しお
2026-05-02 00:56:36
6433文字
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インビジブル

久しぶりに盧笙の家を訪れたところ、なぜか盧笙に無視されてしまう簓の話。R-15くらい?

「たっだいま~!」
 合鍵を使って盧笙の家に入り、元気よく声を張り上げる。しかし、すぐさま飛んでくると思っていた「ただいまとちゃうやろ!」というツッコミが来ない。簓は首を傾げる。家の中には電気がついているし、玄関には盧笙の革靴がきちんと踵を揃えて置かれているから、盧笙は家の中にいるはずだ。
 しばし耳を澄ませてみる。水音は聞こえないから、入浴中でもないのだろう。何か手が離せない状態なのだろうか、と考えを巡らせながらリビングに踏み込む。
「あっ、なんや! 盧笙おるやん!」
 簓の探し人はリビングにいた。風呂はもう済ませたようで、髪を下ろして部屋着のスウェット姿で、メガネをかけてノートパソコンに向かっている。盧笙は、ちらりと簓の方を見上げたが、何も言わずにまた画面の方へと視線を戻した。
 あれ、と思い、簓は改めて盧笙の周囲を見てみる。パソコンの周りには二、三冊の赤本が広がっていて、仕事中のような雰囲気を出しているが、おそらく大したことはしていないのだと思う。
 教材研究の時、盧笙は必ず手元に紙とペンを用意する。自分の手で書きながら考えを整理するためだ。だが今は、それがない。開いている赤本のページに、ちらりと視線を走らせる。既にいくつかの書き込みがされているところを見ると、盧笙は過去にもうその問題について、一通りの検討は済ませているはずだ。仕事中、というポーズを取るために、ただそこに開いているだけだと思っていいだろう。
 それに、仕事の邪魔をされたくない時、盧笙ははっきりとそう言う。つまり、何も言わないということは話しかけてもいいのだろうと判断し、簓は声かけを続けた。
「そういやこないだ、メガネのレンズ、ブルーライトカットにしたとか言うてたなぁ。それで風呂上りやのにメガネかけてんの?」
……
 今度は、ちらりと見られることすらなかった。盧笙は完全に無視を決め込んでいる。カチッ、カチッとクリックする音ばかり発する盧笙に焦れて、簓はテーブルの上に手土産を乱暴に置き、盧笙のすぐ傍に腰を下ろした。盧笙の広い背中に、ひしっと抱きつく。
「なぁ、なんか言うてやぁ~。寂しいやん」
 情けない声を出しながら肩甲骨に頬ずりしても、盧笙からの反応はない。簓が頬を押し当てた肩甲骨が動いたが、パチパチとキーボードを叩く音がしただけだった。引き剥がすでも、邪魔だと文句を言うでもなく、無視。
 そろそろ盧笙の魂胆が見えてきた簓は、む、と唇を尖らせた。
 盧笙は、簓に怒っている。さっき一瞬だけ簓を見た時、眉間に皺がぎゅっと寄ったし、視線も鋭かったから間違いない。加えて、簓には盧笙を怒らせた心当たりがばっちりある。
 ここのところ仕事が詰まっていて、休憩も睡眠も移動中の細切れの時間のみ、という状態がしばらく続いていた。数日前、ようやく昼間の数時間が自由に使えることになって、簓は盧笙が仕事中だということは承知の上で、盧笙の家に上がりこんだ。恋しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ簓は、冷蔵庫から惣菜の残りとプリンを頂戴し、盧笙の布団を勝手に敷いてそこで仮眠させてもらった。使ったものはきちんと片付けてから出て行くつもりだったのだが、予定よりも寝すぎてしまったせいで、辛うじてゴミはゴミ箱に入れたが布団はそのまま、食器も洗わずに飛び出さざるを得なくなった。その夜、盧笙からとんでもないお叱りのメッセージが飛んできた。
 盧笙の怒りはまだ冷めていないだろうと予想していたが、まさかこんな態度に出られるとは思わなかった。お詫びとして盧笙の好みドンピシャのプリンも携えてきたというのに、取り出すタイミングがない。この件については簓も申し訳ないとは思っていて、きっかけをくれるなら誠心誠意ちゃんと謝るつもりでいるのに、最初のきっかけを与えてくれない。
「盧笙ぉ~……
 くたびれかけたスウェット生地に頬を押し当てながら、盧笙の名前を呼ぶ。やはり反応はない。盧笙の胴に両腕を回し、揺さぶろうと試みたが、盧笙は腹筋に力を入れて抵抗してきた。
「もしかして、俺のこと見えへんの……?」
 どうにかして盧笙の興味を引こうと、悲しげな声を作って背中に額を押しつけてみる。それでも盧笙は無反応のままだ。簓は途方に暮れかけたが、次の瞬間、たった今自分が口にした内容にハッとした。
 そのシチュエーション、エロない?
 思いついてしまうと、腕の中の身体がぽかぽかと温かいことに意識が集中した。簓が顔を上げると、そこには白いうなじがあって、息を吸い込むと嗅ぎ慣れたシャンプーの香りがする。本物の、実物の盧笙だ。
 たまらず、そこに口づける。ただ唇をぐっと押しつけただけなのに、盧笙の身体がわずかに震えた。簓の行動に盧笙が反応を示してくれたことに、嬉しくなる。
 これでやっと振り向いてくれるかと思ったが、相変わらずパソコンの画面をまっすぐに見つめたままだ。むむ、と簓は再び唇を尖らせる。反応した癖に、盧笙はまだ簓を無視し続けるつもりらしい。
 簓の反抗心に火が付く。そっちがその気なら、無視できないようにしてやればいい、とばかりに盧笙の首筋に吸いついた。ちゅ、と音を立てながら何度もうなじを吸い、スウェットの裾から手を滑り込ませる。さらりと撫でた肌は瑞々しく、指先に吸いつくように感じる。
「風呂上りの盧笙、触り心地ええなぁ……
 力が入ってわずかに固くなっている腹筋を撫でながら、簓はうっとりと呟く。それでも引き剥がされないのをいいことに、手をさらに奥へと突っ込み、盧笙の肌を上へと辿った。胸の膨らみに手のひらを添えて揉みこむと、その中心がぷくりと存在を主張し始めたので、指の先でそこをすりすりと撫でてやる。
……っ、」
 盧笙が小さく息を呑む。後ろから盧笙の表情を窺うと、軽く唇を噛んでいるのがわかった。それでも盧笙は頑なに、簓を振り返ろうとしない。
 まだ続けるか。憎らしい気持ちになる一方で、抵抗もされないことに簓は少し戸惑った。すぐに振り払われると思ったいたずらを、盧笙はなぜか黙って受け入れている。不思議に思ったが、ほのかに色づき始めた身体から手を離す気にはなれない。それならいっそのこと、もっと大胆になってやることにする。
 左手で撫でていた乳首を摘まみ、くにくにと弄りながら、腰に添えていた右手で腹を撫でて臍を探り当て、人差し指を突っ込んだ。
「っ! ふ、ぅ……っ」
 耐えるように盧笙が細い息を吐き出すが、手は止めてやらない。首筋を舐めると、盧笙の肩がぶるっと震えた。うなじ、首、耳、とバラバラの場所に何度も吸いつくと、その度に肩が跳ねる。その間もずっと、ぐりぐりと臍を抉り続ける指から逃れるかのように、盧笙の上半身が少しずつ前傾になっていく。腰がゆらゆらと揺れて、あぐらをかいている足がもぞもぞしている。
「痛っ!?」
 ガタン、と大きくテーブルが揺れると同時に盧笙が悲鳴を上げた。見れば、盧笙が強かに足をテーブルにぶつけたようだった。簓は伸びあがり、苦悶で険しくなる盧笙の顔に唇を寄せると、真っ赤に染まった盧笙の耳に向けて、ふぅーっと細く息を吹きかけた。
「あッ……!」
 電流でも走ったかのように盧笙の背中が震え、噛んで赤くなった唇から感じ入った声が漏れる。久しぶりに耳にする恋人の甘えた声に、簓は腰がずくんと疼くのを感じた。
 たまらず、簓は抱え込んだ身体を思い切り横に引き倒した。盧笙の上に乗り上げながら、邪魔なテーブルを足蹴にして向こうへと追いやる。テーブルの向こう側で、ビニール袋の擦れる音と、ごろん、と重い何かが転がり落ちる音がした。おそらく瓶詰めのプリンが落ちたのだと思うが、分厚い瓶の容器がテーブル程度の高さから落ちたところで割れるはずはないと高を括り、放っておくことにした。
「おい、テーブル……ッ」
 簓に組み敷かれた男が、不満げに何か言おうとするのを遮る。
「な、盧笙、選んで。このまま透明人間に犯されるのと、俺とエッチするのと、どっちがええ?」
 二択を突きつけると、盧笙は目を見開いた。返事を待たずにスウェットの裾をめくると、逞しい胸板の上で、真っ赤に膨らんだ乳首が現れた。簓が弄っていた方だけが充血しているのを見ると、手ずからこの身体を育てたのだという実感がじわじわと駆け上ってきて、くらくらした。今度は舌でかわいがってやるため、顔を寄せようとしたところで、頭上から呆れた声が降ってくる。
「なーにが透明人間や。俺にこんなことするやつなんか、一人しかおらんわ。なぁ、簓」
 簓は顔を上げた。数日振りに聞く、自分の名前を呼ぶ恋人の声は、思っていたよりも沁みた。うっかり涙が滲みそうになって、んなアホな、と自分自身にツッコむ。
 盧笙の方は、簓が泣きそうになっていることなど全く気付いていない様子で、ぶつぶつと独り言のような文句を垂れ始めた。
「ったく、こんなんされるとは思うてへんかったわ。あのな、俺は怒っとるんやぞ。わかってるか? え?」
「わかっとるよ。その節はすんませんでした」
 盧笙を押し倒した姿勢のまま、簓はカクリと小さく首を前後させて、頭を下げる仕草をした。盧笙は、ふん、と小さく鼻を鳴らす。
「ほんまにわかっとるんか? 何が悪かったんか、言うてみぃ」
「盧笙がおらんのわかってて勝手に家に上がりこんで、冷蔵庫の中のもん食って、盧笙の布団で寝て、片付けないで出て行きました。ごめんなさい」
……それだけか?」
 自ら罪を並べる簓を、盧笙は冷ややかな目で見る。盧笙の質問に簓が首を傾げてみせると、盧笙は聞こえよがしに溜息をついた。
「もう一個あるよな」
「えーっと、もう一個、とは……?」
「お前、俺の布団でマスかいたやろ。仮眠した時」
 簓の背中を、冷や汗が一筋流れていった。
「ギクーッ!」
「口で言うな」
 はあぁ、ともう一度深い溜息を吐き出す盧笙の顔を、簓はじっと見た。呆れてはいるが、嫌悪感はなさそうだ。そのことに少しだけ安堵する。
「ど、どうしてバレたんでしょうか……?」
「慌ててたから、換気とか気ぃ回らんかったんやろ。帰ってきて寝室開けたら、匂いが籠っとった。あと……、シーツに、お前のがちょっとついてた」
 簓は頭を抱えた。あまりにも身に覚えがある。
 最初は純粋に仮眠するつもりで盧笙の布団を借りた。しかし、布団の中に滑り込んでみると、盧笙の匂いに包まれたことで腹の底がむずむずしだした。どうにも発散しなければ寝つけそうになく、欲に突き動かされるまま簓は自身を慰めた。汚してしまわないよう十分に注意したつもりだったが、疲労と熱でぼやけた頭では不十分だったようだ。
「仕事から帰って早々に窓開けて換気して、シーツ洗濯する羽目になった俺の身になってみろっちゅうねん」
……それは、その、ほんまに……すまん」
 簓は肩を落とし、がっくりと項垂れた。自分の短絡的な欲望のせいで、食器の片付けどころではない手間を盧笙にかけさせていたことにショックを受ける。
「まぁ、ちゃんと悪いと思っとるなら、ええけど」
 そう言って盧笙は表情を緩めた。どうやら、許してもらえたようだ。かなり怒っているように見えたのに、案外あっさりと許されたことに少し拍子抜けを感じつつ、簓はこの勢いに乗ってみることにした。
「すまんついでに、もう一個すまんことがあるんやけど」
「何や。もしかして、まだ何か隠しとるんか?」
「そういうんとちゃう。このまま、続きさせてくれへん?」
 言葉だけは疑問形にしつつ、簓は言うが早いか盧笙の胸に吸いついた。
「あっ! おま、簓……ッ!」
 盧笙の手が、簓の頭を押しのけようとする。しかし、赤く熟れた尖りを音を立てて吸い上げると、すぐに盧笙の手から力が抜けた。舌の面を乳首に当てて押し潰すようにすると、盧笙の指が簓の髪に絡みついてくる。
「はッ、ま、待て……っ!」
「嫌」
「そこ、で、喋るな、ぁっ……
 拒絶を無視して盧笙の胸に軽く歯を立てる。組み敷いた身体がガクガクと震え、盧笙の口からは甘ったるい喘ぎが零れ始める。もう片方も指先で探り当て、そちらも手で可愛がってやれば盧笙の痙攣がさらに強くなった。それなのに盧笙は、ろくに力の入らない手をずっと簓の頭に添えて、時折軽く押しやろうとし続けている。なかなか押しきれないことに焦れた簓は一度、盧笙の胸から顔を離して上体を起こした。上から盧笙の顔を覗き込むと、水分が増えて輪郭のぼやけた盧笙の瞳が、それでもしっかり簓を見つめ返してくる。
「ええやん、させてぇや。ちょっと触るだけやから、準備してへんのに無理に挿れさせろとは言わへんから、なぁ、盧笙」
 簓は、縋りつくように盧笙の腹と胸のあたりを撫でる。刺激に息を詰めた盧笙の足の間を見ると、反応しかけている。こんなになっているのだから許してくれてもいいのに、と思いながら簓がそこへ手を伸ばそうとすると、盧笙にその手を払われた。恨みがましい目で簓は盧笙を見下ろす。ぎゅっと再び眉間に皺を寄せた盧笙は、スウェットの腰の辺りを手でごそごそやっている。脱がされないようにという抵抗だろうか。
「何であかんの? ……へぶッ!?」
 口を尖らせて不平を言いかけた簓の顔面に、何か平たいものがぶつかる。あまり痛みはないが、驚いて思わず目を瞑ってしまう。目を閉じたまま頬を撫で、そこに何も張り付いていないことを確認してから、簓はおそるおそる目を開ける。
 眼下には、手を中途半端な高さで止めたままの盧笙がいて、盧笙の脇腹の近くに見慣れたパッケージが落ちている。ついさっきまではなかったものだ。出どころは、すぐに見つかった。盧笙のスウェットのポケットがひっくり返って外に飛び出している。さっきごそごそしていたのは、ポケットに入れていたコンドームを取り出そうとしていたのだろう。
「これ、用意しとったん?」
 コンドームを拾い上げながら尋ねると、盧笙が頷く。盧笙は頬の赤みを一段階濃くしつつ、付け加えた。
「準備も、してあるから……
「ほんまに!?」
 簓の声に喜色が溢れる。連なったコンドームのパッケージを広げ、簓は満面の笑みを浮かべて盧笙を振り返った。
「三個もある! こんなにしてええの!?」
「アホ、一個は俺のや! ここ汚したら、大物洗わなあかんくなるやろ!」
 盧笙は自分の身体の下にあるラグをさらりと撫でる。シーツを汚してしまったことをついさっき怒られたばかりの簓は、そう言われてしまうと逆らえない。せやな、と頷く。
「ほな、もう一個は?」
「それは……予備や。破れたりするかもしれへんし」
「予備かぁ」
 簓の頬はいよいよ緩む。このまま蕩けて流れ落ちるのではないかと、簓本人が少し心配になるほど、だらしない顔を晒している自覚がある。こんなに都合のいいことがあって、いいのだろうか。
「何でこんなに準備してくれとるん? 盧笙、怒ってたはずやのに」
 浮かれながら尋ねると、盧笙がむっとしたように口を尖らせた。
「俺の身になれって言うたやろ。しばらく会えてへんのに、帰ってきたらお前の匂いだけ残ってて、当の本人がおらんっちゅうのは結構効いたわ」
 盧笙が下から腕を伸ばし、簓の首にするりと巻きつける。簓の頭を抱え込むように胸元に抱き寄せ、盧笙が囁いた。
「会いたかった、簓」
 押しつけられた盧笙の胸から、心臓の鼓動が響いてくる。少し早いリズムを頬で受け止めながら、簓は思い切り息を吸い込んだ。布団に残っていたのよりもずっと濃い、盧笙の匂いを肺に流し込む。布団の中で恋しく思い出していた、温かく熱の通った盧笙の身体が、簓にぴたりと寄り添っている。
 両腕を伸ばしてぎゅっと抱きついた。
「俺もや、盧笙」