2222(にし)
2026-05-06 21:13:01
2344文字
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中在家長次の充実した休日 -理想と現実-

#nkzik_drawwriting【第70回】休日 の投稿作品です。

 中在家長次の休日の朝は早い。
 部屋に差し込む朝日で目覚め、きんと冷えた井戸水で顔を洗うついでに洗濯も済ませておく。
 軽く手足を動かして体の調子を確かめてから、昨夜の夕飯の残りを温め直して朝食を摂る。
 食器を片付けて部屋を掃除した後は、あらかじめ提出していた外出届の通り、学園の近くで開かれている市に出向く。食材の他に、貯金を崩して数冊の本と砂糖、蜂蜜を買う。帰る道すがら、牛乳を搾らせてもらい、卵も飼育小屋から回収する。
 昼食を済ませ、普段なら鍛錬に打ち込むところだが今日は違う。炊事場の一角に材料と道具を広げ、ボーロ作りに取り掛かる。図書委員会の後輩の中に、明日誕生日を迎える者がいるからだ。
 ポルトガル語のレシピを頭の中で諳んじながら、ボーロの生地を作っていく。卵と砂糖をきめ細かく混ぜ合わせる行程は利き腕の鍛錬になるし、生地に向き合っている間は余計なことを考えずに済む。とろ火に向き合いつつ、気に入りの本を一冊読み終えれば丁度いい焼き加減になることを掴んでからはいっそう穏やかな時間となった。
 焼き上がった生地と鉄鍋の間に包丁をぐるりと一周させ、鍋を返せばほかほかの湯気に包まれた香ばしいボーロが姿を現し、密かに拳をぐっと握りしめる。
 渾身の出来だ。これを前にした後輩たちの顔が目に浮かぶ。きっと、喜んでくれるはずだ。
 さて、あとは日暮れまで縄鏢の鍛錬に打ち込み、夕飯を食べ、風呂で温まってから手に入れた本を読んでぐっすり眠るだけ。
 ああ、なんて充実した休日だろう。
 ──そう、これら全てを実現することができるならば。



「おーい長次! いつまで寝てるんだー!?」

 同室の男のやかましい声が鼓膜に突き刺さり、長次はもぞもぞと身動いだ。明け放たれた戸口から、燦々とした光が部屋へと差し込んでいる。
「おはよう長次! 今日は遅いな。そろそろ起きないと調子が狂ってしまうぞ?」
 小平太の笑顔と日光の眩しさに閉口した長次は、掛け布団をのろのろと頭の上まで引き上げた。
「あっ、まだ寝るつもりか!? どうせ昨日も遅くまで本を読んでいたのだろう! 体を動かせば眠気も覚める! 早く起きて私と鍛錬しよう!!」
 寸分の差で布団を剥ぎ取ることに失敗した小平太と、引っ張り合いの攻防がしばらく続く。事実、小平太の言う通りではあった。明日は休みなのだから、とついつい頁を捲る手が止まらず、ようやく床についたのは草木も眠るような時分だった。いい加減に起きねばと頭で思っても、灯明台の薄明かりで酷使した目がしょぼしょぼとして全く目覚める気になれない。
 二人の力に耐えかねた掛け布団が悲鳴を上げ始めた頃、何かに気づいたらしい小平太は「あれっ」と急に声色を変えた。
「⋯⋯そういえば長次、今日の市は古本の店が出るって言ってなかったか?」
 小平太が言い終わる前に、長次は素早く布団を跳ね除けた。寝不足でぼんやりしていた頭が急速に覚醒する。先程までのてこでも動かぬ様相はどこへやら、長次は勢いよく尻餅をついて悶える同室を顧みることなく手早く身支度を整え始めた。
「やっぱり忘れていたか」
「⋯⋯すまない」
 打った腰を擦りながらも笑いかけてくる小平太に、長次は私服の袖に腕を通しながら頭を下げた。
「細かいことは気にするな! それより、間に合いそうか?」
 問われて部屋の外を見る。青い空に輝く日はそれなりの高さにまで昇っているが、今から市へ駆ければどうにかなるかもしれない。焦りで歪んだ帯紐の結び目を直す暇はない。朝飯を食い損ねたなと悔やむ余裕も無く草履を締める。
「ぎりぎりでも間に合うなら何よりだ!」
 気合い注入とばかりに背をばしんと叩かれて、長次はその場でたたらを踏んだ。強すぎる力への非難の目線は小平太には通じず、長次は軽く息を吐いた。
「⋯⋯では、行ってくる。昼過ぎには戻る」
「わかった! なら、帰ったら私と鍛錬して遊ぼう!」
 目を輝かせながら送り出してくれる小平太に、しかし長次はふるふると首を横に振った。
「今日は、午後からボーロを焼くから⋯⋯」
「遊ばないの!?」
 断られるとは微塵も思っていなかったのか、小平太が驚きの声を上げる。みるみる翳る表情に、長次の胸がじくりと痛む。安眠を妨げたのも小平太だが、寝過ごさずに済んだのも小平太のおかげだ。
「⋯⋯ボーロを作って、片付けを終えた後ならば」
「そうこなくてはな! あっそうだ、暇そうにしていた文次郎と留三郎も誘っておくか! 久々に乱戦ができるぞ!」
 走り出した背に、小平太の大声が突き刺さる。共に鍛錬することは了承したが、そこまでのことは聞いていない。
 暇そうにしていた、とはあくまで小平太の主観であって、予算決めや備品の修補に勤しんでいるところを引き摺られてくる可能性もある。顔を合わせれば喧嘩ばかりの二人に、台風の目もかくやという小平太だ。鍛錬とはいえとても面倒なことになるのは目に見えており、一気に気が重くなる。
 ⋯⋯ボーロを一つ追加で焼こう。甘いものをちらつかせれば、少しはおとなしくなるかもしれない。鍛錬に付き合わせる礼にもなるし、体を動かした後の疲労回復にもなるはずだ。
 手間も費用も余計にかかる。面倒なことこの上ないものの、元はと言えば夜更かしした自分が引き起こしたと言える状況なのだから、自分でどうにかしたかった。

 走りながら、長次はぐっと眉間に力を込めた。砂利道を踏み締める足に力がこもる。
 思い描いていた通りの休日にはなりそうにない。だが、それでもきっと充実した一日になるだろう。
 まずは古本市に目当ての本が並べられていることを祈りつつ、長次は街道を駆けた。