2222(にし)
2026-04-29 21:29:20
2757文字
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歌のある背

#nkzik_drawwriting【第69回】歌 の投稿作品です。

 きり丸のアルバイトの手伝いで、子守りをすることになった。
 田植えをする間、村の子供たちを見ていてほしいという依頼だ。
 きり丸から内容を聞いて、文次郎、小平太、長次は首を捻る。どちらかと言えば、ご婦人方にはいつも通り子供を見てもらい、我々が田植えをした方が効率がいいのではないか。そう問えば、きり丸はどこか遠い目をした。
「まあ、色々あるんですよ……
 含みのある言い方に、それ以上のことは聞けないま三人は顔を見合わせた。

 子守りのためにと明け渡された民家には、十名ほどの子供が集められていた。二歳から五歳ほどの、元気に活動できそうな子たちと、まだ一つにもならないような赤子が一人。
 子供たちが怪訝な顔をしたのは一瞬のことで、すぐに人懐っこい笑顔を浮かべて近づいてきた。自分たちよりも随分年上で、それでいて大人ではなく、しかも力が有り余っていそうな相手。たくさん遊んでくれるかもしれない、という期待が輝く目に現れている。
「さて、俺達はこいつらとたっぷり遊んでやるとするか!」
「赤子の世話は任せるぞ、長次!」
 小平太と文次郎はわらわらと子供たちに囲まれながら、早速外へ遊びに行こうとしている。
「も、もそ……!?」
 待ってくれ、勝手に決めるな──長次が引き留めようとする間もなく、二人は子供たちを引き連れて我先にと外へと飛び出していった。
 きり丸はきり丸で、はたきを背に差し、山盛りの洗濯物を抱えている。どうやら、子守り以外にもこまごまとした仕事を任されているらしい。
「んじゃ、頼みましたよ、中在家先輩!」
 軽い声とともに、きり丸も慌ただしく去っていった。
 部屋には、長次と赤子だけが残されている。
 自らの置かれた状況をいまいち理解できていないのか、板間でお座りをしている赤子は長次のことをじいっと見つめていた。
 長次はひとまず、その真ん丸い目に向けて笑って見せる。だが、ぎこちない笑顔を見た赤子の顔はみるみるうちに歪み、大きな目の縁に涙が溜まり始めた。
 ⋯⋯まずい。
 慌てて元の無表情に戻すと、泣き出す寸前の赤子は辛うじて踏みとどまる。
 さて、どうしたものか。



 大概にして、ハイハイができるようになった赤子は大変に手のかかる生き物である。
 何でもかんでも口に入れようとする。どれだけ遠ざけても囲炉裏に突撃する。つかまり立ちをしようとして頭からひっくり返る。
 そうこうしているうちにおしめが濡れ、それを取り換えるのにも片時もじっとしていない。
「⋯⋯背負うか」
 長次は早々に白旗を揚げた。
 背負い紐を使い、赤子を背に回す。首も腰も据わりきらぬ年頃の子はあまりに頼りなくて不安になるが、これくらいになると体もしっかりしてきてまだ扱いやすい。
 背負い上げられてもなお、赤子は手足をじたばたさせている。勝手に部屋の中を動き回られるよりはましなので、後ろに垂らした髷の先を食まれているのは気のせいだということにする。
 ゆっくりと立ち上がると、赤子は長次の背にぴたりと張り付いた。
 ひとまず赤子を落ち着かせることには成功したものの、アルバイトが終わるまではまだまだ時間がある。
 遠くからは、文次郎と小平太の威勢のいい声と、それに応じる子供たちの甲高い笑い声が聞こえてきた。

 部屋をうろうろするのに合わせて、床板がぎいぎいと軋む。
 赤子は長次の背で熱心に喃語を発しながら、小さな手で風車を振り回している。時折それがぱさりと床に落ちるので、都度身を屈めて拾ってやる。背の高い長次がしゃがみ、また立ち上がる。そのたびに目線が大きく変わるのが楽しいのか、赤子はきゃらきゃらと声を上げて笑い、そしてまた風車を落とす。
 ──大変すぎる。
 ふっくらとした手に風車を握らせてやりながら、長次は心底そう思った。
 疳の虫が強くて何をしても泣きわめく子よりは、随分ましなのかもしれない。だが、意思の疎通ができぬまま相手の欲求を満たすというのはなかなかに骨が折れるし、背で暴れる赤子は恐らく少しもじっとしていられない性分らしい。背負い上げる前は片時も目が離せず、意に沿わないことをすればこの世の終わりのような顔をする。
 これが四六時中、毎日続くのだ。なぜご婦人方が田植えに出て、自分達が子守りを任されたのか、何となく理解できた気がする。
 子供たちに読み聞かせようと思って持ってきた本など出した途端に破かれてしまいそうで、長次の懐から出てくる機会は無さそうだ。
 溜息をつきながら、ふと耳を澄ませてみる。小平太たちの喧騒に紛れて、一定の調子を刻む女性たちの声が聞こえてくる。
「田植え歌、か」
 この子の母親も、あの中で歌っているのだろうか。近くに行って聞かせてやろうと思いかけて、長次は草履を履こうとしていた手を止めた。
 母の姿を目にすれば、赤子はきっとぐずる。子を育てるという責から束の間解放されている婦人に、要らぬ手間を掛けてしまうのは憚られた。
 それにしても。聞こえてくる曲はどこか郷里の歌と似通っているようで、少し違う。地域ごとに差異があるのだな、としばし歌声に聴き入っていた長次は、背の赤子が随分おとなしくしていることに気づいた。
 先程までの無秩序な動きではなく、歌の拍子に合わせて体を揺らしているように思える。
「歌が、好きなのか?」
 長次の問いかけがわかっているのかいないのか、振り返って見た赤子は神妙な顔でこくりと頷いた。
 里で耳にしていた旋律を思い出し、低く口ずさんでみる。途端に、赤子の顔がぱっと明るくなった。



「あー、いい鍛錬になった! 長次はうまくやってるかな⋯⋯って、うわっ何だよ小平太!」
「静かにしろ文次郎。珍しいものが聴けるぞ」
「珍しいもの? ⋯⋯長次のやつ、何か唸ってるようだが⋯⋯」
「長次の歌だ。懐かしいな! 一年生の頃はよく歌っていたが、顔に怪我をしてからは滅多に歌わなくなったからなあ」
「歌だったのかよ⋯⋯。だが長次も赤ん坊も、楽しそうだな」

 戸の陰から覗く二人の視線の先で、長次は気づかないまま歌い続けている。その背では、赤子が機嫌よく声を上げていた。歌の調子に合わせるように、小さな体を揺らしている。
 時折、思い出したように風車を振っては、また笑う。
……寝てねえな」
「このまま寝かせたら、夜が大変だろうからな」
 ひそひそ声で交わす二人の会話に、長次は気づかない。
 ただ、背中に伝わるぬくもりと、弾むような気配を確かめながら、低く歌い続ける。
 抜けるような五月晴れ。
 田畑に響く歌声と、子どもたちの笑い声。
 穏やかな時間の中で、赤子は目を輝かせたまま、楽しげに声を上げ続けていた。