誕生日にはいつもより少しだけ豪華な夕食を用意して、とっておきの葡萄酒を開ける。そしてベッドでは少しばかりのサービス。はっきりと約束したわけではないが、それがここ数年の定番だった。しかし今年はいつもと少しばかり勝手が異なる。なんというか、半年以上ご無沙汰なのだ。何が、ってナニが。
事の始まりは、中也が風邪を引いたことだった。熱が出るようなこともなく咳と鼻水が出る程度だったが、これがなかなか治らなかった。もうあまり若くないのだと揶揄ったのをよく覚えている。結局治ったのは季節が変わる頃で、間をおかずに今度は太宰が風邪を引いた。こっちはこっちで妙に長引いて、治る頃にはまた季節が変わろうとしていた。
風邪を引いている間、大事をとってセックスは控えていた。十代の頃のようなガツガツとした性欲はとうに消えた。相手の体調を思いやる程度の良識もある。だからそれに不満も不服もなかったが、中也との間にセックスという習慣が消えるには十分だった。習慣というのは恐ろしいもので、セックスしない生活に慣れてしまうと今までどうやってそんな時間を捻出していたのかわからなくなる。日常生活を送っている間に瞬く間に時間は過ぎ、今夜もそんな時間はなかったなと思っている間に月日は流れる。そうこうしているうちにお互いの風邪が治ってからも数ヶ月が経とうとしていた。
意図せずセックスレスとなってしまったわけだが、今日は誕生日である。太宰としてはこれをきっかけに今まで通りといきたいところだ。しかし中也の方はわからなかった。昔は猿のように毎日盛りまくっていたというのに、まさかこんな悩みを抱える日が来るとは到底思いも寄らなかった。
「なあ、この後――」
夕食をほぼ終えた頃合い。中也が近づいてきて、ゆっくりと太宰の頰を撫でた。他愛のない触れ合いに懐くように擦り寄ると、額を合わせて鼻頭にキスを落とされる。
「久しぶりにどうだ?」
セックスのお誘いだった。太宰の方もいつもならそろそろと思っていたところだったが、中也も同じ気持ちだったのだと思えば自然と口角が上がる。それから中也の唇に戯れるように己の唇を合わせる。了承の合図だ。
お互いの唇を食むようにして何度かキスを交わしてから、中也を浴室へと促した。
中也と交代してシャワーを浴び、準備を終えて寝室へ向かう。これからのことを思うと、それだけで身体の奥が熱くなる。間違いなく期待していた。寝室の扉を開ける。が、中也の姿は見当たらない。部屋のあちこちに視線を走らせ、ようやくベッドに横になっている中也を発見した。
「中也?」
名前を呼ぶが、返事はない。近寄ると穏やかな呼吸が聞こえてきて、全身から力が抜けた。寝ている。自分から誘ったくせに。期待していたのが莫迦みたいに思えて、鼻の先を押す。むずがるような反応を示すだけで、起きる気配はない。拍子抜けした気分で、中也の隣にごろりと横になる。それでも中也は寝息を立て続けている。そんなに待たせたつもりはなかったが、太宰が思うより酒が回っていたのかもしれない。
このまま襲ってやろうか。脳裏に過ぎる。もしくは叩き起こしてもいい。どちらも過去に経験があった。男同士のセックスは男女でするそれのように簡単ではない。こっちにはそれなりに手間と時間をかけて準備をさせておいて、急に投げ出されては昂った身体は落ち着かない。何よりこちらの労力を無碍にされたようで納得がいかない。眠ったなら酔いも多少醒めただろうし、こちらもその気だったとはいえ誘ったのは中也の方だ。文句を言われる筋合いはない。ない、はずだ。
規則正しい呼吸に合わせて微かに胸が上下している。顔を埋めると、常より高い体温が伝わってくる。邪気のない寝顔を眺めていると、浮かんだ選択肢のどちらもが無粋なものに思えた。
× × ×
ベッドのスプリングが揺れる。意識が浮上する。窓から射し込む光に朝の気配を感じる。瞼を開けると、中也がこちらを見て頭を抱えていた。顔からは血の気が引いている。
「昨日……」
太宰と目が合うと、中也は罰が悪そうに俯いた。
「ああ、うん」のんびりと欠伸をする。「あり得ないよね。そっちが誘ったくせに」
少しばかりの棘を滲ませる。こうして下手に出てくる中也は揶揄い甲斐があって面白い。案の定中也はしょんもりと項垂れて、素直に「悪かった」と謝った。余程反省しているらしい。せっかくならこれをネタに我儘のひとつやふたつ聞いてもらおうと思っていたが、ここまでされると許してあげてもいい気がしてくる。そもそも怒っていないので。
「昔の私なら確実にブチ切れてたね」
「……怒って、ない、のか?」
「自分でも不思議なくらいにね」
実際その通りだった。以前なら真っ先に浮かぶのは怒りだったが、今回は違っていた。それにいちばん驚いたのは他でもない太宰だ。確かにセックスするつもりだった。期待していた。それを裏切られたのに、ちっとも怒りは湧いてこなかった。眠りに就くまでの間、何故だろうと考えた。
「中也ってさ、今でも私とセックスしたいの?」
「はぁ? したいから誘ったんだろうが」
「そっか。私はどっちでもよくなっちゃったみたい。いつの間にか」
中也が探るような視線を向ける。太宰の真意がわからないのだろう。太宰も完全に理解しているわけではなく、そういうものだと受け入れただけだ。信じられない気持ちもないではない。
「たぶん性欲が薄れたんだろうね。中也だってそうでしょ?」
「まあ、そりゃ、昔ほどは……」
「じゃあ、今からする?」
口籠る中也に提案する。昨夜は普段より早寝だったからか、まだ夜は明けきっていない。今から一戦交えても出勤には十分間に合う時間だった。けれど中也はちらりと視線で時計を確認しただけで、その提案には乗らなかった。昔なら一も二もなく乗ってきたはずだ。太宰の方も、もし了承されたら断る程ではなくとも些か面倒だなと感じる。
「じゃあ今晩?」
中也はやはり口を噤んだままだ。
「したいなら相手するよ。けど私は、今からならセックスするより豪華な朝ごはんを一緒に食べる方が魅力的に思えるんだよね」
「それは、まあ、そうだな」
「つまりはそういうことだよ」
中也は未だ釈然としないようだったが、それでも反論することはなかった。寝室を出ると、その後ろを中也も着いてくる。セックスより朝食を選ぶことについて異議はないらしい。キッチンに立ち、食パンを焼いて昨日の残り物を付け合わせにすれば十分豪華な朝食だった。向かい合って各々の食事を口に運ぶ。
「なあ」しばらく無言で咀嚼してから、中也がぽつりと口を開いた。
「俺はジジイになっても手前を抱きたいよ」
「それは光栄だね」
茶化すように答える。中也は嫌そうに顔を顰めた。
「じゃあジジイになるまで生きないとね。自殺主義者としてはちょっと勘弁してほしいけど」
肩を竦めて戯けて見せる。中也は舌打ちを溢したが、太宰に拒否したつもりはない。中也に伝わったかはわからないけれど。
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