碑硫竜紀
2026-05-01 09:29:29
1123文字
Public R1999:donriveryaoi
 

雪ウサギ

イヴァンゴール #donriveryaoi

 冬の戦場は寒かった。息は白く、支給のコートの隙間から入る風は一瞬で体温を奪う。しかしその隙間を塞ぐことは許されない。
 緩やかなカーブを描いた一面真っ白な雪原の丘に、今にも折れそうな枝のみで立つ木と逞しく葉を付ける木がときどき見える程度だ。スコープを覗く間は引き金にかけた指以外は動かさない。冷える一方の身体が悲鳴を上げるか、このライフルを下ろす命令が下るか、どちらが先かの我慢比べだ。
 やめ、の命令が下る。戦場からあがる煙はところどころで、血の跡が白い雪原に花が咲くように散っていた。吐き気はとっくに湧かなくなっていた。
 雪原を歩き、一人、己の手で頭を射抜いた死体を見下ろす。軍服は味方のもの。だがこいつは軍の裏切り者だ。
 ヴラス。内側に忍んでいた写真に名前があった。ヴラス。家族がいて、愛犬がいたらしい。穏やかで幸せそうな時間がそこにあった。
 じくじくと心臓が痛む。痛んだところから血が流れ、そのどす黒く粘ついた血が身体の内側を侵食するような気分だ。心臓から胃の腑、腸もすべて、朝に飲んだ味の薄いスープを掻き消してその血がたっぷりと満たしていくような不快感。
 吐き気が込み上げてきたところで、味方がやってきて、その死体を持っていった。
 ウサギを撃つように、人を、味方を撃つ仕事。配属されたときはこんなことになるとは思わなかった。今日で味方を撃ったのは五人目だ。五人。私は無辜とまでは言わないが、普通は狙わないはずの味方を殺した。五人もだ。
 込み上げる吐き気を抑えるように空を見上げた。戦が終わると至って普通の昼下がりだ。薄雲が青い空に膜を張っている。その少しくすんだ青は見覚えのある色だった。
 元気にしているだろうか。この戦場にいる部隊にはいないはずだ。それを確認して毎日ホッとした。
 この部隊に配属されてから、ときどき過る。スコープの先にもしイヴァンが現れたら。私は冷徹に、無感情に、この引き金を引けるだろうか。
 あいつの部隊が同じ戦場に出ないことを強く願っている。むしろ隣にいてほしい。そうすれば最悪の想定は起こり得ない。
 思い出すのはこの青空のようにどのか呑気で、しかし快活でもあり、見ていて安心する、あいつの姿。瞳。青空。
 頭のなかで結びつく像が、はっきりとイヴァンの形を捉えだす。久しぶりに会いたい。こんなに長く離れたのはこれが初めてだった。
 その願いは聞き入れられないほうがいいのだろう。
 ふうと吐いた息は白く小さな結晶となって一瞬空を白くしたあと、消えた。
 吐き気は無くなっていたが、口の中はいまだに血の味がする。
 遠くから呼ぶ声に振り返る。足元の小さな血の跡を避けて私は足を踏み出した。