たもヤロウ
2026-05-04 12:48:32
14069文字
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学者先生の春休み

サイテリで【SS:怯えた羊】

アトラスダム。春も半ばになったこの頃、町全体が短い休暇期間といった様相を示していた。
それは学院も例外ではなく、生徒も教師も数日間は強制休暇であり、サイラスも春休みを自宅で辺獄の書の研究に勤しむことに当てていた。
もちろんテリオンも共におり、彼なりに協力もしている。そんな時——


「ウィスパーミル?」
「正確には浄化の森だね。漆黒の洞窟はリアナさんやエリザ殿が調査して、例の事件であった黒呪炎の影響の危険性がほぼ残っていないことはわかっているのだが、浄化の森は非常に危険な場所だ。調査が捗らなかったのだろう」

サイラスが浄化の森へ調査へ向かいたいと言い出した。かの森はフラットランド地方の森であり、短期休暇の間に調べるにはもってこいの場所である。

辺獄の書は、辺獄とガルデラの力を記した書物であり、サイラスはこの力が万が一振るわれたときに対抗するための力を研究している。
ウィスパーミルを実質支配していた黒炎教は、ガルデラの力を使うことを目的とした集団であり、漆黒の洞窟のマティアスの一件にも絡んでいる。その残党が根城にしていた場所が浄化の森であり、またこちらにも何らかの遺跡や祭壇らしき残骸があることを思い出したサイラスが興味を持ったのだ。

「そういやあの森は魔物が他の地域に比べて異常に強かったな。これもガルデラの影響か?」
「それはわからないが・・・あの森には祭壇らしきもの残骸が残っているし、私は無関係ではないと思っている。だから辺獄の書の研究の参考にもなるんじゃないかと思ってね。それも含めて調査に行きたいんだ」

しかし浄化の森は最も危険と言われている場所である。そのためサイラス一人では最悪命を落とす可能性すらあるのだ。そこで、戦闘力が随一であるテリオンに護衛をお願いすることで安全を確保しようというわけだった。
・・・最もサイラスは仕事中もテリオンと一緒に居たいという目論見が一番大きいのだが。

「わかった。俺も行こう」
「ありがとうテリオン」
「しかし何故今のタイミングなんだ?機会はいくらでもあっただろう」
「実はプリムロゼ君とハンイット君がノーブルコートに来ているらしくてね。エゼルアート家を拠点として貸してもらえることになったんだ」

浄化の森は地名としてはウィスパーミル方面の扱いではあるが距離で言えば最も近いのはノーブルコートである。
確かにあの町でタダで寝泊まりできるとなればこれ以上ない機会だろう。それにかつての仲間に久々に会えるというのも悪くない。一つ懸念点があるとすれば

「特にプリムロゼ君がテリオンに会いたいんだってさ。彼女はキミが私のことが好きだって知ってたらしいね。ああ、私も旅の時から察せていれば・・・非常に勿体ないことをした・・・っと。ともかく、私たちの思いが成就したことを祝福したいと言っていたよ。ありがたいことだね」
「・・・あいつ絶対俺のことからかう気だろ」

プリムロゼに根掘り葉掘り聞かれそうだな・・・と気が重くなったところでテリオンも決して会いたくないわけは無い、なんだかんだ仲間のことは大好きなのだ。特に断る理由もなく了承し、ノーブルコートへと出立するのであった。




「いらっしゃい二人とも。待ってたわよ」
「久しぶりだな。テリオン、サイラス」

ノーブルコートへやってきた二人を出迎えたのはサイラスの言っていた通りプリムロゼとハンイット、それからユキヒョウのリンデであった。
プリムロゼは普段シ・ワルキでハンイットと共に過ごしてはいるもののエゼルアート家の屋敷は健在であり、黒曜会がなくなったことで暫定的に所有者はプリムロゼになっている。普段はレブローが管理してくれてはいるものの、墓参りも兼ねて定期的に故郷に戻ってきているそうだ。

「やあ久しぶりだね、プリムロゼ君、ハンイット君、リンデも。ふふ、二人ともますます美しさに磨きがかかったかな?ハンイット君はプリムロゼ君の影響を受けたのか美容に力が入っているようだしプリムロゼくんは狩人特有の力強さが合わさって生命力に溢れた美女といった感じになったね」
「・・・よう」

サイラスの口が全力で緩む中、テリオンは少し離れてそっけなく挨拶をする。

「ちょっと先生、お口が緩んでいるわよ。まったくテリオンというものがありながら・・・それにテリオンももうちょっと愛想よくしてくれてもいいじゃない。嫉妬する気持ちはわからないでもないけど」
「いや、プリムロゼ。あれはたぶん二人とも旅そのまんまだぞ?サイラスはたぶんどうしようもない気質だし、テリオンは恐らく照れているだけだ。もう少し変わっているかと思ったが全然変わっていないようで何よりだな。わたしは会えてうれしいぞ」
「確かにそうかもしれないけど・・・だって二人ともくっついたんでしょう?もうちょっとこう・・・ねえ?」

少々不満げにしているプリムロゼとそんな彼女とサイラス、テリオンを見て快活に笑うハンイット。二人とも仲睦まじくありそれでいて旅の頃とそれほど変わっていないように見えた。
『全く二人足して二で割ればちょうどいいのに』と旅の間でも零したセリフを再びプリムロゼが零す。

「おっと緩んでいたかな?失礼・・・でも君たちが美しいのは事実だろう?テリオンは私にとってはそれはもう格好良くて、可愛くて、愛すべき生き物だが世間にとってはそうじゃない。これは私が惚れてしまった欲目というやつではないかな?ほら、よく見ればテリオンはどちらかというとキツめのうっわ可愛い・・・こんなに可愛い生き物がこの世にいるものなのか?私の目の前にいるね!ああ!今日も世界一可愛いね私のテリオン!」
「・・・まあ、愛されてるなとは思うがあんまりからかうなよ・・・面倒になりそうだ」
「サイラス・・・あなた、もしかしてアホになったのかしら」

姉弟のような二人は恋に踊らされた様子のおかしい学者を見て、同時に溜息を吐いた。


「あら、もう行くの?」
「すまないね。折角貸してくれたのだが今すぐにでも調査に向かいたくて・・・」
「まあ、あなたの行動力だとそうなるわよね。私としては生活のアレコレについて詳しく聞きたかったのだけれど」
「簡便してくれ・・・」

エゼルアート家の部屋に通された二人は荷物を置き、浄化の森へ向かう旨を伝えた。
折角の広々とした綺麗な貸してくれた申し訳なさはあるものの、休暇は数日しかないし、サイラスの知的好奇心も全く抑えられないのだ。
プリムロゼもサイラスの性格はよくわかっているためさほど気にせず快く送り出してくれることとなった。
そしてテリオンは、部屋に一つだけ置かれたダブルベッドを見てプリムロゼに怪訝な目線を送るのであった。

「私たちも手伝えればいいんだけれどね。こっちが招いたところ悪いんだけど、ちょっとレブロー様との付き合いがあって手が離せないの。ごめんなさいね」
「テリオンがいるから大丈夫さ。お気遣いありがとう」
「せめて物資は持って行ってくれ。調査が終わって日があればまた話でもしよう」
「そうだな、ハンイットに教えてもらいたいこともある」
「ふふ、テリオンがか。それは楽しみだ。わたしでよければ何でも教えよう」

街の出口まで見送りに来てくれた二人に挨拶を済ませ、サイラスとテリオンは潤沢な物資を持って浄化の森へと出発した。



この辺りの気候は穏やかで、魔物の数もそれほど多くはない。道中をのんびりと歩いていた二人だったがふと、岩場に蹲っている人影が見える。どうやらウィスパーミルの村人のようだ。
こんな所で何をしているのかと気になって近づいてみると、どうやら怪我をしているようだった。テリオンは薬師の鞄を持ってその村人に話しかけた。

「おい、あんた大丈夫か?怪我か?」
「ん・・・?薬師さんか?ああ・・・実は狼の縄張りに入りかけたみたいでよ。急いで逃げて来たんだがやたら素早いし力も強いしでちょっと掠っただけでこれだよ・・・」

傷を観察すると確かに爪で抉られたような痕だった。テリオンは手早く応急手当を施し、包帯を巻く。調合こそできないものの本職の薬師に付いて回った一年は伊達ではない。綺麗に処置を受けた村人はありがたそうにテリオンを見上げた。

「ああ・・・ありがとう薬師様。あんまり金は持ってないんだが・・・」
「お代はいらん。それよりその狼についての情報が欲しい。もしかしたら俺たちの目的地と関係があるかもしれないからな」
「そうだね。私たちが向かうのは浄化の森というところなのだが・・・」
「ええっ!?」

村人は驚愕した。あの森は危険であり素人は絶対入っちゃいけないと言われる森だ。目の前の学者と薬師に行かせるわけにはいかないと必死で森の危険性を伝える。
あの狼は大狼の手下であり、その狼の縄張りに一歩踏み込みかけただけでこのありさまなのだから大狼はもっと凶暴で危ないのだと。村でも恐れられており、マーナガルムと呼ばれているという情報を聞くことができた。

「だからやめといたほうがええ。あの大狼の存在だけで距離があるにもかかわらず村の羊が怯えてるっちゅう話だ」
「忠告感謝するよ。心にとどめておくとしよう」
「マーナガルムか・・・狼だというのなら物理だろうな。装備も物理に強いものを優先的に付けておくか」

村人に礼を言い、別れたサイラスたちは狼の存在を頭の片隅に書き留め、浄化の森に足を運ぶのだった。




浄化の森

この大陸でも特に危険な森であり、さらに目的の祭壇は最奥にある。
二人とも、もはや歴戦の戦士と言ってもいいほどの力を持っているが、それでも油断はできないほどだ。
テリオンは薬師、サイラスは魔術師の力を以て万全の状態で挑むことにした。

「マジックスティールダガー!」
「サルター・ウェントス!」

魔物は次々と襲い来るが、幸い、この森の魔物は皆何らかの魔法に弱いため、魔術師の力があれば順調に進むことができる。
魔力が尽きそうならばテリオンが魔力を奪ってからの供給を、無傷といかなければ霊薬公の力で手当を施す。

「いてて・・・」
「手当してやる、見せろ」
「ああ、助かるよテリオン。ここの魔物はやはり強力で素早いね・・・私ではなかなか先手を取ることができない」
「俺が足止めできればいいんだがな・・・できてもせいぜい一、二体、そう上手くはいかないもんだ。多少の傷なら治してやれるから無理に動いて大怪我はしないように気を付けろ」
「そうだね、殲滅を急ぐより確実に倒すことに専念するとしよう。しかしキミがいてくれて本当に良かった。盗賊はもちろん薬師としての腕も鈍ってないね?本当に頼りになるよ。私も負けてられないな」
「あんたは十分強くて頼れるだろうが・・・魔物も蹴散らせたし今のうちにさっさと進むぞ」

連携で魔物を退け、橋をくぐり、篝火で照らされた森道を駆け抜けていく。そうして最奥にたどり着いたサイラスたちは壊れた遺跡と鎮座する祭壇を発見した。

「やはり漆黒の洞窟で見たものに少し似ている気がするな・・・浄化の森と名付けられているのもあるし何か聖火や辺獄との関係が・・・?」

サイラスは何事かブツブツをつぶやきながら遺跡の残骸群をふらふらと歩き回り、観察してはメモを取っていく。
テリオンはこうなってしまうとできることがないので辺りを警戒しながら見回した。サイラスがどこかへ行ってしまわないように見張っておくことも忘れない。
祭壇に触れたり魔力を流したり、遺跡を観察していたサイラスはこれらの残骸がさらに奥まで点々と散らばっていることに気づき、そちらへと足を進めていく。

気が付けば祭壇の位置からかなり離れた場所まで来てしまい、木々の開けた森の広間のような場所へと出てきてしまっていた。幸いなのは入口からさほど遠く離れていないため撤退が容易なところだろうか。

「ふむ・・・森を一回りしてしまったか。つまりこの遺跡はもともと森全体に広がっていたのか・・・?とりあえず考察材料になりそうな資料は手に入ったし、初日としては上々・・・」
「・・・なんだか音が聞こえないか?」

サイラスが物思いに耽っていると何処からともなく木々を踏み倒すバキバキという音と、大きな獣の唸り声が聞こえてきた。殺気を感じたテリオンはサイラスの首根っこを引きつかみ、後ろへと跳ぶ。少し呻いた汚い声が聞こえた気がするが気のせいだろう。サイラスのいた場所には大きな爪の痕が残り、その攻撃を繰り出した大狼マーナガルムが姿を現した。どうやら縄張りにしっかり入り込んでしまったらしい。

話に聞いた通りの巨躯と逃がしてくれ無さそうな気配を感じ取り、この大狼を狩るべく二人は戦闘態勢に入った。

「本当に会敵することになるとはな。来るぞ!」
「どうやら雷が効きそうだ。まず私が牽制する!カネ・トルトニス!」

特大雷撃魔法がマーナガルムの巨体を貫き、その躰がよろめく。しかし崩すには至らずその鋭い爪が真っ直ぐにテリオンを狙った。
もちろん大人しく食らうつもりはない。テリオンは咄嗟に回避行動を取った。

「がっ・・・!」
「テリオン!」

しかし、数多の攻撃を躱してきた盗賊の身軽さを以てしても大狼の素早く的確な爪を完全に回避することはできなかった。爪が掠った腕に鋭い痛みが走る。致命傷には程遠いがあまり楽観視できるほどではない。フィジカルが優位な自分でこれならばサイラスが狙われればひとたまりもないだろう。

(くそ・・・保険は持たせたがあまりあいつを狙われるとまずいな。速攻で仕留めるしかないか)

「テリオン!回復は・・・」
「掠り傷だ!問題ない!それより即刻仕留める方が良さそうだ。俺は準備を整える。あの狼を崩すのは任せたぞ」
「任されたよ!もう一発入れればなんとかなりそうだ。カネ・トルトニス!」
「守りがガラ空きだ!」

サイラスが特大雷魔法で今度こそマーナガルムを崩した。テリオンはザクロを食べながらフクロウで大狼の頑丈な防御を剥がしていく。
戦意を存分に高めたテリオンはマーナガルムに向かって全力の奥義を放った。

「盗公子エベルよ!!!」

洗練され切った盗公子エベルの鉤爪は空間を切り裂く剣閃となり、全ての敵をなぎ倒す。これを受けて耐えられたモノは、この世ならざる門の奥の住人を除けばほんの一握りしかいない。

「さすがだね、テリオ・・・」

しかし、この狼は一握りの生物であったらしい。全力の奥義を受けてもなお健在であり、巨体が再びゆらりと立ち上がる。
その生命力は未だに健在であり、これにはサイラスもテリオンも驚きを隠せなかった。今まで出会った魔物の中には確かに仕留めきれなかった者もいるが大抵満身創痍であり、脅威になることは無かったからである。


「くそっ・・・!エベルが完全に入ったのに」
「全く・・・キミの全力の奥義を耐えられるほどの生物がいるなんてね。やはり何らかの力が影響して変異し、強大な魔物になったと考えるべきか」
「考察は後だ!来るぞ!」

体勢を立て直したマーナガルムは大きく遠吠えをした。すると三体、大狼よりは少々小柄な狼が現れる。恐らく村人が出会ったというマーナガルムの取り巻きだろう。
大狼ほどの強さはないとはいえこちらもそんじょそこらの魔物よりは強く、決して無視はできない存在であった。

「これは・・・ナイトウルフか。マーナガルムほどではないが浄化の森の一般的な魔物よりは強力なようだね。そして厄介なことに魔法の通りがあまり良くないようだ」
「しかも連中、鼓舞で攻撃の勢いも増してるようだな。あまり長引くとタダでは済まないかもしれん」
「弱点じゃないなりに削ってみよう。オフェリー・テネブラエ!」

闇の魔法は本来マーナガルムの弱点の一つである。しかしナイトウルフに守られているのかビクともせず、更に自らの弱点を持ちうるサイラスの方を厄介者とみなしたのか、狼の群れの視線がサイラスの方に向く。
一匹の大狼と三匹の狼が一斉にサイラスを襲った。

「痛っ!」
「サイラス!・・・っ!今、手当てする!」

テリオンのように優れた身体能力を持たないサイラスは狼の攻撃をなすすべも無く受け、鮮血が噴き出る。
即座にテリオンが手当を施し、傷を塞ぐ。魔力を存分に含んだテリオンの応急手当は一級品であり、多少の傷ならすぐに治すことができる。とはいえ失った血を戻せるわけもない。このまま防戦一方では先にサイラスの命が尽きてしまうことは明白であった。

(あの小さい狼の方は魔法の弱点が無い・・・サイラスの魔法では削りきれない。かといってあいつらが守護しているから大狼を先に叩くこともできない。せめて俺を狙ってくれればなんとかなるだろうが剣士の技能は生憎今は持っていない・・・どうする・・・!?)

あの狼を一掃するにはテリオンが攻撃に転じるのが最も効率が良い。しかし応急手当を切らせばそのままサイラスが落ちてしまう。
そうこう思案しているうちに狼の攻撃が激しさを増した。マーナガルムが暴れまわり、ついにテリオンに攻撃の牙が伸びる。
サイラスの手当てに夢中になっていたこともあり、牙をまともに受けてしまったがこれはサイラスへの攻撃が一手減少したチャンスでもある。テリオンは自らの傷を顧みず奥義を放つために闘気を高めようとして――――失敗した。

「あ・・・?なん・・・で・・・?」

怖い。顔から冷や汗が噴き出る。狼への恐怖で足が竦む。サイラスを失う恐怖で回復の手を止めることができない。ただでさえサイラスの顔色は失血で相当に悪くなっており、思考が最悪の事態を想定してしまう。テリオンはありとあらゆる恐怖心で動くことができず、その場に立ち尽くした。



サイラスはテリオンの様子がおかしいことに気づいた。顔が青く、目を見開いたまま硬直している。旅でも何度か見た症状であり、これはおそらく牙に含まれる何らかの精神に作用する魔力や毒だろう。つまり恐怖状態に罹っているのだ。
しかしナイトウルフの攻撃はなおもサイラスを狙いつづける。テリオンが動けない今、ジャムを使用することによりなんとか耐えられてはいるもののやはりカギはテリオンのエベルにある。ならばサイラスのやることは一つ――

「テリオン!テリオン!聞こえるかい!?私のことはいい!自分に健全化を施すんだ!」
「健全化・・・」

テリオンはサイラスの呼びかけにより冷静さを取り戻した。落ち着いて自分に健全化をかける。何とか調子を取り戻したテリオンは戦況を頭の中で整理した。
お供のナイトウルフは三体とも健在であり、獰猛さは増したままだ。一方でサイラスはすでに体力ギリギリの境界を彷徨っており、すぐに全力で応急手当を施さねばいつ死んでもおかしくない状況だった。

(サイラスを治したところで狼に全力で追撃されればやられかねない。かといって今すぐ四匹仕留めることができるかどうか・・・!)

「テリオン!・・・やってくれ。キミならやれる!信じているよ」
「・・・・・・!」

テリオンは決意した。サイラスに信じられたのだ。ならば次の攻撃が来る前に四匹とも仕留める――それしかないのだ。
森の木々の合間を跳び、狼の群れの前へと躍り出る。そのまま全力の闘気を込め

「盗公子エベルよ!!!」

盗賊の奥義が狼の群れに炸裂した。三匹の狼が血飛沫を上げ森の奥に吹き飛び、そのまま絶命する。
それを傍目で見ていたテリオンは一息つくが、肝心の大狼を仕留めた手ごたえがない事に気づいた。見れば、既に満身創痍ながらもまだ立ち上がり、爪をふるっている。仕留め損ねたのだ。
そしてお供の狼をすべて屠られたマーナガルムは怒り狂い、手負いとは思えぬ勢いでまたもや暴れ始める。

「くっ・・・!なんという耐久力だ。どうにか受け・・・うっ・・・万事休すか・・・?」

すでにサイラスも満身創痍でふらふらだ。膝を付き、立ち上がれるかすら怪しい様子にこのまま攻撃されればひとたまりもないだろうと予測することは簡単であった。
手負いの獲物を見つけたマーナガルムは駆け出した。その獲物を仕留めるために。

(失敗した・・・!失敗した!失敗した!仕留めきれなかった!サイラスが信じてくれたのに!嫌だ!あいつを・・・失うのは・・・!クソッ・・・速い・・・!追い付けない!)

いくらテリオンが俊敏とはいえ相手は獣である。全速力で駆け出した大狼の足に足場の悪い森の中で追いつけるはずも無い。せめて俺の方に向かって来てくれれば・・・という願いも空しく、マーナガルムの爪はサイラスへと振り下ろされ、テリオンは絶望に顔を歪ませた――




そう思われたその時、緑色の薄い膜がサイラスを覆い、マーナガルムの大爪を阻んだ。
テリオンがサイラスに持たせていた保険天使の加護が発動したのだ。思いがけぬ反抗に大狼が少し狼狽える。その隙を見逃すほどサイラスもテリオンも甘くはない。

「カネ・トルトニス!」
「ふっ!」

特大雷撃魔法とテリオンの斧が大狼の防御を崩す。マーナガルムが再び無防備になる。

「ここで確実に仕留める!守りがガラ空きだ!」
「安全性を確実に確保するためならそれがいいだろうね。任せたよ。はい、ザクロだよ。あ~ん」
「ふざけてる場合じゃないんだぞ!?」
「一度やってみたくて・・・」

サイラスのマイペースっぷりに呆れつつもテリオンは青い闘志を揺らめかせ跳躍する。

「三度目の正直だ。盗公子エベルよ!!」

三度目の奥義が炸裂する。防御も完全に崩した後であり断末魔を上げ遂にマーナガルムは絶命した。


辺りに魔物の気配がないことを確信した二人はそのまま地面へと座り込む。

「ふぅ・・・ふぅ・・・間一髪だったね・・・ちょっと死んだかと思ったよ」
「ハァ・・・全くヒヤヒヤさせやがって。・・・よか・・・った。無事で・・・」
「ステオーラ様様だね。天使の加護が無ければ正直あの場面どころか猛攻に耐える事すらできなかったと思うよ」
「・・・そうか。なら感謝しないとな。とりあえず傷だらけだろう?手当してやる」
「ありがとう。キミの手当てはすごいね。傷もあっという間に癒えるし痛みも引いていくようだ」
「アーフェンほどじゃないが霊薬公の加護があるからな・・・そら、できた」

失った体力や血までは戻せないものの普段通りに見えるサイラスを見てテリオンはほっと息をついた。少なくとも命の危険性は今のところなさそうである。
これでこの森に用事は無い。あとはノーブルコートへ帰るだけだと立ち上がろうとしたサイラスはふらつき、思いっきり尻もちをついた。

「あ・・・あれ?」
「どうした?」

心なしかぐらぐらとサイラスの体幹が揺れている。危なっかしいと思いサイラスの手を取ったテリオンはその手の冷たさに驚いた。どう考えても血が足りていない。
案の定そのままサイラスはぱったりと倒れ、寒い・・・眠い・・・と言いながら意識を落とした。
このまま気絶したサイラスを伴ってこの森にいるわけにはいかない。さっさとノーブルコートに戻りきっちり休養させなければいけないと思うものの、薬師のテリオンでは道中の魔物の対処に時間がかかってしまう。ならば今取れる対処法は・・・テリオンの頭の一つの策が浮かぶ。

「・・・・・・サイラス、魔術師の証ちょっと借りるぞ」

サイラスの服から証を抜き取ったテリオンは、自分より一回り大きい学者を抱えあげた。緑のローブを身に纏った盗賊は、会敵した魔物を片っ端から燃え上がらせながら森の出口に向かって全力で駆け抜けていった。




「・・・ん」

窓から差す光を感じ、サイラスはゆっくりと目を開いた。頭がぼんやりとしている。森でマーナガルムを退けた後に気が抜けて確か倒れたのだったか・・・気絶するまえの記憶を一つ一つゆっくりと思い出す。ノーブルコートに帰ろうと立ち上がろうとしたまでは覚えているのだがそこからの記憶が無い。

どうやら自分が寝かされている場所はプリムロゼから借り受けたエゼルアート邸の一室のようだ。きっとあの後、テリオンがここまで運んでくれたのだろう。目が覚め、頭がさえてきたサイラスは身を起こそうし身体に暖かいものが巻き付いていることに気が付いた。

布団をゆっくりめくればそこにはサイラスの身体を枕のように抱きしめて眠るテリオンがいた。己の身体を見ればあちこちに包帯が巻かれている。浄化の森からここまでサイラスを運び、手当を施し看病をして疲れが出たのだろう。プリムロゼが用意した寝床は広めのダブルベッドひとつである。休息を取るにはこうなるのも致し方ない・・・とはいえテリオンの意思でサイラスの寝床に潜り込んだことは間違いない。

可愛い。何だこの可愛い生き物は?私のテリオンだねそうだね。

(ありがとう世界————

顔の緩みが抑えられない。「おぅ・・・」だの「かわ・・・」だの譫言を吐きながら、サイラスは思わず顔を覆い隠し、天を仰いで深呼吸をした。

「ぅん・・・ん?目が覚めたのかサイラス!・・・大丈夫か?どこか苦しいか!?」

そうやって悶え呻いていると、うるさかったのかテリオンが目を覚ます。そしてなんだか様子のおかしいサイラスを目の当たりにしたテリオンは心配になった。
もしかしたら倒れた時に頭を打ったのかもしれない。血が足りずに頭が回っていないのかもしれない。身体の痛みが酷いのかもしれない、と。当のサイラスはただ単に勝手に萌え狂っているだけなのだがそんなことテリオンは知る由もなかった。


「ああ・・・大丈夫だよテリオン、心配をかけたね」
「悪い・・・ちゃんとした手当は薬屋ほどうまくはできなくてな。何か不調が残らなければいいが」
「十分だよ。私こそかなり危険な場所に赴かせて悪かったね、でもキミならきっとうまくやってくれると思ってたし実際こうして無事に調査をすることができた」
「無事か・・・?もう少しで死ぬところだっただろう!それに今回は運が良かったから何とかなったんだ。ともかく、しばらくは安静にしててもらうぞ。資料はちゃんと取れたんだろう?まとめて横のテーブルに置いておいたぞ。飯は食えそうか?体力を戻すには栄養をつけなきゃならん」
「ふふ、キミは私のことを想って考えてくれるね。本当に優しい子だ。嬉しいな・・・あまり可愛くて健気だとキミを食べちゃいたくなるよ」
「は?」

ともかく、林檎と粥でいいな?という言葉にサイラスが頷いたのを確認し、テリオンはバタンと大きな音を立てて部屋を出て行った。チラリと見えた耳は若干赤く染まっており、少々呆れや照れも入っているのだろう。


「・・・・・・心配ないぐらいにはいちゃついてたわね」

そんな二人のやりとりを陰から聞いていたプリムロゼは、再会する前に想像していた朴念仁のサイラスと素直になれないテリオン。そんな二人が拗れていないかなどの心配がすべて杞憂だったと悟り、笑った。


それからしばらくして、サイラスの元へ粥と切り分けられた林檎を持ったテリオンが部屋へ戻ってくる。傍らにはプリムロゼとハンイットの姿もあり、みなで様子を見に来てくれたのだろう。
粥には様々な具材が溶け込んでおり、栄養を考えた上で食べやすいように作られていた。温かいが火傷をしない程度の温度に整えられており、気遣いが見て取れる。林檎はいつも持っているものを一つお裾分けしてくれたようだ。

「うん、うまい!テリオンが作ってくれたのかい?」
「俺一人で作ったわけじゃない。ハンイットにもかなり協力してもらったぞ」

チラリとハンイットの方を見れば彼女は首を横に振る。

「いや、わたしは味見や多少のアドバイスはしたがテリオンがほぼ一人で作ったものだ。わたしが作ろうかと言ったのだが、サイラスに食べさせるものなら俺が作ってやりたいと言い出してな。彼は理解が早いし素直で器用だからとても教え甲斐があったぞ」
「アトラスダムに戻った後も美味いものを食べさせてあげたいって言ってね。サイラス、あなた愛されてるわね」

そう言ってテリオンの方を見れば、チッと舌打ちをしながらプリムロゼから目をそらしてしまった。多少は素直になったもののやはりテリオンはテリオンのままで、アーフェンやトレサのようにはいかないのだ。
だが、その話を聞いたサイラスを見ればとても幸せそうにニコニコと笑うものだからテリオンはあっさり毒気を抜かれてしまう。結局この笑顔に弱いのだ。サイラスが笑っていればテリオンの心もあたたかくなり、表情が自然と柔らかくなった。


そんな様子を見たプリムロゼは、テリオンがサイラスを抱えてノーブルコートへ駆け込んで来た時を思い出す。
旅の間は常に冷静な顔をして、感情を表に出すことを良しとしなかった盗賊が血相を変えて屋敷の飛び込んできたのだ。

『プリムロゼ!ハンイット!頼む・・・!サイラスを助けてくれ・・・!』

それを聞いたプリムロゼとハンイットの二人は薬を手配し、寝床を整え、お湯や清潔な布なども用意した。寝かせたサイラスを悲痛な顔で必死に処置し、サイラスが目覚めるまで片時も離れなかったテリオンの姿は感情丸出しといった様相で、サイラスの血色や体温が戻ってきたときの涙を零しながら安堵した顔も忘れられない。

そんな様子を見ていた二人は、サイラスの怪我は心配だったがそれとは別にこう思うのだった。

あの盗賊が素直に感情を表に出せるほど穏やかな暮らしができるようになって良かった――と。



後日、すっかり回復し、今回の調査結果をまとめたサイラスたちがアトラスダムに帰る日。

「もう帰っちゃうの?」
「今回の休暇はあまり長いわけではないしね。次の授業の準備もあるから今回はここらでお暇させてもらうよ」
「世話になったな、プリムロゼ、ハンイット」
「わたしもあなたたちに久しぶりに会えて楽しかったぞ。リンデもそう言っている」

ガウ、と返事をしたリンデの毛並みをテリオンが撫でる。器用な盗賊の指遣いはリンデにとっても心地良いらしく目を細めてその手に身体を委ねていた。
顔をあげればその様子を凄い顔で凝視しているサイラスが目に入る。どうにもそれがおかしくなりテリオンは思わず噴き出した。

「くくっ・・・!なんであんたはそんなおかしな顔をしているんだ」
「なんだサイラス?リンデに嫉妬しているのか?」
「直球ねハンイット。でも、あの朴念仁だと思っていたサイラスがこんなにわかりやすく独占欲丸出しにしてるなんて面白いものが見れたわ。本当にテリオンことが好きなのね」
「いやそのリンデくんに嫉妬とか・・・してるけど決してリンデ君だけじゃなくてテリオン君に触れられるあらゆるものに嫉妬しているというか」
「はいはい・・・」

そう言ったテリオンは呆れたように返事をしつつもサイラスの頭をよしよしと撫でつける。それを受けたサイラスはふにゃふにゃと地面に崩れ落ち、何事かを呻きながらまたも悶えていた。何だこの学者。

「おい、サイラス。邪魔だし服が汚れるだろちゃんと立て」
「ああ・・・厳しいねテリオン、でもそんなストイックなキミが好き・・・」
「ねえハンイット?もしかして滅茶苦茶惚気られてるのかしら私たち」
「まあ、仲が良いことは良いことだ。それからサイラス、これを・・・」

そういってハンイットが取り出したのは袋であった。パンが売られているときなどによく用いられているものだ。
サイラスはそれを受け取り、中身を取り出す。

「これは・・・?」
「食べてみてくれ」

一口齧ってみればそれはいつぞやの旅で食べたクラップフェンであった。外はカリっと、中はもちっとして一口、また一口と食べ進む手が止まらない。素朴な味の生地と中に入ったジャムの甘味が調和し、口いっぱいに広がる。あの時に食べて好みだと言ったことを覚えていてくれたのだろう。
しかしこれはあの時よりも――

「うまい・・・前食べた時よりもさらに私好みの味になっている。わざわざ覚えてて作ってくれたのかい?」
「そうか。それは良かったな、テリオン」
「え!?」

横を見ればテリオンが少々照れ臭そうにしている。どうやら本当にこれを作ったのはテリオンらしい。

「実はハンイットに言ってたテリオンの用事はこれだったのよ。料理のレパートリーが欲しいってのもそうだったんだけど、特にあの時サイラスが喜んでクラップフェンを食べていたのを気にしていたらしくてね。同じものを作ってあげたいってハンイットに相談を持ち掛けたのよ」
「・・・今の俺があいつにしてやれることなんてこれぐらいだからな」
「とんでもない!嬉しいよテリオン!それにキミが傍にいてくれるだけで私の人生、彩華やか幸せ生活だというのに私のためだなんてこんなに嬉しいことは無い!今すぐ家に戻ってキミを抱き潰したくなってきてしまったよ!!」
「フンッ!」
「痛っ!」
「ねえ、私たち何を見せられているのかしら」

妙なことを口走り始めた知能の下がったサイラスと、まんざらでもなさそうだが恥ずかしそうにサイラスの頭をはたいてじゃれ合うテリオン。二人を見て、プリムロゼは今すぐ無糖の紅茶を飲み干したい気分になった。
ハンイットはそんな愛すべき仲間たちへ、リンデと共に優しいまなざしを送るのだった。


「では今度こそ出発するとしようか。また会おう二人とも」
「ええ、私も二人がいつまでも幸せでいられるよう祈っているわ。祝福として踊っちゃおうかしら」

プリムロゼが見送りの場で気まぐれに舞い始める。相変わらず美しい踊りだ。

「もしよかったらシ・ワルキの方にも顔を見せてくれ。普段はそちらにいるし、師匠もわたしの仲間に会えるのは嬉しいようだからな。特にテリオンとアーフェンは酒飲み仲間として気に入ったようだからその・・・また良ければほどほどに付き合ってあげて欲しい。リンデやハーゲンもあなたのことは気に入っているようだし」
「まあ、気が向いたらな」


こうして二人はノーブルコートを後にした。これからアトラスダムに帰り、再び普段通りの生活に戻っていくのだろう。

「さて、これからあの二人どうなるかしらね。まったく、出会った当初からは想像もつかないような青春しちゃって・・・」
「ああ、春だな」

そういってプリムロゼとハンイットは遠ざかっていく二人の背中を見つめ呟いた。