今日の忍術学園はいつもより雰囲気が浮ついていて、特に流行ごとに敏感である団蔵がくのたまの教室をのぞいては俺に渡すもんなんかない?と聞いて回る始末だ。
そう、今日はバレンタインデーといって女子から男子へとチョコレイトをはじめとしたお菓子が贈られる日だからであった。ただ、チョコレイトやお菓子を渡されるのであればそんなもの日常と同じじゃないか。と思うのだが、バレンタインデーというのはそれだけのために名付けられたわけではないのだ。
聞けば女子から本命チョコレイトを貰えることができたらそのこと恋人になれるというのである。本命チョコレイトでなくても、好意のほうではないけれど友達としてこれからもよろしくという意味で渡される義理チョコレイト、または友達チョコレイトというものが存在するらしく、バレンタインデーというものにあまり興味がなかった乱太郎はそれを説明されたときへぇ~、奥が深いんだねえ。と回答したほどだった。
なぜそんなにも乱太郎がバレンタインデーというものに無関心でいるのは彼にとってバレンタインデーというものにさほど興味がなく、自分に縁も所縁もないイベントだと勝手に考え込んでいるからだ。乱太郎の自分に対する自己評価と言えば、毎年落第スレスレのあほのは組に所属している問題児筆頭で、いつも不運にまとわりつかれている残念な人というのが己に抱いている乱太郎の自己評価なので、そんな自分がもらえるわけがないだろう。と思っているためだった。
だが、しかし。乱太郎の自分に対する自己評価と他人から見た乱太郎の評価は全くと言っていいほど違った。誰に対しても分け隔てなく優しいし、面倒見がよくて頼りになる先輩だから、乱太郎が保健委員の当番をしている日はケガをしているしていない問わず、乱太郎に会いたいがためにひっきりなしに学年問わず多くの忍たまが医務室を訪れているというのに乱太郎はまったく自覚をしておらず、なんだか今日は来訪者が多いな~。と思っているぐらいである。
乱太郎が忍術学園に来てから毎年バレンタインデーになると水面下で乱太郎にチョコレイトを渡そうと彼のことを慕う卒業生や同級生や後輩たち、そして大人たちの攻防戦が行われていることを知らないのは知らず知らずのうちにバレンタイン戦争の台風の目の中にいることを何も知らない猪名寺乱太郎さんだけである。
自分がバレンタイン戦争の台風の目にいることをなにも知らない乱太郎はというと、保健委員の当直当番を果たすべく医務室で薬の補充や包帯の在庫の有無を確認している最中であった。自分が当直を担当している日はなぜかけが人や来訪者が多いため、医務室に到着してすぐにいつもどの薬が足りないかや包帯があるかないかの確認をしているのだ。
いつ、どんなときにけが人が来たとしても適切に素早く。そして丁寧に治療ができるようにしなければいけない。という保健委員の責任感から来る行動であるのだが、乱太郎に会いたいがために医務室を訪れようとしている人たちには関係なく、彼の善行はいつも空振りに終わってしまっている。本当に不憫な少年である。
乱太郎の当直の日にしては珍しく、誰の邪魔が入ることなく薬の補充作業が一区切りつこうとしていた時、作業が終わったのを見計らったように医務室の襖が開かれて乱太郎をすっぽり覆う影がひとつ、滑り込んできた。だれかケガをした子でもきたのかな。とさっき作り終えた最後の軟膏を薬棚にしまって乱太郎が顔を医務室の襖のほうに目を向けると、そこには乱太郎と同じく保健委員で、最初は同じ目線にいたのに学年が上がるごとにつれていつの間にか身長が伸びた伏木蔵がいつものように青白い顔をしながら立っていた。
「らんたろ~、やっほ~。」
「あれ?伏木蔵。どうしたの?何か用?」
「ふふ、街で美味しいと噂のお菓子が手に入ったから一緒にお茶でも…。って思って来たんだけど、乱太郎もしかして今、忙しかった?」
「いや?もう薬の補充作業も終わったところだから暇だけど……。」
「じゃ、一緒にお菓子食べようよ。お茶は言い出しっぺの僕が沸かすからさ。」
「ん、わかった。」
じゃあ、待っててねえ。とひらりと手を振った伏木蔵を見ながら乱太郎は少し放心状態になりながら彼を見送った。伏木蔵は流行ごとにあまり敏感なほうではないから、彼が街で美味しいと噂のお菓子を知っていることに乱太郎は少なからず驚きながらも、彼が食堂でお茶を沸かしている間、伏木蔵とはもう、かれこれ六年ずっと一緒に保健委員をやって彼が所属するろ組の同級生たちよりも密度濃い時間を過ごしているから彼のことならなんでも隅々まで知っているつもりだった乱太郎にとって、今回の出来事は正しく自分の身に雷が落ちたようなそんな感覚だった。
乱太郎がいつも見ている伏木蔵は、薬草(特に毒草)しか興味がなくて、彼が調合する薬は専ら対戦闘用の薬が多く、忍務が立て続けに入った時にそういった薬を調合することになればたちまち伏木蔵の瞳がキラキラといっとう輝くことを知っているから、そのため、伏木蔵が街で美味しいと噂のお菓子を買ってくるなんていう思いもよらない出来事で混乱しながらも乱太郎は伏木蔵が持ってきてくれるお菓子は何だろう。と思いを馳せながら慣れた手つきで休憩の準備をする。
しばらく待っていると、熱いから気を付けてね。と声をかけられた後にお盆に急須と茶瓶を乗せた伏木蔵が戻ってきた。ありがとう。と礼を言って受け取ろうとする前に、いつの間にか隣に座っていた伏木蔵が慣れた手つきでお茶を淹れてくれるので、それに甘えて湯呑みを受け取ると、お茶の温かさが指先にじんわりと伝わってきて、悴んでいた指先をゆっくりと解してくれた。
その後、ほら、僕が買ってきたお菓子食べるでしょ。と言いながら伏木蔵が懐にしまっていた布包みから出てきたのは四角い箱を乱太郎の目の前に出した。四角い箱の蓋を伏木蔵がパカッ。と開けると、箱の中から途端に甘い香りが漂って乱太郎を包み込んだ。
「チョコレイト……?」
「うん。チョコレイト。乱太郎、甘いもの好きでしょ?だから、街で用があるついでに買ってきてみたんだ~。」
「え……、これ伏木蔵が?」
「…ふふ、僕しかいないのにこれを買ってきたのが僕以外に誰がいるっていうのさ。」
「……そ、そうだよね……。」
「ね、早く食べてみてよ。」
誰に聞いてもおいしいって言うんだ。伏木蔵がうずうずしながら催促をしてくるので、乱太郎は慌てながらチョコレイトを口に入れる。もぐもぐ咀嚼すると、舌の上でチョコレイトがじゅわっととろける。乱太郎が伏木蔵に味の感想を言おうとしていると、伏木蔵の眼がいつの間にかすぐ近くにあった。
誰に聞いてもおいしいって言うんだ。伏木蔵がうずうずしながら催促をしてくるので、乱太郎は慌てながらチョコレイトを口に入れる。もぐもぐ咀嚼すると、舌の上でチョコレイトがじゅわっととろける。乱太郎が伏木蔵に味の感想を言おうとしていると、伏木蔵の眼がいつの間にかすぐ近くにあった。なんで、こんなに近くにいるんだろう。と乱太郎がぼんやりと考えていると、伏木蔵の唇が自分の唇に重なるのが分かった。
突然のことでびっくりして乱太郎が目を瞑ると、その隙に伏木蔵の舌が乱太郎の口内に侵入する。彼の舌は口の中で逃げようとする乱太郎の舌を絡ませ取るとそのまま口の中でとろけたチョコレイトを攫って行った。
「ん…っ。」
「あまい…ね?」
伏木蔵の舌がゆっくりと自分の唇から離れていく。乱太郎がおそるおそる目を開けると、赤く色づいたような瞳に視線を捉えられてしまって動けなくなってしまった。赤くなった乱太郎の顔を見て伏木蔵は満足げな顔をしながら、どう?おいしかった?と聞くと、彼は乱太郎の口にゆっくりと自分の左手の親指をなぞると、伏木蔵の親指には当然ながら乱太郎の口についていたチョコレイトがべったりとついていた。
そして、そのチョコレイトがついた親指を自分の口のほうに持って行ってそのまま口に含んで舌の上に乗せてゆっくりと口内で伏木蔵が味わっていく。彼の真っ赤な舌が自分の口についていたものを舐めとっていくのがどうしても官能的で、乱太郎は見てられなくなってぎゅっと強く目を瞑った。乱太郎がそうしたところで彼はやめてくれるはずもなく、そのまま彼の耳元でそっと乱太郎に囁く。
「…らんたろ、もう見て見ぬふりはできないよ?」
ねえ、気づいてるよね。ぼくの気持ち。いつから。いつからだろう。わからない。この胸の中にある感情を知りたくなかったから知ろうとしなかった。でも、もうそれも通用しないらしい。伏木蔵が真っ黒な目でこちらをじっと見据えて、目を逸らすことも許されないらしい。乱太郎だってこの気持ちについて何も考えてなかったわけじゃない。むしろ、考えすぎて何を考えればいいのかわからなくなる時だってあった。私は、この気持ちに名前を付けたくない。だって、私がこの気持ちに名前を付けたら、私はきっと、お前の隣に立てる気がしなかったから。
「ねえ、乱太郎。」
「…なあに、伏木蔵……。」
「ねえ、答え合わせしよう?」
「……それは、だめ。だめなの。だめに決まってるでしょう。」
「もう遅いよ。らんたろ…。」
もう僕は、お前を絶対に逃がしてあげられないよ。ねえ、乱太郎。ぼくだけのものになって。伏木蔵の指先が、唇をなぞっていく。くらくらしそうだ。まるで、麻薬みたいに脳髄が痺れて、この指先から逃げられそうにない。答えてしまえば楽なのに、それができなかった。乱太郎の意思が弱ければ簡単に落ちてしまっただろうけど、私たちはきっと、一緒の進路ではないから、そんな簡単に堕ちてしまうことは許されない。
伏木蔵が私の耳に唇を寄せる。私の心臓は、ばくばくと鳴っていて、まるで心臓が外に飛び出してしまいそうなほど脈打っている。このままでは、私はおかしくなってしまう。正確な判断ができなくなってしまう。…それを分かっているのに、伏木蔵の腕の中からは抜け出すことができなかった。乱太郎の肩に置かれた伏木蔵の手は熱くて、どこまでも熱くて火傷をしてしまいそうだった。
「ねえ、答えて。」
「わ、わたしは…っ、」
「僕は、お前のことがすきだよ。お前が自覚するより、ずっと、ずっとまえから。」
「で、でもっ!」
「でも、なんてないよ。ねえ、」
早く、僕のことがすきって認めちゃえよ。そうしたら、ずっと一緒にいられるよ。伏木蔵はそういいながら乱太郎の手を包み込む。包まれた瞬間、熱くて溶けてしまうと思った。伏木蔵の体温を感じてしまった。一度感じてしまえば、もう戻れない。
「わ、わたしも、すき…。伏木蔵のことが、すき。」
「…やっと言ってくれた……!」
僕もおんなじ気持ちだよ。乱太郎……。そう言って伏木蔵は乱太郎をきつく抱きしめる。離れていかないように、どこにもいかないように。乱太郎が息を詰めても気にしなかった。
「…僕が死ぬときは、乱太郎。君も一緒に道連れにしてあげるから…ね?」
「…うん、いいよ。どうせ、お前には敵わないって分かってるから。」
そう言いながら乱太郎は伏木蔵の背中に腕を回した。ぴったりとくっつくと、お互いの鼓動が早くなっているのが分かった。その鼓動の音を聞きながら乱太郎は胸の中にある感情の名前を、やっと理解できた気がしたのだった。
了
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.