10008Senya
2026-04-28 14:40:28
11829文字
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その後、あやうくナヴィア線最終便を逃しそうになった

くっついていないリオセスリとクロリンデが関係を前に進める話。
こちら↓の続きです。
https://privatter.me/page/69eaf58cbc84f

両者ともちょっとセンチメンタルです。ご注意下さい。
モブがクロリンデにちょっかいをかけます。ご注意下さい。
友情出演多め。
決闘代理人のあれこれもちょっと捏造してます。

「クロリンデ女史は護衛の仕事でしばらく来られないそうです」
 リオセスリが何か言う前に眼の前にいる決闘代理人・サヴィニアンは書類を差し出しながらそう言った。
「クロリンデさんが担当するということは、かなりの重要人物の警護にあたっているということか」
「重要かと言われると微妙ですが、まあ金持ちのボンボンですよ。少し前にスメールまで護衛したら気に入られて、ことあるごとに要請がくるようになったみたいで」
 うちは決闘代理人であって警備員じゃないんですけどねぇ、とボヤいている。クロリンデが担当する予定の決闘をいくつか肩代わりしているらしく中々に大変であるとも。
「しかもゴシップ紙にも変にすっぱ抜かれてますし。『最強の決闘代理人、御曹司との熱愛発覚!?』とか」
「それはまた、命知らずな出版社がいたもんだ」
「ただちょっと厄介なのが、そのボンボン、御曹司が女史にアプローチをしているみたいなんですよ。だから余計に騒がれている感じですね」
 まあ時間が立てば沈静化するでしょうけど。
 サヴィニアンの言葉にリオセスリは走らせていたペンを止めてしまう。
……その御曹司というのも中々肝が据わっているな」
「私もそう思いますよ。フォンテーヌ廷の無敗の決闘代理人。どんな相手であろうと表情一つ変えずに剣を振り下ろす。そういった『強い』女性が好きなのかもしれませんね……ああでもそういえば、最近は少し変わりましたね」
「変わった?クロリンデさんが?」
「はい。女史はよくコーヒーを飲むんですが、この前彼女のオフィスを尋ねたら紅茶を飲んでいたんです。そうしたらなんだかこう、いつもよりも表情がリラックスしていましたね。良いことでもあったのかと聞いたら、紅茶を贈ってくれた友人のことを思い出していた、とか」
 人情深いところがあるんですね、彼女。
 その言葉にリオセスリは内心の動揺を悟られぬように必死だった。その紅茶はリオセスリが贈ったものだ。遺瓏埠で出会った商人が開発した手軽に飲めるように茶葉を小さな袋の中に詰めた新商品で、試しに買ってみたら中々の品質だったのでクロリンデにも渡したのだ。
 贈り物を使ってくれて、しかもリラックスしてくれたのならこれ以上のことはない。
 リオセスリはパレ・メルモニア宛の書類をまとめるとサヴィニアンに渡した。
「待たせて済まない。また色々と『情報』を教えてくれ」
「畏まりました。では」
 決闘代理人らしく優雅でキビキビとした動作で礼をするとサヴィニアンは執務室から退室した。
……商会の御曹司ねぇ……
 デスクの引き出しから情報誌の束を取り出し、その中からタブロイド紙を取り出して中身を眺める。今しがたサヴィニアンが話していたゴシップ紙で、リオセスリもクロリンデがスクープされているのは把握していた。いつものないことないことを書き連ねていると流していたのだが、相手の御曹司がクロリンデに熱を上げているのは知らなかった。
 彼女が魅力的な人物であることはリオセスリは身にしみてよく知っている。
 まさにリオセスリもクロリンデに好意を抱いているからだ。その気持ちを自覚し、受け入れたばかりで彼女にそれを伝えるかはまだ考えている最中であるが、彼女に注目が集まっている今は余計なことをしないほうが良いだろう。
 会う約束を取り付けることを先延ばしにしているつもりはないのだが、自分の結論が出ないままでは会ったとしても気不味いだけだ。
 それに、もしかしたらクロリンデにとっては前科者で水の下から離れられない自分よりも水の上にいる清廉な身の、素直に自分の気持ちを伝える男の方がいいのかもしれない。
 彼女の仕事は剣でもって正義を証明するかなり特殊なそれであるが彼女自身が特殊であるとはリオセスリは思っていない。悪を穿つ先にある平穏な日常を彼女は慈しみ、またそれに自分自身を置いている、地に足のついた人物だ。ささやかで穏やかな『幸せ』というものを知っている。
 対して自分はどうだろうか。犯罪者とはいえ自らの親を手に掛けて、服役の後に監獄を運営することになり、そのままフォンテーヌの栄誉称号を手に入れた……今でこそ自分と同じような子どもや被害者を生み出さないようにと動いてはいるが、彼女のような明確な熱を果たして持っているだろうか。
 クロリンデも元は孤児で養い親によって育てられたと言っていたが、その養い親は彼女に知恵を力をそして見失ってはいけないものを確かに伝えた素晴らしい人物であるとリオセスリは彼女の言葉の端々から感じている。
 立派な人物である彼女に、想いを伝えてもよいのだろうか?
「公爵、お邪魔するのよ」
 思考を中断させたのは軽やかな足音と監獄には似合わないまろい声。
 リズミカルに階段を登ってきてデスクの前に来たのは予想通りメロピデ要塞の看護師長だ。
「看護師長、なにかトラブルか?」
「ううん、お部屋の前を通り過ぎようとしたら来客が終わったみたいだったから顔を出してみたの。でも正解だったみたいね」
 シグウィンはリオセスリに近寄ると頭を撫でようと手を伸ばした。リオセスリも椅子に座りながら少し状態を傾けてそれを甘んじて受ける。
「なにか悩み事?もしかして、クロリンデさんのことかしら?」
 リオセスリの手にあるゴシップ記事の見出しを見て判断したらしく、心配そうな表情をする。
「ご明察。また厄介な状況になっているみたいでね」
「好きな子が辛い状況だと心配よね、公爵」
 ずるっ、と思わず手が滑り自分の膝に顔をぶつけそうになる。辛うじて堪えるが答えとばかりにシグウィンの顔を凝視してしまい、しまったと思っても後の祭りだ。
「やっぱり公爵はクロリンデさんのことが好きなのね~」
 ニコニコと心底嬉しそうに笑うものだからリオセスリは毒気を抜かれてしまう。
 人間とは違うが鋭い洞察力を持つシグウィンに誤魔化すことは不可能だと、リオセスリは早々に白旗を上げることにした。
「はぁ、どうして分かったんだ?」
「ん~クロリンデさんとの食事の予定がある日、いつもとても嬉しそうな色をしているもの」
「色?」
「人間でいうと空気?っていうのかしら?公爵がとってもかわいいくみえるのよ~。それで二人は両想いなのかしら?」
「いや、俺の気持ちは伝えていない」
「あら?どうして?」
「どうして、って……向こうからしたら迷惑かもしれないだろうし、困らせたくない」
「ん~……でも、この前三人で一緒に食べた時、クロリンデさんとても楽しそうだったわ。公爵のことは好きな様に見えたのよ」
「知っていると思うが、人間の好きにも色々と種類があるんだ。向こうはあくまで友人としてで、俺の好きとは別モノの可能性がある」
 言っていて悲しくなったのかリオセスリは肩を落とした。
「でも公爵はいつか伝えるつもりなのよね?」
……伝えることが正解なのか分からないというのが現状だな。彼女は今、なかなかの好条件の人物にアプローチを受けているらしい。そっちのほうが彼女にとって相応しいんじゃないかと」
「公爵らしくないわね。人の気持ちは、その人にしか分からないのに。それに公爵はそれでいいの?クロリンデさんが他の人と一緒になっても」
 やけに焚き付けてくるなぁとシグウィンの表情を伺うが、彼女は本当に善意で、まだ子どもだった頃から面倒を見ていた人間が恋に悩んでいる姿を見て背中を押してやりたいと純粋に思っていることが読み取れた。
「正直なところ、嫌だ」
「うんうん。素直なのは良いことよ~」
 そう言ってシグウィンはまたリオセスリの頭を撫でた。
 大人になるとごちゃごちゃと色々と考えてしまう。相手にとってこちらが良いだろうあちらが良いだろうと考えるが、それは所詮自分勝手な想像でしかない。相手にとって何が良いのかは、相手が決めるべきで、自分ができるのは選択肢を示すことだけ。
 そして自分自身にとって誠実でいることが、往々にして相手にとっても誠実であるということを忘れていた。
 下手に偽るのは相手にとっても失礼だ。
……そうだな。素直になるのが一番、いいのかもしれないな。看護師長、ありがとう」
 リオセスリは腹を括って、クロリンデに会いに行こうと決意した。

 *

 どうしてこんな事になったのだろうか。
 本日何度目かの戸惑いが頭に浮かぶ。
 手入れの行き届いた髪と肌。
 これまで荒事などとは無縁だろうすらりとした指。
 派手すぎず、しかし優美さをもった上品な服に身を包んだ青年は先程からクロリンデに熱い視線を向けていて、感謝の気持だとフォンテーヌ廷で話題だというチョコレートの箱を渡してきた。
 事の発端は数週間前のフォンテーヌからスメールシティまでの比較的長距離に及んだ護衛任務。
 その商団を率いていたのは有力な商家の御曹司で、その商談が初めての外国の仕事ということで親が過剰とも言える備えを手配してクロリンデが担当することになった。
 極めて順調に事は運び任務自体は問題なかったのだが、それ以来事あるごとにその御曹司がクロリンデの護衛を希望し毎度クロリンデに声をかけたりプレゼントを渡そうとしたりと好意を全く隠さずアプローチをしかけていた。
 仕事中であればそれを理由に拒絶できたのだが、今は勤務時間直後で流石に返事をしなければならないだろう。
「すまない。私はパレ・メルモニアの決闘代理人ゆえに、何者からも贈答品は受け取ることができないんだ」
「これは贈答品ではなく、あなたを愛する私の気持ちです。どうか受け取ってはいただけませんか?」
 これまでも好意やそれよりも不躾な視線を受けたことはままあるが、眼の前の青年のように真っ直ぐにぶつけられたことはない。これが明らかに害をなす意図を持っているのなら組み伏せることもできるのだが、今のところそういった意図は読み取れない。
 だがかといってこの好意が自分にとって心地よいかと言われれば否だ。
 それでもまずは相手を極力傷つけないように諦めさせたいと思ってしまう。
 それはクロリンデが、リオセスリに恋をしてしまったからだ。
 リオセスリには勿論伝えていないが、拒絶されてしまったら流石に悲しくなるのは自分でも分かっている。だから、自分と同じ想い人に拒絶される悲しみを他の誰かに味あわせたくないと思ってしまったのだ。
「あなたが私を慕ってくれることはありがたいことだと思っている。でも申し訳ないが、私はその気持ちに応えることはできないと思う」
「どうしてですか?もしかして、どなたか決まったお相手がいるのでしょうか?」
「決まった相手はいないけれども、あなたが持っている好意と同じものを私はあなたに持てる気がしないんだ。すまない」
 これだけ言えば諦めるだろうとクロリンデは思ったが、相手の目を見てみれば込められた熱は全く衰えず、むしろ更に燃え盛っているようにも見えた。
「それではまずはお試しということで交際していただけないでしょうか?あなたのことをもっと知って、あなたに好きになってもらえるように努力しましょう!」
 伸びてきた手への対処を悩んで反応ができず、手首を掴まれた瞬間、クロリンデの背に鳥肌が立った。
 明確な嫌悪感に思わず顔が歪んで振り払おうとした刹那、遠くない場所からシャッター音が鳴る。音がした方を見てみれば予想通り写真機を手にした記者がレンズを向けていて何度もフラッシュを焚いている。
 ここで手荒な真似をしたら、ゴシップ誌とはいえクロリンデやこの青年への世論が煩わしいものになってしまうだろう。眼の前の二つの事態に意識を分断されているうちに青年はどんどんとクロリンデとの距離を詰めてくる。
「クロリンデさん!」
 もはや名前を呼ばれることすら厭わしい。言い表しようのない気持ち悪さが身体を巡り始める。
「やめ、て」
 いよいよ我慢できなくなって実力行使に出ようとしたところで、カツン、と何かがぶつかるような硬い音がした。
「そこまでにしてもらおうか」
 そして聞こえてきたのは馴染みのある落ち着き払った声。夕日に染まる銀色の髪に、乱れ一つない重厚な服をなびかせながら歩いてきて、クロリンデの手首を掴む腕をいとも簡単に解いてその背に彼女を匿った。
「職員への暴行、そして機密情報を他者へ漏洩した疑いが君にある。大人しくしてもらおうか」
 最高審判官、ヌヴィレット。
 彼の言葉を待っていたかのようにマレショーセ・ファントムがあちらこちらから飛び出して青年と記者を取り囲んだ。
「ま、待ってくれ!ただクロリンデさんに思いを伝えていただけで暴行なんてこれっぽっちも」
「彼女は明確に拒絶の意を示していた。にも関わらず君は彼女の腕を掴んで更に肉体接触を図ろうとしていたと見受けられた。またゴシップ記事を書かせるために記者らへクロリンデ殿の警備予定を漏らしたのは我々の業務の執行を妨害する行いだ。追って罪状を確定する」
 厳かに、言い逃れも言い訳も許さないとばかりに放たれた言葉に青年はまるで水を浴びせかけられたかのように青くなりその場に膝をついた。

「クロリンデ殿、少しは落ち着いただろうか?」
 マレショーセ・ファントムが青年と記者たちを連行していき、その場に残されたクロリンデを近くのベンチへと誘導してヌヴィレットは声をかけた。
「はい……お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「こちらこそ、職員である君を守ることができず、上司として申し訳ない気持ちだ。君があの青年から迷惑行為を受けていることは、他の担当から聞かされて初めて発覚した。今後、同様のことがあれば遠慮なく相談してほしい」
 すまなかった、と謝られてしまいクロリンデは焦ってしまう。
「いえ、私がもう少し強く断りを入れていれば向こうも暴走しなかったかもしれません」
「いや、私が見るに彼は『暴走』したのではなく君を囲い込むために策を弄してあのような振る舞いをしたのだろう。ゴシップ誌の記者に記事を書かせていたのも君と彼が恋仲であると世間に誤認させ、そしてクロリンデ殿が彼に手を上げる事態になれば君を非難する記事を書き、あの青年が君に対して優位な立場に立とうとしていたと考えられる」
 淀みなく説明するヌヴィレットにクロリンデは圧倒される。
「それは、そう判断に至ったのは、何故ですか?」
「報道機関の中にも我々に対して協力的な者もいる。今回はそのうちの一人からの情報提供だ。君の記事について疑問を持ったシャルロットさんが独自に調査し、あの青年が先程の記者と密談しているところを捉えて私たちに教えてくれたのだ」
 クロリンデの頭にはフォンテーヌ随一の新聞社の、情熱的で良識ある若き新聞記者の少女が浮かんだ。
「一人で家に帰れるだろうか?もし心細いのであれば、誰か付き添いを……
 ふとヌヴィレットの視線がクロリンデから別のどこか遠くへと移る。薄暗くなりつつある街路の奥に、大柄な人影が有りクロリンデはそれが誰であるかすぐに認識した。
「少し待っていてくれ」
 ヌヴィレットも同様にその人物を認識して駆け寄っていった。

****
「ヌヴィレットさん?どうしてこんなところに」
「少しトラブルがあった。リオセスリ殿、何か業務の用事だろうか?」
「いや、今日はもうプライベートだけど……あそこにいるのはクロリンデさん??」
 リオセスリはヌヴィレットの肩越しに愛しい女性を見つけてわずかに動揺するが、ヌヴィレットが先程までの出来事を説明し始めたので、そちらに意識を集中することにした。
 護衛対象であった人物がクロリンデに懸想し言い寄っていたこと。さらにはゴシップ紙の記者に情報を流して記事を書かせていたこと。
 そしてもし時間が許すのであればクロリンデを家まで送ってほしいと頼んだ。
「ヌヴィレットさん、それは俺じゃないほうが良いと思うぜ」
 リオセスリの返事にヌヴィレットは首を傾げた。
「なぜだ?」
「男に暴力を振るわれた女性に、男を付けるなんて傷口に塩を塗るようなモンだ。女性職員か、メリュジーヌ達の方が良いと思うぜ」
「そう、か……彼女と親しい君であれば彼女も安心できると思っていたのだが」
 親しいという言葉に、リオセスリはギョッとした。
「親しい仲って、一体誰がそんなことを言っていたんだ?」
「シグウィンだ。この前、君たち二人と一緒に三人で食事へ行った時、みんな仲良しと言っていたから君たち二人もそうなのだと」
 認識違いだっただろうか、と他意なく尋ねてくるのでどう応えようかと迷っているといつの間にかクロリンデが近くまで来ていた。
「ヌヴィレット様、私は公爵が付き添いで問題有りません。そちらが問題なければですが……
 視線が交わる。その瞳には怯えがなく、いつもどおりの落ち着いた光が宿っていてリオセスリは内心胸を撫で下ろした。
「承知した。リオセスリ殿はどうだろうか?」
「あー……クロリンデさんが嫌でないなら……
 ではよろしく頼む、とクロリンデはリオセスリに返事をした。

 パレ・メルモニアへと戻るヌヴィレットの背中を見送ってクロリンデは改めてリオセスリに視線を戻した。
 それほど期間は空いていないのにかなり久しぶりに彼の姿を見た気がする。
 仕事でも、数週間まではプライベートでもよく顔を会わせていたからだろう。
 最後に会ったのはそれこそ遺瓏埠で一泊することになった旅行の時で、それ以来会っていなかったのだ。
「クロリンデさん、すぐに家に帰るかい?それか、すこし歩くか?なんなら、カフェとかでもいい。行きたいところはある?」
 緊張した面持ちでクロリンデのことを伺ってくる。その気遣いが嬉しい。
「少し歩いてもいいだろうか。風に当たりたい」
「ああ。いいぜ」
 パレ・メルモニアの正面玄関から横にそれて、今は休止中のカーレス線の船着き場まで足を運ぶ。イースト・エスス山脈が茜色と影色に染まっていて人も少ない。
 空いているベンチに腰を下ろしてクロリンデは大きく息を吐いた。
「大丈夫かい?もし、俺がいるのが辛かったら……
「いや、それは大丈夫。少し……疲れてしまっただけだから。まさか、あの男が私を陥れようとしていたなんて思ってもみなくて。少なくとも私に向けられた好意は本物のように感じたから」
「そうだなぁ、確かに彼の想いは本物だったかもしれない。だが超えちゃいけない一線を超える奴はどこにでもいる。メロピデ要塞に送られてくるやつの中にもそうした輩は少なくない」
……そうだな。私も分かっていたはずなんだが、できるだけ傷つけずに済ましてやれたらと思ってしまったんだ。拒絶されるのは、辛いだろうから」
 そう言って俯向いてしまって、リオセスリは焦る。
 以前の彼女であれば問答無用で伸していただろうに、手首を掴まれるまで許してしまったのは彼女の考え方が変わったから。その原因を知りたいと思うが、今は興味よりも彼女をケアするのが最優先だと心に刻む。
「ところで腕は大丈夫なのか?掴まれたと聞いたが」
 その質問に応えるようにクロリンデは右の手首を左手でなでる。
「心配はない。特に、捻ったりはしていないと思う……ただ」
 気持ちが悪かった。風に消えそうなほど小さな言葉がこぼれ落ちてリオセスリは臓腑が冷える。
 好きでもない相手から接触されたら誰であっても不愉快なものだ。肉体的な怪我とは違う心の傷を彼女は負ってしまったとリオセスリは理解する。
 隣り合って座っている今も、もしかしたらストレスを感じているかもしれない、とリオセスリはじりじりとクロリンデから離れるように体をスライドさせていく。
「公爵?」
「いや、あんたは大丈夫というが、俺はあんたを害した奴と同じ男だ。これ以上、ストレスを掛けたくない」
「あなたは大丈夫と伝えたと思うけど」
「無理やりそう思っているだけかもしれないぜ?後から、やっぱりキツかった……なんてこともあるかもしれないだろ?」
……
 じ、とクロリンデはリオセスリの顔を見つめる。思わず目と目が合ってしまったが逸らすこともできずリオセスリが次の行動を考えあぐねていると、先に口を開いたのはクロリンデだった。
「そういえば、今日はどうしてパレ・メルモニアに?仕事?」
「いや、プライベートなんだが、実はクロリンデさんに会いに来たんだ」
「私に?」
「前に、次会う時連絡するって言っただろう?時間が空いてしまったから、どこに行くか直接相談しようと思っていたんだが、また落ち着いた頃に改めて決めよう」
 クロリンデに気を遣わせないように穏やかな表情でそう言うが
「いや、折角来てくれたのだから決めよう」
 クロリンデを気遣って物理的な距離を置いているからか、このまま離れていってしまうのではないか。
 そんな不安が過ってしまう。
「今週の仕事は、先程全部吹き飛んでしまったから定時に上がれると思う。あなたは?」
……俺もいつでも大丈夫だ。いつも通り金曜日の夜はどうだろうか?」
「問題ない。では今週の金曜日にしよう」
「分かった。行き先は、俺に決めさせてほしい……さて、日も沈んできた事だしそろそろ送ろう」
「ああ分かった。連絡を楽しみにしておく」
 リオセスリが立ち上がるのに合わせてクロリンデもベンチを離れた。

 金曜日、夜。
 ホテル・ドゥボールは興奮に満ち溢れていた。
 食事や飲み物の素晴らしさはさることながら、今夜はフォンテーヌ一の大マジシャンであるリネとリネットのマジックショーが行われているからだ。不定期で、事前の予告もなく行われるためこの日たまたまホテル・ドゥボールを利用した幸運な客のみこの夜を楽しむことができる。
 リオセスリとクロリンデは久しぶりの食事だったのだが、幸運な客の一員になれたのだ。
 客たちはマジックのトリックを解き明かそうと躍起になってリネの手元や動作を凝視するが、その視線を利用してより効果的に演出がなされる。
 食事とともに提供されるショーであるのでエピクレシス歌劇場で行われるような大規模なものではないが、華やかな夜を飾るには十分すぎるほどのそれにクロリンデも目が釘付けになっていた。
 その姿を見て、場所を選んだリオセスリは良かったと胸を撫で下ろす。
 食事の前、なんなら遺瓏埠へ出かけて以降二人の間には一種の緊張感があって、しかも先日会いに行った際クロリンデはトラブルに見舞われてしまって、精神的に参っている姿を見てしまった。だからゆったりした席でゆっくり食事が楽しめるホテル・ドゥボールを予約したのだが、思いがけずマジックショーが開催されることになり良い気晴らしになると思った。
 次に会う時はクロリンデに己の気持ちを伝えようと考えていたのだが、トラブルの内容が男に懸想されて迷惑を被ったということで、今日想いを伝えるのは良くないと判断し、楽しい食事会に徹しようと決めた。
 また、次の機会でいい。それまで嫌われないようにしよう。
 最後のマジックが終わり、拍手喝采。リネとリネットは何度もお辞儀をして観客たちに礼を述べる。
「まさか、二人のマジックショーを見ることができるなんて」
「ああ、ラッキーだったな。クロリンデさん、楽しめたかい?」
「勿論」
 ショーが終わると各テーブルにデザートと紅茶が運ばれてきた。
 バルブオレンジをふんだんに使ったタルトにカラフルマカロンが添えられていて、紅茶もスイーツにあわせた風味のものだ。
 美食も心ゆくまで楽しんで、クロリンデはふわふわとした気持ちの良さを感じていた。
 やはりリオセスリと過ごす時間は楽しい。少し前までは感じていた緊張感もあまりなく、共に過ごせるというだけで心が安らいだ。
 でも、彼はクロリンデに何かを伝えるためにこの会を設けたのだ。それはおそらく二人の関係性を大なり小なり変える内容であるのは予測していて、もしかしたら今日のように二人で食事をするということもなくなるかもしれない。
 そうだとしても……クロリンデを思い、セッティングしてくれた今日はとてもいい思い出としてクロリンデの中に残る。
「公爵、私に伝えたいことがあると、この間言っていたがなんだろうか?」
 紅茶を嗜んでいた手がピタリと止まる。ゆっくりと視線がクロリンデに向けられて、何度か瞬きした後に口が開く。
……ここを出てから、少し歩きながらでもいいかい?」
 クロリンデは頷いて、残りのタルトと紅茶を楽しむことにした。

 ナルボンヌエリアはホテル・ドゥボールやハイ・ソサエティ向けのアクセサリーショップが並ぶフォンテーヌ廷の中では比較的落ち着いたエリアだが、先程のマジックショーの余韻かいつもよりもわずかに賑わいが増していた。今宵ホテル・ドゥボールで食事を堪能した幸運な客達は大魔術師リネのトリックをああでもないこうでもないと論じながら家路かあるいは別の場所へと向かっているからだ。
 その中であってもリオセスリとクロリンデは、人の波に乗りながらも口数少なく足を進めていた。
 歩きながらとは提案したが人が多く、どこか別の店に行くべきかかと思いながらも、この時間帯で開いているのはバーかバルくらいで素面でゆっくり話をするにはあまり適していない。
 ヴァザーリ回廊へ差し掛かった時、ふと回廊のベンチが一つ空いているのがリオセスリの目に入った。
 クロリンデの方を見れば同じように気が付いたらしく、噴水広場へと降りる流れから離れて、ベンチの方へと向かう。
 人通りは少なく暗いものの、警察隊やそれに属する警備マシナリーが巡回しているため危ない雰囲気はない。
 腰を下ろすと眼の前にはプネウムシアの光を放つ、フォンテーヌ廷の象徴の一つである巨大噴水が目に入る。
 人が少なく、ゆっくりと話しをするには丁度良く、こっそりと周りを見てみれば親しげに話す二人組の影が点在していて、なるほどここは恋人達の定番スポットなのかとリオセスリの知識が一つ増えた。
「公爵、それで話というのは?」
……前に、クロリンデさんから『世間的によろしくないことを教えてほしい』と言われたことに関してなんだが……クロリンデさん?大丈夫かい?」
 リオセスリが言葉を放つたびにクロリンデの表情がこわばっていく。
「いや、大丈、夫」
「大丈夫じゃなさそうだ。もしかして気分が悪いのか?」
「平気だから、続きを」
 頼む、と絞り出すような声で懇願される。
「クロリンデさん、今から俺は自分本意のことしか言わない。もし気持ち悪かったり受け入れられない場合はすぐに言ってくれ……俺は、クロリンデさんと今まで同じように時間を過ごしたい」
……え?」
 クロリンデの目が今まで見たことがないほど開く。拒絶の色が見られないのを読み取ってリオセスリは続けた。
「一緒に食事に行ったり、この前みたいに異国まで足を伸ばしたり、映影や観劇にも一緒に行って、クロリンデさんがどんな表情になるのかを知りたい。そして、それを見ることができるのが俺一人であってほしいと思ってしまった」
 信じられないという表情。そして交わった瞳は逸らされず次の言葉を待っているかのように瞬いている。
「クロリンデさんが好きだ。どうか、あんたと一緒に過ごす立場を俺にくれないか?」
 過ぎたのは1秒か数秒か十数秒か。短いような長いような沈黙の後で、クロリンデは口を開いた。
「公爵……手に触れてみてもいいだろうか?」
「え?」
「確かめたいことがあるんだ」
 
 差し出された手はバンテージが巻かれていて、露出している指先の皮膚の厚さは見ただけでわかる。
 数え切れないほど強く握り、打ち出され、衝撃に耐えてきた、戦うものの手。
 逡巡してクロリンデは手袋を外してからそっと触れてみた。
 予想通りの硬い弾力のある手のひら。
「氷元素だから冷たいかと思ったら、存外、温かいのだな」
……そりゃあ、俺だって一応人間だからな」
「私の指を握ってみてもらってもいいか?」
「正気か?」
「あ、……すまない。嫌だったか」
「いやむしろ嬉し、そうじゃなくて、ああ、もう!」
 リオセスリは壊れ物に触れるように、手のひらに乗せられていたクロリンデの指をそっと包むように触れた。傷付けないように、怖がらせないようにと。
「ああ、大丈夫だ。良かった」
 前に男に触れられた時の不快感をリオセスリにも感じてしまったらどうしようと悩んでいたのだが、杞憂であったことに安堵のため息を吐いて、漸く肩の力が抜けたのかクロリンデの眉尻と目尻が下がり表情が緩んだ。ぎこちなく包むように握られた手の感触は馴染みがよく、ゆっくりと握り返した。
「私も、公爵、リオセスリ殿。あなたのことが好きだ。どうかこれからも一緒に時を過ごさせてほしい」
……
……
……マジか」
 じっとりと吐き出された言葉に、クロリンデは思わず笑った。

 End