこれからもなるべく少なくあってほしい。あの男の視界に映り込んでいるものが美しい世界であればいい。大倶利伽羅は自分が必ずしもその隣に居られなくとも構わなかった。真白の太刀が驚きに満ちた暮らしの中で宝石よりも鮮やかに笑っていれば、それだけでも満ち足りる。付き合えるとしたら勿論その機会は逃したくない、とは思う。思うのだが――これは世間一般で言う所の『恋』に定義されるのかやはり疑問だった。
「最近図書館も行ってないから、これを機に行ってみるかね」
「だったら、今から一緒に行くか?」
 気が付いたら自然と口を衝いていた。え、と鶴丸が呟く。
「伽羅坊から誘ってくれるなんて雨でも降るかもしれん」
 細長い指で面映そうに頬を掻いた。確かに、何か私的な用事で鶴丸を誘うのは初めてだ。そもそも、内番など決まった業務以外で誰かと連れ立って行動することは少ない。ひとりで構わない、無駄な馴れ合いは不要というのが大倶利伽羅の信条だった。
「ふん。付喪神に天気を操る力はないだろ」
「冗談だって」
 鶴丸なりの驚かせ方だとわかっていても、つい律儀に真面目に反応してしまう。
「あ、でも龍って水を操るって昔話もなかったっけか。じゃあ雨に限っては案外出来ちまうかもなあ」
 さて、と鶴丸が立ち上がった。行動が早すぎる。今から、とは口にしたが少し急だ。早速向かうつもりに違いなかった。未だ座っている大倶利伽羅を見下ろす瞳を見ればわかる。雨上がりの庭ではしゃぐ子どものようにぺかぺかと輝いているからだ。
「伽羅坊の気が変わらない内に行くぞ!」
 勇んで廊下へと飛び出して行った。心変わりなどするはずがない。しかし、それは口に出さなかった。大倶利伽羅のくちびるがきゅ、と結ばれている。
「おい、鶴丸。少し待て」
 銀の髪の毛が揺れるのを見ながら後ろを着いて行った。声を掛けても鶴丸はお構いなしに図書館へと向かっている。誰にも邪魔されない自由な風のようだった。彼が手に取る本を知りたい、とふつふつと願望が浮かび上がる。結局恋という一言で片付けてよいのか決めかねる想いを秘めたまま、大倶利伽羅も歩を進めるのだった。