とあるモブたち

やまだの過激ファンが発狂してる話

とあるモブたち

 ゴールデンウィークに一人になると思わなかった。別れ話を切り出され、予約していた旅行はキャンセルになった。飛行機の上で雲を眺める予想図まで頭にはしっかり浮かんでいたのに、なす術もなく消えたのは、「好きな人ができた」という相手の儚い言葉のせいだ。見下ろすはずだった雲海は実は見上げるばかりになってしまっていたのだ。虚しさに深夜のコンビニで財布の紐が緩んだのは不可抗力と言っていい。ロング缶のビールの三缶目に指を引っかけたところで、ある記事が目についた。据わった目の先に映るブルーライトの中には文章の羅列があって、普段小説もエッセイも読まないような活字に疎い自分が、この記事だけはしっかり読むことができたのは、内容が──あまりに自分と同じく、いろいろを嘲り、自分さえ冷笑の類に紛れ込ませてさえずるような、愚かさと心の寂しい部分を妙にくすぐったからだ。
 きっと筆者は自分のように、ゴールデンウィークを独り身で過ごしている奴に違いない。寂しく暗い人間だとバカにしたくなるが、ビールを飲み干したあたりで喉元を過ぎる嫌な涼やかさに、ただただ閉口した。同じ穴のむじな同士がなにを吠えるのか。鼻で笑った酒臭い息は空中に霧散した。
 そういえばこの文体と筆者の名前には見覚えがある。別の記事を違う雑誌でも読んだ。そのときはまだ自分にパートナーがいたから余裕のある心で眺め、「そんな言い方しなくても」と、この世の中に蔓延はびこるひどい言い方なんて露ほども知りませんみたいな顔をして読んだ。パートナーにも「こんなこと書かれてる」と半ば笑いながら見せびらかし、相手も読みながら失笑していたように思う。
 今思えば、あのときだって相手の中にはもう別の存在があったのかもしれない。小さな記事一つで引きつり笑う自分を、相手はどう見ていたのだろう──そう考えると、四缶目のビールに手が届くのは自然だった。それをきっかけについついこの筆者のことを追いかけて話を読んだりしていたのだが、パートナーであった相手に最後に会ったのも、たしかこんな夜だった気がする。こんなしみったれた月が窓から見えた日だ。

 ◇

 ゴールデンウィークを越し、職場で忙しく働いている折、ふとまた別の記事を見る機会が訪れた。あれからネットで検索しては、あの人の書いた記事を読み、笑い、飼っている闇をまた一つ育て、夜すやすやと眠るのが日課になっていた。
 三日ほど更新がなかったSNSに、今回書いた記事の内容と、世話になった媒体の名前やリンク先が並び、さっそく既読者からのコメントが寄せられていた。きっと今回ついたのも批判めいたコメントか、誹謗中傷になりかねない嫌味なものだ。あわよくば自分も、筆者への最初のコメントをそういった類にしようかと思ったくらいで、相手はこんなの慣れっこだろうから、別段訴えられることもないだろう。
 そうたかをくくりながらSNSをスクロールしていると、不穏な空気に心が凍った。冷たい氷のようになった。氷は音を立てて崩れる、あるいは気化して空へ舞う。それほど土台がぐらぐら揺れるような、不安定な気分にさせられた。
『今回行った場所は高地の宿で、セットプランもかなり豪華です』
 写真付きの取材で、筆者が珍しく顔を出している。滅多に見ることのなかった顔は少しつまらなさそうにしていた。横にはレンタカーと後部座席の荷物が映り、運転席側もちらっと見えた。コンビニで買えるアイスコーヒーが二つ。カメラをこちら側から押さえる手はどういうわけか変な向きをしている──それが手首を変な方向に曲げているのではなく、誰か別の人間の手が映り込んだせいなのだとわかるのに、しばらく時間を要した。
 ぐらぐらと揺れる視界でなんとかそれ以外の情報はないかと画面に釘付けになる。こういうとき、脳内は警鐘を鳴らしながら落ち着いていられないのに、視点の先はギラギラと定まっていき、執拗に目を凝らしてしまうのはなぜなのだろうか。アイスコーヒーのストローが一つは曲がり、一つはまっすぐである。一つはLサイズ、一つはMサイズ。涼しい気候の場所に行くのに冷たい飲み物を頼むのは昔からの筆者の癖らしいのだが、一緒に行った人物はそれに合わせてオーダーしたのだ。サイドブレーキのあたりにゴミを入れる袋が簡易的に用意されていてタバコの吸い殻が一つだけ転がっていた。写真の隅々まで舐め回すように見ては息を乱し、震える体は寒いはずなのに汗ばんでいる。
 ゴールデンウィークも終わり閑散期に入ったであろう宿の記事は、これまでの切れ味がなまくらに変わったようにぬるく、味気ない。いつもの気概はどうしたと言いたくなるが、そのたびに出てくるスナップ写真がブレながらも筆者を捉えているものや、料理や布団の様子が映って叫び出したくなる。あの冒頭のつまらない顔はフェイクだ。期待してないけど、みたいな顔をしておいて、その実この旅程を心底待っていたのをひた隠しにしていたのだ。
 ──筆者は寂しい奴じゃなかったのか。この激務の最中に舌打ちしながら過ごすような連中を見下して、けれど自分だって似たような思いを飼い殺しながら、冷笑側に回ってさも当然のように偉そうな口を聞き、人間の情けなさに肩をすくめて批判し、炎上を煽るような話をするのがペンを持つ理由じゃなかったのか。
 旅館の一部が老朽化していることを最初は嘲笑っているように書き連ねていたのに、最終日には旅館を支える巨大なはりの歴史と文化について語りやがる筆者は、すっかり気取った有識者だ。その語尾に「どうやらそういった歴史を持っているらしい」と書くのは誰かにその場で聞いたからだ。旅館の人間にそんな風情を聞いたことが未だかつてあったか? それすら調べずこたつ記事を書いていたくせに。
 知っているんだぞ、俺は、私は、僕は、知っているんだ。お前のことを見て、聞いて、全て知っているはずなんだ。そのカメラを持つ手の主よりもずっと。
 ──なぜなんだ、山田ガスマスク!