遊悟
2026-05-03 16:47:14
2294文字
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死せる346番、生ける735番を走らす

七三子さんの出番(描写)が少ないから没にしたネタです

 ―――ああ、助からないな。
 我がことながらにそう思う。先ほどまでは焼けるように痛かった、風穴の空いた腹。
 それが、どういうことか、今はもう「何も感じない」。
 鮮血と脂汗の混じった泥だまりの不快な臭いも、もはや感じる取ることもできない。
 ぼやけながらも世界を映すこの瞳も、きっとすぐに見えなくなるのだろう。
 聴覚だけは最後まで鮮明だと聞いたことがあるが、果たしていつまで保ってくれるのか……

「346番さん」

 戦いの後。雨でぬかるんだ大地に大の字で転がり、数多いる戦闘員のうちのひとりである俺はひとり死の訪れを待っていたら、ふいに頭上から声が降ってきた。
 その声の主を、俺は知っている。戦闘員735番。小柄でまだ若い、仲間の―――戦闘員の少女だ。
「何寝ているんですか。帰投しますよ」
 肩をお貸ししますなんて言いながら、ヤツは肩に俺の腕を回そうとしている。
 バカやめておけ。ヒーロー様がまた戻ってくるかもしれないぞ。危険だろ。無事だったなら、ひとりでさっさと帰投しろ。
「ヒーローなら、勝利のポーズを決めて帰ってきました。すぐに引き返すなんて間抜けな真似、するわけないじゃないですか」
 だって、絶対的に正しくて、絶対的に格好いい存在なんですから。
 そう呟いて、735番は俺を担ぎ上げた。
 畜生。年齢は一回りくらい違うってのに、男の俺を軽々と担ぎやがって。
「博士の強化手術は一流ですから」
 ほぼ俺を背負っているような形で、735番は歩き始める。
 くそ、なまじ俺がバカでかいせいで、膝から下が地面に擦れる。これじゃ、這ったような痕跡が現場に残っちまうだろうが。
 アジトがバレたらどうするんだ。秘密基地がヒーロー様の襲撃を受けるかもしれねーだろ。さすがに笑えんぞ、それは。
「あなたを博士に渡したら、痕跡を消しに来ます。だから、問題ないです」
 735番は淡々と語る。
 バカだな。今更博士に引き渡したところで、俺は助からない。どんだけ腕の良い博士であっても、死んだヤツを蘇らせることなんて、できやしないんだ。
……でもまだ、生きてるじゃないですか」
 は?
「346番さん、この間、お子さん生まれたばかりじゃないですか。
 気立ての良い奥さんもらって、お子さん生まれて。これからじゃないですか」
 パパって呼ばれるのが夢だって、言ってたじゃないですか。
 735番はそんな風に言う。
 コイツは本当にバカだな。
 いいか? 夢ってのはな、届かないから、叶わないから、「夢」なんだよ。
 俺たちは虫ケラみたいに、それこそ特売のティッシュみたいに、罪悪感なく呆気なく使い捨てられてくから、戦闘員なんだ。
 その「中身」が何をどう思ってるかなんて、関係ないんだよ。
「私はそう思いません」
 いいじゃないですか。戦闘員が生き延びたって。夢が叶ったって。
 スポットライトさえ当たらなければ、物語として描かれなければ、裏で何をしていたって、いいじゃないですか……
 735番の声がわずかに掠れた。
 もしかしてコイツ……感情抑制機能さえも、突破しようとしてんのか……

「なぁ、735番」

 ちゃんと形のある言葉になってるかなんて、むしろ、ちゃんと声が出てるかすら最早分からない。
 けれど、この言葉は、735番に伝わればいいな、と思った。

「俺の娘とさ、仲良くしてやってくれよな」

 パパいなくて寂しい思いさせるかもしれないからさ。
 不出来な俺の代わりに、そっと見守ってやってくれないか。
 ママがふたり分の愛情を注いでくれるとは思うんだ。アイツはできるヤツだから、イイ女だから。
 でも、それじゃあアイツひとりに重荷を背負わせちまうから。だから、ほんのちょっぴりだけ、荷物を持ってやってくれないか。
 なぁ、頼むよ。できる範囲でいいからさ……

「何ですか、その遺言めいた言葉。私に一切の得がないじゃないですか……
 呆れたような、泣き笑いのような、なんとも言いがたい声がかえってくる。
「まあ、私が小さい頃から346番さんにはお世話になってますからね。いいですよ、そのくらい。お安い御用ですよ。
 でも……
 ほんの一呼吸だけ、おいて。そうして、735番は言う。
「でも、最後まで足掻いてください。まだ生きてるんです。せめて、家族の顔をひと目みてから逝ってくださいよ……
 こうしてあなたを担いでいる私の努力を、帰りを待っている家族の思いを、無下にしないでください。
 ああ、なんて無茶を言うんだ、俺のカワイイ後輩ちゃんは。
 もう腕は動かない。目だって見えないんだ。
 娘を抱くことも、奥さんにいたわりの目を向けることも、もうできないんだ。
 多分もうすぐ耳も聞こえなくなる。そうして、すぐに……
「絶対に、あなたを連れて帰るんですから!」
 そう言い捨てて、735番俺を背負って歩き続ける。
 ごめん。意識が遠のいてきた。どうやら、お前の努力に報いてやることはできなさそうだ。
 でも。

 ―――亡骸だけでも家族の元へ帰れるのなら、それは幸せなことかもしれない。

 ありがとう、735番。身体だけでも家族の元へ帰れるなんて、使い捨ての人生にしちゃ十分恵まれてる。幸せ者だ。
 だから、お前のしたことは無駄じゃないよ。
「ほら、346番さん、アジトが見えてきましたよ……!」
 俺はまぶたを閉じる。眼裏に愛しい家族と、そして、すっかり頼もしくなった後輩ちゃんの姿を浮かべながら、俺の意識は急速に闇へ落ちていったのだった。