カーテンを揺らすやわらかな風。あたたかな陽のひかり。鳥たちの歌声と、どこかの家の食卓を飾っているのだろうコーヒーの香り。絵に描いたような『美しい朝』だ。そんな朝の中で、目の前に座ったヌヴィレットさんが穏やかに微笑んでいる。
彼と俺の目の前の皿には本日の朝食。『朝食は水派』から(少なくとも俺がいるときだけは確実に)鞍替えしたらしいヌヴィレットさんお手製のパンケーキだ。鞍替えするにあたって『定番の朝食』について情報を集めた結果、混ぜて焼くだけ、焼き時間も砂時計でほぼ正確に計れて失敗しづらく、アレンジが簡単で多彩、なんかの理由でこれを選んだらしい。旅人と白い相棒に練習に付き合ってもらったと聞いたときは正直最初の一枚を口に出来なかったことに結構な悔しさを覚えたりもしたが、このひとであれば完璧までは求めなくても少しでも良いものを饗してくれようとするだろうと、そういう性格だとわかっていたから、ヌヴィレットさんの努力に全力で感謝する方に舵を切った。そもそも可愛い恋びとに「君と食べる朝食のために色々考えて」などと言われたら「失敗作まで全部腹に収めたかった」なんて度量の狭いことは言えない。フォンテーヌ紳士として。
ヌヴィレットさんの努力の結晶である『俺のための初めてのパンケーキ』は、少しだけ端の焼き加減が強めなところが愛おしさしか感じない最高の一品だった。一口食べた瞬間、ヌヴィレットさんが俺の作ったスープを絶賛する理由が理解できたくらいに。愛情は本当に調味料だったらしい。
少しばかり不安げにこちらを窺ってくるヌヴィレットさんに俺が差し出せた反応は締まりがなくて格好悪い自覚がありすぎるくらいにある笑顔と(自分で引くくらい口角が上がっていた)よく言えばシンプル、身も蓋もない言い方をすれば語彙力の無い「ものすごく美味いよ」だったのだが、夜明けの瞳を見開いたヌヴィレットさんはじんわりと、噛みしめるように「そうか」「よかった」と笑ってくれたので、俺が如何に感動と歓喜と美味を感じているか、一応ちゃんと伝わったのだとは思う。
以来焼き方や粉やトッピングなんかの様々なアレンジに挑戦しては期待のこもった瞳を向けてくるヌヴィレットさんがあまりにも可愛くて、そろそろ表情筋が融け落ちるんじゃないかなんて馬鹿なことを考えながら全力で褒めさせて頂いている。ここが大変で、とか、ここは個人的にはこうしたらどうかと思うのだが、とか、こんな時にも持ち前の真面目さを発揮しつつどこか楽しそうに話してくれるパンケーキ裏話を聞きながらつい口からこぼれた「幸せだな」に、「君が今この場でそれを感じてくれていることをとても嬉しく思う」と。少し泣きそうに、それはもう美しく微笑いながら私もだと答えてくれるヌヴィレットさんを見て、なんで俺は今指輪を持ってないんだろうななどと後悔したりした。
閑話休題。今朝のパンケーキはスフレタイプらしい。ふわりと丸い、満月のようなパンケーキが二つ、皿の上で行儀良く重なっている。付き添いはクリーム状の何かが入ったミルクピッチャーとジャムの入ったガラスの器だ。
「生地が少し甘めなので、トッピングは爽やかなものを選んでみた。ヨーグルトソースとバブルオレンジのマーマレードだ」
「なるほど。ちなみにヌヴィレットさんのおすすめは?」
「すまない、試食をしていないのでなんとも…」
しょん、と下がる眉に笑ってしまった。組み合わせに間違いはないのだし、そう重く捉えてくれなくても良いのに。そこが「らしく」て可愛いのだけれども。
「どう食べたって美味いに決まってるんだ。そういうことなら前情報なしに俺の好みでいこう」
ミルクピッチャーを手に取る。ヨーグルトソースの雲間に隠れた月に、マーマレードの星を少し。切り分けて口に運べば、甘い生地がヨーグルトソースの柔らかな酸味を伴って喉を滑り落ちていった。口の中に残るマーマレードの爽やかさは朝食に最適だ。合わせるなら絶対ストレートだな。紅茶にミルクを入れる前でよかった。
「美味い」
「ん。よかった」
「マーマレードは気持ち多めでもいいかもな。ソースの三割マーマレードくらいが俺は好みだ」
「そうか。では私もそれに倣ってみるとしよう」
そんな会話を挟みつつ、のんびりとヌヴィレットさんのパンケーキを楽しむ。付け合わせのサラダまでしっかりと完食して、差し出した食後の紅茶に口をつけようとしたヌヴィレットさんがああそうだ、と俺を見た。
「本日は何か予定などあるだろうか?」
私には今日特にすべきこともないので、君が外出するのなら同道させて欲しい。
”連れてって”の言い方が相変わらず堅苦しくて可愛い。崩れそうになる笑みをなんとか「いつもの」くらいに取り繕って、香気を吸い込み、口を開く。
「そうだな。ヌヴィレットさんと過ごしたいかな」
はたり。長い睫毛を羽ばたかせたヌヴィレットさんは、カップを持つ指に少しだけ力を込めたようだった。
「それは良いことを聞いた。私も君と過ごしたいと思っていた」
――ああ、今日も良い一日になりそうだ。
どうやらほんの少しだけ「ウィットに富んだ言い回し」の使い方に慣れてきたらしいヌヴィレットさんの、ふわりと花ひらく笑顔を見つめながらそう思った。
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