二卵性
8323文字
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十二分の一のまじない

小さくなった公爵に情緒が乱れるヌヴィレットさん(ヌヴィリオ)(付き合ってはない)
幼児化/旅人と看護師長とメリュジーヌのみなさん

ぽたぽたと天井から水が落ち、暗く湿った洞窟に音が響く。その中でもヌヴィレットの足取りは軽かった。愛する眷属たちが弾むように先導しているから、というのもある。
「ヌヴィレットさま、今日は珍しいお客さんがきてるんだよ!」
「あっ、わたしが言おうと思ったのに!」
「ヌヴィレット様もびっくりするよ」
ロマリタイムフラワーが花開くようなささめき声に、ヌヴィレットはゆっくり瞬いた。
いま向かっている、メリュジーヌたちが生まれ住まうメリュシー村には、ほとんど人の訪れはない。そもそも隠されるように存在する場所であるし、人間たちが住まうには向いている環境とも言えなかった。なのでヌヴィレットが思い浮かべたのは、村の外で暮らすメリュジーヌたちだ。
「ふむ。シグウィンが来ているのだろうか?」
珍しい客と言えるかはわからないが、ヌヴィレットが答えてみると、「あ!」といたいけな声が上がる。
「ヌヴィレット様には言ってなかったっけ?」
「内緒にしてたかも~」
「シグウィンお姉ちゃんも来てるんだけど、えっと、珍しいお客さんはシグウィンお姉ちゃんじゃないの」
そう言っている間に視界が開け、小さな――ヌヴィレットにとってはだが――家たちが見えてくる。フォンテーヌ廷でよく見られる規律のある家屋のデザインとは違い、自然にあるものを使ったうつくしい曲線を描く光景は、ヌヴィレットに遠い日を思い出させる。まだ彼女たちの誰も存在しなかったころだ。
ただ、そのころにはなかった賑やかさがある。
そして、遠い場所からの異邦人が目立つ金髪を携えて振り向いた。
「えっ、ヌヴィレット!?」
声を上げたのはその隣でふわふわ浮かぶパイモンのほうだったが、どうやら互いにとってのサプライズだったらしい。珍しい客が旅人とパイモンだったことに納得し、ヌヴィレットは一歩近づいた。
「ごきげんよう。ここで君たちに会えるとは」
「あ、あはは……
……?」
どうにも様子がおかしい。ヌヴィレットは目を眇めた。こういう空気を持つ人間を、ヌヴィレットは――最高審判官はよく知っているからだ。
旅人もパイモンも善良な存在である。だが、善良な存在がいつだって罪を犯さず生きていけるかというと、そうではないのだ。
「君たち――
場合によっては再度エピクレシス歌劇場でまみえる必要がある。フォンテーヌにおいて――あるいはヌヴィレットの前では――法はどこまでも平等で、フォンテーヌの危機を救った恩人相手であっても最高審判官の判断が鈍ることはない。
と、杖を握った手が地面を打つ前に、もう一人の弾んだ声が割って入った。
「ヌヴィレットさん!」
「シグウィン、と……
家屋の一つから出てきた彼女は、見覚えのない子どもと手をつないでいた。子どもだ、メリュジーヌではなく。こんなところに子どもが?と疑問を抱き、そして必然的に気がつく。
「君たちがこの子どもを?」
旅人に尋ねると、「子どもというか……」と言い淀まれる。ヌヴィレットが沈黙で続きを促すと、やがて観念したのか肩を落として白状した。
「小さくなっちゃった、リオセスリなんだけど」
……
その言葉の意味を噛み砕こうとして、失敗する。ヌヴィレットは瞳孔を開いて、金髪の旅人を見据えた。歴戦の戦士であるから龍の威圧的なまなざしだけで怖気付くことはないが、まずい事態であると認識はしているらしい。
「説明させてもらってもいいでしょうか……
「そうしたまえ」
見たら認めてしまう気がして、子どもから目を逸らす。ひとまず説明を聞かなければ、頭の中の法典から該当する罪を探し出すことも難しそうだった。

旅人の説明は簡潔だった。
フォンテーヌをぶらついていたらリオセスリに出会い、折角なのでと秘境探索に誘ったところ快諾された。そんなわけで訪れた秘境には地脈の異常があり、その影響でリオセスリが子どもの姿になった上に気を失ってしまった。彼との雑談でシグウィンがメリュシー村を訪れていることを聞いていたので、慌てて連れてきた――
「公爵の体に異常はないのよ。ただ小さくなっちゃっただけ」
シグウィンはあっけらかんと言うが、小さくなっちゃっただけというのが大きな異常だろう。
「それとこういうのは長く続くものじゃないの。今回は一緒に行ったのが旅人だから、強く効果が出ちゃったのかしらね。それでもあと数時間で元に戻ると思うのよ」
「しかし……中に入った相手を無力化するにしても手の込んだ仕掛けだ。君は平気だったのかね」
気軽に訪れるべき秘境ではない。ヌヴィレットが尋ねると、旅人は眉を下げて答えた。
「若返る系は、あんまり影響ないんだ。ヌヴィレットもそうだと思うけど。だからたぶん、シグウィンの言った通り全部リオセスリのほうに行っちゃったというか」
「なるほど」
旅人の素性については詳しく聞いたことはないが、ヌヴィレットはひとまず飲み込んだ。問題は、影響が出たほうの人物だからだ。
ヌヴィレットは、ようやくその子どもに視線を向けた。
短い黒髪はふわふわといつもより柔らかそうに揺れている。けれどぴょんと跳ねた部分は変わらないので、あれは生まれつきのくせ毛なのかもしれない。血色のいい頬はまろい曲線を描き、凛々しい眉も無防備に垂れ下がっている。何より、氷霜の瞳に鋭さがなかった。きらりと光る瞳孔に見覚えはあるのに、純真な光をたたえて物珍しそうにあたりを見回している。
……これが、リオセスリ殿の幼体だと」
「い、言い方」
信じられない気持ちと、面影が残っていると判断する理性がある。たとえば、子どものころの写真だと見せられた姿であれば納得できただろうが、残念ながら彼はヌヴィレットの目の前に立っていた。
「えっと、あの……
ぎゅっとシグウィンの手を握り、彼女の陰に隠れるように身を縮こまらせている。ぽってりとした唇から転がり出る声に聞き覚えはない。あの審判で己の行いをすべてつまびらかにした少年の彼のそれよりも高く、ざらつきもなかった。
そもそも年の頃も随分と幼い。ヌヴィレットは子どもに詳しくないが、生まれて数年といったところだろうか。
「公爵様、目が覚めたんだ!」
「痛いところはない?」
「ちっちゃいねえ」
黙って成り行きを見守っていたメリュジーヌたちが、彼の不安を察したかのように声をかける。普段はメリュジーヌたちに囲まれても頭一つどころか体一つぶんは抜けているリオセスリだが、今はほとんど目線が同じなようだった。胸元にも腕にも顔にすらもぺたぺたと容赦なくステッカーを貼られている。
「あ、えっ?」
「まあ、よかったわね公爵、いっぱいステッカーをもらって」
……?うん」
「ウチからもあげちゃうのよ」
「ありがと……?」
「ちゃんとお礼が言えるのね~」
頭を撫でられた子どもは、戸惑ったように視線をさまよわせ、それから小さく笑った。いとけない笑みだ、彼が絶対に見せない類の。
……ヌヴィレット、大丈夫?」
旅人に声を掛けられ、ヌヴィレットは自分が呼吸を止めていたことに気がついた。大丈夫かどうかで言われると――もちろん、水の龍王が大丈夫でないときなど存在しえない。特に今はフォンテーヌの危機でもなんでもない。
しかし、大丈夫だ、と即答することができなかった。
形容しがたい感情が己のうちに渦巻いている。それを言葉にするすべを知らず、ヌヴィレットはこぶしを握り締めた。きわめてゆっくりと息を吐く。
……数時間で元に戻るということであれば、混乱を招くことはないだろう。リオセスリ殿ももともと水の上に出かけていたようであるし、君の誘いに乗ったということは本日のスケジュールに余裕があったと考えられる」
「う、うん」
「あと数時間か」
彼は麻酔で意識を失うのも厭うような男だ。弱体化した状態で過ごすのは本意ではないだろう。もちろんこのメリュシー村に彼が危惧するような危険が訪れることはあり得ないし、よく管理されているメロピデ要塞がすぐさま手の付けられない状態になることも考えられない。
だが、何かあったとき、対処できる人物がすぐそばにいたほうがいいだろう。
そしてヌヴィレットも本日の予定は、メリュシー村で過ごすことだけである。
「旅人」
被告人に罪状を突き付けるような厳粛さを以て、ヌヴィレットは口を開いた。
「は、はい」
「リオセスリ殿はフォンテーヌの公爵の地位を与えられている。この意味がわからない君ではないだろう」
……はい」
「君に悪意があったとは思えない。リオセスリ殿も君の責任を問うことはないだろう」
もし問うのなら、もちろんヌヴィレットは審判席に就くが。
「しかし……
ヌヴィレットは低く、唸るように呟いた。黒髪の子どもを見据えたまま。
「回避できる困難は回避すべきだ」
「おっしゃる通りです……
旅人の横でパイモンが「おっかないぞ……」と震えていたが、だからと言って容赦をすべきだとは思わない。フォンテーヌの最高審判官は公平無私で有名だ。
ヌヴィレットが再度口を開こうとしたところで、ばちりと目が合った。天頂の青の瞳と。
メリュジーヌの一人になにやら耳打ちされたと思しき子どもは、目を輝かせてヌヴィレットを見上げていた。頬が紅潮しており、熱があるのではないかと思う。
「ヌヴィレットさま!」
ところで。
ヌヴィレットはフォンテーヌにおいては唯一無二の最高審判官でもある。
年端のいかない子どもでも、その存在を知っている。まあ、彼らの認識としては「とてもえらいひと」くらいかもしれないが――生まれて数年のすがたをしているリオセスリがヌヴィレットという人物を認知していてもおかしくないのだ。
ヌヴィレットは口をつぐんだ。自分が彼を知るより前に、彼が自分を知っていたという事実を胸の内に沈める。それに恥じない日々を過ごしていたと思い出して、ゆったりと応えた。
「何かね、リオセスリ殿」
「り……せぅり、のの……?」
普段はそう違わない目線の高さが、今は見下ろさなくてはならない。子どもも懸命にヌヴィレットを見上げており、ヌヴィレットが近づけば近づくほど後ろに重心がかかり転んでしまいそうな危うさがあった。シグウィンがさりげなく肩に手を添えているので大丈夫だと思うが。
「君の名前だ」
「おれのあたらしいなまえ?」
「そういうことになる」
……ヌヴィレットさまがつけたの?」
「いや」
「ふうん。いいづらいね」
忌憚のない意見にヌヴィレットは否定も肯定もしなかった。そうしていると、年長者のセレーネが手を挙げる。
「ヌヴィレット様、公爵様のお家はどこにしますか?」
するとほかのメリュジーヌたちも口々にはしゃぎ始めた。
「うちの隣がいいよ!」
「ずるーい!わたしも公爵様のお隣がいいなあ」
「ちゃんとお世話するから、うちにしようよ。ね、ヌヴィレット様」
「うちにはパーツがいっぱいあるよ!公爵様も気にいると思う」
「まあまあ、みんな、落ち着いて。犬とか猫を拾ったわけじゃないのよ」
シグウィンが宥める。どうやら彼女たちはリオセスリがすぐに元に戻るという話を聞いていなかったらしい――いや、聞いていてなお一緒に暮らしたがっているのかもしれないが。
ここまで盛り上がってしまったのだ、どう伝えても落胆させてしまう気がする。ヌヴィレットがどのように説明するか迷っていると、小さな手がヌヴィレットのコートの端を掴んだ。
「おれ、メリュジーヌのおねえちゃんたちとくらすの?」
「うむ。そうするといい」
反射的に答えたヌヴィレットに、「いや駄目でしょ」と横から突っ込みが入るが、もはや耳に入っていない。この光景を守ること以上に、優先すべき事項があるだろうか?いや、ない。
「彼女たちと暮らせば君も心穏やかでいられるだろう。私も君が毎夜、夢なき眠りに落ちるまで見守っていよう……
口にするととてもいい考えのように思える。ヌヴィレットはしゃがんでみて、シグウィンがしたように柔らかい黒髪を撫でた。子どもの頭は手のひらにすっぽりと収まるくらいに小さく、手も足も細い。まさしく庇護が必要な幼体だ。眷属と同じように扱うのに何の不思議もない。
頬に貼られたステッカーが髪を巻き込んでしまっていることに気づき、グローブを外した手で肌を傷めないよう慎重に剥がしてやる。爪の先に触れるふっくらとした滑らかな肌に、まだ傷の一つもついていないのだから。
そうして剥がしたステッカーを子どもに渡すと、ぱちぱちと瞬きをした彼はすっかり近くなった距離で目を細めて笑った。
「ヌヴィレットさま、どうぞ」
デフォルメされたサメのイラストが描かれたステッカーが、ヌヴィレットの胸元に貼られる。ステッカーを貼ったメリュジーヌたちの真似だとすると、親愛の表現なのだろうか?
この幼く無垢な生命体に親愛を示されていると思うだけで、大きな波のような衝動に突き動かされそうになる。
「うむ……
やはりその情動を表現するすべが見当たらず、ヌヴィレットは口ごもったが、すぐにシグウィンが彼を誉めていたことを思い出して「ありがとう。とてもうれしく思う」と礼を言った。長く生きているものは、このような幼いものの規範となるべきである。
「ちょっと、ヌヴィレット……
両腕で小さな体を囲い込みながらそんなやり取りをしていると、上から旅人の戸惑ったような声が降ってくる。
「リオセスリはすぐ戻るんだよ?」
「ああ。そうだったな」
だとしても、目の前にいる彼はまだ幼い姿である。子どもも旅人を見上げて、そして隣にフワフワ浮かぶパイモンを見て、今気がついたとばかりに目を輝かせた。
「とんでる!」
「えっ」
「おれもとびたい!どうやるの?」
「ど、どうって……
旅人とパイモンが目を合わせて、困ったように眉を下げた。
「オイラは飛べるけど、リオセスリは飛べないだろ。無理だぞ」
「なんで?」
「無理なものは無理だからだ!」
飛んでいる鳥を見て飛びたいと言うようなものだから、パイモンの言うことは間違いではないだろう。ただし、子どもというのは物分かりがいいとは限らない。
「ずるい!」
「ず、ずるいって……。おいヌヴィレット、なんか言ってくれよ」
普段は遠慮のない物言いをするパイモンだ。普通の子ども相手であればもっと言い返したのかもしれないが、相手は小さくなったとはいえリオセスリである。メロピデ要塞で過ごしたことのある囚人らしく、公爵を畏れるそぶりを見せるパイモンは強くは出られないらしい。助けを求められたヌヴィレットは、こほん、と咳払いをして子どもを覗き込んだ。
「リオセスリ殿」
「うん?」
「少しばかり君を抱き上げさせてもらってもいいだろうか」
……?」
こてんと首を傾げられ、ヌヴィレットも同じ方向に首を傾げてみる。伝わっていないらしい。
「ヌヴィレットが抱っこしたいって」
「だっこ?いいよ」
ヌヴィレットがうまい言い方を思いつく前に旅人が通訳してくれたので、ようやく了承を得られる。腕を広げて警戒心なく見上げてくる子どもに、誰にもそうやって抱き上げさせるのだろうか、幼体は傷つけられることなく誰をも信頼できた方がずっといい世の中ではあるのだが……。と小さく葛藤しながら、ヌヴィレットは軽くて小さくてやわらかい体を抱えて立ち上がった。
「たかい!」
「それはよかった。ちなみに私も飛べるのだが」
「えっ!」
「飛んでみよう」
ヌヴィレットはそのまますっと浮かび上がった。洞窟の中なのでそう高くは飛べないが、パイモンよりは高度が上である。おー、という歓声が、見守っていた旅人とパイモン、そしてメリュジーヌたちから上がる。
「ヌヴィレットさまって……
「うむ」
「さいきょうなの?」
「その通りだ」
水の龍王であるから、飛ぶなんて造作もないことだし、当然最強である。目を輝かせる子どもに、ヌヴィレットは重々しく頷いた。
「おれもとべるようになりたい!」
リオセスリはウィンガレット号という空飛ぶ船を作っている。それは予言の洪水対策であり、決して私欲のためではないはずだが、飛ぶという行為へのあこがれも少なからずあったのかもしれない。そもそもがマシナリーやギミックへの関心が強い男でもある。
「君に権能を分け与えることは可能だが……
「けんの?で、とべる?」
「そうだ」
「ほしい!」
ニコニコと、なんの衒いもない笑顔を向けられる。欲しいと望めば与えられると信じている顔だ。
彼を真綿に包んで育てれば、成体になってもこの表情を見せてくれたのだろうか。冷たい路地裏も、暗い水底も、さすらわずにすんだのだろうか。
この子どもの魂が彼のものであると感じられる。しかし感情に共鳴したとき、こんなにまっさらなことは一度たりともなかった。
望むがままに、分け与えてやりたい。
だが、有り得なかった過去を夢見る罪を清算しなくてはならない。ヌヴィレットはゆっくりと息を吐き、さざめく水面を均した。この幼子を、傷のない魂を、そのかたちのまま見つめることができない。
「君が、」
罪を負って、罪を償って、ヌヴィレットの前に再度現れた彼が。
「望むのなら……
ヌヴィレットはそれ以上言葉を続けることができなかった。
腕の中の重さがぐんと増したからだ。
「っうわ!?」
たいした重さではないが、重心が変わったので慌てて抱えなおす。そして腕の中の男――リオセスリも、普段では考えられない無遠慮さでヌヴィレットの頭を抱きしめていた。
……なんだかやわらかいものが頭に触れている気がする。
「ぬっ、ヌヴィレットさん、とりあえず降りてくれ!」
高くやわらかな子どもの声ではなく、低い男の声が鼓膜を震わせる。ヌヴィレットが顔を上げると、胸筋越しのリオセスリと目が合った。
「戻ったのか。早かったな」
「その、迷惑をかけたと思ってるが……、ヌヴィレットさん?下ろしちゃくれないか?」
「今の君も飛びたいと思うか?」
……何の話だい」
「私の権能を君に与えることができるが」
「今じゃなきゃダメか?その話……
足元でざわめく気配がする。「ヌヴィレットさん!公爵!」とシグウィンやメリュジーヌたちに呼び掛けられると、さすがに無視をするわけにはいかなかった。
ヌヴィレットはリオセスリを抱き寄せ、静かに地面に着陸した。腕を緩めた瞬間にリオセスリに野生動物のような俊敏さで距離を取られる。
「公爵!痛いところはない?気分は?」
「あ、ああ。問題ないさ」
「戻ってよかった~!」
「本当にごめんね、リオセスリ……
シグウィンたちに囲まれるリオセスリを少し離れたところから眺めるはめになったヌヴィレットは、手持ち無沙汰に腕の中を見下ろした。リオセスリを抱え上げた感触を反芻してみる。
――もう一度、抱き上げることはできるだろうか?
シグウィンの簡単な診察を終え、問題はないというリオセスリを見やる。だが、彼はヌヴィレットと視線を合わせるどころか顔を合わせることもしなかった。
「看護師長、休暇の邪魔をしてしまってすまない。ヌヴィレットさんも……
「いいのよ、大ごとにならなくてよかった!」
「じゅうぶん大ごとだった気がするけどな……
はは、とパイモンが乾いた声で笑う。その通りだとヌヴィレットも思ったが、リオセスリは作った笑みを浮かべて「じゃあ俺たちはこれで」と旅人とパイモンと一緒に立ち去ってしまった。あまりに素早く自然な撤退に声をかけそびれてしまい、ヌヴィレットはぽかんと立ち尽くした。
「公爵様、帰っちゃったねー」
「いっしょに暮さないのかしら?」
「ざんねん……
メリュジーヌたちからも落胆の声が上がる。彼女たちにとって一緒に暮らすかどうかに、大きさは関係ないらしかった。
「今、彼に避けられただろうか?」
ヌヴィレットも思わずこぼすと、シグウィンにぽんと腕を叩かれる。
「公爵も照れくさいのよ。ちいちゃな姿を見られちゃったんだもの。次に会うときはきっといつも通りなのよ!」
「そうだといいのだが……
仕方のないことだ、彼から直接助力を求められたわけでもない。自分がそうしたくて差し出したものに見返りを求めるのは慎みのない行為だ。
ヌヴィレットはそう自分に言い聞かせて、シグウィンと一緒にメリュジーヌたちを慰めることにした。しかし結局、いちばん慰められたのがヌヴィレットだったことは言うまでもないことだった。