脇腹に逆袈裟斬りを食らった傷から血が滴っているのを感じる。
□□□
本丸で教育を担う鶴丸は部隊長の光忠と共に低練度の仲間と出陣していた。政府の想定どおりの敵数であれば問題ない育成計画のはずだった。
しかし、どういうことなのか、倒しても倒しても遡行軍の数が減らない。減らないどころかより強い戦力が投入される始末だ。
このような多勢に無勢の状況で、四人の低練度の部隊員を光忠と二人で守るには限界がある。
四人のうち二人が戦闘不能、ほかの二人が重傷を負ったところで、鶴丸は四人を連れて無理にでも本丸に帰還するように光忠に言った。
刀剣男士は基本的に指示を仰がなければ帰還することができない
――現状なぜか連絡がつかない
――が、部隊長だけは緊急で強制帰還装置を一度だけ作動させられる権限を持っているから。
「『俺はいい』って、鶴さんは」
「しんがりを引き受けるぜ。囮として奴らを引きつける。そのあいだにきみが四人を連れて帰還するんだ」
「いや、でも、」
「いいから行け! この子らを帰すのはきみにしかできない、光坊」
平時より少し強い語気で言ったこちらの言葉に光忠は、ぐっと黙って頷いて、担いでいた動けなくなっている仲間を担ぎなおした。
遡行軍のにおいが強くなってきている。近づかれているのだろう。行け、と鶴丸は光忠の腹を軽く拳で殴って、踵を返した。遡行軍を引きつけるために。
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そうやって遡行軍を引きつけてから、けっこうな時間が経った。ひどく出血する傷を負った鶴丸は一旦、山に身を潜めている。夜明けまではまだ猶予があるから、もうしばらくこうして隠れていられるはず。
単純な実力だけで言えばこちらが上だ、と鶴丸は思う。
修行に出たのはすでにずいぶんと過去のことだし、練度としても本丸の上位に入る。だが、独りで多数の遡行軍を相手にするのは明らかに分が悪い。
そのせいで致命傷とまではいかないものの、かなり深手を負ってしまっている。いや、この出血量だ、このままいけば致命傷となりかねない。
しかし、自分の状態はともかく、時間を稼ぐことはできたはずだった。部隊は光忠に率いられて帰還できているはずだ。それだけは安心できると言えるだろう。
木の幹を支えにするように片膝をついていた鶴丸は、立ち上がろうとして目眩に襲われ、また体勢を少し低くした。傷の痛みについては、あるにはあるものの無視していられる。ただ、出血量が多く、血圧が下がってきているのかもしれなかった。寒い。
あたりには濃厚に遡行軍の気配が漂っていた。この山はすでに囲まれている。すぐに攻め込んで来ないのは、立ち込める新月の夜闇のために攻めあぐねているというあたりだろう。きっと、少しでも日が昇れば状況はすぐに変わるに違いない。
己の帰還は少々難しいかもな、と鶴丸は思った。諦めているわけでも絶望しているわけではなく、ただ冷静なだけだ。客観的に見て状況はあまりに不利だった。現状でも数の差があるというのに、遡行軍はまだ増える可能性すらあるのだから。
だが、これは己が望んだこと。そういう行き詰まりの状況でも致し方ない。日が昇るまでにはもう少しこの傷の出血が止まっているだろうから、鶴丸は攻め込まれるところを迎撃するつもりだった。形勢は不利だ。しかし、どうせ帰還が難しいのなら、派手に相打ちして散ってやろうではないか。
ぐら、とまた視界が揺れた。血圧がまた下がっている。遠くで。鶴さん! という声が聞こえた。
「はは、どうやら幻聴が聞こえているらしい。窮まってるな」
鶴丸が自嘲の呟きをこぼしていたら、不意に肩が何者かの手に掴まれて強く揺さぶられた。
「鶴さん!」
予想していなかった接触に鶴丸は反射的に刀を抜いて振り返って、切先を気配の方に突きつけた。夜にきらめく刃先に身を反らして、攻撃の意図はないと両手を軽く挙げて見せたのは、驚くべきことに光忠だった。
「な、っ、
……光坊、?!」
想定外の相手だったことに力が抜けた鶴丸は緩慢に刀を納めた。今の一瞬で素早く動いたせいだろう、傷口からまた血が流れはじめているのを感じる。
「何をしているんだ、きみは、いやなぜここにいるんだ、いやちょっと待て、なんでまだ帰還していないんだ?」
驚くままに畳み掛けるように問うてしまった鶴丸に、光忠は少し困ったように笑った。
「大丈夫、部隊は全員帰還させたよ」
光忠は端的にそう言って続けた。
「幸い僕の見た目は闇に紛れるからね、遡行軍の包囲をどうにかすり抜けて来たんだ。さすがにここで一人で斬り込むわけにもいかないから」
そう言う光忠の姿を頭から足元まで鶴丸は眺めた。太刀である自分たちが夜戦に出ることは少ないので気づいていなかったが、確かに光忠は装束はほとんど黒だから、夜に紛れられている。先ほど鶴丸が彼だとすぐに気づかなかったのも、よく見えなかったせいだ。
「鶴さんは白いから見つけやすくて助かったよ」
こんな状況でありながらそんな軽口を言う光忠に鶴丸は肩をすくめた。
「呆れたな、俺がしんがりを引き受けるからきみも帰還するように言ったはずだ」
「うん。でも、僕は部隊長だから、誰一人として置いていくわけにはいかないんだよ。危険を冒してもね」
きっぱりと言い切る光忠は一切の反論を受けつける気がなさそうだった。やれやれと鶴丸は首を振る。
「はは
……、こういうときの光坊が頑固なことはよく知っている、が
――、置いていかないと言うにはあまりに不利だぜ、状況は」
「それはそうみたいだね。でも、それでも鶴さんは諦めていなかったんじゃないかな。ううん、少なくとも僕は諦めないし、遡行軍を迎え撃つよ、この局面を切り抜けてみせる」
光忠の眼光がすっと鋭くなって、彼は口を一文字に引き結んだ。普段は柔和な様子の彼がこうして硬質な表情を浮かべているのはかなり迫力がある。戦局を理解したうえで、それを撃破するのだという覚悟が見えた。
おそらく光忠が狙っているのは遡行軍の殲滅で、それは相打ちして散ろうとしていた鶴丸よりもよほど強い覚悟かもしれない。あるいは往生際が悪いというか、無謀というか。しかし、同時にとても果敢な。
「そりゃ頼もしい。きみが言うと本当にいけそうな気がしてくるぜ」
鶴丸は光忠の右の手首を掴んで、その手のひらを腹の傷口に押し当てた。
「なら、ちょっと止血を手伝ってくれ、光坊。この血が止まったら山を下りるぞ」
光忠は鶴丸に傷があることに気がついていなかった
――こちらがあまりに平然としていたのかもしれない
――らしく、出血量を見て少し息を飲んでいる。そして、彼のほうからも傷にしっかりと手のひらを押し当ててくれた。
しばらくのあいだ、光忠の手のひらが傷を塞ぐ。彼の手は革の手袋越しだというのに体温が感じられた。そのぬくもりで引いていた血の気が戻ってくるような気がした。寒さがおさまっていく。痛みもどうもマシになったように感じられる。まるで麻酔のようだ。
「はは、きみの手はこういうときでもあたたかいな、光坊」
「あなたの血のほうがずっと熱いよ」
光忠は重い声音で言う。しばらくそうやって手当てをされて、光忠の手袋を熱く濡らしていた血はやがて勢いがなくなり、傷は黒っぽい色に鈍った。
「ようやく止まったみたいだな。よし、なら行くか、光坊」
「うん。鶴さん、相手は多勢だ。策はある?」
「あぁ。
……光坊、向かい風をいなすのに一番いいやり方を知ってるかい」
唐突な鶴丸の問いに光忠は困惑して、少し考えた。
「
……、いや、知らない、かも」
「単純なやり方さ、正面から相対して受け止めるんだ」
「本当に?」
「いや、今考えた。だが、分かるな? この局面、真っ向から突っ込む。突っ込んだあとは、目の前に来た奴らをひたすら斬るだけさ」
鶴丸は不敵に笑った。刀としての本能が沸いているのを感じる。冷えていた血流が好戦的な熱を帯びる。
そうだ、戦いにもっとも必要なのは、冷静さではない。
目の前の敵をひたすら斬りつづける火のような戦意。それだけ。
多量の出血のせいで危うく火が弱まりかけていた。光忠からも熱をもらって、鶴丸の中のその火は再び燃えている。
「正直、形勢は悪い。向かい風でしかないが、それを正面からいなしてやろう」
少し埃っぽい風が吹きつけて、鶴丸と光忠の髪や装束の裾を揺らした。
「たとえば、風前の灯火という言葉があるな。ありゃ窮地を意味する言葉だが、この場においては違うはずだ。ここでは
――」
こちらの言葉の意図が分かったのだろう、光忠は大きく頷いた。
「うん、そうだね。僕らが灯火だとしたら向かい風ごときじゃ消えない」
「良い意気だ。見せてやろう、向かい風の中でなお大きくなる灯火ってやつをな」
鶴丸の言葉に、厳しい顔をしていた光忠が好戦的に微笑んだ。戦いに高揚した刀の本能を宿した瞳をしていた。
それに応じるように微笑んだ己もまた高揚で瞳孔の開いた笑みを浮かべているのが、光忠の瞳に映り込んだ像で分かった。
「やろう、鶴さん。そして二人とも帰るよ」
「あぁ。光坊、ここらで一発、形勢逆転と洒落込もうぜ」
「うん、
――格好良く行こう」
揃いの金眼が、だんだんと薄れていく夜の闇の中にきらめく。
刀は火から生まれた。二人の血潮が熱を帯びて脈打つ。戦の煙のにおいが鼻を掠めた。
風に煽られた火は炎となって戦線へ、再び。夜が明ける。
キタニタツヤ「火種」という曲に影響を受けているというか、こういう感じの熱い二人が見たいな〜と思って書きました。
こちらめちゃ熱い曲なのでよかったら聞いてください🎧️
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