2026-05-01 14:42:38
3801文字
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君の寂しさを埋めるのは/全鈴

Sugar Richエンド後初めて春を迎える二人の小話です。
全鈴が同じ未来を見て生きているところが凄く良いなあと思います。

 四月も後半に差しかかり、年度初めの慌ただしさも落ち着きを見せ始めた一週間もようやく終わりを迎えた、金曜日の夜。
 定時は少し過ぎてしまったけれど、今日のうちにこなすべき仕事を何とか終えた私は、久しぶりにL&Lを訪れていた。
 同じく仕事終わりの全と一緒に夕ご飯を食べ、その後は全の部屋にお邪魔する。
 L&Lで貰ってきたコーヒーを飲みながら、私たちは話に花を咲かせていた。――というのも、年度末からお互いに繁忙期に入ってしまい、二人きりで過ごすのは実に数週間ぶりのことで。
 電話やメッセージでこまめに連絡は取り合っていたけれど、全と顔を合わせた途端、話したいことが湯水のように湧き出てきて、画面越しのやり取りでは全然足りなかったことを思い知らされる。
 お互いの近況に、面白かった出来事や仕事でのアレコレなど。会話のペースも丁度良く――私に合わせて全が上手にコントロールしてくれているのだろう――、全とならいつまででも話せそうな気がして自然と頬が緩んだ。
(久しぶりに沢山全と話せて嬉しいな。だってこうして二人きりで過ごすのって、ええと……ほぼ一か月ぶり!?)
 最後にデートした日を思い返して、私は心の中で驚きの声を上げてしまう。
 こんなに期間が空いたのは、全と付き合い始めてから初めてのことかもしれない。
 全も私も繁忙期に突入して以来ずっと仕事に追われていたから、今日まで時間を作れなかった。こればかりは仕方のないことだときちんと割り切れている、はずなのだけれど。
(でも、今回はちょっと堪えたんだよね……
 これまでも「全が忙しい時期だから」と、連絡を控えたことは何度かあった。その時は平気でいられたはずなのに、どうして今回はだめだったのだろう。
 無意識のうちに思索に耽りそうになったその時、気がそぞろになっていた私を咎めるように全のスマホが震えてはっと我に返る。
「あー……、泉から電話だ。今日美鈴に会うから連絡してくるなって言ったのに」
 顔をしかめ、あからさまに不満を訴える全が可愛くて、つい笑みが漏れた。
「大事な用かもしれないでしょ。私のことはいいから、電話出てよ」
「わりー、すぐ戻る」
 スマホを片手に部屋を出て行く全を、手を振って見送った後、私は再び答えを探す。
 就職して初めて迎えた年度末だったから、忙し過ぎて心の余裕がなくなっていたのか。
 それとも――いつの間にか、全を好きな気持ちが両手では抱えきれないほどに膨らんでいたのか。傍にいないと寂しいって、思ってしまうほどに。
 ひとりで部屋にいるときや、仕事の合間にひと息吐くとき。ふとした瞬間に、全に会いたくなってしまう。
 衝動のまま、『会いたい』とメッセージを送りそうになったことも一度や二度ではない。けれど、私よりもずっと忙しいに違いない全の負担になりたくはないという思いが、すんでのところで私の手を止めてくれた。
(私、こんなに寂しがり屋なはずじゃなかったんだけどな……
 ソファの背もたれに寄りかかれば、視界いっぱいに天井のライトが映る。落ち着いた間接照明の光を浴びても当然正解が見つかるはずもなく、「うーん」と思わず唸るような声が唇から零れた。
 この先、今回みたいな場面は絶対に増えるだろう。その度に耐えがたい寂しさを覚え、いつか――全の前で取り繕えなくなるほどになってしまったらきっと、私は自分自身を許せなくなる。
 どうすれば、また以前のように戻れるのだろう。考えても考えても答えは見つからなくて、心に浮かぶのは全の顔だけ。
 正直言って、もう手詰まりだった。それでも必死に頭を悩ませていると、ドアの開く音が耳朶を叩く。
 いつの間にか寄っていた眉間のしわを元に戻しつつ肩越しに振り向くと、靴を脱いでいる全と視線がぶつかった。
「ただいまー」
「おかえりー。泉さん何だって?」
 急を要するような連絡だったなら、家に帰ろう。そう心に決めて尋ねれば、全は歯を見せて嬉しそうに笑った。
「仕事の連絡だったけど、急ぎじゃねーから週明けでいーってさ」
「良かったね」
「な。これで安心して美鈴と過ごせるわ~」
 明らかにテンションが上向いた全が、声を弾ませて私の隣に腰を下ろす。
 その瞬間、ふわりと鼻腔をくすぐったのは――全が愛用している香水の香りだった。
 少し重ための甘さの中にスパイシーさが混ざり合っているような、一言で言い表すのが難しい複雑なそれは、全にとてもよく似合っている。
(全の香り、落ち着くな……
 香水のことはあまり詳しくないけれど、全がまとう香りは好きだし、ほっとする。
 肩の力が抜けて、思わず全の肩にもたれかかったその時、ひらめきが頭の中に浮かんだ。
……ねえ、全って香水何使ってるの?」
 思い立ったら、何とやら。
 全に寄りかかったまま、顔だけを彼のほうに向けて問いかける。
「いきなりどーした? 美鈴って香水好きだっけ?」
「ええと……
 脈絡もなく話を振られたせいか、全が意外そうな面持ちで私に視線を送る。
 言われてみれば、これまで全の前で香水の話題を出したことはなかった気がする。そうなると、この話の振り方はちょっと唐突だったかもしれない。
 どう言葉にすれば、意図が正しく伝わるだろう。あごに手を添え、しばし考えを巡らせる。
――そう! 全の香りって安心するから、会えない時に使えたらなー……なんて……
 思案したくせに、結局唇から零れ落ちたのはありのままの本心だった。
 勢いよく話し始めたものの、次第にとんでもないことを口にしている自覚が芽生えてきて、どんどん声が萎んでいく。居た堪れなさのあまり、思わず俯いてしまった。
(いや、流石に今のはないよね……!?)
 冷静になればなるほど、先程の発言のまずさに頭を抱えたくなる。誰が聞いても余程重いか、性癖がアレな感じに捉える台詞だろう。
 おまけに、いつもならば間髪入れずにツッコミを入れてきそうな全が無反応なのも、より恐怖を煽る。
 だけど、この何とも言えない気まずい空気の中にもいたくない。様子を窺うようにおずおずと顔を上げると――何故か、全が目を見開いてぴしりと固まっていた。

    ◆ ◇ ◆ ◇

……は?)
 オレの肩に頭を預けたままの美鈴が、何の前触れもなく落とした爆弾発言に思考がフリーズする。
(え……美鈴今、オレの香りが安心するって言った?)
 思わず幻聴を疑ってしまうような可愛すぎる台詞を、愛しの恋人が口にしたという事実を咄嗟に受け止めきれず、オレは言葉を失う。
 働き過ぎたせいで見た都合の良い夢だろうかと、一瞬本気で思った。でも、気恥ずかしそうに眉を下げる美鈴の表情に「これは現実だ」と頭が理解したら、今度は理性の箍が外れそうになる。
…………なあ美鈴、オレのこと試してる?」
 このまま押し倒してしまいかねない、そんな衝動的な本能を必死に頭の中から追いやって、やっとのことで返した一言は、想像以上に切羽詰まった声色をしていた。
 図らずも余裕のなさを露呈してしまい、やらかしたなという気持ちに襲われる。
 胸のうちの焦燥に気づかれないことを祈りながら、オレは美鈴の返事をじっと待った。
「そんなつもりはない、けど」
 美鈴にしては珍しく歯切れが悪い物言いに、そして――不意に翳りが差した双眸に、彼女の真意が浮かび上がる。
 美鈴の肩に腕を回し、そっと抱き寄せる。顔を傾け、彼女の視線に自分のそれを重ねてから、オレは一拍置いて話を切り出す。
――美鈴さ、オレに会えなくて寂しかった?」
 導き出した推論をストレートに言葉に乗せれば、美鈴は力なく頷いて、「……うん」と消え入りそうな声で呟いた。
「だから全の香水使えば、会えない日々が続いても、少しは気が紛れるかなって思ったんだ」
 健気なのか、不器用なのか。――あるいは、その両方か。
 やっと本音を打ち明けてくれた美鈴にますます愛おしさが募り、込み上げてくる想いのまま、こつんと互いの額を合わせた。触れたところからじわりとぬくもりがなじんで、胸が温かくなる。
「なー美鈴、寂しくなったら遠慮なく連絡しろよ。あんたが呼んでくれれば、いつでも飛んでく」
「でも、私は全に無理させたくないよ」
 思いやり深いオレの彼女は、自分の寂しさを呑み込んででも恋人を大事にしようとする。
 彼女のそーいうところも愛してるけど、今は余計なことは何も考えず、ただオレに大切にされて欲しかった。
 美鈴の寂しさを埋めるのは、香りじゃなくてオレがいい。
「全然無理じゃねーって。美鈴に会えばオレは癒されるんだから」 
「わかってないよな~」と敢えてふざけた口調で言いながら、美鈴の唇にキスを落とす。
 触れるだけのそれを解いて、鼻先がくっ付きそうな距離で見つめ合えば、「そっか」と笑み混じりの声を漏らして、美鈴が頬を綻ばせた。
 彼女の故郷の空に浮かぶ太陽を思わせる眩しい笑顔に目を細めた瞬間、不意に頭の中にひらめきが浮かぶ。
(もう少しお互いの仕事が落ち着いたら、一緒に暮らすのもいーかもな)
 ――そーすれば、寂しくなんてなくなるっしょ。
 最高に幸せな未来計画を密かに思い描きつつ、オレは最愛の恋人に口付けを贈った。