shiroyakei
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喧嘩

オロイフ旧ワンドロワンライ
(現ツーウィークドロライ)
第14回『喧嘩』より

 ナタの燃えるような太陽が地平の向こうへ沈み、夜が深く満ちた頃。イファはいつも連れている仔竜の相棒が眠ったのを確認して、たったひとりで月の下を歩き始めた。
『何かあったら、ここに来てくれ。僕はここにいるから』
 イファの診療所の玄関ドアに挟まれていたのは、差出人の記載がない、親友の筆跡で綴られた紙片だった。そこに記されていたのは、差出人の自宅から遠く離れた辺地。そこは人も竜も寄り付かない、ファデュイのキャンプ地になっていた。
 数日前。炎神様がファデュイ執行官1位“隊長”カピターノに襲撃されたという。マーヴィカが応戦中に突如煙に包まれた聖火競技場。その煙は、謎煙の主の技術だった。つまり、ナタ人の中にファデュイと繋がる裏切り者がいる――。その報せは伝達使によって瞬く間に国中へ広がり、ナタ全土がぴりついた。
 それと同時に行方をくらませた謎煙の主出身の親友。イファが真実に辿り着くには、充分すぎる情報だった。

 しかし、イファは何も言わなかった。彼が何にもがき苦しんでいるのか、イファがすべて理解できるとは毛頭思っていなかったからだ。うわべだけの同情は要らない。イファも両親をアビスの影響で亡くした時に、周囲から向けられる哀れみや同情の視線に、救われたことなどなかったから。

 イファが謎煙の主に物資を運んだ日のこと。医者であり、移動に長けている花翼の集出身のイファは薬草や調合済みの医薬品を各所に運ぶことがしょっちゅうあった。その日も、謎煙の主の集落中央へ物資を運んでいた。さあ帰るか、とイファが相棒の鞄の紐を掴み空に飛び立とうとしたとき、背後から呼び止められた。
「イファ」
「! ばぁちゃん。どうしたんだ?」
 シトラリに手渡された救援物資の袋を見て、イファはこれから依頼される任務を察した。
「イファ。これをあのアンポンタンのオロルンに渡しておいてくれないかしら。」
……オロルンに?」
「イファ。アナタならあのアンポンタンの居場所、知ってるでしょ。」
 しらばっくれてもムダよ、と言いたげなシトラリの視線に、イファは観念した。
あの子の場所は私に言わなくてもいいから。この袋だけでも、渡しておいてチョーダイ。もうすぐあの子の御守の効果が切れちゃうから。お願い。」
わかった」



「来たんだな、イファ」
オロルン……
 キャンプ地には親友のほかに誰もいなかった。オロルンのマントは常夜にとけて消えてしまいそうで、イファは目を逸らしたくなった。
 なんでこんなことになっているんだ、とか。執行官の味方をして指名手配されているのを知っているのか、とか。危ないことすんなよ、とか。
 言いたいことが山ほどあるのに、深い闇の中に立つ親友に何も言えなくなった。
……これ、ばあちゃんからだ。いつもの支援物資。もうすぐ御守の効果が切れるから、って言われた」
ああ、ありがとう。手間をかけたな」
 イファから手渡された支援物資の袋をオロルンは受け取って懐に仕舞った。その動作もいつもの彼と変わらない様子で、イファはなんだか夢を見ているような気分になった。
 目の前にいる親友は、今ナタ全土で総力をあげて指名手配されている“裏切り者”なのだ。しかしイファにはどうしても彼がそうは見えなかった。
 なにか事情があるのか。脅されているのか。彼は大切なものを護るためなら手段を選ばない。じゃあその手段のために、今、己を犠牲にしているのか。
 言葉が喉で詰まり、首を絞められているみたいだった。酸素さえ通らないような感覚に、イファは細く息を吸って、吐いた。

何も言わないのか、イファ。」
……何か言ってほしいのか、きょうだい」

 ごご、と強い風がふたりの間を通り抜けていった。オロルンの黒いマントと、イファの白い白衣が風にあおられて揺れる。
「そりゃ、言ってやりたいことはいっぱいあるさ……
……
「危ないことしてる自覚あんのかよ、とかなんで俺に相談もなくこんなことしてんだよ、とか言ってやりたいことはいっぱいあるさ
 喉からからがらに絞りだしたような言葉が、オロルンに届いているのかもわからないまま、イファは独り言のように続けた。
「お前が何に苦しんで炎神様を裏切るようなことをしたのか、理由は全部はわからないけどさ全部お前だけが背負う必要はないだろ」
「違う、イファ。これはナタに生まれた者は皆が考えることじゃないか。どんどんアビスの影響が深刻化している。誰もがこの国のために助力になりたいと思うのは自然なことじゃないか」
「違わないだろ。お前だけが気に病む必要がないって言ってるんだ。だいたい大人が勝手に期待して、勝手に失望しただけじゃないか。お前は何も悪くないんだ。お前だけが危険なことをして、後ろ指を刺される必要なんかないって言ってるんだ」
「俺が後ろ指を刺されるだけで済むなら、安いものだ。イファ。」
 その声色は淡々と、そして静かだった。まるで他人事のようだった。
「イファ、僕はナタの現状を変えたいと思っている。ナタには沢山の人がいて、沢山の竜がいて、沢山の生き物がいるんだ。みんなに助けられなければ、僕はここまで生きてこれなかった。だから恩返しをしないといけないんだ。何も持っていない僕が、何かを成し遂げるには、それなりの代償を払わなければ」

 “何か”を覚悟したようなオロルンの瞳。イファは見覚えがあった。アビスの影響を受けたせいでずっと体調がすぐれなかった両親。戦場を駆け回って多くの患者を助けていた両親は、自分の死期を悟り、そしてイファに医学を引き継いだ。その覚悟が決まった瞳と、今目の前にいる親友の瞳が重なった。

は?」
イファの眉がぴくりと震える。
「お前、今なんつった……?」
「事実だろう。俺ひとりが生贄になって、ナタが少しでも状況がよくなるなら、それで――

「ふざけんな!!」

 イファの怒声が夜気を裂いた。オロルンの肩がわずかに揺れる。イファ自身も、こんな声を出したのは初めてだった。イファがオロルンの胸倉をつかんだ。近づいたイファの顔が今にも泣きだしそうで、オロルンは激しく動揺した。

「もっと怒れよ、理不尽だって。誰もが何かを成し遂げなきゃいけないわけじゃないだろ!」
「ちがう、イファ、僕は」
「ちがうものか……! 無茶苦茶しやがって。俺の気持ちなんか考えたこともないみたいな行動ばっかしやがって」
「っ、イファ」
「俺はお前に救世主になんてなってほしくない」
 イファはオロルンの胸に顔を沈めたまま、闇夜に本音をこぼした。
「生きていてほしいんだ」
「イファ」
 イファの髪を撫でようとして、少し迷って、オロルンの手が空を切って落ちた。
「お前がナタを救う救世主になりたいのなら勝手にしろ。でも、絶対に生きて帰って来い。」
「イファ、」
……ちゃんと帰ってこいよ、オロルン」
 わかった、とはオロルンは言えなかった。イファは名残を振り切るように、オロルンの胸から身を離した。イファからは、もう引き留める言葉はもう出てこなかった。
「おやすみ、オロルン。もう夜も深いから、俺は帰るよ。カクークが起きちまうかもしれないからな」
……ああ、おやすみイファ」
……
……どうしたんだ、イファ」
どうしたんだ、ってあのな、手、離してくれ」
「え」
 困ったようにイファが苦笑いをこぼした。無意識につながれた手と手。帰ろうとするイファの手を、オロルンが無意識に引き留めていたのだった。
「はは、もう……困ったもんだな」
繋がれた指先も、困ったように笑うイファも、出会った頃と何も変わらなかった。
「イファ。……僕は、」
「ん?」
……
 困ったように眉を下げて俯くオロルンを、イファは黙って見つめていた。できない約束はしたくないんだろう。でも、それでも。
……ちゃんと帰ってこいよ、オロルン」
……努力はする」
「なら、許してやるよ」