【スタゼノ】パーフェクト・デイ

スタゼノワンドロワンライ 第252回お題「くらげ」「揺蕩う」
紛争地から帰ってきたスタンリーと、海辺でくつろぐゼノの話。

 昼時のビーチに掲げられた紫色のフラッグを見て、スタンは今日は泳げねぇね、と笑ってみせた。僕はそれに頷いたものの、どう喋っていいのかは分からなかった。
 紫色のそれは、有害生物、特にクラゲが大量発生しているという知らせだ。だからか海辺には水着姿の人の姿は少なく、いたとしても海水から離れ、砂の城を作る子供達やそれを見守る親達くらいで、僕は海に揺蕩う厄介者のことを気の毒に思った。脳も、心臓もない生き物、不老不死を解き明かすきっかけになるかもしれない生き物、そして、触れるまで猛毒を持つ生命体と知れない穏やかな揺らめき。
「せっかく水着を着て来たのに……。プールにでも行くかい?」
「ホテルのプール? それとも、バスルームの方がいい? あのホテル、結構バスタブが広かったぜ?」
 そこでファックすんのもいいかもね。僕は耳元に届くスタンのそんなからかいをそこまで聞き、でもため息をついてそれ以上は聞き入れなかった。
 僕達が泊まっていたのは海近くのホテルで、広いプールと、これもやはり広い丁寧に手入れされたバスルームがあった。大きなベッドも、ウェルカムフルーツとワインが置かれたテーブルも。だから僕達は海が危険でも別段構わなかったのだが、僕はなぜかあのきれいな部屋に戻る気がせず、皆がだらしなく足を伸ばすビーチの砂の上に直接寝転んだ。ざらざらと肌を荒らす砂粒は、しっとりと湿ってじわじわと海水を伝えた。そうだ、今僕は海にいるのだ、と今更ながら思い、僕はまぶたを閉じてまぶしい明かりをさえぎった。
 それからしばらくすると、スタンがどこかで借りたのか、大きな白いパラソルを持って来た。日焼けしたら痛いだろうって、いつものように甲斐甲斐しく世話を焼いて。僕はそれに、ビールはないのかいって口ごたえをしたのだが、そんなの最初からお見通しだったのか、スタンは緑色の瓶ビールを氷が浮かぶバケツから取り出し、それを僕に放り投げた。
 僕はビールを口にしたけれど、なんとなく、憂鬱な気分だった。別に僕の人生に変わりはなく(もう日常になりつつある、リジェクト続きの計画書にはうんざりしていたが)、軍属のスタンよりは大分マシな人生を送っていた。
 スタンは今月を祖国で過ごす。紛争地じゃなく、懐かしい国で。そこでまず選ばれたのが彼の親でも友人でもなく、恋人である僕であったということは単純に嬉しかったが、僕は彼が抱える何かを癒してやれるだろうか? という不安感もあった。
 くらげ、心臓も、脳も持たない生命体、知らぬ間に、人を痺れさせ、傷つけてしまう生き物。でも、紛争地から帰ってきた彼はどちらかというと、バナナの入った穴に泳ぎ込み、そこで欲張って食べすぎて、バナナ熱になって穴から出られなくなって死んでしまう悲劇的な魚――バナナフィッシュを体現しているように思えた。
 あぁ、夏の海辺でサリンジャーを引用するだなんて、僕はちょっと参っているのかもしれない。スタンはあの物語のような、最も明確なコミュニケーションとしての悲劇的な最後は選ばないだろう。スタンはそういう人間じゃなかった。困難の中を生き抜く男だった。そんな男を、他でもない僕は愛しだのだった。
「な、ゼノ。やっぱり部屋に戻らねぇ? あんたの水着姿見てたら、そういう気分になっちまったかも」
 スタンが黄金色の瞳を細めて、僕を見下ろして笑う。その表情に憂いは少しもない。それは紛争地で敵やそれに協力する人々を手にかけた、それでいて多くのアメリカ国民や民間人を救った男の顔じゃなかった。だったら、僕は安心すべきなんだろう。僕は安心して、彼を愛するべきなんだろう。
「もうちょっと待ってくれ。ビールを飲み終えたら、君の相手をしてやるからさ」
「絶対だぜ、ダーリン」
 スタンが笑う。僕も笑う。
 バナナの入った穴に泳ぎ込み、そこで欲張って食べすぎて、バナナ熱になって、穴から出られなくなって死んでしまう悲劇的な魚。PTSDを患った退役軍人の象徴――
 スタンはいつだって強くて、そんなものからはほど遠かった。でも、そんな彼だって、いつそれになるか知れなかった。僕はそれを恐れていた。いくら恐れたって、そういうのがやって来るのは突然だっていうのに、僕は幸せの中で、ただ恐れていたのだ。
 ビーチには、今も紫のフラッグがはためいている。僕はゆっくりとビールを飲み干し、人気の少ない海辺で、パラソルに隠れてスタンにキスをする。もしかしたら、バナナフィッシュはリジェクト続きの計画書を思い出している僕の方かもしれないって思いながら、そんな馬鹿げたことを思いながら、僕はスタンにそっとキスをする。甘くて、苦くて、どうしようもない、そんなキスをする。


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