2026-05-07 20:05:37
5490文字
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イミテーション

自分にだけ優しくない魔術師と寄り添う少女、それから繋ぎ留めたい男/∞

 今となっては泡沫のような記憶だ。自分はいつだって、いずれ失うとわかっていたくせに、幸せだったころの人々との日々ばかりを名残惜しく思い返している。

 生真面目に頷いた小狼と不服そうに横を向いていた黒鋼、そして自信満々に小さな胸を張ったモコナに留守を頼んで、サクラと二人で買い出しに行ったときのことだった。予定したものを買い終えたところで、彼女がふと足を止める。視線の先にはサクラのような若い女性が好みそうな、華奢な作りの可愛らしいアクセサリーがいくつも並んでいた。
 最近の彼女は、旅に出た当初の生気のなさが嘘のようにはっきりと意識を保つ時間が増えている。本来の性格だろう好奇心旺盛な姿勢を覗かせることも多くなっていた。少年は嬉しそうにそんな少女を見つめていたし、わかりにくくも二人を見守る立ち位置に納まった青年の姿も、同時にすっかり馴染んだ光景になりつつあった。一方でファイもまた、その関係を大切に思っている自身を無視できなくなっている。

「綺麗だねー」
「わっ、すみません! 買い出しの途中だったのに」
「もう用事は終わったし大丈夫だよ。それよりサクラちゃん、何か気になるものでもあった?」
「そういうわけじゃないんです、ただファイさんが言うようにとってもキレイだなって」
 そう言ってはにかんだサクラと共に、しばしショーウィンドウを眺めた。ふと商品の下にひっそりと置かれた値札に気づき、ファイは少しだけ驚いた。想像していたよりもかなり控えめな値段だったからだ。疑問に思ったものの、この国に着いたばかりのころの記憶を探り、それからすぐに得心した。サクラも同じ印象を抱いたのだろう。ガラス越しのアクセサリーを見つめたまま、不思議そうな顔をしている。
「多分これ、模造石なんじゃないかなぁ」
「模造石?」
「オレもうろ覚えなんだけど、確かこの国では宝石の採掘だけじゃなく、宝石を模倣した素材の研究も盛んらしいんだよね」
「言われてみればこの国、他の場所より装飾品を身につけている人が多い気がします……!」
「うんうん。そういう産業が盛んだから流通してるのか、文化として親しまれてるから研究が進んだのかはわからないけど、何にせよ綺麗でいいよねぇ」
「はい!」
 嬉しそうに微笑んだ翡翠色の瞳が、宝石のように輝く。その様子があまりにも微笑ましくて、ファイは少しだけ悪戯心が湧いてしまった。
「せっかくここまで来たし一つくらい買って帰ってもと思ったけど、アクセサリーなら小狼君からプレゼントしてもらった方がよさそうかなー?」
「えっ!? えっ、あの……その、わたし……、えっと……
 想像通り顔を真っ赤にして慌てたサクラが、抱えていた荷物を取り落としそうになる。それを支えてやりながら、ファイも思わず笑った。
「ごめんごめん、じゃあとりあえず今日は帰ろっか」
「はい……
 歩き方までぎこちなくなってしまった少女と共に帰路に着く。暖かな陽光が活気のある街並みに降り注いでいた。





 いつかと同じように、ファイはサクラと二人で街へ出ていた。観光都市というだけあって、街並みは人々で賑わっている。もっともここに滞在する間、チェストーナメントのみに注力している自分たちにとっては、縁遠い喧騒ではあったが。
……どうかな、何か食べられそうなものはある?」
「いえ……
 食の細くなったサクラを気遣って外食を勧めたのは事実だが、少しでも彼らと距離を取る時間を設けたかったことも否定しない。一時的な住居として暮らしているあの空間には、今も「小狼」と黒鋼、そしてモコナが居るはずだ。何もかもが変わったこの状況では、身を休めていても心が休まる場所とは言いがたかった。ファイにとっても、きっとサクラにとっても。
 以前の快活な雰囲気が影を潜めた彼女は、不意に伏せていた目線を上げた。ファイも無言でその先を追う。あのときと似た店構えのショーウィンドウに、あのときとは全く異なるデザインのアクセサリーが飾られていた。
 サクラが何に心を惹かれたのかは問うまでもなかった。陳列スペースの中央に、華美な台座の装飾にも負けない大きな琥珀色のブローチが鎮座している。
……綺麗だね」
「はい」
 照明を浴びた眩い輝きは、どこの国で目にしても変わることはない。店の雰囲気や客層から見るに、これも模造石であることは予想がついた。ガラス越しの琥珀色を見つめるサクラの隣に立つ。彼女があのブローチを手に取ることはないと知っていながら、それでも声をかけた。
「少し中も見てみる?」
 ファイを見上げたサクラが、小さく頷く。彼女の気晴らしになることなら、なんだってしてあげたかった。

 店の中は多種多様な装飾品に溢れている。楽しそうに商品を選ぶ客の合間を縫うように進み、邪魔にならないところで立ち止まった。少ししてから、店内を見ていたサクラがこちらを振り返る。ファイは意を汲んで彼女の元へ向かった。
 そこに飾られていたのはアクセサリーというより、小物に付けるチャームのような小さな飾りだった。この国にしてはシンプルなデザインをした、雫型の色とりどりの石が陳列されている。さくら色の爪が商品の説明を指差した。
「これを身につけていると、願い事が叶うかもしれないんだそうです」
 笑ってしまうほどありきたりで、陳腐な文章だった。旅の中で何度目にしたかわからない、ある意味お決まりの売り文句。もしこの小さな紛い物でサクラの、そしてファイの願いが叶うとしたら、それはどんなに幸せなことだろう。
 片目だけになった視界に映る装飾は、一方的に願いを掛けられていることも知らず、懸命に光を反射している。
……ファイさん」
「何かな」
「実はわたし、あんまりお腹が空いてないんです」
……オレもだよ」
 お互いに目を合わせて、小さく笑った。居所で待つだろう彼らには知られたくない、ささやかな秘密の共有。
「わたしとファイさん、今同じことを考えてると思います」
「うん、そうだね。……サクラちゃんは何色にする?」
 食事代の予定だった通貨は、それぞれの瞳に似た色のチャームに変わった。包装を剥がし、彼女が選んでくれた蒼い飾りを人工の光に翳す。本当に願いを叶えてくれるのではと錯覚しそうなほど、揺れる石はきらきらと神秘的に輝いた。サクラもまた翠色のチャームを小さな手のひらでそっと握りしめている。

 東京を経て、彼女は変わった。あれだけのことが一度に起きたのだから当然の反応だ。おそらく黒鋼たちもそう考えている。けれどファイは、ひとつ憂慮していることがあった。もしかすると彼女は東京で記憶を得て、彼女自身について知ったのではないだろうか。これまで同行者の中ではファイしか知り得なかった、自分という存在そのものを揺るがす、写身であるという事実を。
 ファイは傷一つ付かぬよう、再び大切にチャームを仕舞った。たとえ本物の宝石を真似て作られた存在であっても、かつて綺麗だと感じたその輝きが曇るわけではないのだと、身勝手だろうと今もなお、そう思っていてほしかった。

 少しだけ時間を潰して、あたかも当初の用事を済ませたような顔をして戻る。明日はなるべく食事を摂るように伝えると、彼女は出かける前より柔らかくなった表情で頷いてくれた。そのままサクラを部屋まで送り届ける。そうして自室へ戻ろうとしたファイの前に立ち塞がったのは、大きな人影だった。
……サクラちゃんなら部屋に戻ったよ。まだ眠ってはないと思うから用事があるなら」
「はぐらかすな」
 歩みを止めず自室へ戻るファイの後を、黒鋼は躊躇いなくついてくる。ここで何を言い返そうと、男が自分の目的を果たすまで引かないのはわかりきっていた。このあとに起こることへの憂鬱さに、一層身体が重くなる。
 空腹を感じていたのは確かだ。だが我慢できないほどではなかった。黒鋼は知る由もないだろうが、あいにく飢えには慣れている。たとえ半減していようと、この魔力は彼の想像以上にファイを生かし続けるだろう。
 チャームの入った小さな紙袋を取り出す。慎重に机の上へ置いた瞬間、今のファイが無意識に、そして何よりも鋭敏に感じ取る男の血液の香りがした。振り返った先では、黒鋼が血の付いた刀を手にして立っている。
「前も言ったけど人の返事も聞かずに切るのはやめてもらえるかな、『黒鋼』。そもそも君がやると傷が深すぎる」
「うるせぇな、さっさとしろ」
 本能的に抗いがたい香りを乱暴に鼻先へ突き出されて、思わず顔が歪んだ。それでも滴る血液を無駄にするわけにはいかない。わずかに身を屈め、手首に口をつける。

 結果的にファイへ血を分け与えることになったあの吸血鬼は、小狼をファイの「餌」かと尋ねた。当時は否定したそれを、何の因果かファイは自分の意思に反して所有させられている。口に含んだ液体を飲み下すと、皮肉にも唯一の糧はたちまち抑え込んでいた飢餓を満たした。黒鋼の腕に触れている指先まで、魔力に似た力が行き渡るのを感じる。物理的な充足に反して、精神的な無力感は増す一方だったが。
 男の鋭い眼差しは、向かい合ってからずっと逸らされることなくこちらへ向けられ続けている。「餌」によって身体を変容させられたうえ、こうして「食事」のたびにじっと見つめられているさまなど、どちらに主導権があるのかわかったものではなかった。あのとき他にファイを救う手立てがなかったことは理解している。けれど納得できるかはまた別の話だ。ファイは自嘲の笑みを隠さず言った。
「毎回鬱陶しいくらい熱心に見てるけど、そんなに面白い? それともオレが飲んだふりをするんじゃないかって疑ってる?」
 当てつけのような物言いに、黒鋼は何も返さなかった。ただ黙ってひたとファイを見据えるだけだ。
「そんなに気にかけてもらわなくても無駄にしたりしないよ」
 これ以上深紅の瞳を視界に映したくなくて、目を伏せる。
 ちゃんとわかっている。彼は何も知らされず、それでも周りに心を砕いている。そこにいるだけで眩しく輝く本物だ。未だこちらを警戒している「小狼」と同じ、初めから本質的な価値を持っている。サクラと彼女が求める小狼は写身と呼ばれる存在だ。けれど二人が周囲と交わしてきた煌きもまた真実であり、確かにそこに存在する本物だと、ファイは心から信じていた。
 そしてそのどちらも、何もかもを知りながら名を借りて演じ続ける空虚な自分とは全く違う。

 出血がだんだんと落ち着き始める。腹は満たされているはずなのに、研ぎ澄まされた感覚は依然として血の匂いを追っていた。
 生まれ落ちた瞬間から周囲を不幸にして、片割れを犠牲にして生き延びて、手を差し伸べてくれた人たちにまで不吉を招いた。それでも望みを捨てられず、目の前の男の命を啜って永らえている。目的を果たすまで、この先もずっと。そう考えて、ファイは急に途方もない気持ちになった。
 サクラがどこまで事情を察したのか知る術はない。けれど彼女は自分に、「生きていてくれてよかった」と言ってくれた。黒鋼が次元の魔女に取引を持ち掛けたのも、この命を繋ぐためだ。それを理解すればするほど、余計身動きがとれなくなる気がした。
 すっかり血の止まった傷口を舐め、唇を離す。ファイが動くより先に、黒鋼の指先が濡れた口元に触れた。意外なほど優しく唇を拭われる。その後も頬を包むように添えられた大きな手は離れない。それどころか慰撫するようにかさついた指の腹で触れられて、反射的に身体がこわばった。
……何のつもり?」
「わかってんじゃねぇのか」
「え?」
「それともわからないふりしてんのか? 見て見ぬふりしようと今更なかったことにはならねぇぞ」
「何、言って……
 熱のこもった瞳が責めるようにファイを映している。男の言葉はいつだって端的で、それゆえ真意を測りかねることも少なくなかった。彼に分け与えられるものなど自分は初めから持ち合わせていないのに、まるで何かを求めるかの如く、ひたむきに見つめられている。
 何もわかってなどいない。迂闊にも踏み込みすぎた自分を拒まず、不必要な責を負ってまで生かし、相も変わらずこの手を引こうとする男のことを、ファイはずっとわからないままでいる。
…………用は済んだでしょう。出て行ってくれる?」
 これ以上射るような視線に耐えられる気がせず、知らず間近に迫っていた大きな身体を押しのけた。舌打ちした黒鋼が、こちらを一瞥したのち踵を返す。扉が閉まり足音が遠のいたところで、やっと息を吐いた。頬に触れた男の体温がいつまでも消えてくれない。

 机の上に置いたままだった小さな紙袋を開き、蒼く光る石を照明に翳す。その輝きを焼き付けてから目を閉じた。
 ファイは「ファイ」という望みを捨てられない。この願いを手放すとしたら、それは命が尽きるときになるだろう。
 不相応な願い事を抱く自分の行く末は明らかだ。いずれ王も目覚める。この旅は長くは続かない。命を救ってくれた男が求めるものすら察することのできない自身に、できることなどたかが知れている。それでもファイは祈った。せめて共に過ごした彼らの望みが叶うよう、たとえ紛い物の光であっても、今はただ祈りたかった。

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「インフィニティの黒ファイ」
リクエストありがとうございました!