麦わらの一味はここ最近忙しなかった。海軍やら賞金稼ぎがひっきりなしに襲ってきたのである。強さはそれほどでもなかったため追い払うことにまったく問題はなかったが、
「ふへー」
「はへー」
狙撃手や船医がテーブルに伏せてしまうほどには、疲れがたまってしまったらしい。
「……しょーがねぇなぁ」
料理人はちらと甲板の方を見たあと、読みかけの本をバタンと閉じてイタズラっぽい笑顔を浮かべた。
「今日は、おやつにフィナンシェ焼いてやるよ」
「え」
「ほんとか!???」
船医と狙撃手がガタガタと机の音を立て、大きな声を出した。
「ふぃなんしぇ!!」
「ですってーー!!」
「ぎゃー!」
「どっから聞き耳立ててんだよ!」
船長と音楽家が埃やら樽やらかぶってドタバタと叫びながら飛び込んでくると船医と狙撃手が悲鳴を上げた。
「いーから!それよりサンジ!フィナンシェだな!」
「あー。フィナンシェだ。ミルクティーつきでどうだ」
「えっ最高、最高じゃないですかサンジさん!歌っても」
「好きにしろ」
「今日はーー!!ふぃ、ふぃ、ふぃーーなんしぇーーーっ!!!あまいぞーうまいぞー!」
「いえーい!」
フィナンシェ!フィナンシェ!フィナンシェ!と大きなコールが響き渡り、肩を組んで踊り出す4人。料理人はそんな彼らを見て元気じゃねぇかとぼやきながらも準備を始めた。
「なんだァ、おやつはフィナンシェか。そりゃスーパーだな」
「いいわね、フィナンシェ。疲れた時には甘いものがうれしいから」
「おめぇもそりゃあんなに手生やせばつかれるわな。ゆっくりしようぜェ」
「あら、フランキーも疲れたでしょう。一緒に休憩しましょう」
甲板にいた船大工と考古学者も反応する。大人な会話にかわりないが、明らかにうれしそうな様子がうかがえた。
「ゾロ、あんた甘いもんだめよね」
「やらねぇぞ」
「運動激しくしちゃって。そんなに楽しみなの?」
「あれ食うとトレーニングに支障が出るから、今のうちにやるだけだ」
「あぁ、わかる。あれリラックス効果半端ないわよね。やっぱり食べてあげよっか?」
「やらねぇって言ってんだろ」
航海士は剣士と会話しながら上機嫌に笑っている。明らかにぶんぶんとダンベルを振る速度も上がり、声も弾んでいることから、彼らもフィナンシェが楽しみな様子がうかがえる。
「ふぃなんしぇ」
「あ?」
「え?」
すると、そんなうめき声にも似た小声を剣士は拾った。航海士もそちらに首を向けた。操舵手だ。彼は首を傾げたように、舵のハンドルをぐっと握って、首を傾げている様子だ。
「いや、食うたことがないから、そんなに楽しみの理由がわからん。サンジの菓子なら間違いないんじゃろうが……いや、そもそも、菓子か?」
その様子に気づいたのか、問いと弁明を同時にした操舵手に航海士と剣士は顔を見合わせた。
「見に行けばいいだろ」
「そうそう、今から作るだろうから」
「しかし……」
舵をチラと見た操舵手。確かに今はすべでが落ち着いているが、そのままにしていいのだろうか。
「アホコックの蘊蓄でもたっぷり聞いてこい」
「そうそう、あんたもゆっくりする時間は必要でしょ。ずっと朝から操舵してるじゃない」
「それは、油断ならん海域じゃったからな」
彼はちょっと顔を引き締めて言い返した。彼は海賊としての歴は長い。だからこそしっかりと気を引き締めて、操舵していたのだ。
「だが今は違う。そうだろ」
「む」
だが、一番警戒を怠らない剣士がそうきっぱりと言えば、操舵手も素直に揺らぐものだ。
「航海士の私もいるんだから、少しくらい大丈夫よ。なんかあったら呼ぶし、こいつもいるし」
「頭をたたくな」
「……わかった、ならそうさせてもらおう」
剣士と航海士が的確に背中を押す。となると操舵手は素直に押されて、キッチンに向かい、扉をくぐる。ふっと後ろの二人が笑ったことに気づかずに。
「あいつ」
「はかったわね」
―――――
操舵手は驚いた。扉をくぐると、キッチンでは、船長、狙撃手、船医、音楽家の四人がカウンターに押し寄せて見学していた。
「フィナンシェは、金塊をモチーフにしたあまぁいお菓子」
すると料理人がこちらを見てにかっと笑った。そんな説明もさらっと付け加えてくるあたり、外の話が聞こえてたのだろうか。
「たっぷりの焦がしバターとアーモンドの香ばしさがたまらねぇ一品だ」
「うぉー!!」
ちらっと目配りで仲間たちの後ろの席を勧めてくる。ならばと操舵手が近づくと、四人のうれしそうな目が彼の方を向いた。いや、一人は空っぽな目だけども、それでも嬉しそうに見えた。
「ジンベエもみよう!」
「バターこげるのおもしれぇぞー!」
「お、おお、すまんな」
「今手伸ばしてもやけどするだけだぞクソゴム」
「うっ、だってうまほーなにおいだし」
「私はヤケドしないですから……」
「どのみちケリは効くだろ」
「ぎゃー!!」
つまみ食いは的確に追い払われた後、料理人は気を取り直して、鍋にたっぷりのバターを入れる。
「バターを焦がすことを、ブールノワゼットっていうんだ」
「ぶーる……?」
「あー……覚えなくてもいいぞ。こいつらも覚えてねぇし」
「おいおいちゃんと覚えてるぞ!!ぶーるのわぜっと!」
「ぷ、ぷ、ぷ、ぷーるのわぜっと」
「ブールですね、チョッパーさん」
「プリンアラモード!」
「1文字もあってねぇよバカ!」
賑やかに会話を交わしながらも、料理人は気を抜かない。優しい視線は常に、鍋の方に向けながら、
「ともかく、ブールノワゼットは」
じっくり、じっくり、くつくつとクリーム色に泡立つバターをホイッパーで混ぜながら、バターをふつふつと火にかけて、
「バターを焦がして、ヘーゼルナッツ色に焦がすことで」
「おお……」
「食材に香ばしさ、深み、コクを与えていくんだ」
彼の表情が変わった。ここからは真剣に見極める。バターは焦がしすぎると余計な苦みが出る。かといって、焦がしが甘いと持ち味を存分に引き出せない。
「バターが焦げれば」
見極め、ぱっと鍋を上げる。
「粗熱を素早く取る。取りすぎてもいけねぇな」
「なんでだ?」
「生地と馴染んでくれねぇのさ。的確にアプローチするには、それなりの準備が必要なんだ。レディを最高のデートに誘うときの下準備みてぇにな」
「んー、後半はわかんねぇけどわかった」
「後半が大事だろうが、バカ」
話しつつ響く。じゅっと、小気味良い音。濡れた布巾だろうか。そちらに小鍋を何度か当て、冷ます。地味な動き。けれど少し派手な音。どちらにせよ彼の顔は気を抜いていない。
「そしたら、用意していた生地と、合わせ、混ぜる」
「おお!」
「これはまた」
「これ、やめんか」
「ありがとよジンベエ。クソゴムとホネはあとでシメる」
「ぎゃーっいだいー!」
「もうシメてるじゃねぇか!サンジずりぃぞ!」
「何がずりぃんだよ。ほら、ジンベエ、生地はこんな感じだ」
「おお、香りがすごいのう。うまそうじゃ……にしてもボウルがでこうないか?」
「そりゃ10人もいれば足りねぇし、一人で10人分食う奴もいるしな」
「む、おれは50人分食うぞ」
「威張るなバカ」
「なるほどのう」
カウンターからあえて見せるように傾けて、ボウルをかき混ぜる。そうすると手を伸ばして味見したがる不埒な輩が出るが、今回は操舵手が止めたようだ。
「あとはバニラを加えてと。そういやお前らはお利口だな今日は」
「いやもうそれは、なぁ?」
「サンジちゃんとしてたら味見させてくれるからな!」
「おっ、おねだりがうまくなったな。焼けたら端っこくれぇわけてやるか」
「やったー!」
「やったー!」
「むー!ずりぃぞ!」
「ホネ差別反対ー!」
「お前らは反省を覚えろ!」
がんともう二蹴り叩き落した後は、生地をゆっくりと冷蔵庫に運ぶ。
「よし、休ませたら型に入れて焼いて終わりだ。焼き上がりは15時半……って言っても時計分からねぇだろうからいい匂いがしたら来い」
「やったー!!」
「フィナンシェ!フィナンシェ!」
「ふぃーなんしぇ!」
「ほら、ジンベエもやろう!」
「わ、わかった」
「別に無理して合わせなくてもいいのによ」
フィナンシェ!フィナンシェ!と操舵手を加えてまた肩を組んで踊りだした仲間たちをあきれたように見ながら、
「ただ、必要かもな」
そう小さく呟いて、料理人は小鍋を洗い始めるのだった。
―――――――――
操舵手は結局舵には戻れなかった。仲間たちがキッチンやら保健室やらで話そう喋ろうと止めてきたからだ。航海士に舵を任せていると彼は言ったが、
「大丈夫よ。私も代わるから。ね、フランキー」
「アウよ、任せときな。少し海風にあたりてぇ気分なのよ」
そう考古学者と船大工に言われてしまった。もしかしたら気を使わせてしまったのかもしれない。操舵手は少し反省し、お菓子を食べたらすぐ舵に戻ろうと決めた。
「あっ」
そして、該当の時刻が近くなると、いや、その時刻と分からなくても、仲間たちはソワソワが止まらなくなった。溢れんばかりのバターの匂いと甘い生地の匂いがサニー号いっぱいに充満し始めたからだ。
「ぷはっ」
料理人が、その様子が嬉しくてはたまたおかしくてたまらないように笑った。焼けたタイミングで、カウンターに座る女性陣二人。そしてその後ろを囲う、男性陣全員。その中には操舵手も連れてこられたようにいて、全員ソワソワと期待のまなざしでこちらを見ているのだから。
「よし」
だが、メロリンせずに、料理人はフィナンシェに向き合う。カウンターのそばまで持っていき、鉄板でできた型にシートと木の板をかぶせ、
「いくぞっ」
くるんとひっくり返す。ふわりと更にただよう香り。ゆっくりと鉄板を持ち上げてしまえば、
「わぁっ」
歓声が響く。あたたかい空気が、一気に美味しい匂いを放つ。型から外れ、美しい金塊の山のような、フィナンシェが積み重なって現れた。
「はい」
「あ」
「ふふっ、いいの?」
「あー!ずりぃ」
「おれもっ、約束だし!」
「はい順番!」
「ちゃんと並んでね」
さっとやけどしないようにレディたちの前に置かれた紙。少しだけ、あえて作られたように出来上がった味見用のフィナンシェの小さなかけらが積み重なっている。女性陣はその中から一番大きいのをとり、男性陣はこぞって彼女たちの皿からおこぼれをもらうのだ。料理人はその間にほかのフィナンシェを型から外し、お茶の準備を始める。
「ぬう」
そして、操舵手も大きな手の上に小さな、まだ熱いおこぼれをもらって、流し込むように、ぱくり。
「!!」
操舵手は丸い目をさらに丸くした。なんだろう、とんでもなくおいしいものを食べた気がする。いや、それだけではない気がする。おいしいの他に、何かあるような――
「な」
「ししっ、うめーだろ、ジンベエ」
「なー、うめーよな。これだけでもさ」
気づけば、一味が全員こちらに視線を向けていた。気づかないくらい、フィナンシェに夢中になっていたのか。どうも、気が緩む。そうポリポリと頭をかいた。
「ほら、できたぞ」
そうしてるうちに、料理人にぽんぽんと肩を叩かれる。操舵手は振り返った。
「おぉ……」
レディたちにはちゃんと取り分けられていて、野郎どもにはバスケットに山に盛られた、本当に黄金と見まごうほどの綺麗なフィナンシェがテーブルにセットされている。それぞれめいめいに注がれた湯気の立つ、ミルクティー。コーラやコーヒー、牛乳なんて好みに合わせた飲み物まで用意されている。
「おい、ジンベエ」
歓声を上げながら、席についていく一味。操舵手もまだどこか落ち着かなさそうについていくと、料理人に声をかけられた。
「おやつは、まだまだこっからだぜ?」
「な」
「ほら、席につけって」
楽しそうに笑って言った彼。まだ何かあるのだろうか。操舵手は狙撃手に誘われるように、席に着く。
「よし、じゃあ」
「いただき」
「まーす!!」
めいめいフィナンシェを手に取る。操舵手ももちろん手に取った。彼の手よりは当然小さいが、さっきのかけらよりも当然ずっしりとしていて、さっきよりダイレクトに焦がしバターの香りが鼻腔をくすぐった。
「いただきます」
ちゃんとあいさつして、ぱくりと口に運ぶ。かじった途端、サクリと小気味いい音を立てた。ほろりと口のなかでほぐれた甘くて優しい生地。そして、口いっぱいに溶けるように広がった、バターの風味。
「おお……」
「こちらもどうぞ」
「ありがとう……」
さらっと音楽家が勧めたミルクティーをそのまま受け取って、口に含む。甘くて香ばしい、こってりしたフィナンシェが、熱くて、少し渋みのあって、それでいてまろやかなミルクティーと溶け合って、調和する。もう一口、かじる。紅茶を飲む。手の中からなくなる、もう一つ取って、ぱくり。
「ほう……」
熱い息をこぼし、操舵手は表情を緩めた。身体に温かさと幸福が広がっていく。そして、なんだか、肩の力が抜けていく。
「ししっ」
「ん」
船長が小さく笑って料理人を見た。そのタイミングで、剣士も彼の方を見てきた。
「ん」
料理人は小さく口元に指を立て、剣士と同じように返しながら、そのタイミングで苦笑を向けてきた仲間たちを見る。
「あー、よっぽど疲れてたんだなァ、ジンベエ」
「というより、肩に力が入りすぎてたみたいね」
船大工と考古学者が小声を漏らす。操舵手は、席に着いたまま、うとうとと船を漕いでいた。
「やっぱりサンジのおやつもといフィナンシェ、すげぇよな。リラックス効果あるしさー」
「ミルクティにはカフェインあるはずなんだがな」
「効く前に寝ちゃえば関係ないですよ、経験者は語ります!ヨホホー!」
「えへへ、きもちよさそうだな。おれ毛布とってくるなっ!」
一味はみんな気づいていた。操舵手は、元キャプテンなこともあって、どうも責任感が強いフシがある。だからこそ、危険な海域で、肩に力が入りすぎていたのだろう。
「ジンベエ、楽にいけばいーからな!」
船長は寝ている操舵手にししっと笑いかけた。
「おれたちが、いるからなっ」
「ん……」
聞こえているのか、聞こえていないのか。小さくうめき声が返ってきた。船医が笑いながら毛布をそっとかけ、一味はそっとそれを見守りつつ、おやつタイムを続けた。
「サンジくん、フィナンシェ少しとっといてあげたら?」
「もちろんさナミさん。フィナンシェは」
料理人はひょいひょいとバスケットからフィナンシェをつまんで笑った。
「少し寝かせても、うまいからね!」
「あら、うまいこと言うわね」
「あっ!ナミさんがおれをほめてくれた!!最高の日!!」
「あっ、そっちもおれ食うからな!」
「おれもー!!」
「おれもーっ!」
「わかってるしナミさんとの会話に入ってくんな!それに!ジンベエが起きねぇ程度に静かにしろ!」
一味のリラックスおやつタイム。これでちゃんと肩の力が抜けるということは、彼もまた、立派な麦わらの一味であるという証なのだった。
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