kanaco
2026-05-06 16:45:55
4319文字
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【十二信】トラブルメイカー

《十二信》「お前は、俺が血まみれでもキスしてくれるだろ」面倒ごとを起こす信一と、結局放っておけない十二の話。

 信一からのSOS。

 十二がポケベルから連絡を受けて、単独で敵のアジトに向かったのは、陽が傾き始めた頃だった。

 連絡を寄こしているのだから、生きてはいるのであろうが……。気がつくのに少し時間がかかってしまったことが懸念だった。九龍城砦ではなく、自分に連絡を寄こしたということは、城砦、特に龍兄貴は知られたくない状況に陥っているのだろう。しくじったか、予想外の問題が勃発したか。

 とにかく急いで駆けつけた十二が辿りついたのは、廃墟となった工場だった。強く警戒しながら、人間の気配を探す。足音すら遠く響き渡ってしまいそうな静寂。しばらく進んでも人の気配はない。

 ──しかし。

 最初の違和感は、嗅覚だった。十二もよく知っている鉄に似た臭いが、微かに鼻に届いたのだ。


 近いかもしれない。信一は無事なのか。


 はやる気持ちを抑えながら目を凝らせば、突き当りの横部屋から明かりが漏れているのが見えた。足音だけではなく、息さえもひそめて十二はドアに近づく。蛍光灯に煌々と照らされた室内。十二が廊下の壁に張りついて中の様子を伺うと、背中を向けたまま膝を床につけている、見知らぬ男が見えた。


 そして──、男と向かい合うようにして、信一がイスに座っていた。


 信一の体は両腕もろ共イスに括りつけられていた。自由に動かせるのは足だけだろう。確信が持てないのは、信一たちが十二の視点では前後に重なっているからだった。男の背が壁になって見えない。

 それでもしゃがんだ男の行為を、十二はすぐに気がついていた。首が垂れたその場所から小さい水音が聞こえてくる。ジュ、チュパリという、水気を含んだ猥雑な音。男は手前に投げ出されている信一の足の指先を、じっくりと味わっているのだ。

 十二は心底不快な気持ちになって眉を顰めた。

 それから部屋の全体を目に映す。床に転がっている死体は、四つだ。四人分の血だまりが、混ざり合いながら床へ広がっている。これだけの量であるから、十二の鼻にも届いたのだ。

 そのうちの一人にナイフが一本刺さっていた。何の変哲も特徴もない、柄が黒いナイフだった。そして十二は、それが信一のものであることを知っていた。

 信一は仏頂面の十二に気がついただろう。しかし視線すら寄こさなかった。視線は、信一の足指を一本一本、指の間すら丹念に舌を這わせる男へと向かっている。夢中になっている男をさらに深みへ沈めようと、ウットリとした微笑みを浮かべて声をかけていた。
 
「んっ……ふぁ、……っ、あはっ、じょうず」
 
 なんとも白々しく、わざとらしい喘ぎ声だと十二は思った。それでも男には効いているらしい。十二が部屋に入ってきたことにも気がつかない。目の前にある魅力的な足を嬲ることにご執心だ。
 
 十二は信一の様子をしばらく眺めていたが、やがて音のしないため息をついた。気配を徹底的に殺す。ポケットからハンカチを取り出すと、死体へと近づいた。ハンカチでナイフの柄を覆うようにして、腹に刺さっているナイフをゆっくりと引き抜く。信一が、愉快そうに笑った声がした。

 「アンタ、本当に俺のことが好きなんだね」
 
 信一が男に問いかける。
 十二は背後から近づく。
 
「ああ、でもゴメン」

 
 もう、オワリ。

 
 信一の囁くような言葉が、ポツリと部屋に響いたのと同時に、十二は男の首根っこを力強く掴んだ。驚き、体も頭も状況に追いついていない男を、そのまま死体となった仲間の方へと放る。十二は戸惑う男の前に立ち、見下ろした。

 まるで感情が読めぬ、無表情。
 
 唯一、冷酷な虎の目に激しい憤りと嫌悪が渦巻く。
 
 場の空気を一瞬で変えてしまう、恐ろしい威圧と覇気。
 畏怖を与え、格の違いをまざまざと見せつける。

 ひしゃげた悲鳴をあげて尻もちをついた男は、蛇に睨まれた蛙のようにガクガクと震えた。体は凍りつき、脂汗が噴き出す。十二の狂気を孕んだ怒りの瞳によって、体を縫いつけられたままパクパクと音の出ない口を必死に動かす。

 十二は何も言わなかった。
 そして。
 
 憐れな男のポッカリ空いた口へ、ナイフを一気に押し込んだ。

 男が倒れたことすら見届けず、クルリと振り返れば、機嫌が良さそうな信一と視線が絡んだ。虎の目をまだ崩していないのに、信一は怖がるどころか嬉しそうに瞳を蕩けせる。
 
 十二は信一の前へと歩いた。それから、イスに縛られたままの信一を見下ろした。腕を組んで仁王立ちすると、不機嫌そうに口を開く。

「こりゃ、どうなってんだよ?」
「組がバラバラの、どっかの構成員たち。色目つかって情報を引き抜いてたのがバレたというか、うっかり鉢合わせしちゃってさ」

 信一は唾液に塗れた片足の指を、忌々しそうに床へ擦りつけた。十二が無言で先を促すので、言葉だけを続ける。

「しくじったんだよなぁ。それで捕まって、手籠めにされそうになったんだけど……
「だけど?」

 信一は十二を上目遣いで見ると、口元を弧にした。その瞳の奥で妖しい光が煌々と輝いている。

「それぞれ違う組のヤツらだからさ。俺を犯そうにも、どうも意思の疎通を取るのが下手くそだったみたいで」
 

 俺を抱く権利を巡って、勝手に殺し合いを始めちゃったってわけ。


「チームワークがなってないよな。結局、足舐め君が勝ち残ったから、ご褒美あげている間にお前が来てくれた。うーん、でも冥土の土産として持たせるには、ちょっとあげすぎたかな」
 
 信一は膝を床と水平になるように持ち上げ、自分の足先を見た。ますます笑みを深めると、再び上目遣いで十二を見る。

「来てくれて、良かった」

 十二はムスっとした。

 相手は腐っても黒社会だ。都合よく、勝手に殺し合いが行われるはずはない。男たち全員の息の根を止めた凶器は、信一のナイフだ。言葉巧みに誘導を施して、歪みを生み、この場のお膳立てをしたに違いなかった。

 信一が無事だったのはいい。黙って良いようにされる男でないことも承知している。しかし、どうもこの腹立たしいトーナメントに強制参加させられたようで、十二は釈然としない気持ちであった。

「悪趣味め」
「ホントにな。俺みたいなの好きとか、悪趣味」
「そういう意味じゃねぇよ」
「なに?優しいじゃん」
「褒めてもない」
 
 十二が分かりやすく拗ねていると判断して、信一は「おいおい。坊ちゃんってば不機嫌じゃん」と揶揄った。

「だって、他のヤツは呼べないだろ。兄貴を呼んでこのことがバレたら、元締めまできっちり破滅させかねない。痴話のもつれでそれじゃあ流石にやり過ぎる。それに、ボスを呼ぶのは違うし。だからと言って四仔じゃ、あいつをヘタに傷つけちまうし、洛軍という人選は悪かないが、重要なポイントがある。ヤツは一般人だ」

「俺は消去法での余りかよ」
「違うって」

 信一が薄く笑う。わざとらしい表情が消えて、自然体に見えた。

 
「お前に、来て欲しかったの」

 
 十二は小さく目を見開いて、喉をゴクリと鳴らした。誰にも気づかれないような小さな動きであったのに、信一はその機微に気がついているようだった。十二の機嫌が少し浮上したのを見て、目の端を緩ませると、甘えるように言った。
 

「お前は、俺が血まみれでもキスしてくれるだろ」


 己の手を使わずともナイフで人間を殺す男が、まるで無垢そうな表情と声色で微笑む。しかし「答は決まっている」とでも言いたげな、凛として自信に満ちた目をしていた。龍の子の鋭い爪が、その瞳に潜んでいる。

 十二は威嚇するような表情そのままに、肩だけを力なく落とした。爛々とした虎の目を信一に真っすぐ向けて一歩前に踏み出すと、信一が足を引っ込める。
 
「俺は、強い男が好き」
「弱い男は?」
「壊れるだけ。しょうもない」
「強くない俺は?」
「お前は強くなるよ。たぶんね」
……自分をトロフィーみたいにすんの、やめとけ」
「ははっ、まぁ、価値はあるよな」
 
 十二が眉間に皺を寄せて剣呑な瞳で睨みつけると、蜜みたいに笑う信一が「その目、好き」と言った。「無茶苦茶なヤツ」と十二が言えば、信一が「お前はかわいーよ」と返す。

 ……やっぱり、悪趣味だ。
 
 そのうえ、そんなヤツにずっと夢中になっている自分も、同じ穴の狢かもしれない。


「お互いさまってやつだろ」
 
 信一が突然に言った。好戦的な視線と合う。一瞬呆気に取られて、すぐに信一に自分の感情がバレていることを理解すると、十二は片眉を上げてから白々しい顔をした。

 十二が自分の顔を上から見下ろすのを信一はじっと見つめ、そっと顔を傾けた。十二は顔を少しよせたが、口には触れない。信一が誘うように赤い舌をチラリと覗かせる。それでも十二が唇を重ねないので、おずおずと舌を差し出した。体を縛られたまま、動くことはできない。信一は首の傾きと舌をのばして、切なげな息を漏らした。

 十二は余りにも無防備にさらされた白い喉元を眺め、目を細めると手をのばした。首に手のひらを当てれば、信一の喉がコクリとなったのが伝わる。力を込めてしまえば、気道が止まる。やろうと思えば、細い首はポキリと折れてしまうだろう。

 唐突に、十二はゾクリと震えるほどの歓喜と、愛しさを覚えた。
 
 十二は舌を出すと信一の舌へあわせ、ゆっくりと口内へと侵入した。縛られた信一は健気に体を動かそうともがくが、どうすることもできず、十二のなすがままだ。信一の柔らかい舌を、十二の牙がやんわりと刺す。信一の体がピクリと揺れて、たまらなそうな息を吐いた。

 自分には隙だらけ。

 計算か、天然か。
 後者と信じたいところだが。
 
 だんだんと、噛みつくようなキスへと変わっていく。クチュクチュという音が響いて、小さな喘ぎがどちらからともなく漏れる。抜ける息はやがて苦し気になったが、どうすることもできない信一は、十二が好きに暴れるのをひたすらに受け入れていた。十二が口を離せば、信一が美しく潤んだ瞳の端から涙をこぼした。しかし、赤く上気した顔は愉快そうに笑っている。

「なぁ、早くヒモ解いてくれよ」
「身動きとれないお前がそそるから、ダメ」

 十二は意地悪くニンマリと笑った。

 それから今度は。

 死体と血の臭いに包まれた部屋で、得物を狩るような瞳にしては不釣り合いなほど、甘く柔らかいキスをしたのだった。