タロ文庫の作品置き場
2026-05-07 20:42:38
6310文字
Public 作品
 

特権の行方

2021-05-10
5/7のウィン誕生日に書いた話。
冒頭に『プレゼントは君の声』と同じ世界のWinTeamが出てきます。
ずっと特別が欲しくて、ずっと誰かの特別になりたかった。
ウィンのティームへのリクエストと、ティームからのプレゼントの話です。

 部室のシャワールームで塩素水を軽く流しタオルを腰に巻いた状態で更衣室に入ると、ベンチにティームが座っていた。制服に着替え終えてリュックも肩にかけている状態でセルフォンのゲームに没頭している。
 次の大会で出る種目を一つ追加したウィンはコーチと相談して自主練習のメニューを増やしており、他の部員より上がる時間がずっと遅い。ティームもウィンと共にコーチの話を聞いて承知していたしウィン自身も気にせず先に帰るよう伝えていた。
 ウィンは更衣室の入り口近くのロッカーに静かに寄りかかり、自分の気配に一向に気づく様子のないティームを見つめた。
 黒目を忙しなく動かしていつもより瞬きの多い伏し目は、普段は気づくことがない二重の線がうっすらと見える。ウィンはティームのその目が好きだった。そしてゲームに夢中になっていると知らず知らずのうちに唇がむにゅりと突き出てくるのも可愛くて好きだった。
 今すぐにでも寝転がりたいくらい全身が疲れていたはずなのに、ティームの子供のような集中力を眺めていたら顔と言わず身体中が綻んでいった。目尻が垂れて口角が上がるのが自分でも分かり、これ以上黙って見ていたら溶けると思ってウィンは寄りかかっていたロッカーに人差し指の関節をコツコツと当てた。
 途端に勢いよく上がった口が半開きになっているティームの顔に、ウィンは笑ったまま首を横に振った。
「あ、お、お疲れ様。いつから居たんだよ」
 目的を忘れゲームに夢中になっていた居心地の悪さからかティームの声が少し上擦っている。ウィンは構わず自分のロッカーまで歩いていき、中に入れておいたタオルで括ったままの金髪の穂先を拭った。
「そっちこそ。日報は部長の仕事だし、備品のチェックもさっき副部長がやってたし、鍵は俺でも締められますよ」
「いや……そうだけど」
 前年度で部長職を退いたティームは、今はアドバイザーや新体制のサポート役として部に留まっている。もちろん選手としては現役だから毎日ウィンと同じように朝練も放課後も泳いではいるが、雑務からは手を引いているはずだ。
 ついこの前までティームが使っていた特待生のウィンの居残りメニューが終わるのを待って一緒に帰る言い訳を、ウィンはわざと口に出してティームを揶揄った。
 モゴモゴとする声に小さく笑ってそのまま足元やタトゥーの入った腕と肩の水気を取っていると、後ろでガサガサと紙が擦れる音がする。
「パームがお前にって。預かってた」
「ピパームが?」
「そうだよ。お前、今日誕生日だろ?」
 拭いていたタオルをロッカーの扉に引っ掛けて振り向くと、ベンチに茶色い紙袋が置かれていた。近づいて中を覗き込むと茶色い小箱にピンクと緑の色鮮やかなカノム・ルームグルンが綺麗に並べられていた。ウィンは微かに目を輝かせながらチラリとティームを見る。
 ティームは自分が作ったわけでもないのに自慢げに顎を上げていた。
「いつものディーンの残り物じゃなくてちゃんとお前宛だぞ。良かったな、ウィン」
「ピパームにお礼言わないと」
「それにしても何でルームグルンにしたんだろう。パーム、おれやマナウの時はカップケーキだったのに」
 ウィンは紙袋の中から茶色い箱を取り出して、さらに蓋を開けてピンクのルームグルンを指で摘んだ。透明なフィルムのカップに入った一口大のそれをツルリと口の中に入れる。少し塩気のあるココナッツクリームと緑豆粉が舌の温度ですぐに蕩けて、ひと噛みする間にするりと喉を通っていった。
 ウィンは懐かしさに目を細めた。
 ティームから最初に貰った菓子がこれだった。
 正確にはパームがティームに渡していたものの中からお裾分けしてきただけでティームがわざわざウィンにくれたものではない。たまたまそこにいた腹を空かせた後輩に分け与えてきただけだ。それでもティームが腐っていないとスンスン鼻で嗅いでから目の前で美味しそうに顔中を綻ばせてもぐもぐしているのが、プールサイドで見た厳しい指導とのギャップもあってウィンは目が離せなかった。
 ほらと差し出されて、美味いだろう? と目を輝かせて、嬉しそうな低い声は柔らかく、ルームグルンを口に含んでいたからか仄かに甘い呼気をウィンの鼻先に滑らせた。
 思えばあの時に生まれて初めて〝欲しい〟衝動に駆られた気がする。ティームの甘い呼吸を感じる特権が欲しかった。曖昧に、でも無視できない自分の中の衝動がティームに向かうのを感じた。
「俺がピパームにリクエストしたんです」
 パームに何が食べたい? と訊かれて真っ先に思い出したのがこの時の事だったから。
 あれから一年が経とうとしている。自分とティームの関係もだいぶ様変わりした。その最初の一歩と言ってもいい菓子は記憶の中と寸分違わず、ウィンの醸し出す空気を柔らかくしていった。
「ふーん。おれには何もリクエストしてこなかったくせに、ちゃっかりしてんな」
 おれに似てきた?
 箱の縁をゆっくり指でなぞるウィンにティームは茶化すように笑って、ポンポンと頭を優しく撫でてきた。括っている毛束の感触が好きなのか動物の尻尾でも撫でるように指でよくつつかれる。ティームとの関係が先輩後輩から様変わりしても、相変わらず年下扱いはされ続けた。
 ルームグルンで和らいだ気持ちが少しだけ傾いた。
 ティームの誕生日の時にも奥歯を噛み締めるくらい悔しかった気持ちがぶり返す。今日一つ歳を重ねたとしても、ティームに届かない。また半年後のティームの誕生日には引き離されてしまう。三十も過ぎれば歳の差の二つ三つ気にならないのかもしれないが二十代前半の学年で明確に差が出る今の自分達には、やはり大きいものに感じた。
 頭を撫でられるのも嫌いではないけれど、今日ばかりは嬉しくない。
 撫でるなら。
「ピティーム」
「んー?」
 まだ濡れて艶めいている髪から手を離させて、ゆっくり指を絡ませる。親指で手の甲をスリッと擦ってウィンは少しだけ甘えた声を出した。
「リクエストしたらきいてくれる?」
「何だよ」
 ティームの手が無抵抗なので身体のラインをなぞる様にティームの手を握ったままウィンは曲げていた上体を起こした。ウィンの顔が上がっていくのに合わせてティームが見上げる形になる。
 更衣室の白光りしている蛍光灯でティームの目がきらめいて見える。
「このピットタームヤイでタトゥーを一つ増やしたんだ」
 その目がウィンの言葉で見開かれた。
「は? え、どこ?! もう水に入っても平気なのか?」
「ピーが帰省してる間に入れたから一ヶ月以上前だよ。もう定着してる」
 そのまま先程のゲームよりも忙しなく黒目を動かしてウィンの腕や肩のタトゥーを見る。
 腕と肩と背中、どれもティームには見慣れたものだ。ウィンが自分の身体は自分のものだと一目で誰にでもわかるように入れた意思表明のタトゥーだ。だから目に見えるところに増えた形跡がなくて、ティームは訝しげに眉を寄せて視線をウィンの目に戻した。
 ウィンは一度ゆっくり瞬きすると、手の中のティームの指を自分の腹にぺたりと当てた。
「っ、ウィン」
 シャワーの後のぬるい肌にティームの指先が逃げをうとうとするので握る力を少し強める。それでも振り払わずにいるティームに、ウィンは胸の奥が熱くなるのを感じた。
 ウィンの身体に僅かに残っていた幼さはこの一年で削ぎ落とされてすっかり男の身体になっている。その腹筋の線をなぞる様に下って、臍下を横にそれる。
 腰に巻いたままのタオルとの境目で手を止めて、少しだけ見えている墨色にティームを誘導した。
「ここ。まだ誰にも見せた事ないし、今後も見せる気はありません」
 ティームのまろやかな白い指を焔の先端に触れさせて、ウィンはとろりと甘く囁く。
「ピティーム以外には」
 ティームの顔がみるみる赤く染まって、見上げてくる目の水分量が格段に増えた。ぽってりした唇が微かに開いて閉じてを繰り返す。
「勿論それ以上のことも」
「ウィン」
「ピーだけの特権」
「お前のリクエストって……
 上擦る低い声に、にぃと口端を綺麗に持ち上げて笑った。ティームから小さく息を飲む音がして炎にあたった指が火傷した様にパッと離される。そのままぎゅうと握られてティームの胸元に置かれた。
「ピティーム?」
 潤んだ目が伏せられ、唇が噛み締められる。黒髪の隙間から見える耳の先も大きく開襟している制服に続く首元も赤くて、ウィンは自分を落ち着けさせる意味でもゆっくりとティームを呼んだ。
「ここじゃ……こんなとこじゃ駄目だ。ちゃんと部屋でお祝いしたいし、ちゃんと用意もしてあるし。その、お前のリクエストも、ちゃんときくから」
 尻すぼみになるティームの言葉はそれでも全部ウィンの耳に入ってきた。ちゃんと、の具体的な想像が頭を掠めている隙にティームは勢いよく立ち上がり、そのまま外へのドアへと大股に歩いていった。
 ドアを開ける直前に顔だけくるりと振り返り、他では絶対にしてほしくない表情で睨みつけてきて、他では絶対に聴かせたくない柔らかい声がぶっきらぼうにウィンに投げられた。
「車で待っててやるから早く着替えて来い! いつまでも素っ裸でいたら冷えるだろ、ばかウィン」
 バタンと大きな音で閉められるドアと小学生みたいな悪口で呼ばれた自分の名前に、見た目に少し纏っていた艶っぽさとのギャップがありすぎて、ウィンは一瞬ぽかんと呆けた後に声を出して笑ってしまった。
 それから一向に冷える事がなかった身体に制服を着込んでパームからのプレゼントを持ち、ティームの全身の火照りがおさまるより早く車に乗りたくて急いで部室の鍵をかけた。
 ウィンの炎の全貌を知るのはティームだけ。
 それでいい。その為に入れた。
 真新しい墨色の艶光りはその夜からティームの肌と触れ合い互いの温度に溶けて、ウィンの肌へと馴染んでいった。
 
 

 
 ちがう。
 そこまで自分の中で邂逅して、ウィンは違和感を覚えて意識を急浮上させた。
 ふっと目を開けると視界いっぱいにティームの顔があり思わず大きな声が出る。
「うわっ! 何だよ!」
「何だよじゃないよ! なに寝落ちしてんだ! あとちょっとで日付変わるよ」
「え?」
「誕生日だろ」
 頭を巡らすといつもの自分の部屋のベッドの上で、隣の定位置に座った状態のティームが枕を振りかぶっていた。ぼふっとそのまま顔に押し付けられてジタバタともがき、勢いよく起き上がる。
 何かの余韻に浸っていた様な気がしたのに今の衝撃で霧散してしまった。
「お前な、起こすにしてももうちょい丁寧なやり方があるだろう」
「起きないヒアが悪い。せっかく一番に……っ」
 寝乱れた髪をかきあげると、それまでぽんぽんと文句が出ていたティームの口がピタリと閉じられた。ウィンは寝起きの重たい瞼のままその唇を横目でじっとりと見つめた。
 嬉しさを誤魔化すためにペロリと唇を舐める。
「一番に?」
「うるさい。近い」
 ジリジリとティームとの間合いを詰め、逸らされる顔を追いかけて覗き込む。オレンジの照明の中でも分かるくらい黒目が忙しなく動いて、手で肩を押された。どさくさに紛れて足でも腰元を押されて、ティームの態勢を立て直すセーフティスペースが生まれてしまった。
 その素肌を、タトゥーを触られる感触にウィンはふと馴染みを覚える。腕と肩はしょっちゅう触られている。背中も頻度は低くない。足蹴にされたスウェットパンツと肌の間に、ウィンは引っ掛かりを覚えたのだ。
「ティーム、俺が寝てる間にタトゥーに触ったか?」
「えっ!? おおお起こす時に揺すったから、それかな?」
「いや、そっちじゃなくて」
 こっちとウィンが人差し指を下に向ける動きに合わせて目線を下げたティームが意味に気づいて、バッと顔を逸らす。
「さささ、さわってない」
 触ったな。
 ウィンは目を弓形に細めてもう一度ジリジリとティームとの距離を詰めた。動揺で少し上がってる肩に顎先を乗せて、腕をゆったりと腰に回す。そのまま耳の近くに口を寄せて呟いた。
「すけべ」
 瞬時にティームが毛を逆立てた猫の様に腕の中で暴れるから、想定済みのウィンは抱きこむ腕に力を入れて頭をティームの首元に押しつけて抑え込んだ。ぎゅうぎゅうに抱きしめながら、喉奥で笑う音が鼻から抜けていく。
「別にいつでも好きなだけ触って良いぞ。お前のものだ」
「ヒアのでしょ」
 肘で胸をぐいぐい押してくるが密着した状態では威力はない。暫くして大人しくなったティームの身体をそのままゆっくり揺らしながら、間近のジト目を見返す。
 ティームはウィンの全身のタトゥーの意味を知っている。それを含めた返しにウィンはもう一度喉でくつりと笑って、ティームの首と肩の曲線に擦り寄った。
「あぁ。俺のだけど、今はもうお前のものでもあるから」
 口から言葉にして出してみて、ウィンはこっちの方がしっくりくるなと起き抜けの違和感が何だったのかを理解した。
 夢の中のウィンは、それをティームの為に入れたと言った。実際は逆だ。
 腕や背中のタトゥーは自分の称号がわりだが、腰のものは対外的な意味よりも自分自身に対しての表明のつもりだった。勿論見たり触れたりできる他人は限られる。そういう『特別』がいつか自分にも出来たら良いという気持ちも無くはなかった。親友のコンパスの影響も大きい。
「お前だけの特権」
 目の前の首筋から香るティームの匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、どこか口に馴染みのある言葉を囁いた。ティームが口の中で何かを低く呻いてからのろりと上がった腕がウィンの身体に回された。
「返せって言われても返さないからな」
「誰が言うんだ、そんな事」
 これを渡せる人物に会えて良かった。渡せる人物が受け取ってくれて良かった。
 ティームの指が翼の羽先をくすぐり、ゆらゆら揺れていたウィンの身体をくっついたまま後ろに倒した。
 突然の能動的なモーションにウィンは眉をふよりと上げて見上げると思ったより真面目な顔のティームがいた。自然と持ち上がる口角を揶揄いを纏わさずそのまま浮かべる。一度舌で唇を湿らせてから低い声が降り注いできた。
「日付変わった。ヒア、誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう」
「あぁ」
「ちゃんとプレゼントも用意してあるからね。お祝いのご飯もあるから」
「ありがとう。楽しみにしてる」
 額にかかる金髪をまろやかな指がいつもの雑さを引っ込めて丁寧に横に流すから、同じように手を持ち上げて頬を撫でる。頬骨の上を親指で辿ると猫みたいにゆっくり瞬きをして、ティームの顔が下りてくる。
「それとは別に、ヒアも特権あるけどどうする?」
 唇が触れる寸前の位置で、低い声は照れを含んで甘えた音を出す。
 ティームはウィンがそれをどれだけの間、喉から手が出るほど欲しがっていたか分かってるのかいないのか。絶妙なタイミングで差し出されたそれにウィンは急激な飢えと焦れを感じて、答える代わりに速やかに行動に移した。
 
 
 
 ティームに差し出された特権をウィンが余すとこなく堪能すると同時に。
 ウィンが与えた特権を勿論使って負けず嫌いのティームは「ハッピーバースデー」と言いながらウィンの炎に見事な歯形をくっきりつけた。
 その年のウィンが最初にもらった誕生日プレゼントである。