やまだ
2026-05-02 22:16:09
2231文字
Public 無双オリジンズ
 

No title

惇兄と無名の話 惇兄が無名の新衣装気にしてたの萌えたので

「地味すぎるわ阿呆。もっと真面目に選べ」
 無頼の武芸者として長らく中華を点々としていた男が、ようやく曹操の招きに応じて仕官することになった。
 常には曹操の突飛な思いつきに苦言のひとつふたつは漏らす夏侯惇も、今回ばかりは従弟とともに賛同の言を返した。その武芸者の実力を戦場で散々目の当たりにしてきたからだ。
 まだ若いが沈毅で、小回りが利き、そして何より戦がうまい。曹家の手の者になってくれればさぞ便利だろうと夏侯惇ですら思った。ようやく来るかと、曹操も濮陽城で今頃ほくそ笑んでいることだろう。
「真面目にと言われても」
 そしてその武芸者は今、濮陽の中心部にある邸で夏侯惇に叱られ困惑している。
 夏侯惇に与えられている邸の一室だ。正式に任官されるまでは夏侯惇が彼の面倒をみることになったので、まずは身の回りの物を揃えてやることにしたのだ。板間にみっしりと並んだとりどりの反物のうちから黒一色のひと巻きを選んだ黒ずくめの男の、帯の赤だけが浮かんで見える。
「衣装のことはよくわからない。なぜ地味ではいけないんだ。俺はあまり目立つような格好はしたくない」
 床に直接座って片膝を立てている男を、漆塗りの椅子でくつろぐ夏侯惇は鼻で笑い飛ばした。
「その面で生まれておいて目立ちたくないが通るわけあるか」
 むっと眉を寄せた顔に、好きでなったわけではないとでかでかと書いてある。まるで従弟を相手にしているような気分になり、夏侯惇はつい嘆息した。
「おい無名、おまえはこれから孟徳に仕える将になるのだぞ」
「わかっている」
「曹孟徳は能吏であり頭抜けた文化人でもある。あの洒落者に謁見するというのに、黒一色の綿の袍など着ていく阿呆がどこにいる」
 当初は、郭嘉や荀彧などが衣装や装飾品をひと揃い用意したのだ。ところが謁見にふさわしい、品格あるきらびやかな一式を見た無名が尻込みしてとてもこんな立派なものを着られないと言いだした。
 宥めすかし、最後にはこれも仕事だと強く諌めもしたが、それでは士官を取りやめ武芸者に戻ると眉を下げられてしまって郭嘉でさえ白旗を揚げた。彼は曹操の鸞、瑞鳥なのだ。やっと天から舞い降りたというのに、不興を買って再び飛び去られてしまってはたまらない。
 立ち去ろうとする無名をどうにか引き留め、夏侯惇の邸に滞在させることに成功したのだった。後日改めて曹操から正式な命令として世話を任されたが、これはおそらく荀彧が気を回したのだろう。
 そんな夏侯惇らの苦労を知りもせず、無名はうんざりした顔で綿の反物を指先で突いている。
「だったらどうしてこんな生地がここにあるんだ」
「下着用に決まっているだろうが」
 無名が黙りこんだ。
 黙りはしたが、まだ黒のひと巻きを諦めずに見つめている。横にどっさり積んだ絹の山が哀れになってきた。
「それほどに黒が好きか」
「好きというか……この色以外を着たことがない……ような、気がする」
 これまで切るように放たれていた声が途端に曖昧になる。そういえば過去の記憶がないのだったか。
「青はどうだ。曹家の一門は大抵持っているぞ」
「ああ……そういえば将軍もご従弟殿も、青い」
 青、と口にしながら無名は黒から目を離さない。まるで横を向いた瞬間にこの世から黒という色が消失すると信じているかのようだ。そうなればもう寄る辺がないと信じているかのようだ。
 今まさに曹家の膝下に入り確かな基盤を得るはずの男は、それを喜ぶよりもただ一色を惜しんでいる。
 奇妙な男だ。
 そしてそれは曹操の下に集うことにおいてなんの問題にもならない。彼は配下の才を愛し限界まで搾り尽くすが、それ以外を一切求めないからだ。
「おい無名。何色にするにしろ、絹から選べよ」
……そうする」
「黒で作りたいならそう言え。つまらん遠慮はするな」
「だが、あなたが黒は地味だと」
 不満げな無名から目線を少し横へずらす。色よりは生地に対する意見だったが、この際なんでも構わない。
「黒でいいんだな、わかった。なら話は終わりだ、あとは任せておけ」
……将軍、面倒になったのでは」
「違うとは言わんが、ほかにも決めるべきことが多い。時間が足りんのだ。腹も減った」
 朝から布を運ばせて忙しなく、飲むように粥をかきこんでから何も口にしていない。とっくに日は高くなっていた。
「まず飯だ。無名、廊下で誰ぞ捕まえて飯の支度をさせろ。腹が膨れたら城に行く」
「任官はまだなのに?」
「正式には、だ。おまえも同僚の顔くらい見ておきたいだろう」
 納得したのか腹が減っているのを思い出したのか、無名は無言で頷くと廊下へ出て行った。無造作な動きなのに全く音を出さないのだから大したものだ。
「おい」
 思い出したように足音を立てて遠ざかる無名の気配を見送りつつ、夏侯惇は室内の一隅にじっと控えつづけていた従僕を呼ぶ。
「聞いていたな? 最速で衣装を誂えさせろ。いくらかかっても構わん、どうせ支払いは孟徳だ」
 かしこまりました、と下がろうとする従僕へ、にやりと笑ってさらに言葉を続けた。家を提供しているのだ。この程度は夏侯惇が口出ししてもいいはずだ。黒しか着た記憶がないとぬかした男へ、これまで天下の誰もが袖を通したことのない黒衣をくれてやる。
「仕立屋に伝えろ。袍の両袖に、黒糸で鸞を刺繍せよと。目立たせてはならぬが、思うがまま存分に派手にせよと」