ユズリハ
2026-05-02 11:11:23
4140文字
Public
 

初夏、庭にて

夢カプ合同誌寄稿作品
縦書き印刷前提なので全然改行がないぞ!!気を付けろ!!

遠い空に入道雲が浮かんでいる。日差しは強い。しかし、ガーデンの片隅の林に落ちる影は濃く、夏の暑さを感じさせなかった。土の質が違うのか、生えている雑草も異国のもののようで、どこか清涼感のある香りが僅かに漂っている。林の中には小さな川が通っていた。
山鳥毛は感嘆と呆れを含んだ息を吐いた。時の政府が報酬として用意した庭の"作り込み"具合に、半ば呆れたのである。生やす草ぐらいは芝生でも十分だろうに。
「山鳥毛さん、どうかしましたか?」
山鳥毛の手を引いて歩いていたユズリハが立ち止まり、振り返る。
「いいや。……それにしても、よくできた庭だ」
「ですよね! 皆さんにも頑張っていただいて……
囀りのような声音に耳を傾けながら、共に林の中の開けた部分へと歩く。
白いワンピースを着たユズリハは、しかし躊躇うことなく雑草の茂みの上に座った。右手に持っていたタオルと水筒をかたわらに放り出し、左隣にハンカチを敷き、それを叩いて山鳥毛に向けて「どうぞ」と宣う。山鳥毛はユズリハの行動の唐突さに行き場をなくしたポケットチーフから手を離して苦笑し、ハンカチの上に座った。
「小鳥は、良いのか?」
「私の服は最悪鍋に漂白剤と一緒に突っ込んで煮込めば良いので……山鳥毛さんの服はそんなことできないでしょう」
手入れさえすれば元に戻るのだが、そして彼女もこういったことに資材を使うことに抵抗もないはずだが、相変わらず妙なところで丁重だ。
付き合い自体は長いものの、恋仲となって僅か一年とそこら。ユズリハは飼い主の手の上で平たくなる文鳥の如くのびのびとしているが——彼女の自称になぞらえるなら海を泳ぐジンベエザメと表した方が良いのだろうか——山鳥毛にとっては嬉しくも戸惑うことも多い。なにせ知らない面が次々と出てくるのだ。人間とはこういうものだと、御前は笑っていたが。
周囲を一瞥した後、山鳥毛はユズリハに視線を戻した。
「君はこのような庭の方が好みだろうか?」
「あなたがいるならどちらでも」
「そう、か」
山鳥毛が面食らうのはまさにこのような場面だ。あまりにもまっすぐで情熱的な言葉をかけられると、視線のやり場に迷いが生じる。そのたびにサングラスを直す癖は、小鳥から向けられる言葉や視線のせいであると既に自覚していた。そして、それを彼女だけのせいにするのは筋が通っていないであろうということも。
ユズリハがおもむろに立ち上がる。履いていたサンダルを片方ずつ脱ぎ、ころんとその場に置いた。見るからに薄く、日に焼けていない皮膚の上で革紐の痕が僅かに赤みを帯びていて、山鳥毛は一瞬、目を伏せた。
「小鳥、」
「どこにも行きませんよ。ほら、あの川」
川遊びしたことないんですよ、と、山鳥毛の気も知らずにほのぼのとユズリハが笑う。柔らかな革紐如きに擦れて赤くなるような皮膚で石を踏みつけても平気なものか、山鳥毛は考えた。……これでは小鳥がよく話しかけている鵜飼の太刀を笑えない。
……そうか、気を付けなさい。見ているから」
「はあい」
ぱしゃり、と白い足が水を踏んだ。飛沫がひだまりの光を受けながら飛ぶ。川は随分と浅いようで、水はユズリハの足首までしかなかった。「膝くらいの水位で人間は死にますよ」と言ったのは彼女であっただろうか。その言葉があまりにも衝撃的で、誰が言ったのかは最早鮮明に思い出せない。とにかく、こんなところで審神者に死なれては政府としてもたまったものではなかろう。そんなことを考えながら、爪先が波紋を立てたり、水を軽く跳ね上げたりするのを眺めていた。
目が木陰の暗さに慣れたのか、それとも日の傾き具合が変わったのだろうか。濃い緑の中、ユズリハの遊ぶ空間が明るく見えて、山鳥毛は目を細めた。白いワンピースを縁取る陽光が、光を強く照り返してゆらめく水が、サングラスのレンズの中で乱反射したように感じられた。
ユズリハの「川遊び」は、足を水に浸して波紋を作るだけで完結しているらしい。そのことに山鳥毛が気付いたのはしばらく経ってからのことだった。それ以上のことをまったくしようとしないのだ。とはいっても、この小さく浅い川ではそれぐらいしかできないのだろうが。
山鳥毛はおもむろに立ち上がり、草の上に敷いていたハンカチを畳んでポケットにしまった。外套を脱いで枝にかけ、屈んで靴と靴下を脱ぎ、スラックスの裾とシャツの袖を数度折って捲り上げる。これまでほとんどないことであった。そうして川に近寄る。
「小鳥」
山鳥毛の姿を見たユズリハが、ぽかんと口を開く。
「山鳥毛さんも川遊びですか?」
「君の姿を見ていると、年甲斐もなくやりたくなってだな……
「川遊びってそういうの関係あるんですか?」
知らんけど。そう言ってユズリハはころころと笑う。これは彼女のよく使う俗語で、実際に知っているかどうかは置いておいて責任を放棄する言葉であると聞いている。山鳥毛はこの言葉を、彼女なりの赦しと捉えていた。ユズリハは審神者である。この本丸の主にして、ただ一人の人間である。それを十分に自覚している彼女が責任を放り出すことは、このような場面以外ではまったく無い。『自分は知らないということにしておくから、好きに振る舞え』と、山鳥毛は受け取っていた。
「水はいいぞ」
似ていないが、祢々切丸の真似なのだろうか。唐突に厳かな声音でそう宣う彼女に笑いながら、山鳥毛は川に足を浸した。
ひやりとした水が素肌を撫でて流れていく。山鳥毛の当初の懸念とは裏腹に、川底の石は丸く平らで、石であるにも関わらずどこか柔らかいような印象さえ与えた。足を動かすと、緩やかな流れが乱れて波紋ができる。いくつか足元に波紋を立てた後、山鳥毛は隣に立つユズリハの顔を見た。
「存外面白いものだ」
「ふふ、ですよね」
涼やかな水の音を立てながら遊んでいたユズリハの顔に、それまでと違う質の笑みが浮かんだ。山鳥毛にとっては最早見慣れた、彼女が悪戯を思い付いた時の表情であった。
「えい」
気の抜けるような声と共に、山鳥毛の足首に飛沫がかかった。服を濡らさないように遠慮しつつも行われたじゃれつきに、思わず口角が持ち上がる。
「やったな?」
山鳥毛はざぶ、と波を立ててユズリハの方へ仕向けた。きゃあきゃあと声を上げて彼女がスカートの裾を膝まで持ち上げる。その足が山鳥毛に向かって水を小さく蹴り上げる。山鳥毛は歯を見せて笑った。屈んで、手で水を掬って彼女のすぐ手前を狙って放り込む。狙い通りにぱしゃりと跳ねた水が、ユズリハの足を濡らす。
互いの服を濡らさないように、という暗黙の協定のもとに続けられた応酬はしばらく続いた。微かな水の音と、男女の笑い声が時折木々の間に密やかに響いた。
先に岸の草を踏んだのは山鳥毛であった。
「小鳥、手を」
水を大雑把に払っただけで雫の残る手を、ユズリハは同じように濡れた手で握った。山鳥毛は彼女を引き上げるように腕を引く。
「タオル先に使ってください、山鳥毛さん」
その声に、山鳥毛は小さく息を吐いて首を横に振った。
「そういうわけにはいかないな。君が先に使いなさい」
……じゃあ、お先に」
頑なな声音に何かを感じ取ったのであろう彼女が、乾いた草の上に座ってタオルで足を拭った。山鳥毛も草の上に座り込み、ユズリハから——正確には、女人が身嗜みを整えている姿から——視線を逸らした。古臭い考えは自覚の上だが、軽々しく覗き込むべき光景ではないと考えたからである。スラックスのポケットにはユズリハから借り受けたハンカチが入っているが、彼女が明らかにその存在を忘れている以上、山鳥毛には草の上に敷くつもりも、ましてや己の足を拭うつもりもなかった。しばらくしてユズリハから声をかけられるまで、山鳥毛は彼女に意識を向けながら川の水面を見つめていた。
「どうぞ」
手渡されたタオルは半分に折り畳まれ、表面は乾いていた。恋人の気遣いと遠慮とを可愛らしく思いながら、山鳥毛も肌を拭い、衣服を整え始めた。
外套を羽織り襟元を正した頃、風に乗って微かにコーヒーの香りが漂う。振り向くと、ユズリハが水筒のコップに中身を注いでいるところだった。
「てっきり、水だろうと思っていたのだが」
「水出しコーヒーなんで、四捨五入して水です」
「何故そうなる?」
掠りもしていないが、彼女の中ではそういうことになったらしい。山鳥毛は差し出されたコップを苦笑して受け取った。上機嫌で水筒にそのまま口を付ける様子を見るに、コップへたっぷりと注がれたコーヒーこそが山鳥毛に分け与える分なのだろう。「自分は残りを飲もう」というような遠慮は毛頭ないようである。タオルの時と違って、今度こそ山鳥毛は心底安心してコップに口を付けた。
しみ通るような冷気が喉から胃までを冷やして身体中を通り抜ける。氷が贅沢に使われているのだろう、と山鳥毛は思った。今時は夏の氷なぞむしろ量産される物であると目で見て知ってはいるものの、古臭い感覚はどうにも抜けない。ふう、と鼻から息を吐けば果実の焦がれた芳香で頭蓋の中が満ちた。その感覚に、しばし目を瞑って浸る。
横から感じる気配に目を開けば、心底嬉しそうに緩められたユズリハの目に己が写っている。山鳥毛はサングラスを直す振りをした。
コーヒーを飲み干してからコップを返すと、ユズリハは水筒を片付け始めた。そろそろお開きのようだ。
小さな手から水筒を取り上げて立ち上がり、手を差し伸べると当然のように握り返される。彼女のささやかな甘えに、山鳥毛は目を細めた。この甘えは、山鳥毛がユズリハと恋仲となって以来、ずっと彼女を甘やかし尽くして初めて表れたものだ。だからこそ山鳥毛はその様子を殊更愛おしく思っていた。
来た時とは逆に、山鳥毛がユズリハの手を引いて歩く。振り返れば、傾いた日を背に彼女が無防備に笑っている。
日陰で薄暗かった林は夕日に照らされ、艶のある針葉樹の葉も、穏やかに流れる川も、すべてが黄金色に輝いていた。山鳥毛は息を吐いて、小さく笑った。やはり、時の政府が用意した庭の作り込み具合に呆れたのである。