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氷晶のジャックポット

XXXX歳と18歳のヌヴィリオ🌧⛓️(転生現パロ風味シリーズ第4弾)

真冬のフォンテーヌ廷。
午後九時前のオフィス街は、吐く息さえも雪に変化しそうなほどに冷え切っていた。
街灯の煌々とした光が雨に濡れた石畳に反射して、目障りなほどに輝いている。何度も雨が降ったり止んだりを繰り返していた平日の夜なので、今夜は地下を歩く人間が多く、いくら大通りとはいえ地上の人影は疎らだ。
街で一番高いビルの入り口から少し離れた植え込みの縁に、比較的乾いた場所を見つけたリオセスリは、そこに軽く凭れるようにして身を預けていた。
冬の制服は充分厚みがあるが、さすがに上着なしでは冷気が肺の奥まで侵食して中から冷えてくる。自販機で買ったペットボトルは、今や暖を取るためのカイロ代わりですらなく、むしろ冷たい重しに成り果てていた。
数口飲んだだけですっかり冷えてしまったミルクティーを弄ぶ指の感覚が鈍くなっても、今更わざわざ手袋やコートを荷物から取り出して身につけるのは面倒くさい。かろうじてマフラーはしているのでまぁいいだろう。
門限までは、あと四十分程度。
携帯で確認してみたところ、ダイヤの問題もあり、ここで待つのは残り十五分が限界といったところだった。
非常識なほど年上の婚約者がこのまま深夜まで残業を続けるか、あるいは別の出口から車で去るか。
それとも、運良くこの正面玄関から姿を現すか。
……さて。今日の俺のツキは、どっちに転ぶかね」
薄く笑い、小雨に濡れた前髪を指で払ったリオセスリは、実利も効率もないこの「待ちぼうけ」を、心底楽しんでいた。
ただ、一目見たいという衝動に任せ、時間という限られた手札を使い果たすまでの孤独なゲーム。会えなければ、それはそれで構わないし、ここに居たことすら伝える気もない。仕事詰めの相手を無理に呼び出すような真似はしたくなかった。
一人きりでこの寒さに耐えながら、自分だけが参加者の賭けに興じ、水の上での〝自由〟という贅沢を味わっている。結局のところ、かつて水の底で爵位を持て余していた頃から、自身の本質はちっとも変わってなどいなかった。
勝手に待って、勝手に帰る。
喉を潤す紅茶に、時間を全ベットするだけのささやかな駆け。ほんの数秒でいい、もしかしたら会えるかもしれないという期待感だけでも充分楽しいリオセスリにとっては、勝っても負けてもメリットしかないゲームだ。運良く出てきたとしても、こちらに気が付くか、はたまた素通りするかもわからない。もしも気が付かずに通り過ぎたとしたら、その時は声は掛けずにそのまま帰ろう。きっと考え事でもしているだろうから。
脳内で様々なパターンを想像しながら、暇つぶしに通り過ぎていく車の数を数える。
ヌヴィレットの愛車と同じ車種が過ぎ去り、ちょうど合計二十台を超えたその時、突如としてリオセスリの楽しい静寂を不快な足音が乱した。
ぱしゃん、と浅い水溜まりが跳ねる。
「やぁ。こんばんは。……君、こんな時間にこんなところで何をしているんだい? 科学院附属の子だろ?」
目の前に、随分と値が張るだろう厚手のコートを羽織った壮年の男が立っていた。制服のエンブレムを指差し質問してくる声は親切そうな色を装っているが、その瞳は明らかに夜の街に一人で佇む若者の危うさを品定めしている。
うんざりするほど身に覚えのある視線だった。
……見ての通りだ。退屈凌ぎの最中でね。あんたの出る幕じゃない」
「一人かい? それとも友達を待ってるとか? あそこに入れるくらい優秀なら、塾帰りかな」
最悪だ。あえて素気無く返したつもりだったが、意に介さない男の口から出てくる言葉が止まる気配はない。
無遠慮に肩へ伸ばされようとしているその手も、やけに胡散臭い下手くそな笑顔も、リオセスリにとってはひたすら盤上のノイズに過ぎなかった。
いつの世も、こうして子供の隙をうかがう大人というのは消えないものである。
ただのお喋りで終わるならばそれまでだが、もしも踏み越えてくるならばそれ相応の対応をせざるを得ない。
「申し訳ないが……
「芸能活動に興味はないかな? 君なら絶対に成功するよ、私が保証しよう。これ、名刺。もし時間があるなら今からでも――
こちらの断りを遮るようにつらつらと押し出される使い古されたテンプレートのような文句と、軽々しく肩を抱いてくるその気色悪さに、関節のひとつでも外してやろうか、と脳内で実力行使の手順を組み立てた、その刹那だった。
背後の自動ドアが、耳障りな音を立てて開く。
植え込みから数段上のそこから溢れ出したのは、ロビーに溜まった暖気などではなく、すべてを威圧し、凍りつかせるような、圧倒的強者の気配だった。
「その少年に、何か用かね」
こちらを見下す冷徹な視線。感情を濾過したその声音は、夜の冷気よりも鋭く不躾な男を射抜いた。
一切の色彩を排した鏡面のような相貌だが、その瞳は強烈な赫怒の色に染まり、不届き者を許さない捕食者の光が宿っている。
……っ! あ、あんた、まさか……――
「いつまで彼の肩を抱いているつもりだ?」
「ひっ! ……な、なんでもありません!」
男は最高審判官の背後に渦巻く龍の気配に本能的な恐怖を覚えたのか、もしくは顔と名前が脳内で繋がったのか、震えながら謝罪ともつかぬ声を上げて夜の闇へとまろぶようにして逃げ去った。
慌ただしい足音と滑稽な後ろ姿が消え、ようやく静寂が戻ってくる。
押し付けられた名刺を手に持ったまま、逃げた男の残像が視界から消えるまで見届けていると、ヌヴィレットが階段を駆け下り、植え込みに凭れたままのリオセスリの前に歩み寄った。
「何を言われ、何をされた? そもそも、なぜここに? もう九時を過ぎている」
その声は、先ほどの冷徹さが嘘のように、焦燥が滲んでいた。
「ああ……ただの勧誘さ。何もされちゃいないから安心してくれ。見ての通り、俺はあんたを待ってただけだ」
実在するかも定かでない芸能事務所社長とやらの名刺を渡しながら、リオセスリは首を傾げる。
昔から度々あったとはいえ、最近こういった声掛けをされることが特に多い。この数ヶ月で一気に増えた気がするが、何か理由があるのだろうか。
冷え切った指先でペットボトルを弄びながら、目の前の麗人を見上げると、街灯の逆光を背負って立つヌヴィレットは、何かに衝撃を受けたようで言葉を失っているらしかった。
……私を? 一体どれほど待っていたのだ」
「さあな。せいぜい〝あったか〜い〟が〝つめた〜い〟に変わる程度さ」
ちゃぷちゃぷとミルクティーを振って見せると、ヌヴィレットの顔が珍しく苦渋に近い表情に歪んだ。
「すまないが、話を続ける前に、アレが触ったところを洗わせてくれ」
不快そうに眇められた目が、男に掴まれていた右肩を見ている。
「あー……お好きにどうぞ」
当然、素肌を触られたわけではなかったが、それでも許せないらしい。こういう時のヌヴィレットにはやりたいようにやらせるのが一番だ。
リオセスリの許可を得た瞬間、即座に空中で指を握りしめ元素を操って一瞬で洗濯をしたヌヴィレットは、自身のコートを脱ぎリオセスリの肩へと被せた。
ずっしりとした重みと、彼を象徴する清廉な水の香りが、冷え切ったリオセスリの身体を強引に包み込んでいく。
寒そうなのが気になったのかもしれないが、自分のコートは鞄に詰め込んでいるのは言わないほうがいいだろう。
「この寒空の下、いつ現れるかも知れぬ者を無断でつなど危険だ。万一、君に何かあったら、私は……
「俺があんな男に負けるようなタマじゃないのは、あんたが一番よく知ってると思うが」
全盛期には及ばないとはいえ、現代の十八歳にしては相当に強者の側の自覚があるリオセスリは、コートの襟を掴みながら、少し面白くなって笑ってしまった。
相手は国家の法を司る、数千年の時を生きる龍だ。
対して自分は、中身はどうあれ、肉体的にはまだ学生服に身を包んだ、法的に守られるべき立場の学生。
成人でもあり未成年でもある特殊で短いこの時期を誰よりも理解し、利用し、この状況すらも賭け事として楽しんでいる節があるのは事実だが、それにしたってこの人は過保護すぎやしないだろうか。
ヌヴィレットは、リオセスリの不敵な笑みの裏にある狡猾さを知っているはず。
若い器の魂が、かつて水の底で厳格に秩序を敷いた「公爵」であることを。
それなのに、まるで本当の高校生に対するような言動だ。
「リオセスリ殿。君がどれほど理知的で、他者を圧倒する術を知っていようと、今の君は紛れもなく高校生なのだ。夜九時を過ぎて街角に一人で佇むなど、補導の対象であり、何より……
「はいはい。心配しすぎだ、ヌヴィレットさん。まだ九時だぞ? 街灯はこんなに明るいし、世の中の十八歳なんて普通にバイトしてる奴もいる。帰宅前に少し恋人に会いたいと思うくらい、常識の範疇だろ」
リオセスリは立ち上がり、コートの中で肩をすくめた。
「それともあんたは、俺がそこらの中年男性に拐かされるほど、無能になったと思ってるのか?」
かつての能力を全て失ったわけではない。
氷元素が使えずとも、知識と腕っぷしに問題はないのに。
「力の問題ではない。現代には現代の危険があり、私が見てきた審判の内容も変化した。そのうえで、私が耐えられないと言っているのだ」
ヌヴィレットの手が伸び、愛おしげな手つきでリオセスリの前髪に触れた。外気よりはぬるい指先が頬を滑り、右目の傷を撫でたかと思うと、ヌヴィレットの動きがぴたりと止まる。
そして。
……冷たすぎる」
唸るように低くこぼすと、今度は指輪が存在を主張しているリオセスリの左手を素早く掴み、両手で包み込んだ。
ああ……しまった――
ヌヴィレットに捕われた指先は、自分でも引くほどにキンキンに冷え切っている。その熱のなさが、今の不機嫌な龍の神経を逆撫ですることなど、火を見るより明らかだった。
「リオセスリ殿」
案の定、ヌヴィレットは吐息とも落胆ともつかぬ声を漏らし、嗜めるように名前を呼ぶ。
「防寒が甘い」
……かもな。昔から、寒さには慣れてるんでね」
リオセスリは軽口を叩きながら、ヌヴィレットの手のひらの中で、わざと冷えた指を丸めた。
あらゆるモノに対して氷拳を叩き込んでいた、あの頃の仕草が今でも抜けない。
「今の君には必要だろう。こんなに冷えるまで、私を待つなど……
「寒さも、待つのも、俺にとっては苦じゃない。その甲斐あって今夜は俺の総取りだしな」
「その物言い……まさか私で賭けを?」
やばい。眉間にうっすら皺がよっているような気がする。このままだと長くなりそうな気配を感じ、切り上げるようにして勝利宣言とともに手を引き抜いた。
「これ以上あんたに説教される前に、失礼するとしよう。次の電車に乗らないと、本当に門限ギリギリなんだ」
「私の車で送る」
「いや、遠慮しておくよ。遅くなった時は親が玄関先で待ってることもあるからな。いくらなんでもあんたの車から出てくるところは見られたくないんでね」
「なぜ? 私は君の婚約者だ。見られても構わない」
「あんたは良くても、俺が構うんだよ」
羞恥心というものをいまだ理解しきれていない数千歳の婚約者に肩をすくめ、リオセスリは温もりが名残惜しくなる前にコートをヌヴィレットの手元へ返す。
「じゃあな、ヌヴィレットさん。会えてよかった」
言いながら時計を確認し、少し走れば余裕で間に合うと踵を返そうとしたが、不意に思いつく。
――おっと。大事なことを忘れてた」
かじかんだ指先で目の前のネッカチーフを軽く引き寄せると、戸惑いに目を瞬く彼氏を促し、通りを走る車のライトから隠れるようにして、密度の高い植え込みの影へと引き込む。
街灯の光が届かない、わずかな闇の領分。
「何を……
呆気にとられたように硬直するヌヴィレットの唇に、リオセスリは自分のそれを手短に重ねた。
触れるだけの、挨拶にも満たないような接触。
冷え切ったリオセスリと、同じく体温の低いヌヴィレット。あたたかさなど皆無なのに、一瞬で頭の芯が痺れるような錯覚を覚えた。
名残惜しさを振り切るように唇を引き離すと、ヌヴィレットは最高審判官としての威厳もどこへやら、虚をつかれた顔で立ち尽くしている。
……おやすみ、ヌヴィレットさん」
初めて街中で自分から仕掛けてみたが、予想以上に効いたようだ。
リオセスリは滲む笑みを抑えきれないまま、今度こそ身軽に駆け出した。
背後でようやく我に返ったらしいヌヴィレットが何事か声を上げた気がしたが、気にしている暇はない。
胸ポケットから定期を取り出しながら、足早にその場を離れ駅を目指す。
もしも今振り返って視線を合わせてしまえば、絶対に電車の時間などどうでもよくなってしまうに決まっている。
再び降り出した小雨があっという間に雪へと変わり、翳した手をさらに冷やしていく中、リオセスリは声に出して笑いそうなほど上機嫌だった。
いつも振り回されているのはこちらなのだから、これくらい、たまにはいいだろう。
仕事の邪魔にならない程度に。
それでいて、あの生真面目な男の思考をちょっと掻き乱す程度に。
次はいつ、この気まぐれな賭けに興じようか。