二卵性
5653文字
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ボールルームの客席より

社交界ヌリ♀(先天性女体化)
フリーナ様視点寄り

正義の国フォンテーヌにおいて、もっとも注目されるべき人物。立てば視線を、歩けばスポットライトを、喋ってみれば喝采を浴びせられる――それが水神フォカロルス、市民からは親しみと憧憬を込めてフリーナと呼ばれる淑女である。
つまり、水神であるフリーナはどんな場所に於いても主役でなければならない。一番眩い光を浴び、一番多くの視線を集めるのだ。フォンテーヌ廷の名士たち、貴族たちが集うパーティーならなおさら、それはフリーナのために催されると言っても過言ではない。
実際、招待状を送ってくる主催者たちはまずフリーナが参加するかどうかで規模を決めるし、パーティー会場に準備するものだって大きく変わる。フリーナが喜ぶ趣向で、好む食事を供され、下にも置かない扱いを受けるのだ。彼らが水神に対して取る態度としてこの上なく適切であり、フリーナの地位にひとすじの翳りも与えない。それを確かめるためにも、フリーナはきらびやかな夜に足を踏み入れる。

だが、例外というのはいつでも存在するものだ。
その日の会場は浮足立った雰囲気だった。フリーナが参加するからでないことはすぐに察せられて、人々の視線の先を素早く探る。そこに立っていたのは見覚えのない人物だった。
一度見れば、忘れることはないだろう――水神にさえもそう思わせる人間は多くない。その点、彼女は明確に、その手の傑物と言えた。
短い黒髪から大ぶりのピアスがのぞく。彼女がつけているアクセサリーと言えばそれだけで、ピアスですらも宝石がついていないシンプルなものだった。けぶる黒いまつげの上にラメ入りのシャドーが刷かれ、やわらかく垂れるまなじりにはいとけない色気がある。そこに鋭さを足しているのは冴え冴えとした瞳の色に真っ赤なルージュ――そして、大胆に晒されたデコルテのものものしい傷痕だった。
なんとまあ!フリーナは訝しみ沈みかけていた気持ちを、すぐさま上方修正した。
「やあ、キミとこんなところで会えると思っていなかったよ。水の下の公爵?」
まるで、フリーナが話しかけるのを待っていたかのように、彼女の周りには誰もいなかった。どうせこの美女に慄いていたんだろうけど、と内心で肩を竦める。ヴァザーリ回廊育ちの紳士たちには、傷痕をアクセサリーにできるほどの女性に話しかける勇気すらないのだ、嘆かわしいことに。
そもそも、彼女の正体に気づいているかもわからない。一目見たことあるフリーナだって、最初は見知らぬ人物かと思ったくらいだ。
地位と名誉と見栄と金が三度の飯より大好きなフォンテーヌ人にしては大変珍しいことに、新しく公爵の称号を授けられたメロピデ要塞の管理者は、式典を辞退した。もっと派手にやれと文句をつけられることはあったにせよ、いらないと言われるのは前代未聞だろう。まあ、最近は伯爵位を蹴った人物がほかにもいたんだけど……、それは置いといて。
つまり、公爵リオセスリの素顔を知る人物というのはごく限られていた。式典をやらないと知るや否や興味を失い、証書の授与もすべてヌヴィレットに任せていたフリーナだってちらりと見ただけだ。短い黒髪、分厚いコートに神の目が下げられていて、背の高い人物だった。――女性にしては。
顔に残る傷や、メロピデ要塞の管理者という肩書きだけ見ると、新しい公爵の性別を勘違いするのは不思議ではない。フリーナだって普段舞台で異性装をする役者をよく見るから気づけたようなものだ。天性の勘のおかげにしてもいいのだけど。
「フリーナ様におかれましては、ご機嫌麗しく」
声は低く、よく響く。恭しく挨拶をした公爵――リオセスリは、半年前に貴族になったばかりとは思えないくらいに落ち着き払ってフリーナと対峙していた。作法だって洗練されている。いったい水の下のどこから湧いて来たのか、不思議なくらいだった。
「なにぶん、このような場にお招きいただいたのは初めてでね。無作法があればお許しいただきたい」
「ははっ、無作法なんて!キミはこの僕が認めた公爵だよ?そんな細かいことは気にしないし……、そうだね。謗る者がいるのなら、僕の前に連れてくるといい」
機嫌よくフリーナが言うと、あたりにざわめきが広がる。正確に言えば認めたのはフリーナではなくヌヴィレットなのだが、最終的にサインをしたのはフリーナであるので、嘘ではなかった。
「おっと、水神様のお墨付きをいただけるとは。公爵という地位も悪くはないものだ」
フリーナの手を取る芝居がかった仕草も、彼女がすると様になるだけだ。うーんもったいない、とフリーナは思わず考えた。これほどの人物なら、歌劇場で二番目に注目を集めることだってできるかもしれないのに!華も演技力も申し分ない。面白い共演相手にだってなってくれそうだ。
だが――フリーナがその考えを口にすることはできなかった。
「フリーナ殿」
げっ、と声が出なかったのは奇跡と言える。
この華やかできらびやか、浮世の粋を集めた場所で聞くべきではない声だ。だいたい、今話をしているのは水神フリーナと公爵リオセスリである。この二人の会話に割って入れる人物はこの世に一人くらいしかおらず、そしてそのたった一人が振り向いたフリーナの視線の先にいた。
「ぬ、ヌヴィレット……!いったい何の用だい?執務室の机の書類には全部目を通したからな!」
やり忘れた仕事でも持って追いかけてきたのだと思ってフリーナはそうまくしたてたが、よく見ればヌヴィレットはいつものお堅い法服姿ではなかった。かなり昔に、パーティーに参加しろと言って仕立てたテールコートを着ている。相応に古いデザインであるが、一周回ってクラシカルだし、威厳のある彼にはよく似合っている。
「何の話をしている?」
「え、いや……。もしかして、キミ、パーティーに参加しに来たのかい?」
「そうだが」
なんと。
ここ数十年――あるいはもっと――フリーナですらヌヴィレットがこういった、ただのパーティーに参加したのを見たことはなかった。外交関係のパーティーにすらほとんど参加しないというのに、いったいどういった風の吹き回しだろうか。フリーナは大きな瞳を瞬かせ、ヌヴィレットを見上げる。
だが、ヌヴィレットはもうフリーナを見ていなかった。
彼の龍の瞳は、もう一人の人物に向けられている。
「おや、ごきげんよう。ヌヴィレットさん」
親し気な呼びかけだが、彼女の声色はすこしよそよそしかった。フリーナはヌヴィレットが公爵位授与のためこれまでにないくらいの勢いで話を進め、ありていに言えば骨を折っていたのを知っているため、これはちょっと意外だった。彼らは普通以上の知り合いだと思っていたのだ。
だって見ず知らずの人間のために、ヌヴィレットがあそこまで苦労することがあるだろうか?彼は基本的に社会に対して冷淡なのだ。すべてを睥睨する最高審判官は、とある人物に大きな功績があったとして、書類上のものとしてしか見ないだろう。審判とメリュジーヌ関係以外の事柄に、自ら率先して動くことなんて、まずあり得ない。ついでに金で動くことも絶対にない。
なのでフリーナはこっそり、リオセスリはメリュジーヌの恩人か何かだったりするのかなとか考えていたのだが。
…………リオセスリ殿?」
ヌヴィレットは、リオセスリを見てひどく驚いた顔をしていた。まさか公爵が参加するのを知らなかったとか?と考えてみる。新しく爵位を得た話題の人物が社交界デビューするには遅いくらいであるけども。
リオセスリをじっと見つめたまま動かなくなったヌヴィレットに、紳士のマナーとして一言くらい褒めるなりなんなりしなよと肘でつつこうと思ったところで、ヌヴィレットは急にジャケットを脱いだ。その場の誰もがえっ、と声を出す暇もなく、リオセスリの肩にかけた。
いったい何が起きているのか。フリーナは固唾を呑んだ。リオセスリのほうも目を丸くしてヌヴィレットを見上げている。
……その恰好では冷えるのではないか」
減点!マイナス!ありえないよヌヴィレット!
フリーナは心の中で叫んだ。いろいろ言いたいことはあるが、とにかく、いったいどの立場でそれをやってるんだ、と突っ込みたくなる。
しかし、これをやっているのは最高審判官ヌヴィレットである。特定個人に対しこのような行動に出ることはありえないと五百年近い付き合いで断言できる朴念仁だ。それが、ちゃちな恋愛小説のような一シーンを繰り広げるなんて本当に現実?面白すぎるから見守っていよう。コンマ秒で結論を出したフリーナは、今ばかりは自分に当たっていないスポットライトの影に隠れることにした。

さて、公爵リオセスリもヌヴィレットの突然の行動には驚いたようだったが、取り乱すことは一切なかった。
「はは、そんなことはないさ。それより最高審判官さんがジャケットを脱いでいるほうが問題じゃないかい?」
彼女はあっけらかんと言い、ヌヴィレットにジャケットを返そうとしていることは明白だった。だがその手を押さえつけるように、ヌヴィレットのシルクの手袋に包まれた手のひらがリオセスリの肩に乗せられた。
「もとより長居するつもりはない」
「なにか用事があったんだろう?」
「君が参加すると聞いたのでな。だが、フリーナ殿と友誼を結んだのであれば、私の懸念は過ぎたものであったようだ」
フリーナも公爵を認める発言をしたが、ヌヴィレットもヌヴィレットだ。この物言いでは、公爵の後ろ盾がかの最高審判官そのひとであること宣言したようなものである。
あのヌヴィレットが……!フリーナは感激すべきか迷いながら、二人を見つめた。ヌヴィレットは文句なしの美丈夫ではあるが、ビスクドールのような線の細いご令嬢を横に置くには威圧感がありすぎる。その点、リオセスリはフォンテーヌ貴族にもてはやされる貴婦人像からはかけ離れているが、ヌヴィレットの隣に立つための貫禄は十分以上に備えているように思えた。何せ深海の要塞の女王だ。うーん、これだけで新しい劇を書けそうな配役だ。
もちろんフリーナは低俗なゴシップ誌のような軽率さなど欠片も持ち合わせていないので、二人が男女の仲だなんて勘ぐりはしない。そもそもヌヴィレットは性別とか気にするタイプではないし、公爵のこの対応も勘違いをしているようにはまったく思えない。ヌヴィレットがジャケットを肩にかけたのも本当に寒そうだったからという可能性がぜんぜんある。露出度の高いドレスは流行っていないため、見慣れておらず本心からこう言っているとか。
「とにかく……風邪などひかぬよう気をつけるべきだ。普段着ている服があるだろう」
女性のドレスにケチをつけるなどフォンテーヌの最高審判官であっても許されない行為だが、リオセスリはちっとも気にかけないそぶりで肩を竦める。
「パーティーに着ていくにはちょっとばかし格が足りなくないかい」
「では、仕立て屋を紹介しよう」
「最高審判官さん御用達?そりゃあいい、どこに着て行っても問題ない礼服を仕立ててもらおう」
「そうしたまえ。後日会ったときにでも話をしよう」
いつもと逆だ、とフリーナは思った。人に一線引いているヌヴィレットは今回は立ち入ろうとしていて、リオセスリのほうが一歩引いている。警戒してるというわけではないが、よそよそしさはリオセスリからしか感じられなかった。
ふーん。フリーナは口角を吊り上げる。いやはや、こんな面白い状況、どう転がっていくか見守るのも乙なものだ――けど、やっぱり手を突っ込んでかき回さずにはいられない!
「ヌヴィレット、まさかキミ、舞踏会に来てダンスの一つもせずに帰るつもりかい?」
ジャケットを肩にかけるような――一方的かもしれないが――仲の相手がいるのだ。誘え!と圧をかけて見上げるが、ヌヴィレットは眉の一つも動かさない。
「私は踊りに来たわけではない」
それは知ってるけど。
「だとしてもだよ?マナーというか、礼儀というか……とにかく、お約束というか!ここは一曲どうぞと手を差し出すべきシーンだ。いくらキミであろうとね!」
「わけのわからないことばかり言って、リオセスリ殿を困らせることのないように。では」
「あ、ちょっと、――おい!本当に帰るやつがいるか?!」
ピンと背筋を伸ばしたヌヴィレットの行き手を阻む者はもちろんおらず、さっさと姿を消してしまった。フリーナは肩を落としてリオセスリに向き直る。
「はーあ、まったく。いくら最高審判官と言ったって、あれはないよ。そうは思わないかい?」
「公平無私の最高審判官さんらしいんじゃないかい」
くすりと笑う美女はヌヴィレットの残したジャケットをするりと撫でた。こっちの彼女のほうはわかってやっているのだ。
「それに――俺も今夜は踊れそうにない。フリーナ様、どうぞお目こぼしを?」
蠱惑的であり、社交界を睥睨する不遜な捕食者の笑みでもある。フリーナは肩を竦めた。詫びの意味も込めてヌヴィレットの代わりに手を取ろうと思ったが、どうにも必要としていなさそうだし。
「ヌヴィレットの信頼に免じて、許してあげるよ!」
彼の信頼を裏切ったらどうなるかわからない――だが、フリーナだってヌヴィレットがそこまで愚かだとは思わない。メロピデ要塞の管理者であろうと、彼が信頼すると決めたのなら信頼に値する人物なのだろう。
この劇の監督は自分じゃない。だったら観客席に腰かけるだけだ。せいぜい行く先を面白おかしく見守らせてもらおうじゃないか!

すぐ翌日からフォンテーヌ社交界においては露出度の高いドレスが大流行し、ヌヴィレットにちらちらと視線が向けられたが、最高審判官が再度ジャケットを脱ぐことは一度たりともなかった。
そして流行を生み出した張本人は隙のない正装だんそうで登場し、謎の貴公子として再度話題をかっさらうのだが――それはまた別の話である。