小話倉庫(深上)
2026-05-06 18:33:11
4914文字
Public 悠アキ/haruwise
 

その『特別』になれるなら(悠アキ/haruwise)

2.8感想。本当にこの兄妹は心配ばっかりかける。

「店長さんたち、また何かあったみたいですね」
 六課のオフィスで独り言のように呟かれた柳の声に耳聡く反応してしまったのは、最近彼とはすっかりご無沙汰だからだ。黄金の日の前後に六分街のライブハウスで偶然会ったきりだろうか。ホロウ・ザ・ヒーローなる催しにも参加していたと風の噂で聞いたし、彼も彼であちこちと走り回っているのだろうと勝手に思い込んでいた。
 また何か、と言われても全く見当もつかない。首を傾げて視線を向けると、それに気付いた彼女の眼鏡の奥、鋭く光る紫がかった瞳がこちらを向いた。
「副課長、ビデオ屋に行ったんですか?」
「私は貴方と違いサボりではありませんよ」
「それは分かってますって~。……で、アキラくんたちが何です?」
 若干声を潜めて真剣みを増すと、彼女はすぐにその態度に気付いて居住まいを正した。
……店内にはボンプ以外に私しかいませんでした。静かな店の中でビデオを物色していたら、少し開いている部屋の奥から店長さんたちの声が聞こえてきたんです。どうもアキラさん、体調を崩されているようですよ」
「え?」
「ええっ、プロキシ、具合悪いの?」
 横から話に入り込んで来た蒼角に一度柔らかい笑みを向けてから、柳はさらに続ける。
「それをどうにかするために何かが必要で……と結構大事なことを話していましたね。詳細は分かりませんでしたが、彼らにもう少し、警戒心を持てと進言するべきでしょうか」
……はぁ~」
 思わず深く息を吐いてしまう。彼らが何やら重いものを抱えていることくらい察してはいるが、事態が彼ら自身を蝕むものであるというのなら、このまま傍観しているのも無理な話だ。
「あの~、今から午後の有休を申請できたりは……
「構わない。許可しよう」
 予想外の方向から声が飛んできて、二人同時にそちらを向く。会議から戻ってきた雅がコツコツと踵を鳴らしてオフィスに入ってきて、悠真のすぐ傍で立ち止まった。それをジト目で見ていた柳が小さく息を吐く。
「課長。私の台詞を取らないでください」
「お前だって気になっているのだろう? プロキシの動向が」
……まあ、彼らはこの新エリー都の中枢を揺るがす存在であることに違いはなさそうですからね」
 柳がちらりとデスクに視線を落とす。「パエトーン」に関する一連の調査書だろう。彼らは多方面に様々な繋がりを得ているが、その中でも大物と言える市長との関わりはH.A.N.D.の一部でも重視されている。彼らの前ではそんな素振りを一切出すつもりはないが、実際のところあのビデオ屋は注目の的なのだ。H.A.N.D.やTOPS、治安局、それから市政と彼らに手を伸ばす輩は後を絶たない。だが水面下で彼らを挟んで睨みあいが続いているなど、当人たちは知る必要もないことだ。
「悠真。お前は別に、プロキシたちが脅威となるかもしれないから行きたいわけではないだろう」
……悪いですか」
「いいや。好ましいと思う」
 雅のこのストレートさは、時に心を救うものになるが、自身の隠匿している心情を明るみに出す光でもある。今回は後者だ。舌打ちをしたい気持ちを堪えて、悠真は白状する。
「そうですよ。アキラくんたちが心配だから会いに行きたいんです」
「ならば、許可しよう。浅羽悠真は本日、酷い腹痛により業務続行不可とみなし、午後からは帰宅させる、と」
……いいんですか、副課長。いつもならこれ、突っ返される内容ですけど」
「課長の印鑑がついているならいいですよ」
……なんか素直に喜べないですねえ」
 言いながらデスク上の物を引き出しに流し込み、鍵を閉め、モニターの電源をオフにする。「お休み貰えてよかったね、ハルマサ!」という蒼角の屈託のない笑みを眩しく感じながら、悠真は軽く挨拶をすると迷いなくオフィスを後にした。
 彼らが許してくれたということは、ビデオ屋の直接的な動向確認が必要だと判断されたのだろう。それでも自分が行くのは、純粋に友人を慮っての行動だ。公的組織に所属する以上付きまとってくる緩い拘束からは逃れられないが、そこに私情を挟んでいけない理由にはならない。
(もし本当に彼らが脅威になりえるなら、別かもしれないけどさ)
 芽生えた黒い感情を抱えて、悠真は逸る気持ちを抑えてエレベーターに乗り込んだ。


 コン、とノックを一つ。返事はない。まだ入り口だが、店の中に彼らはいないのかもしれない、と思いながら扉を開けると案の定ボンプ以外は誰も居なかった。平日の昼下がりはまだ、ビデオ屋の客も来る時間帯ではないのかもしれない。18号の元気な客を迎える挨拶に簡単に応じながら、今度は「STAFF ONLY」と書かれた重厚な扉をノックしようとする。だがそれよりも早く、窓越しに現れたボンプの目が悠真を認識して扉が中からゆっくりと開かれた。
 この子、僕を「ここに入っていい人間」だと認識しているのか、という密かな驚きと共に見慣れた室内を見回すと、ソファの上に銀色の髪が見えた。ああ、彼だ。安堵を覚えながら一歩足を踏み出して口を開こうとしたところで、彼の顔がこちらを向いた。思わず立ち止まる悠真の前で、彼はその口元に人差し指を当てる。
 開きかけた口を閉ざし、なんだろう、と足音を殺して近付いて、すぐに合点がいった。彼の右側にぴっとりとくっつくようにもたれ掛かり、少女が寝息を立てている。その手は逃がすまいとするかのように兄の腕を掴み、兄はそんな妹を起こすことも出来ずにこの状態を保っているというわけだ。
 やれやれ、と彼の妹への甘さを実感しながら、反対側のスペースにお邪魔する。極力ソファを揺らさないようにそうっと腰を下ろすと、横で微かに笑う気配がした。
「久し振りだね、悠真」
「ほんとにね」
 彼の声を直接聞けただけで、再び安堵とそれ以外の感情がじわりと胸のうちに広がっていく。聞きたいことは色々あるのに、彼の妹を気にして何も口にできない。目の前のテレビでは延々と映画が流れていた。リンの眠りの邪魔になるかもしれないし、止めないのだろうかとテレビに視線を遣ると、彼はその視線に気付いて苦笑した。
「少し、リンに拗ねられてしまって。今日は一日、彼女の見たい映画に付き合っているんだ」
「へぇ。善良なお兄ちゃんは、一体また何をしでかしたのかな」
「その……複数の友人とちょくちょく映画館デートをしていることがだね、そこのスタッフ経由でバレてしまって」
「ねえ、それ僕も初耳なんだけど」
「悠真、君もその『複数の友人』に含まれているんだよ」
「じゃあ僕もリンちゃんの嫉妬の対象ってわけ? いやそうじゃなくて、あんた、どんだけ人たらしなの? 八方美人って言うか」
「人聞きの悪い……友人と映画くらい、誰でも行くだろう」
 ひそひそと声を潜めながらそんなやり取りを重ねて、どちらともなくくすっと笑みを零す。彼の交友関係が広いことは理解しているが、スタッフにすら「あの人、色んな人と良く来るな」と思われているということは少し、いや結構もやっとする部分がある。
 彼にとっての自分は、結局大勢いる友人の一人に過ぎないのか。リンでなくとも嫉妬はするよ、と心の中でむくれながら悠真は無言で流れ続ける映画を見つめる。
 聞きたいことは特にない。最近何してたの、とか、またどんな危ないことに首を突っ込んでいるの、とか。聞けば教えてくれるだろうが、悠真にそのつもりがなかった。斥候の名折れだ。けれど、大事な友人に対してもそんな自分と同じでいられるのは難しい。
 あくまでも自分は、彼の傍に居られる友人でありたいのだ。H.A.N.D.も彼らの事情も関係なく。もし自分がどうしようもない事態になっても、それを止めてくれる「特別」な友人に。
 映画の内容は全く頭に入ってこないが、音楽は印象に残った。ノスタルジーな印象の家族ドラマのようだ。母親が娘に静かに諭すシーンに入ってくるピアノの音は、心の棘を抜き去って全てをフラットな状態にしてくれる気がした。暫くその音楽に浸っていると、アキラがその音にかき消えてしまいそうな小声でぽつりと呟いた。
……もし、僕が」
 そこで声が途切れて、彼は僅かに俯いた。横目だけでその彼の様子を見ながら、悠真は促すこともせず黙り込む。彼の膝の上で握り締められる手にそっと自分の手を置くと、ぴく、と彼の手の甲が躊躇うように震えた。
 彼の目はじっと床を見つめ、唇は僅かに引き結ばれている。何かを言いたくてもうまく言葉にできないような、そんなもどかしさを抱えているらしいアキラの言葉を辛抱強く待つ。
 す、と顔が持ち上がって、その目が悠真の目を捉える。自分とは異なるはずの翡翠の目が、一瞬だけ金色に光ったような錯覚を覚えた。
「もし僕がエーテリアスになって、理性も何もかも失って、僕の大事な人たちを深く傷つけてしまったら――君が僕を殺してくれるかい?」
 言葉を返そうとして――喉の奥がつっかえたような心地がした。彼はこの場面で冗談を言うような人ではない。だとすると、そう思わせる何かが彼の身に起こったということだ。
 彼が、エーテリアスになる――自分よりも先に。
 唇を引き結んで、溢れそうになる唾を飲み込む。どくっ、どくっ、と波打つ心臓に落ち着かなくなる。それでも、真っ直ぐこちらを見ている彼に答えなければならない。義務でもなく、ただ自分がそうしたいと思うから。
「いいよ」
 ようやく絞り出した声は、努力の結果震えてすらいなかった。ただ肯定しただけのその言葉に、アキラは心の底からほっとしたような笑みを浮かべた。
……うん。信じるよ、悠真」
「任せといてよ。……でもさ、あんたもよく言ってるでしょ? 生きることを諦めるのも、そうならないように足掻かないのも、駄目だよ」
「ふふ、そのつもりはないよ。僕はね、リンを置いて一人で死ぬつもりはないんだ」
 逆に言えば、彼女がいなければ彼がここに居る保証はどこにもなかったということだ。どれだけ過酷な日々を過ごしてきたかは悠真の与り知るところではないが、彼にとっての妹の存在は、唯一信じられる、激流の中に深く穿たれた杭にも等しいのかもしれない。
 少しだけ彼の方に身を寄せると、彼は嫌な顔一つせずその悠真の愚行を受け入れた。リンと同じように甘えていると思われたかもしれない。それもあるが、それだけではない。
(あんたにとっての壊れない『杭』になら、喜んでなるんだけどな)
 頼って欲しい、縋って欲しい。——殺してくれなんて言葉で、こちらを縛るくらいなら。
(でもそれは、僕も大概か)
 似た者同士だ、と不名誉な感想を脳裏に浮かばせながら、静かに目を閉じる。すると反対側でリンが身動ぎをするのが伝わってきた。
……リンちゃん、起きたんじゃない?」
 薄目を開いて囁くように呟くと、彼はそちらを見ようともせずに即答する。
「起きないよ。リンは」
「あ……っそ」
 これもまた、妹を縛る言葉だ。恐らくリンは、この一部始終のやり取りをしっかり聞いている。聞かなかったことにしてくれ、と言外に妹に伝えたのだ。彼女は兄の言葉を守り、それでも唯一の反抗なのか、彼の腕を掴む力を強めたのが見えた。
 ずるい男だ、と改めて思う。心配を掛けさせたくないという兄の心情を、妹に汲ませたのだ。妹の心配など充分すぎるほど分かっているのだろう。恐らく体調不良の噂も真実だ。どれだけ大丈夫だと彼が言っても周囲は心配する。だが、それを彼は見て見ぬふりをする。
「じゃあさ、アキラくん。僕が殺す前に、勝手にどこかで死なないでね」
「物騒だなあ……
「それはお互い様でしょ」
「ああ……そうかもね、ふふ」
 何がおかしいのか、彼は至極愉快そうな笑みを浮かべている。ふん、と呆れた息を吐いてから、悠真は今度こそ目を閉じた。これで暫くはトイレにも行けまい、などと彼の物騒なお願いごとに対して幼稚な仕返しをしながら、伝わる温もりに促されるまま意識と奥の方へと落とした。