遊悟
2026-05-07 12:52:07
5185文字
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白夜


 は、と目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。
 生成り色の天井と壁、木目を活かした木製のフローリングの、目測六畳ほどのがらんとした部屋。夜宵はベージュのシーツが掛けられたパイプベッドの上に、手を挙げる形で縛られ転がされていた。
 すんと鼻を鳴らせば、かすかに生臭いにおいがする。きっと臓物の残り香だ、と察せる程度には、夜宵は修羅場を経験していた。
 耳をよく澄ませば、車が行き交う音が遠くに聞こえる。排気音、頻度からして、たぶんどこかの世界の住宅街の一角なのだろう。
(「一軒家、あるいはマンション……ならば、外に出ちまえばこっちの勝ちは自由、だが」)
 身じろぎをすれば、手足に巻き付けられた鎖がジャラリと重い音を立てた。
 機械に置換された手義手に力を込めてみるが、鈍い音を立てるのみで引きちぎれる気配はない。
 特殊な金属を使っているとしか思えなかった。まるで、夜宵のためにあつらえられたかのような……
……
 そこまで考えて、夜宵は眉をしかめた。悲しいことに、そんなことをしそうな人物に心当たりがある。たった一名だけだけれども。
「あっ、兄貴、目ぇ覚めたんだ?」
 ドアを開けて入ってきたのは、夜宵にとっては血を分けたたったひとりの弟―――陽羽。
 彼は鼻歌でも歌い出しそうな陽気さで、夜宵の元へと歩み寄ってくる。
「陽羽……
 そうだ、と夜宵は思った。
 そうだ、今日は珍しく非番の日で。
 あの・・店にでも行くかと出かけた先で、この陽羽を見かけたのだ。
 人混みの中、道路を挟んだ反対側。悠々と歩く陽羽の姿を見つけて、あの・・店に何かされたらたまらないと焦ってその背を追いかけて。
 そうして―――唐突に記憶は途切れた。
(「捕まえるつもりが捕まってどうすんだよ、俺」)
 ひと悶着あるだろうと思ってはいたが、まさか、刃のぶつけ合い戦闘ではなく、こんなまどろっこしい誘拐という手段を選ぶなんて。
「もう一時間くらいは寝てるかと思った。タフになったね、兄貴も」
「うるせぇ。何がしてぇんだ。さっさと解放しろ」
 手足を縛る鎖は、その端をベッドフレームに繋がれていて、ろくに起き上がることさえ叶わない。
 顔だけ陽羽の方へと向け、夜宵は「男なんて監禁して何が楽しいんだか」と毒づいた。
「やだなぁ。兄弟久方ぶりの再会だよ? もうちょっと感動してみせてもいいんじゃない?」
「お前が殺人犯でなければな」
 この弟が―――陽羽が、今までどれほどの凶行を起こしてきたか。
 そしてこれからも、起こそうとしているのか。
「お前が犯した罪は大きすぎる。多すぎる。……お前は裁かれなければならないんだ」
「あはは! 兄貴ってばさ、そんな格好で言っても説得力ないよ?」
 陽羽は笑う。質の良いお笑い番組でも見ているかのような朗らかさで。
「それに今日は説教を聞きたくて呼んだわけじゃないから」
 ふと、陽羽は夜宵に顔を近づけてきた。
「最近退屈でさ。兄貴に遊んでもらおう・・・・・・・と思って」
 陽羽はごく自然な仕草でポケットからナイフを抜く。
―――
「あは、威勢が良いね」
 縛られて、ナイフを見せつけられて。それでも、こちらを睨めつけてくる夜宵のその根性。
 嫌いじゃないなぁと陽羽は口角を上げる。
「俺がおとなしくやられるとでも?」
 いくらでも逃げられるんだが、と夜宵が口にすれば、陽羽は首を傾げた。
「うん? いいよ、別にどこか別の√へ逃げても」
「いいのかよ……
 なら最初から√能力者おれを誘拐すんなよと呟く夜宵の前で、陽羽は首を傾げる。
「そうしたら、別の人に遊んで・・・もらうから」
……は?」
 ニッコリ。そう表現するのが相応しいほどの愛らしい笑顔で陽羽は話す。
「兄貴の大切なお仲間とかがいいかなぁ? 一般人じゃロクに抵抗もしてこないから、最近つまらなくてさ」
……俺の仲間同僚は、強い。お前に容易く殺されるわけがない」
 夜宵は視線をより鋭くする。
 背を預けて戦う仲間。隣を歩くアイツ。彼女たちの強さは、強かさは、他の誰でもないこの自分がよく知っている。
「ああ、そうか、うん、そうだよねぇ。臆病者の兄貴が側に置くくらいなんだもん、そりゃあ強いよね」
 空いている左手を顎に当て、陽羽は考え込む素振りをする。
 呆気なく引いたことに一抹の不安を抱きつつも、夜宵は「ああ、そうだ」と頷いてみせる。
「ひとりひとりができることは限られているかもしれない。
 けどな、あいつらは協力する強さを、背を預け合う安心感を知っている」
 ひとりひとりは強さに天井があるとしても、協力し合った瞬間、その強さに天井はなくなる。
 夜宵がそう息巻けば、陽羽は「そっか、じゃあ」と切り返した。
「じゃあ、兄貴が大切に思う人……の、大切な人に遊んで・・・もらうことにするよ」
 ナイスアイディアと言わんばかりの表情で、陽羽は目を細める。
「自分が何かしたわけでもないのに……「ただ兄貴と親しくしてた」だけなのに、自分の大切な人が次々といなくなって死んでいくんだよ?
 兄貴の大切な人たちはさ、どう思うだろうねぇ……?」
 吐息がかかるほど顔を近づけ、陽羽は夜宵に語りかける。
「兄貴と、兄貴の大切な人√能力者は、そう簡単に死なないかもしれない。
 けど、兄貴が大切に思う人が、守りたいと思う相手のAnkerまでがそうとは限らない」
 陽羽の口調は、子供に言って聞かせる親のような優しさだった。
 けれど、その内容は慈愛や無垢さとは一切かけ離れたもので。
「もう一度言うよ?
 逃げたければ、逃げればいい。でも―――兄貴が一回逃げる度に、「兄貴の近しい人が、大切だと思う人」を殺す」
……
 遊ぶ相手は誰でもいいんだ、と付け足されては、夜宵も静かにならざるを得なかった。
「じゃ、兄貴、ちょっと遊ぼうか?」
…………好きにしろ」
 夜宵が顔を逸らす。観念したように。もうどうでもいいと言いたげに。
 どうせ、どれほど傷ついても、死ぬことはない―――否、いっそ殺してくれれば、別の場所で蘇生死後蘇生できる。上手く行けば、あの店・・・で蘇生できるかもしれない。
 ならば、いま、多少痛かろうと、苦しかろうと、どうということはない。
―――ああ、そう」
 陽羽は一瞬無表情になり、直ぐにまた笑顔に戻った。
「じゃ、前は右だったから、今度は左にしようかな?」
 脂による曇りが見える刃を夜宵に見せつけながら、陽羽は嬉しそうに語りかける。
「好きにしろっつったろ。早くしろよ」
「も~、せっかちだなぁ」
 夜宵の左手首に、ピタと冷たい硬質な刃が当てられる。
 そこで初めて気づいたように、陽羽は「ああ」と声を上げた。
「これで、お仲間との記録も、途絶えちゃうんだねぇ。かわいそうに」
「はぁ?」
 何言ってんだと夜宵が眉をしかめると、陽羽はその耳朶に唇を寄せた、
「兄貴は平然としてるけどさ、「あの日あの時あの瞬間、あの肌に触れた」のは、この肌なんだろ?」
……っ」
 瞬間、夜宵の脳裏に映像がフラッシュバックする。
 頼りになる仲間の背を叩いた手のひら。
 くだらないことをいう友人ダチの頭を小突いた手のひら。
 ―――あの白い肌を直に味わった、手のひら。
 たしかにそれは、いまここにあるこの手でしかない。
 命は―――魂は消えることはなかろうと、蘇生によって再構築された手に、その記憶思い出は、ない。
 取り替えの利くパーツが交換される手ではない。
 血の通ったこの左の手にしか刻まれていない、大切な記憶だ。
……そっか。そういえば、俺が切り刻んだら、兄貴は失っちゃう欠損しちゃうんだよね。
 さすがに両方義手はかわいそうだよね。じゃ、今日のところは指一本で我慢してあげる」
「へ?」
 我ながら間抜けな声になってしまったと思う。
 夜宵が陽羽を見上げると、彼は薄らと腹の底が見えない笑みを浮かべていた。
「うん。じゃ、この指一本だけにしておくよ」
 あとは後日あとのお楽しみ、なんて呟きながら、陽羽は夜宵の左の薬指に刃を軽く押し当てた。
―――!」
 その意味を理解して、夜宵は血の気が引いた。
 やめろ、やめてくれ。
 その指は駄目だ。
 心臓に一番近いとされるその指が失われてしまっては、アイツと約束を交わせなくなってしまう。
 ずっとずっと曖昧なまま待たせ続けている、白く美しいあの女と、永久の誓いを交わせなくなってしまう。
 そう。
「やめろ、結婚指輪マリッジリングを嵌められなくなってしまうだろ……!」
 言ってしまってから、ハッと気づくが、もう遅い。
「あは、やっぱ、大切なヒトがいるんだ?」
 自白してしまった。いまの自分には、愛おしいと思える相手がいるのだと。
 よりにもよって、この自分のすべてを壊そうとしているとしか思えない相手の前で。
……
 今更沈黙したところで手遅れ。けれど、せめてもの抵抗に夜宵はそっぽを向いて口をつぐんだ。
 陽羽はしばらくの間、そんな夜宵を見つめていたが、やがてナイフを鞘に収めた。
「やーめた」
 つまんないと呟いた後、夜宵に背を向けてドアに向かって歩き出す。
「まっ……
 自分の元から離れていく。それはつまり、標的を違う誰かに変えたに違いない。
 夜宵が焦り出すのもどこ吹く風、陽羽は背を向けたままドアを静かに開けた。
「ちょっと出かけてくる。
 ……ああ、さっき言ったこと忘れないでね? 俺、本気だから」
 兄貴が逃げ出したら、他の誰かを殺すから。
 そう言い足すと、陽羽は部屋から出て行ったのであった。



……殺人の容疑で、現行犯逮捕だ』
 事態を把握した兄の開口一番の台詞がそれだったことを、陽羽は憶えている。
 ひどく驚いた、ひどく傷ついた、希望のぞみが失われた―――そんな目をした兄の顔を憶えている。
 あの時は愉快だった。
 兄の姿が滑稽で、愉快な気持ちになって。
 それで。
 ―――今改めて思い返せばば、ほんのわずかだけ、腹立たしい気持ちになる。
 親を殺してなお、兄は自分を見てくれなかった。
 いや、正しく言うならば、「自分を通して、その先にある両親の亡骸を見ていた」だ。
 「ヒト中身臓物が見てみたくなったから」親の身体を解剖した暴いた
 そう言ってのけた自分に対して、「なぜ越えてはならぬ一線を越えたのか」と叱りつけるでもなく、「どうしてこんな子に育ったのか」と嘆くでもなく。
 肉親としての情をぶつけるでもなく、ただ淡々と、警察としての任務仕事の顔果たした見せただけだった。
(「兄貴はいつもそう」)
 さっきもそうだ。自分の手が、命が、まな板の上に乗せられているというのに……この自分によって虐げられているというのに、その目が見ていたのは、仲間のすがたであり、愛しき相棒のすがただった。
 自分が行おうとした凶行の是非よりも、そのせいで仲間に害が及ぶかどうか、そのせいで相棒と永久の約束を交わせなくなるかもしれない、そういったものに気が向いていた。
 結局また自分を見てくれなかった。その思いが、陽羽を苛立たせる。
 俺が、やったのに
 あの不器用な兄は、きっと気づいてない。
 実の弟陽羽を見ていたつもりで、その実ずっと両親の幻影を追っていたことに。
 実の弟陽羽と向き合っているつもりで、その実ずっと愛おしい仲間と向き合っていただけということに。
 ねぇ、いつになったら、俺をちゃんと見てくれるの?
 ねぇ、いつになったら、俺が一番だって認めてくれるの?
 兄と繋がった縁。その糸をすべて断ち切れば、この自分が一番だって、一等賞だって、理解してくれるのかな?
「ああ、いいね。やっぱり、兄貴のすべてを奪ってしまおう」
 陽羽は口角を上げた。
 あの世界生まれ落ちた場所で、期待して、喪って、諦めて、すべてを捨て去って。
 ようやく見つけた新天地。機械で補った指先で必死にかき集めたであろう、ありったけの仲間
 きっと「もう二度と失いたくない」であろうその「宝物」を、すべて滅茶苦茶にしてしまおう。
 そうして、その偽物の、傷だらけの、冷たい手のひらに残されたたったひとつの「縁」が自分であれば、その時初めて兄は自分を見てくれる。
 否、「自分しか見るものがなくなる」。
 きっとそこでようやく認めるのだろう。自分は陽羽おとうとに敵わない、と。
 その思考に至り、陽羽は大分愉快な気持ちになった。
「うん、うん。いいね。そうしよう」
 陽羽は口角を上げて外に出た。大好きな夜宵を自縄自縛に陥らせたままで……