酒場でいちゃつく2

おくとらぜろ/フェ主♂
フェ主♂成立未満のとある夜。わたしの「いちゃつく」判定ががばがばであることがわかります。兄弟分ものとして読めなくもないと思うんですが、筆者が明確にフェ主を意識して書いてますのでフェ主としてあげさせていただきます。

 *
 
「一番奥の席しばらく貸して」
 弟分が酒場へやってきてそう言ったのは、飯時を少し過ぎた夜のことだった。
 紫のコートを着て小脇に本を抱えた姿は、まあ、サマになっている。喋らなければ物腰穏やかな学者……いや、学徒に見えるだろう。フェンの弟分、ソリはその日そんな格好で酒場にやって来た。
「いいぜ、空いてるし。好きなとこ座りな」
「ありがとな。飲み物はあったかいやつがいいな」
「ブドウジュースをミルクで割るか?」
「何それ飲んだことねえ。じゃ、それで」
 夕食のピークタイムは過ぎていて、このあとは酒飲みの時間だ。ちょうどその間の時間で、店内は落ち着いていた。 フェンはソリが最奥の角にある小さな丸テーブルを選んで座ったのを見てから、とりあえずつまみの川豆と水を出してやった。
 小皿をテーブルの隅に置き、ソリが手元に広げた本をちらりと見る。食事に来る時には、持ってこない物だった。
「飯はいらねえのか?」
「うん。今日は食ってきた。でも川豆は嬉しいや。ありがと」
「もう少し持ってくるか?」
「ああ、じゃ、それも追加で」
 弟分が答えながらにかっと笑ってこちらを見上げる。それも一瞬のことで、彼はすぐに本に視線を戻してしまった。会話が途切れる。自分はここの店主なんだから、客として来てる弟分に塩炒りの川豆とブドウミルクを持ってくればいいだけのことだ。が、ソリがこんなにも学者らしい雰囲気を出しているのは初めてのことで、気になる。それに、本を読むのはいいが、ここは酒場だ。他人の声がうるさかったりしないのだろうか。
「本読むのか?」
 それで、フェンはついに尋ねた。厚い本の表紙を開いたソリが顔を上げ、頷く。
「ああ。混みそうだったら出るから、それまで席貸して欲しいんだ」
「まあ、このあとはそこまで混まないと思うが……いつも通りだと、今からおっさんたちが酒飲みにくるぜ? うるさくなっちまうだろ」
「それくらいがいいらしいんだ。少しくらい周りの音がある方が静かすぎるより集中できるんだと」
「ってことは、誰かに聞いて試しにきたのか?」
 そこでソリは耳の端を指先で掻き、照れ笑いをした。受け売りの手法だったことがちょっと恥ずかしかったようだ。
「アレクシア。図書館より喫茶店がいいって言ってた」
「ほー、ま、そういうことなら好きにやってくれ。注文も取りにこねえから、なんかあったら呼んでくれよ」
「助かるぜ。ありがとな」
 そういうわけで、フェンはその後ソリに話しかけず酒場の仕事に集中した。つまみと飲み物を出しに行ったときに何度目かの礼を言われた程度で、会話はしなかった。
 酒飲みたちが来てからは、ソリを気にするより自分の手の方が忙しくなり、時間が経つのを忘れていた。あっという間に三時間が過ぎ、店から他の客がいなくなる。そのころになってようやくソリの席を見る余裕ができた。
 店が騒がしい間、まるで居ないみたいに静かだったが、弟分はちゃんと勉強しているんだろうか。居眠りしてんじゃねえか? そんな気持ちで目を向ける。
……へえ」
 フェンは思わず感嘆を漏らした。弟分はきちんと椅子に座って目を開き、本を食い入るように見ていたからだ。ぶ厚い本のページもだいぶ進んでいる。本当にずっと読んでいるらしい。
 その真剣な顔つきに、ぐっと引き込まれる。でかくなっても子どもっぽさを感じさせる仕草や態度が弟分の可愛いところだ、と思っていたけれど、今のソリは一人の大人の男としてかっこいいな、と思うのだ。
 自警団の仕事とか、狩猟の知識とか、人付き合いとか、教えてやったことはたくさんある。でも、ソリだってもう大人だ。逆に教えられることもきっとこれからたくさんあるんだろうな。
 そう思うとくすぐったい。嬉しくもあるし、気恥ずかしくもあるし、それでも兄貴分でいたい。フェンは集中し切っているソリの姿に目を細め、その気持ちを息と一緒に飲み込んだ。
 さて、もう閉店だ。けれども、せっかく本に打ち込めているソリを追い出すのも忍びない。どうやら他の客がいなくなったことにも気づいていないようだし、もうしばらくほっといてみるか。
 フェンは店の戸に閉店の札をかけ、カーテンを閉じた。明日用の食材の仕込みも軽く済ませておく。最後に調理器具を片付け、自分の今日の仕事も終了。あとは帰って寝るだけだ。
 フェンの住まいは酒場にほぼ併設で、この建物の裏手にある。部屋と酒場は繋がっていないが、歩くなんていう程の距離でもない。宿泊用の寝台が空いていればそこで寝てしまうこともある。
 酒場の宿泊スペースは本当に簡易的なもので、寝台が少しの間隔をあけて並べてあるだけだ。どうしても泊まる場所がない旅人くらいしか利用しない。今夜も誰も泊まっていないし、ここで寝ることになってもいいか。
 というのも、仕事を終えても弟分の様子はちっとも変わらなかったからだ。いくら集中しているからといって、便所にも行かず三時間以上もよく続けられるものだ。
 いや、もしかして途中立ったかもしれないな。酒飲みたちを相手にしていた二回目のピークタイム中は、あまり見ていなかった。
 よく見ればテーブルの上の川豆の皿も水のグラスも空っぽだし、そうなると陶器のカップに入れたブドウミルクももう無いだろう。水を足しにいってやろうかな。けど、邪魔にもなりたくない。
 フェンは腕組みをし、しばし悩んだ。悩んだあと、片付けた水差しを出して水を入れ、カウンターに置く。弟分の手元の本はもう残りのページが少ないようだった。読み終わったらきっと、自分で欲しいと言ってくる。それまでは近づかないでおいてやろう。
 それから、エプロンを外してカウンターの椅子にかけ、厨房の戸棚からレシピ集を一冊出した。ごく普通の家庭料理を集めたレシピ集だが、旅に狩りに酒場に、毎日忙しくてほとんど読めていないものだった。
 カウンター席に座り、本を開く。奥の席から、書物の紙をめくる小さな音が聞こえる。それがなぜだか耳に心地よかった。静かすぎず、人の気配がする空間。そのほうが集中できるというのは本当のようだ。
 フェンはソリを真似て読書を始めた。時の流れが遅くなったかのように、ゆっくり、とっぷり、二人だけの無言のひと時でフロアが満たされていく。
 
 *
 
「ほーん、なるほど。おもしれえな」
 ソリは本の最後のページをめくり、次がないことに目をまたたいて書物を閉じた。
 アレクシアに借りた、古代文明についての初歩的な考察の本だった。なぜ借りることになったかというと、彼女の論文がわからない事を正直に伝えたからだ。
 アレクシアは自身の論説についてソリと話したかったようだが、その前提である論文がわからないのだ。話のしようがない。この論文はソリが彼女と出会った頃に渡されたもので、その時にも少しばかり目を通したが登場する単語や地名がほぼわからず何も頭に入ってこなかった。
 と、いうことをきちんと話したところ、アレクシアはこの本を紹介してくれた。古代と呼ばれる時代がいつのことで、人々がどんな暮らしをしていたかということを様々な遺跡や遺物をもとに考察している。
 つまり、アレクシアの論文を理解する第一歩ということだ。彼女は街の発展や将来に興味があるなら決して無駄にならないと言ってソリにこの本を貸した。本の内容は確かに面白かった。いちいち現代のオルステラと比べたくなってしまうような、遠いようで近い異世界みたいな話。
 せっかくだし近いうちにアレクシアの論文を読み直してみようかな。そう思えるほど、頭の中に古代がイメージできる。読んだかいがあった。
「っと……あれ? 何時だ……?」
 急に喉の渇きを感じ、陶器のカップに手をつけ、そこでハッとした。中身はとっくに入っていない。自分で飲んでしまったからだ。カップの底に液体が乾いた跡が見える。飲み終えてからそこそこ放置しないとこうはならない。それであたりを見回し、静まり返った酒場にやっと気がついた。
 どう見ても酒場は閉店している。いくら本読んでただけとはいえ、やっちまったな。ソリは椅子から腰を浮かせてすぐ、カウンターに兄貴分がいるのを見つけた。ほれみろ、兄貴分は世話焼きだから、こんな遅くなっても付き合って待っててくれてるじゃねえか。
「フェンさ……
 悪いことしちまったな。そう思って兄貴分に声をかけようとし、すぐに口を閉じる。兄貴分の背は丸まっていた。頭はカウンターにつきそうなくらい傾いていて、片方の肩側に寄っ掛かり気味。白いシャツの広い背で、長い三つ編みが斜めになっていた。
 つまり、寝てる。
……
 ちら、と壁掛け時計を見る。もう夜十二時を回る。そりゃ、酒場やって一日が終われば寝るよな。そういう時間だ。
 ソリは兄貴分に声をかけるのをやめ、足音を忍ばせそろりと近づいた。
「んー……
 逞しい腕と金色の癖毛頭の下には、何かの本があった。すっかり兄貴分の下敷きになっていて、何の本かはわからない。でも、どうやら、仕事を終えたあと自分に付き合って読書をしていたには違いない。
 さらに用心深く、傾いた頭の顔側にまわり、髪に埋れている顔を窺う。
「ぉぉ……
 そこでソリは思わず感嘆を漏らしてしまった。ゆるく閉じられ力の抜けた瞼。薄く開いて健やかな寝息を立てる唇。端正で男らしい顔つきな兄貴分のそういう緩んだ顔を、ソリは初めて見たのだった。
 かわいいかも。
 兄貴分はいつもかっこよかった。顔が整ってるというのもあるけれど、話し方とか立ち振る舞いとか、何よりその正義感がかっこいいと思っていた。
 ところがいまはそういうのがふわりと解けて、無防備に居眠り。眠った顔は少しばかりあどけなくて、実年齢より若干下に見える。
 こんなフェンさんもいいな、そう感じるのだ。何だか自分だけがこういう姿を見るのを許されているみたいで、ちょっとだけ胸の内側が熱くなる。起こして飲食代を払って一緒に店を出るべきなのだが、もう少しこのまま寝こけているフェンを見ていたい。
 ソリは息を潜め、そっと片手を動かした。眠る兄貴分の横髪に、風が撫でるくらいの力加減で触れる。それでも十分あたたかい。あたたかい、人の温度を感じる。
「髪、思ったよりかてえな……
 横髪から三つ編みの結び目を伝い、いろんな方向に跳ねた毛先を指でつまむ。自分の毛質とは違う。硬くて太めの髪だ。もしかしてこういう髪のほうが三つ編みしやすいのかも。
 兄貴分の髪から手を放し、首の後ろの自分の髪を捩る。細めで真っ直ぐでさらさら。てっぺんで一つに縛るのがソリにできるアレンジの精一杯な、癖のつきにくい毛だ。
 でも、いつか横髪のひと房くらいは三つ編みにしてみたい。
 そんなことを考え、ソリは髪から手を放した。今考えるべきは、すっかり寝入っている兄貴分をどうするか、だ。
 顎に手をやり、静かな酒場を見回す。片付けが済んで空っぽの席。ついたままの燭台。水差しが置かれたカウンターと、寝ている兄貴分。それから……
「あっ……
 壁で仕切られた向こう側に宿泊スペース。そこを見てソリは名案を思いついた。
 足音を響かせないよう、つま先とかかとを意識してゆっくり歩き、宿泊スペースを覗く。誰もいない。唇の端が勝手に上がってしまう。
 ソリは手近な寝台から毛布を引き抜き、両腕に抱えて兄貴分のそばに戻った。
「へっへへ、たまには世話させてくれよな」
 小声で独り言を漏らし、毛布を抱えたままカウンターに並んだ椅子を一台兄貴分のそばに寄せる。そこに自分も座った。兄貴分がまだぐっすり眠っているのを、顔を覗き込んで確認し、毛布を広げる。片方を兄貴分の肩に、もう片方を自分の肩にかけた。毛布が重みで落ちないよう、ほとんど頭からかぶるみたいにして。
 そうすると、いい感じに暗く、いい感じに暖かかった。自分もカウンターにべったり腕をつけて頭をらくにし、兄貴分の寝顔を拝む。
 おれも寝ちゃう。
 それが、ソリの出した答えであった。
 瞼の裏に兄貴分の緩い寝顔を刻み込み、目を閉じる。息遣いが聞こえているのがなんとも心地良くて、ここが硬い椅子の上なんてこともさっぱり忘れ、ソリはいつの間にか眠りに落ちていた。