Hizuki
2026-05-06 11:27:11
4686文字
Public あんスタ[零薫他]
 

伸ばした手が届く場所

【あんスタ】零薫。仕事の打ち上げの後、地下ライブハウスで二次会を始める2人の話。成人済み+まだ付き合ってない。手を伸ばしたら、触れられる距離で。



「まだこんな時間かえ」
「始まったのも早かったからねぇ」

手元の腕時計に視線を落とした零くんがそう言った。街灯が照らす盤面の針は9時過ぎを差している。先日まで撮影していたドラマの打ち上げで催された食事会が終わったところだった。

「せっかくの打ち上げだっていうのに、ちょっと飲み足りなくない?」

参加者のスケジュールの都合でコンパクトな会だったこともあり、少しばかり物足りなさを感じていた。翌日の仕事の集合が遅めのこともあって、これだけで帰るのは惜しい。零くんに振ってみれば、意外とでも言いたげに目を丸くしてみせた。

「おや、薫くんがそう言うとは珍しい。とはいえ、帰り道にどこかいい店があればよいが」

思い当たる場所を探すように零くんは手を顎に添えた。きっとそういう店は零くんの方がよく知っている。かっちりしたところも好きだけれど、今の気分では気楽に飲みたいという気持ちの方が強い。

「場所はあてがあるんだよね。人目も気にしなくてよくて、ゆっくり飲めるとこ」
「ほう?」
「まぁ、ちょっとメニューは控えめだけど」
「では、そこにしようか」

現在地からそう遠くないというおまけも付く。零くんの同意を得て、俺達はそこに向かって歩き出した。目的地に近付くほどに周囲は見知った景色になっていく。辺りに目を向けていた零くんも、そのうちにどこなのか目星がついたらしい。足を止めたところで零くんが笑い声を漏らした。

一体どこに連れて行かれるのかと思えば」
「ふふふ。でも、間違ってないでしょ?」
「うむ、そうじゃの」

俺達にとって馴染みのある、地下ライブハウス。催しを記したブラックボードは出ていない。

「今日は何もないからちょうどいいと思って。さ、どうぞ」

ライブのない今日、ここを訪れる人はまずいない。持っているマスターキーで鍵を開けて、無人のフロアに足を踏み入れる。カウンター上の照明だけを付けて、その中に入った。

「何にする?」

先に宣言しておいた通り、提供できるものは多くない。零くんはカウンター前の席に座ると、少し考えるように瓶が並ぶ棚に目を向けた。

「ウイスキーをロックでお願いできるかえ」
「かしこまりました、っと」

零くんのオーダー通りの瓶を棚から下ろす。スーパーでも手に取れる、お手頃な値段の某メーカーのものだ。そのままグラスを2つ出して、カウンター下の冷凍庫を開ける。

「薫くんは何にするんじゃ?」
「ん?俺も同じのにするよ。楽だし」
「ならば、その分も我輩が出そう。場所も借りておるわけじゃし」

話をしながら氷をグラスに入れて、その上から静かに瓶の中身を注いでいく。注ぎ終えたうちの一つを零くんの前にそっと置いた。その拍子に傾いた氷が小さく音を立てた。

「気にしなくてもいいのに。でも、そう言ってもらえるなら今日は甘えちゃお。ありがと」

言い出したのは俺の方だし、もちろん自分の分は自分で出すつもりだったから、零くんからの提案には少しびっくりした。せっかくの申し出を断るのも悪いし、この分はまた何かの時に返すことにして、素直に頷いた。もう一つのグラスを持ってカウンターを出ると、零くんの右隣の席に座って、グラスを持ち上げる。

「乾杯」

グラスの縁を重ねて、そのまま口を付けた。いつものウイスキーだ。零くんも同じようにグラスを口元に寄せる。ただそれだけのことなのに、本当にこの人は絵になるなぁ、なんて思いながら琥珀色を口に含んだ。

「どうかした?」
いや、懐かしいなと思って」

大して珍しいものもないだろうに、零くんはフロアをゆっくりと見回していた。俺の問いかけに答えると、グラスをテーブルに戻した。

確かにね」

懐かしいと言っても、遠い過去というような年数ではない。せいぜい数年前、というくらいが正しいものではあるけれど、このライブハウスには夢ノ咲にいた頃から今までの色々な思い出が詰まっている。

「デッドマンズライブの時は薫くんがここに座っておったな」
「そんなことまで覚えてるんだ?でも、このフロアの隅のカウンターでも分かるくらい、あの日の熱気はすごかった」

零くんがいや、朔間さんが蓮巳くん、わんちゃん、鬼龍くんと即席ユニットを組んだあの日のライブは、本当にすごかった。フロアの客席はびっしりとお客さんで埋まり、熱を孕み、彼らの曲に酔いしれていた。それをあの時の俺は、このカウンターの椅子に座って他の人達よりわずかに高い場所から、少し遠いものとして眺めていたことを覚えている。

「ありがたいことでもあるが、今のUNDEADの規模となると、こういったライブハウスでは逆になかなかできぬからのう。この大きさと客席との近さも、やはりよいものじゃ」
「夢ノ咲の頃とかも近かったもんね」

たくさんのファンが俺達を応援してくれるからこそ、会場はより大きく、広い場所になっていく。ペンライトの数も輝きも、歓声も増えて、俺達に声を届けてくれる。そして零くんの言う通り、小さな箱だからこそ感じられる熱や思いもある。どちらも大事なステージだ。俺の肩の向こう側を零くんは目を細めて愛おしそうに見つめている。ライブの前の舞台袖でよく見る表情だった。思わず自分の口元が緩む。

歌いたくなっちゃった?」

視線の先にあるのはステージで、何を考えているのかは聞かなくても分かった。

「いいのかえ?」
「お客さん俺しかいないけど」

聞いてくれる人がいるからこそ、ステージは成り立つ。営業日ではないライブハウスにいるのは2人だけ。零くんが歌うなら、その歌声を聞くのは俺だけになる。

「薫くんが聞いてくれるなら、それだけで歌う理由になるぞい」

もちろん聞かないなんていう選択肢は存在しないし、だったらそのための準備も必要になる。グラスをテーブルに置いて、席を立った。

「マイクだけでいい?問わなければギターもあるよ」
「いや、マイクもなしでよいじゃろ。ちゃんとしたステージ、というわけでもないからの」

一応バックヤードに貸し出し用のギターもある。尋ねてみるも何もいらないと返されれば、俺がやることは何もない。ステージの真ん中の照明だけを付けて、そこに向かって歩いていく零くんを追った。端に両腕をついて、ひょいとその上に上がる。そのまま客席の方を向いてステージの端に座った。普段は開放しない客席最前列の外側、よりステージに近いところに出て、零くんの真正面を陣取った。柵のバーに浅く腰掛けて、声を待つ。普段はみんなに待ってもらっている側だから、逆に待つ側になるのはちょっぴり新鮮に感じられる。

「では、薫くんのために歌うぞい。聞いておくれ」

演奏のない、声だけで奏でられた曲は、零くんのソロ曲のひとつだった。あまり表に出さない零くんの熱。心の、魂の叫び、欲望。今の零くんが歌う曲だけれど、少しだけ昔の零くんも見える。
続けられた曲は全く知らない曲で、歌詞も全部英語らしい。断片的に聞き取れた単語から恋人に愛を囁く歌だということは分かった。どうしてその曲を選んだのかは分からないけれど。

この距離で零くんの歌独り占めとか、俺今めちゃくちゃ贅沢してるじゃん」

歌い終えた零くんがこちらに向けた視線に拍手で応えた。マイクを通さない、朔間零の生の声を聞く機会だけなら、握手会やサイン会といったイベントがある。けれど、こんな目と鼻の先と言っていいこの距離で生の歌を聞くことは、普通ではまずできない体験だ。しかも、それを独り占めだなんて。満足げな笑みを浮かべていた零くんは不思議そうに首を傾げる。

「そんなに?」
「そんなに。零くんファンの子だったら卒倒しちゃうかもよ?」
「そこまで?」
「そこまで。だってこの距離だよ?手伸ばしたら届いちゃうんだもん」

疑問符付きの零くんの言葉を同じ言葉で肯定する。元々の客席の最前列だって、状況や人によってはステージの演者に届くだろう。最前の柵の外側に今の俺はいて、おまけに零くん自身もステージの端に座っている。自分の言葉を示すように、零くんの方に手を伸ばしかけた、その時だった。


いいんじゃよ、伸ばしても」


零くんの手が、俺の手を掴んでいた。
客席にいる俺の手が、ステージの上の零くんに届いている。
声にさっきまでの軽さはない。紅い瞳は真っ直ぐにこちらに向けられている。不意打ちの行動に心臓が一気に跳ねて、じわりと熱が広がっていく。零くんの指が触れている手首で、きっと早くなった鼓動は筒抜けになっている。

えっと零くん酔ってる?」

いつも通りを装って尋ねてみれば、小さく笑い声を上げる。

くくく、そうかもしれぬ」
珍しい」

掴まれていた手も離されていた。肯定したけれど、今日飲んだだけの量で零くんが酔うとは思えない。もっと飲めることを知っているし、さっきの行動だって多分アルコールのせいにならない。だったら、一体どうして。

「薫くんも一曲どうじゃ?」

ぐるぐると疑問が頭を回る中、零くんは何もなかったかのように問いかけてくる。

「ん~どうしよっかな。聞きたい?」
「我輩も贅沢したい。我輩だって薫くんのファンじゃもの」
もう。そう言われたら断れないな~」

我輩だって薫くんのファンじゃもの

零くんから何度も聞いている言葉だった。ファンの期待に応えるのもアイドルの務め。座っている状態からそのまま下りた零くんと入れ替わるようにステージに上がった。深呼吸をしてから、客席の方を振り返って端に腰を下ろす。

「じゃあ、ちょっとだけね」
「ちょっとと言わず、いっぱいでもいいんじゃよ~?」

同じ場所、同じ距離。聞かせてくれた歌も含めて、手を伸ばしたら届いてしまう距離で告げられた零くんの言葉の真意はどこにあるのだろう。
あの言葉をそのまま受け取っても、俺の中の想いをそのまま伝えても、いいのだろうか。
今はまだ自分の中に押し留めて、零くんのためだけに歌う。零くんにも笑っていてほしいから。それが、俺の願いだから。



あれ?薫さん、こんなのうちにありましたっけ?」
「ああ、それはお客さんに出しちゃ駄目だよ〜」

オープン前の準備で慌ただしいフロア。カウンターにいたスタッフが見せてくれたボトルは、ライブハウスのドリンクメニューにはないものだった。

「ごめんね~、伝えるの忘れてた。俺が個人的に持ってきたやつでさ、ちょっと置かせてほしいんだよね」

零くんに手を掴まれたあの日以降、ちょこちょこここで飲む機会が増えた。もちろんライブハウス自体の営業がない日にしか来ないし、ちゃんと代金も支払っている。要は2人で飲める場所が欲しいというところなので、だったらいっそ持ち込んでもいいかと買って置いていったものだ。まだ封は開けていない。中身は零くんが気に入っているワインで、俺も飲ませてもらったことがある。

「分かりました。みんなにも伝えておきますね」
「うん、よろしく~」

ひらりと手を振ってライブハウスを出た。合間に時間ができてふらっと立ち寄っただけで、この後も仕事がある。ユニットでの仕事だからもちろん零くんも一緒だ。最近は少し仕事が立て込んでいて、ゆっくりする時間は取れていない。けれど、そろそろ一段落つきそうな気配も見えてきている。あのボトルを開ける日は、きっと遠くない気がした。