今、忍術学園は冬休みの真っ只中で学園にいる生徒はごくわずかで、学園にいる生徒は守備のために駐在しなければいけない六年生の生徒と、その六年生のバックアップをするために残っている五年生、そして委員会や忍術学園に用があってきた生徒がいるだけだ。冬休み期間中は生徒だけでなく教師も最低限の人員しかいないため、いつも活気がある忍術学園では珍しく人っ子ひとりの声も聞こえないまさに静寂が学園内を包んでいた。
そんな静寂に包まれた忍術学園内に乱太郎は一人寂しく机に向かい合っていた。まだ冬休み終了まで一週間以上あるのにどうして乱太郎が忍術学園にいるのかというと、この乱太郎が帰省する冬休み期間の最中に彼の両親がどちらも忍務が割り当てられてしまったからだった。
半農半忍という二足の草鞋を履いているらしい乱太郎の両親は、農業が八、残りが忍者としての仕事…というようにもはや農家一本でやっていけるのではないかというほどに忍者としての仕事は常に閑古鳥が鳴いている状態だったのだが、まさかの久しぶりに両親の元に舞い込んできた忍務が彼らの愛する息子が帰省する冬休み期間中に重なってしまったのである。
いつもなら久しぶりに舞い込んできた忍務に喜ぶ乱太郎の両親だったが、今回は忍務を受けずに断ろうとした。両親と言えど息子には年数回の長期休みの時しか会えないし、忍務がなくても農家としての稼ぎだけでなんとかなりそうだったので乱太郎と過ごす時間を選ぼうとしたのだ。しかし乱太郎本人がそれを止めた。
「大丈夫!私なら平気だから。ちゃんとお勤め果たしてきてよ。ね?」
そう笑顔で言い放った乱太郎に彼の両親は大きくなったなあ。と少ししみじみしながら泣く泣く忍務を引き受け、乱太郎を忍術学園まで送り届けて、それぞれが忍務へと向かっていったのだった。……これが三日前のことである。
そして冒頭に戻る。乱太郎はさっきからずっと机にかじりついて課題に取り組んでいた。忍術学園には残っている生徒が数少ないからか、やけに乱太郎の耳には風の音が良く聞こえてくる。カタカタと戸を揺らし、冷たい隙間風がひゅ〜ひゅ〜とどこからか入ってくるので、乱太郎の足先はキンキンに冷えていた。
「あ~全然進まない~っ!」
乱太郎はついに筆をおいて寝っ転がった。あともう少しで冬休みが終わってしまうというのに、乱太郎の課題はまだまだ残っていた。課題の進捗は正直言って絶望的と言ってもいいだろう。このままでは冬休み明けには確実に先生方のお叱りを受けることになるだろう。でも、いくら机に向き合ったって進まないのだからしょうがないではないか。学園内に先輩方がいると言えど、六年生は学園の守備をしているし、五年生もその守備のフォローをしているので教えを請いづらい。じゃあ、このまま課題を終わらせずに冬休みがだんだんと過ぎるのを待つしかないのか。…でも、先生に怒られたくないしやるしかないよなあ。と寝転がる乱太郎の頭の上に影が差した。
「乱太郎~?なにしてんの~?」
「お、尾浜勘右衛門先輩…!?」
突然の先輩の訪問にびっくりして起き上がると、そこには五年い組の尾浜勘右衛門が手をひらひらと振りながら立っていた。一体なぜここに……?と乱太郎が疑問符を浮かべていると、その乱太郎の様子を見透かしていたのか勘右衛門が口を開いた。
「今日は五年生の学外忍務でさ。俺は留守番係だったんだよね。だから暇で学園内を散歩してたら誰かの全然進まな~いっ!っていう声が聞こえてきて。」
だからその声がするほうに来てみたってわけ。と勘右衛門がにやりと笑ったので、乱太郎はさっきの大きな声が勘右衛門に聞かれていたことに恥ずかしさを滲ませて顔を下に向けた。すると、隣からずずっと物音がして目線を音の発信源に移せば、いつの間にやら隣に座った勘右衛門が頬杖をつきながら、乱太郎が課題をやっていたであろう机を眺めていた。
「あれ?なんかやってたの?」
「あ、はい。冬休みの課題をやっていたんですけど……なかなか進まなくて。」
「ふ~ん。ちょっと見せてみて?」
ずいっと冬休みの課題を見るために身を乗り出した勘右衛門に申し訳ないような気持ちを抱きつつも素直に課題を差し出すと、その課題の中身をぱらぱらと読み進めているらしい勘右衛門が顎に手を添えた。
「確かにこの範囲難しいよな。ていうか、誰にも聞かなかったの?」
「今の学園には六年生の先輩方と尾浜先輩達しかいらっしゃらないでしょう?だから、みなさんお忙しいので邪魔しちゃ悪いかなあと…。」
「でも、これだと期限内に終わらないんじゃない?」
「うっ……でもぉ……。」
勘右衛門の容赦ない正論である言葉が的確に心に刺さり乱太郎は胸のあたりを抑える。やはり自分の力ではなく、他の人の力を借りなければいけないのか…。でも、みんな学園の守備をしていて暇じゃないし。でも、このままじゃ課題終わらないし……。そんな葛藤が渦巻いて乱太郎がうーんと頭を悩ませていると、じゃあ、俺が教えてあげようか?と乱太郎の目の前にいる勘右衛門がニコッと笑った。
「えっ!?」
「だって、このままだと乱太郎も困るだろ?それに、俺も今日は何もすることないしさ。」
どう?と首を傾げた勘右衛門に乱太郎は思わずごくりと唾を飲む。勘右衛門の言う通り、このままでは課題は終わらないし、冬休みが明けて学園が始まっても先生に怒られるだろう。しかし、五年生はこの休み期間中ほとんど学園を守備して忙しいはずである。
なのにこんな自分の事情で忙しい勘右衛門の時間を使ってもらうなんて申し訳がなさすぎる。でも、このまま課題が終わらないのもそれはそれで嫌だ……!という乱太郎が頭の中でぐるぐると思考を巡らせていると、その様子を見てやっぱり辞める?と勘右衛門が言うものだから、乱太郎は反射的に首を横にブンブンと振った。あ、これもう断れないやつだ……。と思った時には時すでに遅しであった。
「じゃ、決まりだね。早速始めよっか?」
そう言うと、勘右衛門は乱太郎の向かいに座りなおしてさっそく座学を始めたのだった。
「うわぁ、ここはこうやって解くんですね!」
「そうそう。で、これをここに代入するんだよ。」
勘右衛門のわかりやすい解説が入り、乱太郎は理解を深めながら課題を着々と片付けていく。まるで自分でも納得するように何度も繰り返し説明してくれる勘右衛門のおかげで、これまでよく理解できていなかった箇所も徐々に分かるようになってきた。なんだか乱太郎まで頭が良くなったようで、とても嬉しい気持ちになっていく。
「えーっと、こうですかね?」
「そうそう!合ってるよ、乱太郎。」
ほら!と褒められ乱太郎は満面の笑みで喜びを噛み締める。それにしても本当に先輩の教えわかりやすかったなぁ。と思いながら机に向かっていると、不意に視界が暗くなった。
「乱太郎、疲れたでしょ?少し休憩する?」
そう言ってニコッと笑った勘右衛門が優しく頭を撫でてくれたので、乱太郎はへにゃりと顔を綻ばせた。確かに結構時間が経っているみたいだし、一度休憩を入れることにする。今までずっと座っていたせいであちこちが固くなってしまっていた体を思い切り伸ばす。
すると、体に溜まっていた疲れがふわっと抜けていく気がした。乱太郎は一気に体を動かしてしまったせいで欠伸が出そうになり、口元を押さえるが、勘右衛門にそれを見られていたようでクスリと笑われてしまった。それに恥ずかしさを覚えつつも、乱太郎はそれを誤魔化すように話を続ける。
「す、すみませんっ!…お忙しいのに教えてくださってありがとうございました!あとは自分でできるので…!」
これ以上先輩の貴重な時間を奪いたくなくて慌てて立ち上がって礼を述べる。すると、勘右衛門はちょっと驚いた表情を見せた後、すぐに微笑んで乱太郎を再び座らせた。そして、乱太郎の隣に座って肩にトンッと手を置いた。乱太郎よりも大きな勘右衛門の手からは体温が伝わり、心地よい温度が広がっていく。そして耳元でささやかれ、乱太郎は肩を跳ねさせた。
「…ここまで来たんだし、最後まで付き合ってあげる。」
「い、いいんですか……?」
「もちろん。俺だって乱太郎の力になりたいんだからさ。」
優しく語りかけるような口調と瞳に見つめられてドキッとする。そんなことを言われてしまっては断れないので、乱太郎は赤くなった顔を下に向けて小さく首を縦に振った。それを確認した勘右衛門はニコッと微笑むと、乱太郎の頭をポンポンと撫でてから再び勉強を教えてくれたのだった。
そうして、しばらく座学を続けていた二人だったが、その頃にはすでに日は沈みきっていて、辺りは完全に夜になっていた。廊下から見える外は真っ暗になっているし、虫の鳴き声も聞こえてこない。この分だと明日も寒そうだ。
「あちゃあ。もうこんな時間か。」
「えっ!?あ、本当ですね……。」
開けっ放しにしている戸から覗く夜空を見て愕然とする。集中していて気づかなかったが、いつの間にかこんな時間になっていたらしい。こんな時間まで付き合わせてしまったのかと思うと罪悪感が募ってくる。
しかし、当の本人は全く気にしていないようだった。むしろ、楽しそうな表情さえしている。そんな彼の姿に思わず見惚れていると、勘右衛門はこちらに近づいてくる。そしてそのまま額にキスされた。
「ッ!?」
突然の出来事に反応できずにいると、今度は頬にも口づけが落ちてきてビクリと肩を震わせる。何が起きたのか理解できないまま呆然としていると、勘右衛門はそんな乱太郎の様子を楽しんでいるかのように目を細めて微笑んだ。その笑顔は今まで見たことがないくらい妖艶なもので、背筋がぞくりとするような感覚に襲われる。
ドキドキとうるさい心臓の音が相手にも聞こえてしまいそうなほど激しく脈打っていて、それにつられて体温もどんどん上昇していくのがわかる。そんな乱太郎の心情など露知らずといった様子で目の前の男は耳元に口を寄せてくる。耳にかかる吐息にゾワリとした感触を覚えていると、勘右衛門は乱太郎の耳元に唇を寄せて甘く囁くように呟いた。
「ふふ。顔真っ赤だよ。」
「……っ!!」
あまりの恥ずかしさに両手で顔を覆う。なんで急にこんなことをするのだろうか。意味がわからなくて困惑してしまうが、勘右衛門はそれ以上何もしてこなかった。ただじっとこちらを見つめてくるだけだ。そんな視線に耐えられなくなって、何か話さなければと口を開くものの言葉が出てこない。すると、先に沈黙を破ったのは勘右衛門の方だった。
「ねぇ、乱太郎」
「は、はい……。」
「また、二人っきりで勉強会、しようね?」
乱太郎の顔をするりと撫でて去っていった勘右衛門に、乱太郎は返事をすることができずに顔を真っ赤にさせて立ち尽くすことしかできなかったのだった。
了
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