「あ、カバキくん、おはよう」
トガシが30分ほど早く起きてみると、案の定カバキが起きていた。
「
……おはようございます。早いですね?」
「うん、あのさ
……ジョギングいくでしょ?よかったら一緒に俺も
……」
「いや、もう俺いくんで。先に出ます」
そう言ってあっという間にカバキは外に出て行ってしまった。
「そっか
……」
閉められたドアにむかってトガシはつぶやき、後頭部を少し掻いた。
これは間違いなく。
「避けられてるん
……だよな
……」
トガシは腕を組んで考え込んだ。
夕食を一緒に食べ、カバキが泣いた日から一週間。
トガシはなるべくカバキを気に掛けるようにしてみた。それまでは別段変わったところはなかったと思っていたが、改めて気にしてみてわかったことは、まず目があわない。こんなに目を合わさず話すタイプだっただろうか、と。そこから色々気づいた。
一定以上近づいてこない。必要最低限にしか近寄らず、半径1メートル以内に絶対に入ってこなかった。同じマンションに暮らしている以上、多少手足が触れることくらいありそうなものだが、まったくない。前はもう少し自然だった気がする。距離は覚えていないが。
そして時間を徹底的にずらされている。なるべく会わないようにしているのだろうか、トガシの生活リズムとはわざとと思うほどの完全に違うタイミングで生活していた。
夕食に誘ったりしてみたが、それも全部なんやかんやと断られた。
「
……何をしたんだ、俺は
……」
嫌われている、のとは違う気がしている。
カバキに嫌われた場合、もっと冷たい空気がするのではないかとトガシは思っている。そういう感じとは違う。何か、近づいたらよくないというか、怯えられているのに近い気がした。
風呂上りのカバキの髪にタオルの糸くずがついていたので、何気なくとろうとしたら、体が震えるほどカバキがびくりとしたのでトガシのほうが驚いてしまった。それ以降ますます距離を取られているような気がしている。
自分の記憶を失っている間に何かあったのは間違いないだろうが、何しろ覚えていないのでわからない。カバキも何も話してくれない。
普通に生活するには何の問題もない。この生活はトガシにとっては快適であるが、カバキに無理をさせているような気がしてならない。
せめて、もう少し顔だけでもあわせてくれないかとトガシは思う。
この半年、お世話になったのには違いないし、彼のおかげで何の不自由ない今がある。
お礼もしたいし、もっとこの期間に何があったのかも聞きたいのだが。
「
……考えても仕方ない
……かな
……」
ジョギングに向かうために着替えようと部屋に戻ると、枕元に置いたスマホがトガシの目に入る。いつもより早い時間に起きて時間があるため、何の気なしにスマホをいじる。色々といじっていると知らないフォルダがあらわれた。
「なんだ、これ
……」
自分でどうやって出したかわからない。ためしにタップすると、4桁のパスワードを求められる。
思いつく4桁をいれてみる。自分の誕生日。気に入りのゼッケンナンバー。記憶を失くした去年の日本陸上の日。
どれも違っていた。
「
……ま、いいか」
トガシはとりあえずスマホを放置して、ジョギングに向かった。
3月を間近に控えた休日の夜だった。
「え
……出てく?」
「えぇ、良い物件見つけたんで」
珍しくリビングにカバキが出てきたので、良かったら何か一緒に飲むかと聞くとカバキが頷くので、トガシは内心喜んだ。やっとまともに話ができそうだと、缶チューハイを用意して、二人で乾杯したあとの第一声が「俺、出ていきます」だった。
「元々、トガシさんが記憶戻ったら、生活戻そうと思ってたんです」
「え
……そうなの?なんか
……ごめんね、相当無理させてた?」
カバキは首を振る。この数週間で一番穏やかな顔だった。
「違います。これは俺の問題です。トガシさんは何も
……記憶を失くす前も、失くしてる間も、今も。トガシさんは変わってません。何も違いはありません。俺が保証します」
「じゃあ、なんで
……」
「俺、移籍しようかと思ってて」
「移籍
……?」
予想外の言葉が出てきてトガシが驚くと、カバキは静かに頷いた。
「いくつか声かかってて。最近、面接もしてきました。まだ最終決断はしてないですけど
……かなり今よりいい条件も貰ってます」
トガシは思考が追いつかない。これからもっとカバキとうまくやっていこうとしてた矢先だったのに、出鼻をくじかれた気分だった。
「移籍先の練習場に近いところに住んだ方が、都合いいですし。この間、トガシさんがクサシノ契約できたって聞いたんで、ここにトガシさんが一人で住んでもそんなに大変じゃないですよね」
「まぁ、それは
……」
「トガシさんも、引っ越してもらって構わないですし」
「そ、そっか
……」
急すぎて色々追いつかないが、トガシに意を唱える義理も権利もない。移籍も引っ越しもカバキの自由だ。
カバキは缶を持ったまま、飲まずに缶をゆっくりと揺らして弄んでいる。
「え、いつ引っ越すの?」
「契約とか、部屋の状況とかあるんで、二週間後くらいには」
「わりと、すぐだね」
トガシは胸が早まる。なぜか、落ち着かなかった。もっと一緒に住みたかった、とトガシは思ったが言えるわけもない。トガシには引き留める理由も必要もない。
「移籍したら、もっと俺、早くなるように努力しますから。トラックで会いましょうね」
「それは、もちろん
……」
「俺、トガシさんと走るのが一番楽しみなんで」
視線が合う。久しぶりに、まっすぐ見つめられた気がした。迷いのない目はもう決断した結果だろうと思えた。
「うん、俺も
……今年も負けないから」
「今年は俺が勝ちますよ」
そう言って少し笑ったカバキはチューハイを一口飲むと「それだけ、伝えたくて」と缶を持って席を立った。
「え、一緒にのまないの?」
「
……色々、やらなきゃいけないことあって
……すみません」
そう言われたら引き留めるすべがない。自室に向かうカバキを見送ろうとして「あ、あのさ」とトガシは思わず声をかける。
自室のドアノブに手をかけたカバキが振り返った。
「一個だけ、教えて。俺が記憶を失ってたとき
……ここで暮らしてた半年は、カバキくんにとってはどんな半年だったの?」
カバキはしばらく考えるように視線をベランダのある窓に向けていたかと思うと、トガシを見た。
「
……夢、ですかね
……すみません、意味わかんないですよね。気にしないでください」
そう言って、カバキは自室に入っていった。
「
……夢
……ね
……」
どういう意味か図りかねながら、トガシは缶に口をつける。
「なんで出てくんだろ
……」
トガシはさらに缶をあおって、天井をみあげた。
何か大事なことを忘れているような気がした。
翌日の朝起きると、当然カバキはもう出かけていなかった。クサシノの契約が決まったのでバイトをやめる調整をしないといけないな、とトガシはリビングで珈琲を飲みながらスマホをいじる。ふと思い出した。昨日どうやったかわからないフォルダの存在を思い出して、出てこないかと模索する。色々試しているうちに隠しフォルダがあるのを見つけた。ここに昨日はたまたまアクセスしたらしい。
4桁の番号を求められて、また悩む。試しにカバキの誕生日
――クサシノの紹介HPから調べた
――を入れてみたが、違った。
「
……なんだろ
……」
間違いなく自分が作ったものではないので、記憶を失った時に作られたものであることは間違いない。
これを開けば何かわかるかもしれないと思うのだが、何しろ開かない。
トガシはキッチンを見つめた。冷蔵庫にカレンダーが貼ってある。
「
……あ
……」
なんとなく浮かんだ日付を、そのまま4桁の番号としていれてみる。
「
……開いた」
フォルダが開くと、写真と動画が入っていた。
「
……なんだ
……これ
……」
写真にはカバキばかり映っている。ジョギングしているカバキ。マグカップを手にして上目遣いで見つめてくるカバキ。二人でクリスマスケーキのようなものを囲む写真もあった。動画があったので、タップしてみる。
『また、トガシさん写真とって
……』
『これは動画だよ』
『動画もダメです、やめてください』
『いいじゃん。ほら、笑って』
『嫌ですよ』
嫌だと言いながら笑って止めようとする手が伸びてきたところで動画が終わる。スマホを持つ人間の声は間違いなく自分だった。
トガシは口元をスマホを持っていない方の左手で押さえた。
――これって
……。
今の動画も他の写真も、自分がこの数週間で見たことがない、カバキの自然な様子ばかり。いや、記憶を失う前だって見たことない。こんなにたくさん笑う子だったかな、と思い返してみる。すましたクールな顔のことのほうが多かったとトガシは思う。たまに笑っても口元だけで笑う程度だったはずだ。
もう一つ、動画をみつけてタップする。
寝ているカバキの顔を映していた。安心しきって寝るカバキに、スマホを持つ人間の手が頬をなでると、ぴくりと何度か眉がうごいて、僅かに目をひらく。
『
……おはようございます、トガシさん』
まだ眠そうな目で柔らかく笑ったカバキは布団から腕を出して白い素肌の肩口をさらす。おそらく何も着ていないであろうことは明白で。
『おはよ』
『あ
……もしかして写真とりましたね?』
『撮ってない撮ってない』
スマホが遠ざけられて布団に埋もれたのか何も映らなくなり、声だけが残る。
『撮ってたじゃないですか』
『撮ってないってば』
『んッ
……トガシさん、ちょっ
……ごまかさな
……ンッ
……』
トガシは顔が熱くなるのを感じる。吐息にまじって濡れた音が響く。二人が何をしているのかは音だけでも明らかだが
――信じられない。
――俺と、カバキくんが
……?
音が耐えられなくなって思わず動画を止める。どうしていいかわからず左手で髪の毛を掴んで暫く視線をさまよわせる。恐る恐るまたスマホに視線を落とし、他の写真をさらに見ていく。どの写真も咄嗟に撮ったような自然なしぐさのカバキが多いなか、一枚の写真に目が留まった。
何処で撮ったのかわからないが振返ったらしいカバキが、はにかんだような、照れたような、見たことない笑顔でこちらを見てきている。
「
……可愛い
……」
思わずトガシは呟いてしまった。
「
……って何言って
……」
誰にも聞かれていないのは明白だが、口元を手で押さえてトガシは視線をそらす。
このスマホの中の動画や写真が事実だとしたら、ここ数週間のカバキの様子も『夢』といった理由もわかる。
今見たトガシも夢なのではないかと疑いたいくらいだ。
記憶のない間、カバキは自分と付き合っていたのか。
なぜ、どうして、という思いもあるが、それよりも
――トガシはおそるおそる視線をスマホに戻す。
「
……嘘でしょ
……」
一番驚いたのは、その写真のカバキを可愛いと思った自分の感情だった。
⑨へ→
https://privatter.me/page/69f2277f9bee7
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未だに信じられないんですが、こちらの⑧に、
コッコ様 がもう一つFAを書いてくださいました
…!(しかも漫画
…!)
→コチラ (号泣)是非見てください
…!!
スマホの中の可愛いカバキが最高に可愛いので、ぜひ、ぜひ見てください
…!涙 (そしてトガシもカッコよすぎます涙)
カバキくんがみたら怒る写真の1枚や2枚ありそうです。
次回予告『トガシさん、最近ちょっと様子が変ですね?』
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